百・正義と悪 ”裏“
ヒナタ視点で前回の話の平行線です。
昨日の夜に感じたあの気配は、どうしても引っかかっていた。
朝になってすぐ、リリスに調査を頼んだが──結果は何も掴めず。
「痕跡すら残っておりませんでした」と、いつもの調子で報告してきたが、珍しく声音にはわずかな困惑が滲んでいた。
あれほどの“異質な気配”が、まるで最初から存在しなかったかのように掻き消えている。
逆に気味が悪い。
一方その頃、勇者たちは朝食を終えたあと、集まって今後の方針を話し合っていた。
内容までは聞こえなかったが、雰囲気からしてそれなりに真剣な会議のようだった。
そして今日は──
ゼルフィスさんの姿が、朝から見えない。村の者に尋ねても「外出中」としか答えが返ってこない。
ふ〜む。何やら、村の奥のほうが騒がしい気がする。
遠くからかすかに聞こえるざわめき。
ざっ…ざっ…と、足音のような気配も混じっている。
いや、これは……!!
昨日の気配と、まったく同じ感じの――
あの、血の匂いと、禍々しい空気が混じったような、胸の奥をざわつかせる感覚。
間違いない。これは――
その瞬間。
ズガァァンッ!!
轟音とともに、村の奥から強烈な衝撃波が吹き荒れた。
「勇者様方……!どうか、力を貸してください!」
衝撃波の余韻が残る中、息を切らしながら、セレナが駆け込んできた。衣服は土で汚れ、顔には焦りと緊張が滲んでいる。
必死に、勇者たちのもとへと声を上げるその姿に、場の空気が一瞬で引き締まった。
なんだ……?
何が起きてる!?
この雰囲気、ただ事じゃない。
「何があったんですか? セレナさん……!」
神宮寺が一歩前に出て、真剣な眼差しで問いかける。
セレナは肩で息をしながら、一瞬だけ言葉を飲み込んだあと、震える声で告げた。
「……“彼女”が現れました……!」
彼女……?
昨日の気配の人か……?
「……わかりました。案内してください。」
神宮寺が静かに頷く。
その言葉を合図に、勇者たちが次々と立ち上がり、すぐさま行動を開始する。
その動きに、無駄は一切なかった。
俺も、気になる。面倒事は嫌いだけど……この状況、さすがにスルーできない。
……と思っていた矢先。
セレナが、誰にも気づかれないように、俺の耳元で小声で囁いた。
「アンタは邪魔だからここに居て!」
おいおいおい!!
こんな状況でもそんな扱いなんですかこの人ーーー!?!?
「えぇ……はい。」
自然と声がしぼむ。これはもう完全に、心が折れるやつだ。……仕方ない。気づかれないように、影から観てるか。
現場に着いた勇者たちの後を、少し距離を取って俺も追う。
そして、森の奥――
ざわめきの中心にたどり着いた俺は、一本の大きな木の陰に身を潜めた。
目の前には、エルフの精鋭と思われる数人が剣を構え、警戒を解かずに立っている。
その中央に、地面に座り込むようにしている一人の女性。
長い黒髪。
身体中に擦り傷や切り傷。
それでも、その瞳には消えない強さが宿っていた。
あれが……例の“彼女”か。
昨夜、俺が《千里眼》で見た、追われていたエルフの女性。
「……彼女はかつて、この地のエルフを惨殺し……そして裏切った者……」
セレナが勇者たちの前に立ち、低く、しかしはっきりとした声で続ける。
「悪魔と呼ばれた女……――ミレオナです。」
その名前が告げられた瞬間、空気がまた一段と重くなる。
勇者たちの視線が、一斉にその黒髪の女――ミレオナに注がれる。
ミレオナ……裏切り者か。
けど――
何故、裏切った奴が、わざわざ自分から“敵地”に戻ってくる?
