六十一・赫咬決戦 壱
俺は赫咬獣の元へ駆けつける。
だが、そこで目にした光景に、思わず足が止まった。
――血の匂い。
――惨劇の跡。
森はすでに無傷ではなかった。あたり一面には赤黒い液体が飛び散り、大地は深く抉れ、樹々は無惨に引き裂かれている。
まるで、そこに存在していたものすべてが”喰い荒らされた”かのように。
俺は喉の奥が冷えるのを感じながら、ゆっくりとその”中心”へと視線を向けた。
そこにいたのは――赫咬獣。
巨大な黒い影。
闇を引き裂くように立ち上がるその異形は、獣のごとき四肢を持ちながらも、どこか人間じみた不気味な”理”を感じさせた。**口元には、滴る鮮血。**鋭利な牙が陽に照らされ、いやに赤く光る。
そして、そいつの足元には――
タリオンが蹲っていた。
その体に傷はない。赫咬獣の爪痕も、牙の痕も見当たらない。
だが――タリオンの表情は、まるで魂を抜かれたように虚ろだった。両手は震え、膝を抱えるようにして、ただその場にうずくまっている。
何があった? どうして傷ひとつないのに、ここまで完全に”折れている”?
タリオンはかすかに顔を上げ、俺を見た。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
小さく、掠れた声で、何度も同じ言葉を繰り返す。
赫咬獣はタリオンには目もくれず、ゆっくりと俺へ視線を向けた。
目が合った瞬間――全身の毛が逆立つほどの殺気が襲いかかる。
殺気を向けられると苛立つんだよな……。
獲物を見定めるような視線。息をするだけで肌を刺すような圧迫感。まるで、俺の存在そのものを”終わらせる”とでも言いたげな、圧倒的な敵意。
だけど――
そんなものは、とうに浴び慣れている。
俺はゆっくりと赫咬獣を見据え、静かに言い放つ。
「おまえが封印されていたものか。」
その声には、恐れも、動揺もない。ただ淡々と、まるで“定められた運命”を確認するかのように。
赫咬獣の真紅の瞳が、わずかに光を帯びた。
――どうやら、“興味”は持たれたらしいな。
だったら……俺の……
終焉の魔人の力を見せてやろう!!
俺は赫咬獣を真っ直ぐに見据え、ゆっくりと口を開く。
「恐怖を知るがいい――終焉は、今ここに訪れる。」
……言ってから、少し後悔する。
やばい、ちょっとキメすぎたか……!?
一瞬、頭の中で冷静な自分がツッコミを入れる。が、もう遅い。今さら撤回できる雰囲気でもない。赫咬獣は俺の言葉に反応し、鋭い眼光を向けてくる。
――よし、このまま押し通そう。
俺は咳払いをひとつして、黒焔刀を構えた。
赫咬獣が低く唸り、地を揺るがすほどの威圧を放つ。空気が張り詰め、森全体がこの怪物を恐れているかのように静まり返った。
俺は黒焔刀を軽く振り、肩の力を抜くように笑う。
「さぁ……“終焉”の時間だ。」
赫咬獣が咆哮を上げた瞬間、地面が炸裂した。“ドゴォッ!!” 巨体に似合わぬ速度で迫る。
速い――が、見切れる!!
俺は身を低くし、一歩踏み込むと同時に横へ跳ぶ。赫咬獣の鋭い爪が俺のすぐ脇を掠め、背後の大木を粉々に粉砕した。“バキィィン!!”
「……ほう、なかなかやるじゃないか。」
俺は余裕を見せるように呟くが、内心、ほんの少しだけ焦っていた。一撃が重すぎる。まともに食らえば洒落にならない。
赫咬獣はすぐに次の攻撃へ移る。尾を振り上げ、一気に薙ぎ払ってくる。
俺は刃を逆手に持ち替え、黒焔刀を盾のように構えた。
“ギィィンッ!!”
衝撃が腕を襲うが、耐えられないほどではない。
「……なるほどな。」
俺は赫咬獣の隙を突き、刀を振るう。刃が赫咬獣の胴を裂き、黒焔が爆ぜた。
だが――傷は浅い。赫咬獣は怯むことなく、すぐに体勢を立て直した。
「クク……なるほど、お前、タダの化け物じゃないな。」
俺は軽く息を吐く。
まだ余裕はある。だが――さすがに長引かせるわけにはいかないか。そろそろ、決めるとしよう。
赫咬獣が低く唸る。傷口から滴る血が、大地に落ちることなく宙に浮かび上がった。
「……血を操るのか。」
俺は黒焔刀を構えたまま、わずかに目を細める。
赫咬獣の傷から流れ出た赤黒い液体は、まるで意思を持つかのように形を変え、鋭利な刃へと変貌していく。刃の先端が俺に向けられた瞬間、ゾクリとした悪寒が背筋を駆け抜けた。
――まずい、アイツの血そのものが武器になるのか……!!
“シュバッ!!”
赫咬獣が腕を振るうと同時に、無数の血の刃が飛び出す。俺はすぐさま跳躍し、空中で身を捻る。
“ズバババッ!!”
刃が俺のいた場所を抉り、地面を鋭く刻んだ。
次の瞬間、赫咬獣が消えた。
「――ッ!!」
間に合わない!!
俺は咄嗟に黒焔刀を逆手に持ち替え、腕をクロスさせて防御の構えを取る。
“ドゴォン!!”
赫咬獣の鋭い爪が俺を弾き飛ばし、木々を突き破るように俺の身体が後方へと吹っ飛ぶ。
着地と同時に地面を滑り、ようやく踏みとどまる。
……チッ、なかなかやるじゃねぇか。
俺は息を整えながら、赫咬獣を睨みつけた。
「面倒な能力を持ってやがる……。」
やばいなぁ……。
赫咬獣の攻撃そのものも強烈だが、そこに血を操る追撃が加わるのが厄介すぎる……!!
避けたとしても、すぐさま軌道を変え、俺を追い詰めてくる。まるで生き物のように動く血の刃が、どこまでも俺を狙い続ける。
「クソ……!」
俺は黒焔刀で次々と血の刃を弾きながら、距離を取る。だが、赫咬獣は余裕たっぷりにこちらを見下ろしながら、さらに血を操り、無数の刃を宙に浮かべた。
――マズい。完全にペースを握られている。
俺、こいつに……本当に勝てるのか!?




