第三話 干渉と異世界
非日常的な出来事の翌朝、奏雅は再び鏡屋に足を運んでいた。例の手鏡をもらう約束をしたが、最終メンテナンスを行うと言うので詩亜に預けてあったのだ。
「いらっしゃいませ~。あ、奏雅さんじゃないですかぁ~」
店内に入るなり沙希がパタパタと駆け寄ってくる。
「しぃちゃ~ん! 奏雅さんが来ましたよ~!」
沙希は店の奥の扉に向かって声を掛ける。
「はーい」
詩亜は返事と共に店の奥から姿を現す。
「こんにちは、奏雅さん」
彼女は軽く頭を下げると沙希の方を向いた。
「沙希さん。しぃちゃんはやめてください。もう子供じゃないんですから」
「じゃあクレンシアちゃんで」
「だからちゃん付けは……」
二人の雑談が盛り上がる中、奏雅が口を開く。
「なぁ」
「あ、すみません。鏡は奥の部屋に置いてありますのでどうぞ上がってください」
詩亜が笑顔で店の奥へと奏雅を案内する。
「あ、うん。ところでなんで沙希は詩亜の事を『クレンシア』って呼ぶんだ?」
詩亜について行きながら疑問を口に出す。
「それは栗田詩亜はこの世界での偽名だからです。『クレンシア』も本名を短縮したコードネームなんですけど……。ちなみに私の本名は『クーリケルト=レンディア=シエテ=ア』です」
「えっと、やけに長いのはミドルネームとかか?」
「いえ。私は幼い頃に一人でこの世界に来たので詳しいことはわからないのですが、それぞれ意味があるらしいです。名づけるなら『クーリケルト』が鍵名、『レンディア』が姓で『シエテ』が名前、『ア』が音名ってところですね」
彼女は明るい口調でそう言った。
「つまり……詩亜で良いってことだな?」
奏雅がそう言うと詩亜は笑いながら頷いた。
店の奥の扉を開けると、神秘的な店内とは真逆の生活感漂う光景が目に入る。畳にちゃぶ台、テレビといったごく普通の日本家庭のようである。
「沙希は本名なのか?」
靴を脱ぎながら詩亜に尋ねる。
「私の本名はサキ=イーヌテリアですよぅ。こっちでの偽名は犬井沙希です~」
詩亜が口を開く前に店内にいる沙希が声をあげて答えた。
「だ、そうです。それでは鏡をお渡ししますね」
詩亜はちゃぶ台に置いてあった手鏡を持ち上げ奏雅に差し出した。
翼のレリーフがキラリと光る。
「では少し長くなりますが説明をさせていただきますね」
奏雅が手鏡を受け取ると、二人は畳の上に座った。
「まずは所有者の登録を行ってもらいます。登録と言っても鏡面に触れるだけなので今実際にやってみてください」
言われた通りに鏡面に指先を押し付ける。しかし指は固体に当たることなく通り過ぎ、鏡面に波紋を生み出した。指は粘性の低い流体を触れている様な感覚である。
「はい、登録完了です。これでその鏡は奏雅さんしか使えません。次はスキルについての説明です」
奏雅は手鏡から指を離し、熱心に詩亜の説明に聞き入っていた。
「スキルとは手鏡と所有者が共に在ることで発現する能力のことです。まず一つ目は固定スキル。これは干渉能力を得ることで、手鏡の所有者は例外なくこのスキルを使えます。二つ目は潜在スキル。所有者の深層心理に干渉することで引き出されるその個体の根源的な力です。例としては『せっかちな人の足が速くなる』などです。基本的には目立つ能力ではないので自分の潜在スキルを知らない人がほとんどです」
ここまで一気に喋り、詩亜は一呼吸置いてからまた話し始める。
「三つ目は自由スキルです。所有者が想像した力を発動できます。ただしこれは最初に想像を登録する必要があり、後での変更はできません。よく考えてから登録してください。方法は鏡に触れた状態で能力を強く想像するだけです。ちなみに能力の強さは所有者の強さに依存します。弱い人が『星を砕く力』と想像してもその辺の石ころが砕ける程度です。ただ所有者が強くなればスキルの力も向上しますのでこのことも参考にして能力を想像してください。それとスキルではありませんが、鏡が使用者の深層心理に干渉することで身体能力が飛躍的に向上します。また鏡が構築する世界に干渉することでそこに荷物を置いておくことができるので是非活用してくださいね」
詩亜は説明を中断し「お茶を入れてきます」と言って席を立った。
(自由スキルか……。ヒーローに必要なのは、アレしかないよな)
