悪食聖女の成れの果て
久しぶりの執筆の手習いに書いてみました!
もうもうと立ち込める瘴気の中、ステラフィアラはただ一人そこに立っていた。
すぐ目の前には、今まさに事切れようとしている熊よりも大きな魔獣が一匹。
程なくしてグルル、と力なく唸り声を上げた魔獣は黒い霧となり霧散していき、それを追うように辺りの瘴気も段々と薄くなっていった。
そして、その場には真っ黒な石とステラフィアラだけがぽつんと残された。
(はぁ……これでやっと王都に帰れる……。ひと月ぶりだっけ? シルヴェリオ様、偉いねって褒めてくれるかな……)
ステラフィアラはどんよりとした空を見上げながら、遠く離れた王城にいる婚約者に想いを馳せる。
ステラフィアラだけの、最愛の王子様。
王太子である彼の地盤をより盤石にするためにここまで頑張ってきた。
痛くても苦しくても我慢して、彼のためだけに行きたくもない魔物の討伐にこうして赴いているのだ。
(ずっとずっと昔から愛しいの。私に優しくしてくれる大好きな銀色の王子様。………でも)
心の片隅にうっすら積もっている違和感に目を向けようとした時、後方から声が掛けられた。
「聖女様! 魔獣の討伐ご苦労様でした!」
魔獣の気配が消えたことを察知し、森の奥からやってきたのは三人の騎士。
本来であれば、彼らのような大柄でたくましい騎士達がメインとなり魔獣の討伐に当たるのだが、それがステラフィアラの仕事となったのはいつの事だったか。
騎士達がステラフィアラの近くまで来ると、そろった動作で膝をつき、労いの言葉をかけてきた。
「お疲れ様でした! お怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です」
「魔力の方はいかがですか?」
「そちらも問題ありません。……まだ討伐すべき魔物がいますか?」
「いえ! 本日はこれで終了です。では……」
騎士の一人が目配せをすると控えていた別の騎士が立ち上がり、魔獣がいた場所にゴロリと落ちている黒い石、〝瘴魔〟石と呼ばれるものを拾い上げる。
そして、うやうやしくステラフィアラに向かってそれを差し出した。
「さぁ、どうぞお召し上がりください」
真っ白なハンカチの上に乗せられた魔瘴石に目を向け、ステラフィアラは小さくため息をつく。
聖女であるステラフィアラは、一番嫌いな最後の仕上げをしなければならないのである。
「さぁ、聖女様。聖なるお力をお示しください」
「……はい」
騎士から瘴魔石を受け取ると、心を無にしてそれに歯を立てる。
――ガリ、ガリリ
鼻に抜ける嫌な臭いも、舌にまとわりつくゾッとする味も、どれだけ食べても慣れることはない。
(これが終わればシルヴェリオ様に会えるから……)
幼い頃からずっと、彼への想いだけがステラフィアラを支えていた。
愛する人のためであれば頑張れる、と。
騎士達が見守る中、最後の一欠片をごくりと飲み込んだ。
***
ステラフィアラは、王城の一室でシルヴェリオと向かい合っていた。
久しぶりに彼とゆっくり話せる、と浮かれ気分であった。
ほんの数秒前までは。
「え……?」
ソーサーに戻そうとしたティーカップがカチャリ、と嫌な音を立てた。
ステラフィアラは目の前に跪く銀色の王子様を、ただただ茫然と見下ろす。
「ステラフィアラ。どうか私のためにその命を捧げて欲しい」
目の前に膝をついたこの見目麗しい男は、今何と言っただろうか。
きちんと聞こえたはずなのに、その言葉がどうしてもすぐには理解出来なかった。
(命を捧げる? 私の? それは、つまり………)
「………私に、死ねと? シルヴェリオ様はそう言っているのですか……?」
「こんな結果になってしまってすまない。愛しているよ、ステラフィアラ」
「………」
愛しいはずの彼から聞こえたその言葉に、身も心もどこまでも沈み込みそうになる。
(歯を食いしばりながら頑張って頑張って、その結果がこれなの? なんで?)
