第六話 騎士団と仲間(中編)
立ち尽くす奏雅の眼に映るのは、純白の布地に、薄い青色の装飾が施されたローブを着た女性の後ろ姿。どこからか急に現れた彼女の、束ねられた髪は、炎を圧縮した際に生じた風でフリフリと宙で揺れている。
ほどなくして風がやむと、彼女は振り向き、瞳を潤させて言った。
「また私のお給料を減らす気ですかぁ? 奏雅さんは知らないでしょうけど、私はしぃちゃんに、奏雅さんが慣れるまでの間のサポートを頼まれているんですぅ! それなのに、こんな危ないことして! これ以上減給されたら、毎日のイチゴパフェが……週六に……! いや、ないない。さすがにそれは、耐えられませんよ」
猛烈な勢いで語り始める沙希に、奏雅はため息をついて呆れる。それに対し、騎士団の二人は眼を見開き、驚いている。
やがて、ザイレイの口の端が徐々に、横に広がっていく。それを見たリューセクタルは、顔がどんどん青ざめていく。
「隊長……。まさか、あの人にまで戦いを挑むなんてことは……」
彼が言葉を言い終える前に、ザイレイは既に地を強く蹴っていた。
「キサマ……俺と戦え!」
一瞬で間合いを詰め、ザイレイは沙希に斬りかかる。
「え? ちょちょちょ、ちょっと~。何なんですかぁーーー!」
沙希は、ザイレイの大きく振りかぶった一撃をかわし、大きく後ろに跳び退き、小さく指を上から下に振り下ろす。すると、ザイレイは頭に衝撃を受けたかのように、前のめりに倒れた。
「面白い! 炎鬼、アレやるぞ!」
すぐに起き上がったザイレイは、左手の炎鬼を上に掲げる。燃え盛る紅の炎は、紫色へと変わり、鬼の顔は、徐々に獅子へと変化する。
「行くぞ! 紫炎獅子!」
開かれた獅子の口から、巨大な紫の炎が、沙希目がけて放たれる。
「沙希っ! 危ない!」
奏雅の叫び声は、静かな空間に響き渡った。炎が発する、空気を燃やす轟音の無い、静寂な空間に。
巨大な紫の炎は、沙希の手により一瞬で縮められ、すぐに消えていた。
「いい! 最高だぜ、アンタ!」
ザイレイは高速で走りながら、再び斬りかかる。
「もぅ、なんなんですか、あなたはぁーーー! 強制送還、個体干渉! ターゲット二名……変な人とその仲間!」
沙希がそう言って鏡に触れた瞬間、剣を振り上げたザイレイと、終始固唾を飲んで見守っていたリューセクタルが、光に包まれ消え去った。
彼女はため息を一つ漏らし、パタパタと奏雅のところに駆けて行った。
「それで、どういった経緯で、こんな訳のわからない状況になったんですかぁ?」
奏雅は眉間にしわを寄せ、説明することを躊躇っていたが、ぷくっと頬を膨らませ、不満気たっぷりの目で睨む沙希に気圧され、経緯を説明することにした。
「……なるほど」
沙希は話を聞き終えると、温か味の無い笑顔を浮かべ、頷いた。
「つまり……。ちょっとした好奇心から一人で勝手に、適当な世界に干渉して、警戒なんてほとんどしないで変な人たちに近づいて。それが山賊で、多勢に無勢でもプライド的に逃げたくなくてボコボコにされて。で、運良く助けられたは良いものの、名前だけで山賊達を退散させるような助け主に勝負を挑まれ、無謀にもそれを受けて、またボコボコにされた……と」
笑顔のまま、沙希は悪意に満ちた口調で要訳を言い、ブツブツと小言を呟き始めた。
「沙希。実は知る人ぞ知る、イチゴパフェの美味しい、隠れた名店が近所に在って……」
奏雅が言ったその言葉で、沙希はピクッと反応し、動かしていた口を止めた。
「ワタシ、ナニモミテナイ。ナニモ、モンダイナカッタ」
沙希は少し考えた後、片言で言った。
「よし、今度連れてってやろう」
「わーい。じゃ、さっそく帰って食べに行きましょうかぁ」
沙希は奏雅の腕を取り、手鏡を取り出した。しかし、そこで奏雅が制止した。
「帰らないんですかぁ?」
沙希が問うと、奏雅はゆっくり頷く。
「このまま、良いトコ無しで帰れるかよ」
奏雅は腕を振り払い、顔を背けて言った。
「まぁ~だ懲りてないんですかぁ? しょーが無い。少しくらいなら付き合いますよぅ」
それに対し、沙希は呆れたような口調で答えた。
「いや、要らない。もう保護者の同伴が必要って歳でもないしな」
奏雅の答えに納得のいかない沙希が、口を開く。
「でも……」
「イチゴパフェ」
「お気をつけてぇ~」
沙希は、不満気な顔を一瞬で満面の笑みに変え、大きく手を振った。そして、手鏡に人差し指を近づける。
そこで、奏雅が声を掛けて引きとめた。
「沙希。そういえば、あの『炎鬼』とかいうの、なんなんだ?」
眉間にしわを寄せ、ここには長居したくないとでも言いたげな視線を送るも、イチゴパフェのことがあるからか、素直に答えてみせた。