しかもあんな姿で、追われるように。
何か……おかしい。この状況、どうにも引っかかる。
突如、ミレオナが立ち上がった。
その瞬間、エルフの精鋭たちが一斉に動き出す。
抜かれる刃、放たれる魔法。
だが彼女は――まるでそれを予期していたかのように、傷だらけの身体で躱し、反撃する。
「っ……!」
地を蹴る音、魔力のうねり、刃と刃の交差。
ボロボロのはずの体で、あの動き。
常人なら立つことすら困難なはずなのに、彼女は圧倒的な精度と判断で応戦している。
すごい……。
あんなにボロボロなのに、ここまで動けるなんて。
俺は思わず、木の影から目を離せなくなっていた。
「そこまでだ……!」
神宮寺の声が響いた。
鋭く、凛としたその一声に、エルフたちもミレオナも一瞬動きを止める。
流石は勇者。
その立ち姿ひとつで、場の空気を掌握してみせるあたり、本当に主人公らしい。
そして次の瞬間――
ミレオナと勇者たちの戦いが始まった。
俺は木の影から、息を潜めてそれを見守る。
剣が閃き、魔力がうねり、攻防が目まぐるしく展開されていく。
どうやら、武は勇者たちにあるようだ。
神宮寺の剣が的確に前を切り開き、一条が背後をかき乱し、伊集院と七瀬さんの魔法が支援を重ねていく。
獅子王の一撃は派手で重く、二階堂さんの弓は鋭く、隙を逃さない。
……まあ、そりゃそうか。
6対1だし……。
ちょっと、いや、かなり同情するよミレオナ。
それにしても……。
彼女――ミレオナから漂ってくるこの“怨み”。
戦いの中で、まるで噴き出すように溢れてくる負の感情。
ただの裏切り者から発されるものじゃない。
もっと深くて、重くて、どす黒い……積み重ねた何かが、そのまま怒りに変わっているような。
あれは――裏切った者の気配じゃない。
むしろ、“裏切られた”側のそれに近い。
一体、彼女に何があった?
真実は、まだ“表“に出ていない気がする。
さっきから、リリスとも以心伝心でまったく連絡が取れないし、なんか……嫌な予感がするんだよな。
あぁ……面倒なことになりそうな気配しかしない!
ミレオナは、完全に勇者たちに押されていた。
攻撃の鋭さも鈍り、動きに迷いが出ている。
血で濡れた足取りはもはや限界寸前だ。
それでも――
「……お前たち、ここで殺さなかったこと……悔いるといい……」
絞り出すようにそう言い残し、森の奥へと姿を消していった。
逃亡。
勇者たちはその場で構えを解いた。
どうやら、追う気はないらしい。
あの状態なら、もう戦闘継続は不可能だと判断したのだろう。
それにしても、あの傷――
逃げるどころか、生きてるのも不思議なくらいだ。
さて、どうしたものか。
俺は木の陰でひとつ息を吐き、決めた。
追ってみるか。
俺は静かに木の影から姿を移し、周囲の気配を確認する。
勇者たちの意識がミレオナの逃走を見送っているうちに――《千里眼》を展開。
視界が森の奥へと伸びていく。
いた。
ミレオナは血を垂らしながら、ふらつく足取りで森の深部へ進んでいる。
よし、誰にも気づかれないように、こっそり後を追うとしよう。
気配を殺し、足音も立てず、俺は闇に紛れるように動き出した。
凄いな。
あの傷で、ここまで逃げるとは――尋常じゃない執念だ。
《千里眼》で追いながら、俺は距離を詰めていく。
そして少し離れた場所。
木々と岩の入り組む、視界の悪い影の中――ミレオナが座り込んでいた。
「はァ……はァ……」
肩を上下させ、呼吸は荒く、今にも倒れそうなほどに力尽きかけている。
それでもまだ、周囲を警戒する目だけは死んでいない。
本能だけで、ここまで逃げ延びてきたのか。
「……どうして…勇者が……まさか、勇者も……」
「まだ……こんな……ところで……」
かすれるような声で、ミレオナが何かを呟いた。
その瞳に映るのは、俺じゃない。
彼女の中で、別の何かが動いている。
何かを、知っている――そんな目だった。
次の瞬間、彼女の身体がぐらりと揺れ、力なく地面へと崩れ落ちた。
ミレオナは、意識を手放した。
流石に限界だったようだ。
ここまで動けていたのがむしろ異常だったんだろう。
うーん、どうしよう!
