四十五・憤怒
「ハッハッハ……! 成功だぁ……!」
甲高い笑い声が、薄暗い空間に響く。
闇の中に佇むのは、一人の魔族の男。
「馬鹿な男だァ……!! 俺様の転移魔法の餌食になるとは……!!」
狂気に満ちた笑顔を浮かべ、男は指を鳴らした。
転移魔法——。
それが、この男の切り札なのだろう。
通常、転移魔法は高度な魔力制御を必要とし、“指定した場所に対象を瞬時に移動させる”禁呪級の技術。
だが、この男の魔法は——“何かが違う”。
突如、空気が震え、禍々しいオーラが降り注いだ。
それはまるで世界そのものが”異物”の到来を恐れているかのような圧迫感だった。
「なんだ……!? 何が来る……!?」
魔族の男は、全身の毛が逆立つのを感じた。
次の瞬間——
黒き闇が渦巻き、その中心からレシュノルティアが降り立った。
彼女の足が地に触れると同時に、空間が震える。
魔族の男は、その正体を知らない。
だが、それが”規格外”の存在であることだけは、本能が理解した。視線を向けられただけで、体が震える。声を出そうとしたが、喉が詰まり、言葉にならない。
“コイツは……ヤバい……”
男は、心の底から理解した。
“自分は今、決して関わってはいけない存在と対峙している”のだと。
「”おい……貴様……主様に何をした……!!“」
レシュノルティアの怒声が、空間を震わせた。
その声音には、普段の余裕や冷徹さはなかった。
むしろ——明確な怒りが滲んでいた。
それは、彼女を知る者にとって極めて珍しい光景だった。
魔族の男は、目を見開く。
自分が何をした? 何をしたというのか?
言い訳を考える暇もなく、目の前の存在が発する圧に、呼吸すらままならない。
——死が目前に迫っていることだけは、理解できた。
「答えろ……」
レシュノルティアの冷たい声が響いた。
その瞬間、周囲の空気が凍りつく。
彼女の纏う凄まじい殺気が、夜の城庭を圧倒的な支配下に置いた。
魔族の男は、身動きすらできなかった。
まるで巨大な猛獣に睨まれた小動物のように、本能的に理解する。
下手に動けば——即死だ。
レシュノルティアの目が鋭く細められる。
「(確かに……ここにはヒナタ様の魔力の跡が残っている……)」
地面にかすかに漂う痕跡。
それは、彼女が誰よりもよく知る”主”の力の残滓。
しかし、違和感がある。
「(どこか違う空間へ飛ばされた? いや、転移系か……?)」
考察する。だが、答えには至らない。
「どこに……!! 飛ばしたんだァ……!!?」
レシュノルティアの怒声が轟く。
その瞬間、空気が弾けるように揺れ、城庭の闇が震えた。
彼女の沸点は、すでに限界を超えている。
しかし——
魔族の男は何も反応できなかった。
恐怖のあまり、声すら出せない。
いや——違う。
この圧倒的な存在の前では、“思考”することすら許されていないのだ。
次の瞬間——
ガシッ
レシュノルティアの手が、男の頭を無造作に掴んだ。
そして、そのまま軽々と持ち上げる。
「死にたいのか?」
冷酷な瞳が、至近距離で男を射抜く。
その視線には、怒りも、憎しみすらもない。
あるのはただ、“価値のないものを見る目”。
それが、魔族の男の精神を根底から崩壊させた。
「もういい……“死ね”。」
冷たく響く声と同時に、世界が絶望に染まった。
男の視界が揺れる。
思考が追いつかない。否、思考することすらできない。
“死”が、確定した。
逃げられない。抗えない。
恐怖でさえ、感じる余裕がない。
(こいつは……“理解を超えた”存在だ……)
その瞬間——
バキィッ
鈍い音が響く。
レシュノルティアの指が、男の頭を容易く握り潰した。
血と脳が飛び散り、夜の闇に吸い込まれていく。
それは、まるで——
虫を潰すほどの無感情な動作だった。
「(ヒナタ様……! どうかご無事で……すぐにでも必ず見つけ出してみせます……!)」
レシュノルティアは、血に塗れた手をゆっくりと下ろしながら、静かに夜空を見上げた。