「ん~。フィンリエ……は私の世界の言葉だしぃ。精霊……が近いですかねぇ」
その答えに、今度は奏雅が怪訝な顔をする。
「精霊? おい、マジメに答えろ」
「マジメですよぅ! あのですねぇ、異世界に来るなら自分の世界の常識は捨てないと~。あの変な人達の世界は、物理法則とか人の姿とかが共通してるだけ、マシなんですよぉ?」
沙希が子供に言い聞かせるような口調で言うと、奏雅は口をポカンと開けた。
「世界が違うと、物理法則まで違うのか?」
「そういう世界もありますよぅ。不安定な世界は消滅するので、現存する世界の法則には、ある程度のパターンがありますけど。ま、それはそれとしてぇ~……この防御世界には長居したくないので、私、帰りますよぉ? あ、イチゴパフェの件、忘れないでくださいねぇ~」
言い終えたときには、すでに沙希の姿はなく、奏雅は渦巻く世界に一人ポツンと残された。
煌びやかな部屋の中、ザイレイの剣が乾いた音を立てて空を切る。騎士団の二人は、自分の身に起きた事を把握できずに呆然としていた。二人は先程まで、確かにここではない場所にいたのだから。
「隊長、これは一体……?」
リューセクタルが辺りをキョロキョロと見回し、尋ねた。
「良くわからないが、多分追い出されたんだろう……あの女に。言っておくが、白昼夢などではないぞ」
ザイレイは残念そうにため息を交え、その質問に答えた。
二人がしばらく黙ったままでいると、突如室内に光が発生し、奏雅が現れた。それを見るなり、ザイレイは口を開く。
「おい、あの女はどうした?」
微かに期待しているも、答えはわかっているという様な口調だ。
「アイツは俺達の世界に帰ったよ。さて、さっきの続き、やろうか」
奏雅は右手で剣を構え、左手で手鏡を握る。
「……誘っておいて失礼だとは思うが、お前では役不足だよ」
ザイレイは奏雅に背を向け、退室しようとしている。
「俺はまだ、スキルを使ってない。干渉者の自由スキルを!」
手と脚に最大限の力を込め、退室を妨げるべく斬りかかる。その間、手鏡を握り、スキルを発動しようとした。
「そうだとしても……だ」
オレンジの髪が宙を舞った。髪の間からは鋭い眼光が矢の様に放たれている。
ザイレイは振り向くと同時に手鏡を蹴り飛ばし、向かってきた者の喉に切っ先を突き付ける。手鏡を手放し、能力を使えなくなった奏雅は、負けを認めざるを得なかった。
「この差は、そう簡単には埋まらない」
静かに、しかしハッキリと言い残し、ザイレイはその場を後にした。
部屋には安堵のため息を吐くリューセクタルと、力無く座り込む奏雅が残る。
「えっと、結城さん……でしたっけ? 隊長が大変失礼しました。あの人、食事より戦いが好きな戦闘狂なんですよ」
沈黙が続く中、耐えられなくなったリューセクタルが話を切り出す。
「それで、この後どうしますか? 迷惑かけたお詫びに、この部屋を貸しても構いませんが……多分。それとも、帰りますか?」
奏雅は少しの間、考え込んでいた。カッコ悪いまま帰りたくないという気持ちと、今の実力ではザイレイに遠く及ばないという事実が、頭の中でグルグル回っている。
「なぁ、あんた。俺がアイツに勝つには、どうしたらいいと思う?」
予想外の返答にリューセクタルは少し困惑したが、すぐに答えを導き出した。
「結城さんは、身体能力は極めて高いのですが、隊長も言っていた通り、技術がそれに追いついていないんです。ですから、先ずは基本を身につければ良いと思いますよ。そこから経験を積んでいけば、いつか勝てるかと。何れにせよ、すぐには勝てないでしょう」
再び二人の間に沈黙が流れる。やることのないリューセクタルは、乱れたカーペットを直し、部屋の掃除を始めた。
掃除は上から下に、奥から手前に、棚やフローリング部分は木目に沿って、テキパキと慣れた手つきで行われている。その姿は騎士と言うよりも、手慣れた主夫の様だった。
彼が掃除を終え、洗濯物を出して戻ってきた頃、ようやく奏雅が答えを出した。
「この部屋、しばらく貸してくれ。それで、明日からここの騎士団の訓練に参加する」
リューセクタルがポカンと口を開けている中、奏雅は明日は早く起きるからと、さっさとベッドに潜り込んだ。
「部屋を貸すのは良いと言ったけど、訓練の参加については知りませんよ~」
起きているのかどうかわからない奏雅に小声で話しかける。返事が返ってこないので、どうやら寝てしまっているようだ。
「はぁ……。隊長と結城さん。変な人が二人なんて、面倒見きれないよ……」
リューセクタルは独り言を漏らし、部屋の明かりを消して退室した。