このまま放っといたら、多分ほんとに死んじゃうぞこれ!?
いやいやいや、これって介抱案件じゃないのか!? でも敵だし!?
……とはいえ。
根拠は無い。
けど、なんだろうな……この人からは、あまり“悪”の感じがしないんだよな。
少なくとも、あの戦いの最中ずっと漂っていたのは、攻撃的な殺意じゃなくて……もっと、別の何か。
苦しみ? 絶望? 怒り?
いや、それだけでもない、もっと混じった、複雑な何か。
……くそ、判断に迷う。
けど――
見捨てたら、絶対後味悪いやつだこれ。
「ごめんよ。俺、《低級回復》しか使えないんだ……。」
そう呟きながら、俺は手をかざし、《低級回復》スキルを発動する。
微かな光がミレオナの身体を包み、傷口がゆっくりと塞がっていく。
完全ではないが、血の流れは止まり、裂けた皮膚が少しずつ閉じていくのが見える。
……が、
駄目だ!!
あまりにも傷が深すぎる!
このままじゃ、スキルじゃ追いつかない。
そういえば……確か、翡翠那聖の備蓄庫でポーションを見た気がする。
くっ、しょうがない!
俺は《瞬間転移》を発動し、誰にも気づかれないように一気に村へ戻った。
昼下がりの静かな村。
人目を避けて素早くポーションを回収し、すぐに現場へ戻ってくる。
「よし……これで……!」
ミレオナの口元に慎重にポーションを流し込む。
……数秒後、かすかに彼女の表情が緩み、呼吸が少しだけ穏やかになった。
なんとか、繋いだ……か。
俺はこの場を離れるべきか、少しだけ悩んだ。
けれど、今このタイミングで何者かに奇襲されでもしたら、ミレオナはひとたまりもない。
あの状態じゃ、防ぐ術も逃げる力も残ってないはずだ。
それに――聞きたいこともある。
“なぜ戻ってきたのか”、そして“なぜあの怨みを抱えていたのか”。
……だから、俺はその場に残った。
木々のざわめきと鳥の声だけが響く、静かな森の中。
陽は高く、雲がゆっくりと流れていく。
――どれくらい経っただろうか。
おそらく、一時間ほどだ。
「……っ……ん……」
かすかに身を震わせる気配。
ミレオナが、ゆっくりとまぶたを開いた。
「誰だッ!」
ミレオナが跳ね起きるようにして、鋭く声を上げた。
目にはまだ焦点が定まらず、身体も完全には動かせていない。
だがその気迫は、今にも襲いかかってきそうな勢いだ。
「怪しい者じゃないですよ。えっと……」
どうしよう、何て言えばいい!?
適当に誤魔化すか? いや、この状況で下手に嘘をついても逆効果かもしれない。
……よし、こうなったら。
「僕は勇者の友達です。」
ミレオナの目が一気に鋭さを増す。
「勇者の……!?(敵か……!)」
ヤバい、今にも攻撃飛んできそうな気配!!
