五十九・封魔激突 弍
タリオンは駆けた。
父に呼ばれた場所へ——答えを求めて。
だが、身体は重く、肺が焼けるように痛む。長く閉じ込められていたせいで、筋肉は鈍り、まともに動くたびに悲鳴を上げた。喉は渇き、胃は痙攣しそうなほど空っぽだ。
足を踏み出すたび、視界が揺れる。息が上がり、胸が詰まりそうになる。それでも止まるわけにはいかない。
「……はぁ……っ……くそ……!」
心臓が鼓膜を叩くほどに脈打つ。朦朧とする意識を振り払いながら、タリオンはひたすら前へ進んだ。
彼の背後で、冷たい死の気配が忍び寄っていることを知らぬまま——。
タリオンはついにたどり着いた。
そこは、かつて魔族が封印された場所——封印の跡地。
深緑の森の奥深く、誰の足も踏み入れぬ禁忌の地。かつてウッドエルフの長が己の命を賭して封じたという、古の魔が眠る場所。
タリオンは荒い息をつきながら辺りを見渡す。
「父さん……どこだ……?」
風が吹き抜ける。かすれた囁きのような音が、静寂の中に溶けた。
「……私はここだ……」
風に溶けるような、囁く声。どこからともなく響き、耳元を掠めるように伝わる。
タリオンは息を呑んだ。父の声だ。確かにそうだ。だが、どこにも姿はない。
「血を捧げよ……」
指示が降る。
「石碑に数滴の血を流し、封印を解放するという”意思”を込めろ……」
淡々とした声。その響きには、かすかな焦燥と、深い渇望が滲んでいた。
タリオンは拳を握りしめる。
この場所に、“何か”がある。
この場所に、“父がいる”。
タリオンはゆっくりと短剣を抜いた。刃が陽の光を受け、鈍く光る。喉が渇き、呼吸が浅くなる。
「本当に……これでいいのか……?」
脳裏にかすかな疑念がよぎる。しかし、父の声が確かに言ったのだ。血を捧げよと。封印を解放する意思を込めろと。
タリオンは震える手で短剣を構え、恐る恐る腕へと刃を当てる。そして、意を決して引いた。
スッ……
鋭い痛みが走る。皮膚が裂け、赤い雫がゆっくりと流れ落ちた。
タリオンは目を閉じ、血の一滴一滴に”願い”を込める。
(父さん……ここにいるなら、答えてくれ……!)
石碑に血が触れた瞬間——
——封印は解放された
ゴゴゴゴ……!!
石碑が低く軋み、足元の大地が震えた。空気が揺らぎ、まるで世界そのものが何かを”解き放った”かのような異様な圧力が広がる。
ドンッ——!!
突如、凄まじい衝撃が炸裂し、タリオンの身体が宙を舞った。
「ぐあっ……!!」
強烈な風圧と衝撃に叩きつけられ、背中から地面に激突する。肺の空気が一瞬で押し出され、視界がぐらついた。
「な、なんだ……!?」
全身を貫く戦慄。膝が震え、力が抜ける。
「う……っ!」
崩れ落ちるように尻もちをつく。心臓が暴れ、喉がひどく渇く。
(違う……! こんなはずじゃない……!)
父が現れるはずだった。ずっと行方不明だった父が、この封印の先にいるはずだったのに——
だが、そこに立っていたのは、父ではなかった。
赤黒く光る獣。
異様なまでに鋭い牙。
タリオンは言葉を失った。
赫咬獣——
血を啜るたびに進化し、より強くなる不死の魔獣。
その体表は常に赤黒く輝き、闇の中でもはっきりとした存在感を放っていた。
さらに、その獰猛な牙には恐るべき呪いが宿っている。
——噛まれた者は、自らの血を操られる。
悪夢のような存在。
(違う……こんなの、父さんじゃない……!!)
だが現実は容赦なく、赫咬獣は確かにそこにいた。
タリオンは、ふと視線の端に”それ”を捉えた。
——仲間たちの死体の山。
肉が裂け、骨が砕け、無残に転がる亡骸の数々。知っている顔も、知らない顔も、皆等しく血に塗れ、沈黙していた。
喉が詰まる。呼吸が浅くなる。
(そんな……嘘だ……)
しかし、気づいてしまった。
この場所は、最初から”赤”に染まっていたのだと。
赫咬獣が現れる前から、大地はすでに血の海だったのだと。
仲間の、友の、同胞たちの血。
タリオンは自分の膝の下に広がる赤を見た。血溜まりに手をつくと、ぬるりとした感触が指先を包んだ。温かく、生々しい。
(オレは……何を……)
絶望が押し寄せ、膝が震える。
自分の行動が、何を招いたのか。今さら、それが痛いほどに突き刺さる。
涙が止まらない。声にならない嗚咽が漏れる。
「ごめんなさい……」
掠れた声が、静寂に消えた。