「シルヴェリオ様、なぜですか? 私、聖女としてしっかりと努めを果たしてきました。妃教育は忙しくてあまり進んでいませんが、時間をいただければきちんと身につけます」
「そうだね。ステラフィアラは立派な聖女だよ。でも、城下で聖女に関するあまり良くない噂が立っているんだ。私の力では庇い立て出来ないほどに」
「それは……」
その噂には心当たりがあった。
ただの根も葉もない噂のモノもあれば、真実が混ざったモノもある噂話。
それは、ステラフィアラ本人の耳にも届くほどに広がってしまっている。
―城下の西地区を破壊し、それだけでは飽き足らず民をも虐げた悪魔。
―侍らせた騎士達を傷付けては再起不能にする悪女。
―清廉なる聖女の皮を被った、穢れた黒き魔女。
(あぁ、もう一つあったね。昔から言われてるやつ)
―麗しの青薔薇を踏み潰し、シルヴェリオ王太子殿下の婚約者の椅子に座った恥知らず。
公爵家の青薔薇姫として国民から高い支持を受ける、青い髪が美しいジュリエット。
シルヴェリオと幼馴染みの彼女は、ステラフィアラが聖女となるまでは婚約者候補の筆頭であった。
ジュリエットは幼い頃から慈善活動にも積極的で、その資産を惜しむことなく国民のために使っており、王都のみならず地方にまでその名を轟かせていた。
そして、そんな彼女を押し退けて婚約者の座に座ったのがステラフィアラだった。
(彼女を退かせてでも、私はシルヴェリオ様の隣に立ちたかった。だって、初めて私に優しくしてくれた人だったから……)
伯爵である父がメイドに手を出し孕ませてしまったのがステラフィアラであった。
家族から冷遇され、事情を知る使用人たちにも目を背けられた寂しい幼少期。
とあるお茶会でそんな彼女に優しく微笑みかけ、手を差し伸べてくれたのがシルヴェリオだった。
幼いステラフィアラはその手を取ったその時、恋に落ちた。
そんな彼のためにステラフィアラは自らを顧みることもせず、ただひたすらに聖女として頑張ってきた。
母親譲りのはちみつ色の美しい髪も、桜貝のような桃色の小さな爪も、今や見る影もないほどに真っ黒に染まってしまっても、踏ん張ってここまで頑張ってきたのだ。
全ては愛するシルヴェリオのためだけに。
(あぁ、ジュリエット様はこのために妃教育を受けてたのかな。私はいくら受けたいと言っても教えてもらえなかったのになぁ……)
婚約者でもないのに幾度となく王城に上がっていたジュリエット。
妃教育を受けたり王妃と朗らかにお茶会をするだけではなく、シルヴェリオの執務室へもたびたび足を運んでいたことをステラフィアラは知っていた。
それだけではなく、美しい薔薇が咲く庭園や人気のない図書室での密やかな逢瀬も。
最初は幼馴染みだから、と己の心を納得させていた。
しかし、度重なる逢瀬を見てしまえばどうしても疑念が湧いてきてしまう。
その疑念を考えないよう必死に目を背けていたが、もうそれも必要ないことなのかもしれない。
(もう、いいかな……。私はすごく頑張った。シルヴェリオ様が私の死を望むのなら、もう……。死んで少しでも役に立てたら、シルヴェリオ様の心をもっと私に向けられるかな……)
ステラフィアラの前に跪き、その手に口付けをする愛しい愛しい王子様。
キラキラ光る銀色の髪はひんやりとした星影のよう。
(さらさらで綺麗。一度でいいからシルヴェリオ様の髪の毛を触ってみたかったなぁ)
ステラフィアラの心は思いのほか凪いでいた。
泣いて縋ることも、なぜと怒ることもない。
ただただ、心が寒かった。
「……分かりました。シルヴェリオ様がそう望むなら」
