五十八・封魔激突 壱
爆発が起こる数刻前——。
深緑の森、常葉の庵。静寂に包まれたその地の奥深く、薄暗い牢獄の中でタリオンは閉じ込められていた。
湿った石壁、鉄格子越しに揺れる灯火。外の気配は感じられない。
「クソ…!! どうして…誰もオレを信じない!!! 絶対にあいつは…魔族の仲間だ……!」
怒声が牢の奥に響き渡る。タリオンは荒い息を吐きながら、拳を握り締め、力任せに鉄格子を殴りつけた。
ガンッ! ガンッ!
硬い衝撃が骨に響くが、それでも拳を緩めることはない。
悔しさと怒りが胸の奥で煮えたぎる。何度も訴えた。叫んだ。なのに、誰も耳を貸そうとしなかった。
(違う、俺は間違っていない…! あいつは絶対に魔族だ! なのに…!)
強く奥歯を噛みしめると、軋むような音が響いた。呼吸は荒く、鼓動がやけに速く感じる。
その時——
コツ、コツ、コツ……
静寂を切り裂くように、石畳を踏みしめる音が聞こえた。一定のリズムで、確実に近づいてくる。
タリオンは反射的に顔を上げ、鉄格子の向こうを睨みつけた。
誰かが、こちらへ向かってくる。
顔は見えない。だが、確かに”何か”がそこにいる。
闇に溶け込むようなその影に、タリオンは得体の知れぬ寒気を覚えた。何者なのか——わからない。それが恐怖を煽る。
────── タリオン……
不意に、静かな声が牢内に響いた。
柔らかく、それでいてどこか懐かしい。胸の奥を落ち着かせる、不思議な響きだった。
タリオンは息をのむ。
「父さん……!!」
エルフの言葉特有の美しい抑揚が、無意識に混ざる。
動揺と喜びが入り混じり、胸が高鳴った。長年、待ち望んでいた声だった。
「どうして……今までどこへ……!」
タリオンの父——エルヴェン・フェルディナンド。
かつて、ウッドエルフの民を守る戦士の一員として、森の長老に仕えていた。戦士としては優れた剣の腕を持ち、誇り高きウッドエルフの民の一人だったが、決して英雄ではなかった。
太古の時代——
ウッドエルフの長が魔族を封印し、その血を受け継ぐ”封印の継承者”が代々その役目を果たしてきた。
エルヴェンもまた、その一族の末裔だった。だが、特別な力を持つわけではなく、あくまで一人の守護兵として生きていた。
しかし、数年前、彼は忽然と姿を消した。
何の痕跡も残さず、まるで森から消え去るように。
それが今、目の前にいる。
——なぜ?
しかし——タリオンの心は、再会の喜びに呑まれていた。
長年待ち望んだ父との再会。疑問や違和感は確かに胸の奥に燻っていたはずなのに、それらはまるで霧のように薄れ、思考が鈍る。
理性よりも、感情が先に動いていた。
タリオンは気づかなかった。
——この状況こそが、最も危ういものであることに。
「いいか、タリオン……時間がない。私を……助けてほしい……」
父の声は低く、切迫していた。穏やかだった記憶の中の声音とは違う。焦燥が滲み、ただならぬ状況を物語っていた。タリオンの胸に不安が広がる。
「私は今、閉じ込められている……」
その言葉とともに、エルヴェンの輪郭がわずかに揺らいだ。まるで水面に映る像のように、不安定に波打つ。
「今の私は……魔法による幻影に過ぎない……」
タリオンは息をのんだ。目の前にいるはずの父が、ゆっくりと薄れていく。身体の端から霞のように滲み、まるで風に吹かれた砂のように消えかけていた。
時間がない。
父の姿が完全に消えてしまう前に——何かをしなければならない。タリオンの手が無意識に鉄格子を掴んだ。冷たい金属の感触が、現実を突きつける。目の前の父は本物なのか、それともただの幻か。疑念と焦りが入り混じる中、タリオンは言葉を発することすらできなかった。
「頼む……タリオン……ここは……狭く、苦しい……」
父の声がかすかに震え、幻影の輪郭がますます不安定に揺らぐ。まるで息も絶え絶えに訴えかけるようなその言葉に、タリオンの胸が締めつけられる。
次の瞬間——
ガキィンッ!!
甲高い音が牢内に響いた。
タリオンが反応する間もなく、**牢の錠が一瞬にして砕け散る。**鉄片が床に散らばり、重々しく閉ざされていた扉が、軋みながらわずかに開いた。
幻影のはずの父が、どうやって……?
タリオンは目を見開く。だが、それを問いただすよりも先に、エルヴェンの姿がさらに淡く揺らぎ始めていた。
「…信じてる。」
エルヴェンは薄れゆく輪郭の中で、最後の力を振り絞るようにタリオンへ語りかけた。
「私は…….──────地にいる……そこへ来い……」
声は次第に掠れ、風に溶けるように消えていく。幻影の身体は霧散し、まるで最初から存在しなかったかのように、完全に消滅した。
タリオンはしばらくその場に立ち尽くした。
今のは、ただの幻なのか? それとも……本当に父が囚われているのか? 疑念が脳裏をよぎる。しかし——
考えるのをやめた。
真偽を確かめるよりも、今は”向かうこと”が先だ。迷っている時間はない。
タリオンは歯を食いしばり、牢を出ると、その場所へと駆け出した。
────────タリオンは気づいていなかった。
共に囚われていた仲間たちが
すでに”死”んでいることに。




