九十八・重要な一幕
翡翠那聖に来て、一週間が経った。
驚くべきことに、勇者たちはその短期間で、みるみる実力を伸ばしている。
剣の型も、魔法の詠唱も、最初はバラバラだった動きが、今では見違えるほど洗練されてきていた。
やっぱりすごいな勇者って……!!
俺は訓練の様子を見ながら、内心で感心する。
あの神宮寺も、一条も、七瀬さんも、伊集院も、獅子王も、二階堂さんも──
ゼルフィスさんの指導と、自分たちの努力で、確実に“戦う者”の顔つきになってきている。
流石主人公、恐るべし……!!
昼食の時間。
訓練がひと段落し、俺たちはゼルフィスさんの家に集まって、食事をとっていた。
木造の落ち着いた家の中、テーブルにはエルフたちの手料理がずらりと並んでいる。
素朴だけど、どこか繊細で優しい味。
勇者たちは、訓練で空っぽになった胃袋を満たすべく、次々と皿を空にしていく。
「うわっ、このスープ、マジでうめぇな!」
一条がパンをかじりながら、子どものように目を輝かせて言った。
「ほんとほんと! 佐藤くんももっと食べなよ!」
二階堂さんが笑顔で俺に勧めてくる。
俺は無言で頷き、手元の皿に目を落とした。
食卓には、笑い声と賑やかな会話が飛び交っている。
俺はその輪の中にいながら、ただ静かに食事を進めていた。
そんな和やかな食卓の空気の中、ゼルフィスさんがふと口を開く。
「君たちは“勇者”。いずれ、この世界を脅かす“魔王”と戦う存在。」
一瞬、食卓の空気がピンと張り詰めた。
「だが、知っているかい? 魔王に対抗するのは、君たち勇者だけではないということを。」
勇者たちが箸を止め、一斉にゼルフィスさんを見る。
「この世界には、“勇者”とは別に、もう一つの“英雄”が存在する。」
ゼルフィスさんの声は穏やかだったが、その瞳の奥に、どこか深いものが宿っていた。
勇者とは別の、英雄──?なんだそれは?
俺が心の中で首を傾げたその時。
「勇者とは別の英雄?」
神宮寺が、ゼルフィスさんに向かって問い返す。その声には、わずかな警戒と興味が滲んでいた。
「その反応を見るに、君たちは魔王のこともよく知らないみたいだね。魔王は“六人”居る。」
ゼルフィスさんが淡々と告げたその言葉に、場の空気が固まる。
六人……!?
ちと多すぎない?!
魔王って普通、一人じゃないの!?
それ六天魔王じゃん!ボスラッシュかよ!!
勇者たちも、思わず顔を見合わせていた。
「通称【“六大魔臨”】。」
ゼルフィスさんが静かに告げると、場の空気がさらに重くなる。
「ろく…だいまりん…」
一条が口の中で呟いた。
わんぱくなその声も、さすがに今は真剣そのものだった。
「その者たちは、あらゆる時代で恐れられていた。しかし、ある時、魔王に対抗するべく、全世界の強者たちが声を上げた。」
ゼルフィスさんは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それが現代の【“魔王”】の対になる存在──【“聖王”】だ。」
重く、静かに、けれど確かな響きで告げられたその言葉に、勇者たちは息を呑んでいた。
聖王……聞いたことがないな。
ゼルフィスさんは続ける。
「現在の聖王は七人。【“七大聖傑”】と呼ばれている。」
その言葉に、勇者たちは再びざわめいた。
さっきから六人だ七人だ、やたらと多いな、この世界……。
「七大聖傑。その人たちが英雄……」
神宮寺がポツリと呟く。
「でも、その人たちがいるなら勇者は必要ないんじゃ!?」
二階堂さんが身を乗り出して言った。
その場に、微かな疑問と戸惑いが広がる。
確かにそうだ。
その聖王とやらがいるなら、わざわざ異世界の勇者をここに転移させる必要はない。
ゼルフィスさんは、微かに口元を緩めながら言った。
「聖王はあくまで、この世界を均衡を保つ存在。その均衡を破るのが君たち、“勇者”の存在だ!」
静かに、しかし確かな力を込めて。
その言葉は、勇者たちの胸に重く響いた。
なるほど……!