「ありがとう。愛しているよ、私のステラフィアラ」
ソファーに腰掛けるステラフィアラに覆いかぶさるようにして近づいてきたシルヴェリオは、そっと触れるだけの口付けを落とす。
唇に感じる柔らかさをどこか冷静なところから感じていた。
「……ねぇ、最後に私に望むことはあるかい?」
ステラフィアラの頬を撫でた指先が細い首筋をするりと撫で下ろす。
それが何を意味するか分からないほど子供ではなかった。
(今までどんなに迫っても相手にしてくれなかったのにな。きっと最後だからって同情したのね)
今までのステラフィアラであればこの誘いに乗っただろう。
しかし、今はもう肌を重ねたいとは思えなかった。
「いいえ。シルヴェリオ様に望むことはありません」
「……そうか」
短くそう答えたシルヴェリオが外に合図をすると、扉から騎士達が姿を現した。
騎士の一人はその手の上に、鈍く光るずっしりと重そうな物を乗せていた。
無骨なデザインのそれは、犯罪者に使われる魔法を封じるための手枷と首輪。
(そんなことしなくても私は逃げないのに……。でも、そうだよね。私の力は怖いよね)
日に日に大きくなるステラフィアラの魔力は味方であれば心強いが、敵となればとてつもない脅威だろう。
魔法を封じる手枷と首輪を付けて安心するのならそうすればよい、と大人しく腕と首を差し出した。
***
「では、こちらでお過ごしください」
その言葉と共に鉄格子の扉が閉じられる。
かろうじて用を足すようのチャンバーポットだけが隅に置かれたそこは、家具も窓もない薄暗い牢屋であった。
ステラフィアラはペタリと床に座り、大きなため息をつく。
「あーあ。頑張ったんだけどなぁ」
魔瘴石を体に取り込み浄化するという前代未聞の方法で沢山の魔瘴石を浄化し、国に貢献してきた。
食べたくもないそれを食べて食べて食べ続け、体に不調をきたしても求められるままに食べたのだ。
何年もそうしているうちに体が限界を迎えたのか、食べる度に体調を崩し寝込むようになってしまった。
数ヶ月前までは一つ食べて一日寝込むだけだったのが、今や一つ食べたら一週間は動けなくなってしまう始末である。
変化はそれだけではない。
魔瘴石に含まれる魔力を体に取り込んでいるためか、ステラフィアラの魔力はぐんぐんと増えていったのだ。
初めは至って平均的な魔力量であった。
それが、聖女になって浄化を始めてから伸びに伸びて、今や国一番の魔力量を保持しているのである。
そして、突然魔力が暴走した。
それは城下に現れた魔獣の討伐の時であったため、被害が大きく出てしまったのだ。
建物を壊し市民を下敷きにし、周りにいた騎士達にも魔法をぶつけて傷付けてしまった。
大きな被害は出しつつも、幸いなことに死者は出なかった。
しかし、ステラフィアラの近くにいた騎士数名には重篤な怪我を負わせてしまった。
騎士を辞めざるを得ないほどの怪我を。
(私なりに頑張ってきたけど、きっと色んな人に憎まれてるんだろうなぁ。だってその結果がこれだもの)
シルヴェリオに愛されようと必死に努力をして頑張って、得られた物は何であったのか。
「もうどうでもいいや。どうせ死ぬんだもの。あーあ、愛されたかったなぁ……」
涙などとうの昔に枯れ果てた目を閉じて、過去の記憶を思い出す。
シルヴェリオがステラフィアラに向かって微笑む顔と、ジュリエットに向かって微笑む顔。
明らかに違っていたのにそれに目を瞑ってしまっていた。
(だって、そうでもしなければ耐えられなかったから……。私がシルヴェリオ様のために必死に努力をしたのが無駄であったのなら、私の全てが無駄になっちゃう……)
