第七話 騎士団と仲間(後編)
一人の少年がランプを手に、慣れた足取りで暗い廊下を歩いている。彼は通り過ぎた扉の数を数え、十三個目で足を止めてその扉に近づく。二、三度ノックするも、中から返事は無い。
「奏雅さん、入りますね」
中性的な顔立ちの少年……リューセクタルは一言断りを入れ、部屋の中に足を踏み入れた。
彼は巨大なベッドに歩み寄り、そこで眠っている人形のように綺麗な顔立ちの男を揺すった。
「起きてください。朝の訓練が始まりますよ。……まったく、ちゃんと起きれたのは初日だけじゃないですか……」
少しばかり不機嫌になりながらも、彼は手を止めずに奏雅を揺すり続ける。
しばらくすると、その長く綺麗なまつ毛の間から漸く栗色の瞳が見られた。
「よう、悪いな。えっと……」
奏雅は眠そうに目を擦りながら体を起こす。
「リューセクタル=ブリミナールです。いい加減に覚えてください」
ため息交じりに言うリューセクタルに、奏雅は「長い」と短く言い放つ。その時、奏雅は何かを思いついたように、少しの間思案顔をしていた。
(そういえば、言葉が通じるってことは……)
彼は上着のポケットからメモ帳を取り出して一枚破り取る。そしてそれとペンをリューセクタルに渡した。
「名前、書いてみてくれ」
彼はそれを受け取ると、サラサラと名前を書き、奏雅に返した。そこには綺麗に書かれたアルファベットが並んでいた。
奏雅は予想が当たったというようにしたり顔をした後、剣を取り出し、紙を宙に投げて二回鋭く剣を振った。紙は大・中・小の三つに斬られ、真ん中の紙が彼に拾われた。その紙には「ECT」の文字がある。
「よし。それじゃ、エクトだ。たった今から俺はお前をそう呼ぶ。ニックネームというやつだ、うん」
奏雅は満足そうに頷くと、訓練の準備を始めた。
彼が騎士団の訓練を受け始めてから、今日で一週間になる。その間にわかったことは、エクトやザイレイの所属するフルーエル騎士団が、この世界では最強の団体であること。それと、強いのはザイレイや総隊長を含めた五人の隊長だけであり、その他の隊長やエクト達一般兵は、奏雅よりも遥かに弱いということだった。
「なかなかの傍若無人ぶりですね、奏雅さん。まぁ、そろそろ慣れましたけどね」
エクトは自分の名前が斬られた紙の残りを複雑そうな顔で拾い上げ、ゴミ箱に捨て、遮光カーテンと窓を開けた。窓からは極僅かな夜明けの光と、冷たい風が入ってくる。
その間に奏雅は準備を済まし、欠伸をしながら目を擦っている。
「お前、便利だな」
忙しそうにベッドメイクを始めたエクトを横目に、奏雅が呟く。
「ま、一応あなたもお客様ですから、それなりに持て成さないと王とか総隊長とかに叱られるかもなんで。そんなことより、早めに朝食を済ませないと訓練の時キツイですよ?」
エクトがベッドメイクを終えるまで、奏雅は伸びをしたりと眠気覚ましに励み、その後二人で食堂へと向かった。
高くなりかけた日の下、広大な敷地に活気ある声や、金属のぶつかり合う音が無数に響いている。千人近くの騎士たちがそれぞれの訓練に励み、気合いの掛け声を発していた。
その中で、奏雅はザイレイと模擬戦をしている。
「常に背後に回ってるとか、思うんじゃねぇよ!」
真後ろに向けて剣を振った奏雅を、横から鋭い刃が襲う。奏雅はそれを間一髪でかわすが、続けて放たれる攻撃に対応しきれず、刃の雨を浴びることとなった。
「そこまで!」
傍から勝負を見ていた金髪の無愛想な男、総隊長グロウスレイ=フレイリンが試合を止める。するとザイレイは攻撃の手を止め、眠そうに欠伸をした。
その様子を見た奏雅は、総隊長に模擬戦の続きを要請する。
「まだ俺は戦える。続きをやらせろ!」
それに対し、グロウスレイではなくザイレイが代わりに答えた。
「おいおい、これは決闘じゃないんだ。それに普通の人間なら死んでいるし、お前でもあのまま攻撃を浴び続けたらタダでは済まない。勝負ありで終わりだよ。まぁ、なかなかの攻撃もあったし、お前は確実に成長してるよ。まだまだだけどな」
