三十一・化物 壱
「はぁ、はぁ……くそっ……!」
カイラナはボロボロだった。終焉の魔人との戦闘で、体中が傷だらけになり、今にも崩れ落ちそうだった。
「(なんとか……隙を見つけて逃げられた……よかった……)バフォメット様のポーションがなかったら……ほんとにヤバかったな……(終焉の魔人……あの化け物め……)」
彼女は荒れた息を整えながら、夜の草原を進んでいく。向かう先は、魔王バフォメットの城。今の自分では、まともに戦うこともできない。だけど、ここで止まるわけにはいかないのだ。
「絶対に……生き延びてやる……!」
─────── 突然、草原が虹のような霧で包み込まれる。まるで夢の中のようだった。
「な……! なんだァ……!?」
カイラナは足を止め、周囲を見渡す。しかし、視界は色とりどりの霧に遮られ、何も見えない。ただ、肌にまとわりつくような不思議な気配だけが感じられた。
(まさか……敵の結界!? いや、でも魔力の感触が違う……こんなの、今まで感じたことがない……!)
ゴクリと唾を飲み込む。
“ハッハッ……随分と派手にやられた様だなぁ、小娘”
突然、美しくも不気味な声が草原に響いた。
「だ……誰だァ……!!」
カイラナは即座に身構え、辺りを見回す。しかし、どこにも声の主らしき存在は見えない。ただ、草原を覆う虹色の霧が、ゆらりと揺れるだけだった。
(まずい……! 気配が読めない……まるで、そこに”存在していない”みたいだ……)
冷たい汗が背筋を伝う。終焉の魔人との死闘で体力を消耗している今、未知の敵と戦うのは避けたいところだ。しかし、逃げられる保証もない。
「“あのお方”は、強かっただろう?」
またもや、あの不気味な声が草原に響く。しかし、やはり姿は見えない。
(“あのお方”……? 終焉の魔人の知り合いか!?)
カイラナの背筋が冷たくなる。もしこいつが終焉の魔人と同格、あるいはそれ以上の存在だったら——今のカイラナではひとたまりもない。
「何者だァ! 姿を表せ!」
精一杯の虚勢を張って叫ぶ。すると、静寂を切り裂くように、不気味な笑い声が響いた。
「ククク……フハハハハ……!」
草原全体が嘲笑われているような感覚に陥る。まるで、己の命など取るに足らないと言われているかのようだった。
霧の影から、ゆっくりと”それ”が姿を現した。
——女。
だが、“ただの女”ではない。
長い髪は漆黒の闇のように揺れ、瞳は血のように赤く輝く。その肌は死人のように白く、口元に浮かぶ微笑みは、まるで獲物を見つけた捕食者のようだった。
カイラナの身体が、ビクリと震えた。
「ンンっ……!?」
足が動かない。腕も、指先すらも。まるで全身が石のように固まったかのようだ。
(な、なんだコイツは……こ……コイツは……本物の”化け物”だ……!!)
理解した瞬間、心臓が凍りついた。
“恐怖”
それは、カイラナが今まで感じたことのない感情だった。どれほど強敵と戦っても、どれほど死にかけても、ここまでの圧倒的な”絶望”を感じたことはない。
“終わり”だ——
そう、本能が告げていた。
そして……その女の正体は——
【終焉の魔人】の配下、
【覇帝竜】レシュノルティア。
世界に名を轟かせた伝説の存在。数多の英雄たちを屠り、いくつもの国を滅ぼした”災厄”。
その”怪物”だ。