「……ただ、愛されたかっただけなのになぁ」
牢屋の片隅で呟いたその言葉は誰の耳にも届かなかった。
***
コツコツ、と響く軽い足音で目を覚ます。
いつの間にか寝てしまっていたようだが、窓のない牢屋の中では一体どれほど寝てしまっていたのか分からない。
(誰だろ……?私に会いに来る人なんて誰も……)
ぼんやりと牢屋の外に目をやれば、このような陰気臭い場所にはそぐわない美しいドレスの裾が見えた。
「ステラフィアラ様……!」
「……ご機嫌よう、ジュリエット様」
(彼女には会いたくなかったな……)
牢に入れられ枷を嵌められた惨めな姿など、見られたくなかった。
もうすぐ死ぬステラフィアラの事など捨て置き、そっとしておいてくれたらいいのに、何故このような場所までわざわざ足を運んできたのか。
彼女から目を逸らすステラフィアラをよそに、今にも泣きそうな顔したジュリエットの白魚のような指先が冷たい無骨な鉄格子を掴んだ。
「……このような事になってしまい申し訳ありません。わたくしは……いえ、わたくしだけでなくシルヴェリオも、あなたの死など本当は望んでいないのです……」
(何故、あなたがそんなことを言うの?まるであなたが私を死に追いやったみたいじゃない)
潤んでいた青い大きな瞳からは涙がはらはらとこぼれ落ちる。
その健気な姿にお付きの騎士が心配そうに手を差し伸べたがそれを手で断り、ただひたすらにステラフィアラを見つめていた。
ジュリエットは嘘偽りなくこの現状を嘆き悲しんでいたが、そんな姿を見てもステラフィアラの心は少しも動かなかった。
「何か欲しい物や、して欲しい事はありませんか? 体調はどうでしょう? お医者様をお呼びして……」
「いえ、何も必要ありませんわ。全てここに揃っておりますの」
「ステラフィアラ様……」
誰の目から見ても、こんな場所に揃っている物など何もない。
貴族用の牢屋であれは王城の客室と遜色ない設備が整っているのだが、ここは地下牢の最奥だ。
魔法を封じる特別な素材を使い、強いまじないの力でさらにその効果を高めている特別な牢屋。
「……ごめんなさい、わたくしでは力不足ですのね。何か言いたい事や誰かに伝えたい言葉などはありませんか? 」
(もしここでシルヴェリオ様の事を伝えたらどんな反応するんだろ? 最後の最後に私に情けをかけようとしてきましたよーって)
いつも朗らかで淑女として完璧なジュリエット。
そんなジュリエットよりも先にシルヴェリオの体をもらえる機会があったと伝えたら、少しでもステラフィアラに嫉妬をするだろうか。
ほんの少しだけ意地悪な心が顔を出したが、すぐにその考えを打ち消す。
どうせすぐにこの世から去る身なのだ。
ならば、下手な遺恨は残さず綺麗に去るべきだろう。
ステラフィアラはいくらかの時間を掛けて、ひくつく喉から何とか声を絞り出した。
「…………シルヴェリオ様と、お幸せに」
***
「魔女を殺せー!」
「アレは聖女を騙った悪い女だ!」
降り注ぐ冷たい言葉の雨を受けながら、ステラフィアラは広場へと続く道を歩いていた。
整備されてるとはいえ、ペタペタと裸足で歩くにはいくらか難のある道だ。
あともう少しで広場に辿り着くという時、目の前に大きな影が現れた。
「……聖女様」
そう声を掛けてきたのは一人の男であった。
本来あるべき彼の右腕はなく、ヒラヒラとシャツだけが風に揺れている。
(あぁ……、私が傷付けちゃった騎士の人だ……)
剣を振るう腕がなくなったその男は、当然騎士を辞めざるを得なくなったはずだ。
決してわざと傷付けようとした訳ではない。