奏雅は指を鏡に触れ、強く想像した。
(俺の望む能力は……『変身』だ)
鏡はその想像に反応して一瞬光を放った。
「あれ? 自由スキル、もう決めちゃったんですか?」
お茶と煎餅を持ってきた詩亜が奏雅に尋ねる。
「ああ、決めたよ」
奏雅は即座に答えた。
「どんなのにしたんですか?」
奏雅の答えを待つ詩亜の目は輝いている。
「それは……秘密だ」
変身などと言ったらどんな反応をされるのだろうか。彼は少し恥ずかしくなり目を背けて誤魔化した。
「まぁいいです。それでは少しばかり注意しておきます。後々詳しく説明しますが慣れるまでは本などの物語りや人の心のような実在しない世界には危険ですので干渉しないでください。また事故で予期せぬ世界に干渉してしまった場合は速やかにこちらの世界に帰って来てください。それと昨日のようなバケモノに出くわした場合は一人では戦おうとせず私に連絡をください。やむを得ず戦う場合は後でやり方を教えますが昨日沙希さんがやったように防御世界に干渉して周囲への被害を防ぐこと。とりあえず今は以上です」
その後も夕方まで説明や禁止事項などが延々と述べられたが、奏雅は飽きることなく聞いていた。
日はすっかり沈み、あたりは闇に包まれていた。入り混じる草と土の匂いが鼻を突き、乾いた冷風が肌を刺す。見知らぬ土地で、頼りになるのは星の明かりのみ。
結城奏雅は数分前、初めての干渉を行った。
どこの世界なのか、人はいるのかなど浮かぶ疑問は絶えない。不安になりつつも、帰ることはいつでもできるので少しあたりを見まわってみることにした。
どうやらここはどこかの山の中腹あたりらしい。暗闇の中、右側に上り坂、左側に下り坂がわずかに見える。
奏雅は山の麓を目指して下り始めた。集落があるならば山の上よりも麓にある確率が高いと思ったからだ。
少し下ると、赤く揺れる光が山から漏れ出しているのが見えた。
(洞穴に火の明かり……か。異世界でも干渉能力があれば言葉は通じるって詩亜が言ってたけど、言葉そのものはあるんだろうか)
そんなことを考えながら彼は洞穴に向かった。
内部は思ったよりも広く、数十人の上半身裸の筋肉質な男達が炎を囲み踊っていた。
奏雅が足を踏み入れると男たちはそれに気づき、その中の四人が武器を持ってやってきた。
「なんだお前は、どこぞの騎士団の手の者か? それとも賞金稼ぎかぁ?」
一人の男が斧を振り上げて威嚇する。
「まさか一人で、それも丸腰で乗り込んでくるとはな」
今度は鎖のついた鉄球を持った男が一歩前に出る。
「お頭、殺っちまっても、問題ないな?」
小柄な男がナイフを握りしめて言った。
「ああ、殺せ」
四人の中で最も背が高く筋肉のついた男が頷くと、三人で一斉に襲い掛かってくる。
奏雅はそれを見ると手鏡に触れ、鏡面から細めの長剣を取り出し刃の側面で、武器を振り上げる男達の手首に打撃を加えた。三人の男達はその衝撃で武器を取り落とした。
奏雅の剣は手鏡の世界に置かれていたもので、詩亜の話によると潜在スキルと自由スキルが確定した時点でそれに応じた武器が手に入るようにプログラムされているらしい。一昔前にはなかった機能だが武器の入手が困難になった現在、急遽作られたものである。
「この野郎っ!」
武器を落とした男の一人が間髪いれずに奏雅に殴りかかる。奏雅はその拳を右手で払い長剣の切先を男の喉に突き付ける。男は腰を抜かしてその場に尻もちをつき、武器を落とした他の二人は戦意喪失し、頭の顔を見ている。
「小僧、目的はなんだ?」
頭は落ち着き払った口調で、しかし凄みを利かせた表情で尋ねる。
「俺はなんていうか……旅の途中でな。この辺りに村とかないか?」
確かに奏雅の目的は集落を探すことだった。しかしそれは先刻までのことであり、今の彼には別の目的ができていた。
「村だと? はっはっは! 悪いな、それならさっき焼いちまったぜ!」
頭は品のない笑い声を上げる。
(やはりか……)
見るからにガラが悪く、手の早い山賊のような輩が宴を開いて踊っていたとなれば、それを可能性の一つとして考えるのは自然のことだ。
「そうか。ならば村人たちの無念、今ここで晴らそう。断罪の時だ。月下に花咲く薔薇と成れ!」
奏雅は剣を構えてそう言った。