ていうか、魔王に対抗する聖王って……一体何者なんだ!?まぁいい、考えないでおこう。どうせ俺には関係ない。
ゼルフィスさんはふっと笑みを浮かべた。
「私も昔は、時期“聖王”と言われていたんだ。なれなかったがね。」
まるで昔話でもするように、肩の力を抜いて笑っていた。
うん。
やっぱりこの人、恐ろしい……。
俺はそっと、ゼルフィスさんの横顔を見つめながら、そんなことを思った。
「えっ、ゼルフィスさんが……?」
七瀬さんが小さく呟く。
「そんな、すごい人だったんですね!」
二階堂さんが目を輝かせる。
「なれなかったって……何があったんすか?」
一条がわんぱくな声で問いかけた。
ゼルフィスさんは少しだけ目を細め、窓の外に視線を向ける。
「理由は……そうだな。私には、世界を導く“器”がなかった。ただそれだけのことだよ。」
静かに、どこか遠くを見るように呟いたその声は、淡々としていながらも、何かを含んでいた。
勇者たちは、それ以上何も言えず、黙ってゼルフィスさんを見つめていた。
しばしの沈黙のあと、ゼルフィスさんはふっと表情を緩めた。
「まぁ、難しい話はここまでにしよう。君たちには、私を信じてついてきてくれればいい。それだけだ。」
柔らかな声と共に、食卓に再び穏やかな空気が戻っていく。
その日の夜。
昼間の賑やかさが嘘みたいに、村は静まり返っていた。涼しい夜風が森を通り抜け、虫の声がささやかに響く。
俺はというと、宿の裏手で一人、月を見上げながらため息をついていた。
やっぱり……なんか俺だけ、エルフたちからめちゃくちゃ冷たい目で見られてるんだよなぁ。
昼間は雑用に夢中で気にしないようにしてたけど、こうやって一人になると刺さる、刺さる。
あの目、あの空気。
「なんでお前がここにいるの?」みたいな視線。
これが、これが異世界差別ってやつかーーー!!
いや違う、冷静に考えるんだ!
原因は、たぶん……俺が勇者じゃないからか!!?
勇者たちにはニコニコ、「ようこそ勇者様!」って言うくせに、俺には「は?誰?一般人?」みたいな顔!!
理不尽すぎる!俺だって!!俺、だって……。
視線が痛い。精神的ダメージが蓄積していく。
「はやく、帰りたいよぉ!!」
夜の森に、俺の心の叫びが虚しく消えていく。
「佐藤くん…?」
突然、背後から声がして、俺は飛び上がりそうになった。
え、だれ!? なに!?
まさか今の、全部聞かれて──
振り返ると、そこに立っていたのは七瀬さんだった。
「な、七瀬さん?! どうしてここに……」
声が裏返りそうになるのを必死で抑える。
今の、聞かれた!?
俺の異世界ストレス大爆発の愚痴、全部!?
やばい、社会的に終わったかもしれん。
七瀬さんは、そんな俺を見て、ふわりと微笑んだ。
「夜風に当たりたくなって…そしたら佐藤くんの声が聞こえた気がして。」
その声は、相変わらず優しくて、俺の心臓が妙にざわついた。
「あ、そ、そうなんだ。」
動揺を隠しきれずに返すと、七瀬さんは俺の顔をじっと見つめた。
「佐藤くん。大丈夫……?疲れてない?」
その声は、まるで夜風みたいに柔らかくて、俺の胸にすっと染み込んでくる。
優しいなぁ。
やっぱりヒロインだ!
こんな優しい子が仲間にいる勇者パーティ、改めてバランス良すぎるだろ!!
「俺は大丈夫だよ。七瀬さんは修行、辛くない?」
そう尋ねると、七瀬さんは少しだけ目を細め、空を見上げた。
「うん……辛い時もあるけど。でも、私、強くなりたいって思ってるから。」
夜空の下、静かにそう答えるその横顔は、どこか儚く、それでいて芯の強さが滲んでいた。
「そっか──────────」
言葉を返しかけた、その瞬間。
……なんだ!?
この気配。
空気が、一瞬で変わった。
生温い夜風の中に、ぞわりと肌を撫でるような異質な気配が混じる。
血の……匂い?
いや、それだけじゃない。
どこか、禍々しく、重たい“何か”が漂っている。
すぐに《千里眼》を展開する。
視界が広がり、森の中の様子が手に取るように入ってきた。
いた。
一人の──女性? エルフのようだ。
森の奥を必死に走っている。
その身体は傷だらけで、足取りもおぼつかない。
そして、その後ろには──
複数のエルフたちが追っている。
追われている?
捕らえようとしている?
まるで狩りでもするかのような、異様な光景。
「─────大丈夫?顔色悪いよ。」
七瀬さんの声に、思考が遮られる。
しまった。
顔に出ていたか。
「だ、大丈夫! ごめん、少し疲れているみたい。今日はもう寝るね!」
慌てて笑顔を作り、七瀬さんにそう告げる。
「うん。おやすみ、佐藤くん。」
七瀬さんは心配そうに微笑んでくれたが、俺はそれ以上何も言えず、その場を後にした。
足早に人気のない場所へと歩きながら、頭の中はさっき見た光景でいっぱいだった。
なぜ、エルフ同士で争っている?
何が起きている?
昼間の平和な空気とはまるで違う、夜の森に潜む不穏な影。
胸の奥に、嫌な予感がじわじわと広がっていく。