しかし、故意であろうとなかろうとそのような事は些事であり、目の前の結果が全てである。
(ここで彼に殺されるのかな……。まぁ、それでも仕方がないよね。もうどうしようもないもの)
目の前の大きな男を見上げれば、その目は怒りと憎しみに燃えていた。
先程のまでの罵詈雑言の嵐がウソのように静まり返ったそこに、憎しみを隠しきれない男の声が静かに響く。
「聖女様……いや、悪逆非道の魔女よ。あなたをお恨み申し上げる」
そう言い捨てた男が踵を返すと、先ほどよりも大きくなった冷たい言葉の雨がステラフィアラに突き刺さった。
(謝ってもどうせ無駄だよね。……もう、どうでもいいや)
周りの騎士に促されるまでもなく、ステラフィアラは自らの足で真っ直ぐと広場へ向かう。
特に何も説明を受けていなかったが、そこに用意されたモノを見る限り、どうやらとても魔女らしく処刑されるらしい。
(苦しいのも痛いのも嫌なんだけどな……。こんな風に殺さないと駄目なほど私は憎まれてるのかな)
真っ直ぐと立った丸太と、その足元に組まれた薪。
それは、古くから悪き魔女を処する時に用いられる火刑の準備であった。
魔力の暴走で街を壊し民に恨まれ、怪我をさせた騎士に恨まれた結果がこうなったのだろうか。
(いや、それだけなら火刑になんてならないはず。多分、王家が私に魔女として死んで欲しいんだろうなぁ……。魔力を暴走させただけが理由じゃなさそうだけど、それは私には関係のない事だよね。だってもう、私は死ぬんだから)
当然、死ぬことは怖い。
しかし、それ以上にもう恐ろしい魔物と対峙しなくても済む事、そして魔瘴石を食べなくてもいい事に安堵していた。
(それだけじゃない。あの二人をもう見なくていい事に、すごくほっとしてる……)
ステラフィアラは穏やかな表情で火刑台へと上って行く。
少し高くなったそこに立てば、周囲が良く見えるようになった。
恨みや憎しみのこもった目で睨みつけてくる人もいれば、ただ処刑というショーを興味本位で見に来ている人もいる。
そんな大勢の観客の中、ステラフィアラに温かい言葉を掛ける者は誰一人としていなかった。
「これは!神の御名の元に行われるものである!」
一人の騎士が声を張り上げると、途端に民衆が口を閉じた。
「神より授けられし聖女としてのその力に驕り、街を破壊しあろうことが無辜の民を傷付けた! それだけにとどまらず、国に仕える騎士達にもその手を振り下ろした!」
騎士は憎しみの炎を瞳の奥に宿しながら、ステラフィアラを睨みつける。
一見すると五体満足の健康な体を持った騎士であるが、その服の下にはステラフィアラの魔力の暴走の被害にあった傷が隠れている。
剣が持てないほどの怪我ではなかったが、以前と同様の働きが出来ない程度には大きな怪我であった。
「正しく神の愛を受けた聖女であるならば、人に害をなすような魔法は使えないであろう! よって、この女は聖女ではない! 清らかな聖女の名を騙る者を、我々は許してはならない!」
「そうだそうだ! そいつは偽物だ!」
「その女はやっぱり魔女なのよ! 私たちを騙してた!」
真っ黒な民衆の声が渦巻く中、これまでしてきた事を思い返す。
ステラフィアラの行いはシルヴェリオのためであったが、結果として民のためにもなっていたはずだ。
魔獣が減れば森にも安心して入って行けるし、畑や果樹園も荒らされない。
それだけでなく、町と町を繋ぐ道も安全になり交易がより盛んになったと聞いたこともあった。
放っておけば魔物を産む魔瘴石の浄化も、数え切れないほどたくさん行った。
これまでは処理が追いつかず封印庫に魔瘴石を貯めるだけであったが、ステラフィアラはその身を削りながら浄化をしたのだ。