それだけ言うと、ザイレイは首をコキコキ鳴らしながら次の相手のところへ歩いて行った。
奏雅は地面に膝をつき、唇を噛んでうなだれている。
「結城奏雅、そう気を落とすな。お前の成長には我々も驚いている。ザイレイもあんな態度だが、内心まともに戦える相手が増えて喜んでいる」
グロウスレイがそう言った瞬間、遠くの方で金属がぶつかる音がした。ザイレイが対戦相手の剣を弾き飛ばした音だった。
「相手にならないぜ。ほら、あっち行って素振り二千本! ……ったく、つまんねぇ」
頭をポリポリ掻きながら、ザイレイは次の相手を探し出した。
その時、訓練場に大きな音が響き渡る。それは非常時に鳴らされる巨大な鐘の音だった。
ほどなくして、慌てた騎士が息を切らしながらグロウスレイに向かって駆けて来た。
「総隊長! 城の西側、三キロメートルあたりにメストルが出現しました!」
その報告に、聞いていた周りの騎士たちが凍りつく。その中でザイレイだけが目を輝かせていた。
「俺の出番だな! さて、今回はどれだけ楽しませてくれるのかな?」
炎鬼を腕に纏い、準備運動を始めるザイレイ。
その姿を横目に、奏雅は近くにやってきたエクトに小声で尋ねる。
「おい、エクト。メストルって何だ?」
するとエクトは、緊張したような様子で答えた。
「どこから来るのかわかりませんが、たまに現れる怪物の事ですよ。空を割って出現する気持ち悪い生き物です」
それを聞き、奏雅は詩亜が戦ったバケモノの姿を思い浮かべた。恐らくは、それと同一のものだろう。
グロウスレイは声を大にし、全員に聞こえるように指示を出した。
「第一部隊、第二部隊は討伐に向かえ! 第三部隊は付近の民の保護。その他は城の警備だ!」
その指示を遮り、報告に来た騎士が大声を上げる。
「ダメです、総隊長! メストルは一体ではないんです。およそニ十体ほどの群れを作っています!」
その言葉で辺りが騒然となった。グロウスレイはその中で考えを巡らし、新たに指示を出す。
「各部隊の隊長、及び小隊長はただちに出陣せよ! その他一般兵は民の保護と城の警備だ!」
騎士たちはその指示に従い、迅速に行動を始めた。奏雅は総隊長の下に向かい、話しかける。
「俺も行く。多分役には立てると思うからな」
「よろしく頼む。だがお前は客人だ。無理はするなよ」
グロウスレイはフッと笑い、奏雅に答えると、槍を手に馬に跨って駆けて行く。
奏雅は第一部隊小隊長であるエクトと、その後を追うのであった。
奏雅達がメストルの群れにたどり着くと、既にフルーエル騎士団の隊長達が戦いを始めていた。状況は圧倒的に不利であり、十五人ほどが死んではいないものの、倒れ、戦えない状態になっている。
バケモノは、奏雅が遭遇したものと形こそ異なるが、幾つかの赤い眼、黒く濡れた、巨大で異形の獣という点で同種であることが想像できた。その中の数体は、黒々とした翼を持っており、空を飛んでいる。
総隊長とザイレイを軸にした騎士団も、飛行するバケモノには為す術もなく、一人、また一人と倒れていくのみだった。
「総隊長、ただいま到着しました。我々に指示をお願いします」
エクトは、攻防の末、一度間合いを取ったグロウスレイに駆け寄り、指示を仰いだ。
「我々には対空手段がない。とりあえずは上からの攻撃に気を付け、地上の敵を殲滅する。リューセクタルは上からの攻撃に対する守備系のサポート。結城奏雅は地上の敵に対する攻撃系のサポートだ」
グロウスレイは敵陣から目を離さずにそれを伝えると、再びメストルの群れに斬り込んで行った。エクトもそれに続き、戦場へと走り出す。
奏雅は手鏡を取り出し、鏡面に触れた。彼の鼓動は微かに高鳴り、表情には自然と笑みが浮かんでくる。
「自由スキル発動! 変身!」
その時、淡い光が奏雅の体を包み込んだ。