それら全ては国のため、そして人々のためになったはずである。
そうであるはずなのに、何年も続けてきたその良き行いには目を背け、故意ではないたった一度の過ちだけに目を向けるのか。
魔力の暴走を起こすほどに魔瘴石を取り込ませてきた国ではなく、ステラフィアラだけを裁くのか。
(ここまでするほど私って駄目だったのかな。頑張ってきたんだけどなぁ……)
何を思っても、もう今更である。
ステラフィアラを魔女として火刑に処されることを、皆がこうして望んでいるのだ。
(それにもう、私は頑張りたくない。やっと、やっと自由になれる……)
嫌になるほど良く晴れた青空の下、騎士の声が響いた。
「よってこれより、神の御名の元にこの女を火刑に処する!!」
わぁ!と民衆から大きな歓声が上がると、松明を手にした騎士がゆっくりとした足取りでステラフィアラの方へ向かって来た。
痛いのも苦しいのも嫌いだが、少しだけ我慢をすれば全てから解き放たれ自由になれるし、きっと愛したシルヴェリオのためにもなるはずだ。
「……何か言い残したことはありませんか」
松明を持つ騎士がそっと声を掛けてきた。
これが本当に最後なのだろう。
「いいえ。何もありません」
「そうですか。………では、あなたの行く道が少しでも穏やかであるよう、神に祈っております」
「……ありがとう。嫌な役目をさせてごめんね」
ステラフィアラが小さく微笑むと、騎士は複雑な感情を押し殺したような顔を俯けながら火を放った。
付けられたばかりの火はまだ小さいが、煙はもくもくと立ち上る。
煙越しにぼんやりと景色を眺めていると、ふと少し高い場所に設置された席に座る人物が目に入った。
(シルヴェリオ様も来てたんだ。彼の隣にいるのは、やっぱり………)
キラキラ光る銀色の髪の彼に寄り添うのは、青薔薇のように美しいジュリエットであった。
髪も瞳も、そして肌さえも黒く染まったステラフィアラなどよりもよっぽどお似合いの二人だ。
遠く離れているはずなのに、彼女の目に浮かぶ大粒の涙が良く見えた。
悲しそうな顔をしながらほろほろと零れ落ちる涙を拭いもせず、ステラフィアラを一身に見つめている。
可哀想だと、憐れだと思っているのだろうか。
そんな彼女の涙を拭ったのはすぐ隣に立ってるシルヴェリオだ。
慈しむように頬を撫でる指先に、ステラフィアラの凪いでいた心がほんの少しだけ波立った。
(あぁ、見たくなかった……)
今まさに死にゆくステラフィアラに見せるには、あまりにも残酷な光景。
煙が随分と増えてきて視界が悪くなっているはずなのに、二人の姿だけは嫌なほど良く見えてしまうのだからたまらない。
ステラフィアラはなぜ心穏やかに死なせてくれないのか、とカサついた唇を噛み締めると同時に足先に熱を感じた。
それはみるみるうちに痛いほどの熱さとなり、お似合いの二人を見てしまったステラフィアラの心だけでなく、体にも苦痛をもたらす。
「……うぁ………、ケホッ、ゲホッ!」
枯れ果てたはずの涙が込み上げてくるのは、はたして煙だけのせいなのだろうか。
(煙が目に染みる。苦しいし、痛い。あぁ、シルヴェリオさ………)
痛む目を無理やり開き、救いを求めるように遠くにいるシルヴェリオを見た瞬間、その光景に息を呑んだ。
彼の目は自身のために身を粉にしたステラフィアラではなく、隣にいるジュリエットへと向けられており、慈しむように彼の手が伸ばされた先にあったのはジュリエットの腹であった。
若い女の腹に宿るものなど一つしかない。
(どうして? 婚約者である私がいたのに、なんで?)
心の中のさざ波はどんどんと大きくなる。
(……いや、ほんとは分かってた。二人は昔からそうだったもの。でも、だからこそ、私はここまで頑張った。苦しくても歯を食いしばって耐えてきた。きっといつか私だけを愛してくれると思ったから。それなのに……)
ステラフィアラが泥と血に塗れながら魔獣を倒し、吐き気を堪えながら魔瘴石を飲み込んでたその時、彼らは何をしていたのか。
安全な美しい城で笑い合いながら、その手に髪に肌に触れて愛を育んでいたのか。
そして、それが実を結んだのか。
(そっか、そうだったんだ。あー、やっと分かった)
魔力を暴走させたとはいえ、ここまで国に尽くしてきた聖女は紛れもなくステラフィアラだ。
それなのに、なぜそんな彼女一人だけに全てを押し付ける形になっているのか。
それも、このように一番目立つようにして。
(私が、邪魔だったんだね)
王家であってもこの国の法では重婚は認められないし、愛する人を共有するなど出来ないステラフィアラもそのような事は許さない。
しかし婚姻を結ばない妾であれば、ステラフィアラの感情はどうであれ、ジュリエットを囲い込むことは可能だ。
ただその場合、妾の子は王位継承権から外される事となる。
(シルヴェリオ様はジュリエット様とのお子を世継ぎにしたいのね。……例え私がどんな事になったとしても。私が死ねば、次の婚約者は自動的にジュリエット様だもの。邪魔な私に全てを負わせてしまえば、二人の、いや三人の未来は綺麗に収まる)
愛されようと一生懸命に努力を重ねてきたが、それが少しも彼には届いておらず、昔からずっとジュリエットだけを見つめていた。
ステラフィアラが死してなお、きっとそれは変わらないだろう。
結局のところ、ステラフィアラが頑張ってきた事は全て無駄だったのだ。
「っはは……、全部全部無駄だったんだ。痛い、痛いなぁ。熱い痛い、あぁ……、ああああああぁぁ…!!!」
足元で燃える火よりも、大きく熱く激しい炎が心の中に渦巻いた。
ひたすらに愛しても愛してもそれはただの一方通行で、やっと返ってきたと思えばそれは〝魔女としての死〟だった。
ステラフィアラのことを愛してない彼のためにここまでする必要などない。
ステラフィアラの絶叫が広場に響き渡る。
「ああああああああああああ!!」
(ねぇ、シルヴェリオ様? そんなに私に消えて欲しい?)
「ああああああああああああぁ!!」
(集まった民衆よ、そんなに私が悪い魔女に見える? 私がこれまでしてきた事はあなた達のためにならなかった?)
「あああああああああぁぁ、ぁ……あはは、ふふっ、あははははっ!!!」
その身を焼かれながら笑い始めたステラフィアラの異様な姿に、それまで声高に罵詈雑言を投げかけていた人々が口を閉ざす。
「あははっ、 ふふふっ! あー、おっかしい! もう、どうとでもなればいい! ……みーんな、邪悪で悪女で魔女な私を求めてるんでしょう? そんなに魔女になって欲しいのなら、お望み通り魔女になってあげるわ!!」
そして、ステラフィアラは己の力を解き放った。
すると手枷も首輪も、おもちゃのように壊れて地面に落ちた。
食べたくもない魔瘴石を数えきれないほど食べて培われた膨大な魔力の前では、魔力封じの手枷や首輪など無意味なのだ。
ただ、ステラフィアラが皆が安心するならと大人しく着けられていただけ。
湧き水のように体の底から湧き上がる魔力に身を任せれば、不思議なほどに体が軽くなった。
焼かれた足先の痛みもないし、心もふんわり軽やかだ。
「ふふっ! 最初からこうしていればよかったな。こんなに気分が良いのは久しぶり!」
愛されなければ、と自分自身に枷をかけていた。
それはずっとずっと小さな頃から無意識に。
(でももう、どうでもいい。どうとでもなればいいんだ。私はもう愛なんて要らない。愛されたい苦しみはもうたくさん。……あー、やっと自由だ。……もう、苦しくないよ。〝わたし〟はよく頑張ったね)
心の奥にいる幼い頃の自分にそっと呟く。
愛されたい、という望みさえなくせばよかったのだ。
昔から一番求めていたモノが一番不要なモノであったのだ。
「もう、いいの。私は自由になった!」
まだらに黒く染まった肌も、いつの間にか昔のように傷ひとつない真っ白な肌に戻っている。
煤けた粗末なワンピースの裾から綺麗になったその足を晒しながら、重力を感じないほど軽やかにふわりふわりと跳んで歩く。
ひらり、と舞うように辿り着いた先は、愛しかった王子様と美しい青薔薇姫の元。
「ス、ステラフィアラ……? 君は、一体……」
「ふふ、そんなにおひめさまを庇わなくても…。私はあなた達を襲ったりしないわ。……ただ一つ、呪いを届けにきたの」
「の、呪い……? お願いです……! どうか、この子だけはっ!」
「ジュリエット!……ステラフィアラ、どうか落ち着いて? 君を追い詰めるようなこんな方法は間違っていたね。今からでも遅くはない。もっと別の方法を一緒に考えよう?」
「私は落ち着いてるし、何も間違いはない。……それにもう何もかもが手遅れなの。あなた達はただ、私の言葉を聞けばいい」
怯えるおひめさまと、それを庇うおうじさま。
ああ、なんと絵になる景色だろうか。
(そんな二人の行く道に、そしてこの国の行く先に、もう私のようなモノが現れませんように)
ステラフィアラは国中に響き渡るよう魔法を掛けた言葉を紡ぐ。
「皆の望み通り、魔女がここに生まれた! その魔女がこの国にひとつ、呪いを授けよう!」
膨大な魔力を全身に纏いながら、大きな呪いを大地に染み込ませる。
もう二度と、ステラフィアラのような思いをする者が現れないように、しっかりと。
「この国には、聖女も魔女も現れないだろう!! 皆の望み通り、聖女も魔女ももう二度と!! 絶対に生まれない!!!」
ステラフィアラそう言い切った瞬間、この国に光の雨が降り注いだ。
キラキラと光るそれは儚く美しい魔女からの呪いであった。
そして、光の雨が止むと共に国中の女性から魔力が消え去った。
聖女も魔女も、もとを正せば魔力を持った女性という同じ存在である。
ただ、穢れを祓うことが出来たり、不思議なまじないの力が強かったりする者を聖女や魔女と呼んでいるにすぎない。
生活の中で使うようなちょっとした魔法も、女性たちはこれから使うことが出来ないから困るだろう。
それだけではなく、呪いが染み込んだ大地では魔法自体弱くなってしまうかもしれない。
けれどもう、ステラフィアラには関係のないことだ。
(私はもう自由。誰にも何にも、私の行く道を邪魔させない。私を傷付けさせない)
自由になって嬉しいはずなのに、なぜか涙が止まらなかった。
流れる涙をそのままに、ステラフィアラは叫ぶようにして最後の言葉を口にした。
「魔女である私は、もう二度とこの地へは戻らない!! 皆の望み通り消え去る!! さあ、願いの成就を喜べば良い!!」
ステラフィアラが一歩足を踏み出した瞬間、光を纏うようにしてその姿は跡形もなく一瞬にして消え去ってしまった。
彼女が消えたその広場には、ただただ猛然と燃え続ける無人の火刑台と彼女を捨てた人々が立ち尽くす。
そして、聖女で魔女な彼女が去ったその国には呪われた大地だけが残った。
お読みいただきありがとうございました!
長編で書きたいなぁと思いつつ温めていた物を、ガッツリカットしながら短編にまとめてみました。
本当はちゃんとヒーローがいてハピエンになるのですが、短編では主人公の自由への解放と出奔にて終了です。