「ち、違いますっ! 僕は勇者ではなくて、ただの、その友達の……異世界人です!」
必死に手を振りながら、なんとか命の危機を回避しようとする俺。
ミレオナは、ゆっくりと自分の身体に視線を落とす。
服は破れ、血に染まっていたが――
皮膚の裂傷は塞がり、呼吸も多少落ち着いている。
「……(傷が治っている……?)」
かすかに眉をひそめ、傷口をそっと指先でなぞる。
「これは……?」
その問いかけに、俺は少しだけ距離を保ちながら答えた。
「不出来ながらも、少し回復させていただきました。」
なるべく穏やかに、敵意のないことをアピールしつつ、言葉を選ぶ。
実際、大した回復じゃなかったけど……今の彼女には、命綱になったはずだ。
「どうして……私を……?」
ミレオナが、小さく震える声で問いかけてくる。
その瞳には、困惑と、戸惑いと、ほんの少しの希望が混ざっていた。
俺は一呼吸おいて、静かに言葉を返す。
「さっきの戦いを見ていたんです。僕には……貴女が、悪い人には思えなくて……」
そう口にした瞬間だった。
ミレオナの瞳に、ふわりと光るものが浮かぶ。
それは、これまでどれだけ痛みに耐えても決して見せなかったもの――
涙。
けれど彼女は、それを流さなかった。
唇を噛み、まぶたを伏せ、必死に――その涙をこらえていた。
声も出さず、ただ静かに、ただ堪えるように。
やっぱり……なにか裏があるな。
この人はただの“裏切り者”なんかじゃない。
少なくとも、そんな単純な話じゃないことだけは、はっきりしてる。
「少しお話してもいいですか?」
俺は静かに、できるだけ優しく問いかけた。
敵意がないことを示すように、手も視線も落として。
ミレオナは、わずかに視線を揺らしながら、黙ってこちらを見つめていた。
「どうして……この里と敵対することになったんですか?」
俺がそう尋ねると、ミレオナはそっと目を伏せた。
「…………」
言葉は返ってこない。
けれど、その沈黙がすべてを拒絶しているわけではないことは、なんとなく伝わってきた。
しばらくの沈黙のあと――
「“裏切り”だ。」
ぽつりと、低く呟かれたその言葉には、怒りでも悲しみでもない、深い断絶の色が滲んでいた。
裏切り……。
この感じ――間違いない。
裏切ったんじゃない。
この人は、裏切られた側だ。
「一体……あの翡翠那聖で、何があったんですか?」
核心に踏み込む。
あえて、もう一歩。
俺の声は自然と低く、真剣なものになっていた。
俺の問いに、ミレオナは一瞬だけ目を細め、俺をじっと見つめた。
そして――
「お前は……知らない方がいい。」
その声は静かだったが、そこに込められた意思は強かった。
(それを知れば、この人も――狙われかねない。)
言葉には出さずとも、そう続いているのがわかる。
守ろうとしている。自分を? それとも、俺を?
どちらにしても、この問題は想像以上に根が深いらしい。
「知りたいんです。あの翡翠那聖の……闇の正体を。」
俺の声は自然と真剣なものになっていた。
ごまかす気も、遠回しに聞くつもりもなかった。
この目で見たもの、この心で感じた違和感――その答えが、彼女の中にあると確信していたから。
ミレオナの目が見開かれる。
「見ず知らずの君を巻き込むわけにはいかない!」
迷いのない拒絶。
だけどその言葉の奥には、明らかに“守ろうとする”意志があった。
この人は優しいんだな。
深く傷ついて、それでもなお誰かを巻き込むことを恐れてる。
本当にただの裏切り者だったら、そんなこと言わない。
「大丈夫です! 色々と巻き込まれることには慣れてますし……」
俺は軽く肩をすくめて、苦笑する。
そもそも、この異世界に来たのだって、勇者召喚に**“巻き込まれた”**だけの話だ。
完全にとばっちりだっての。
「それに僕、こう見えて結構頼りになるんですよ!」
微笑みながらそう言うと、ミレオナは驚いたように目を見開いたまま、しばらく黙って俺を見ていた。
その表情には、少しだけ――緊張がほどけたような色が浮かんでいた。
「君は……不思議な人間だな。」
ミレオナがぽつりと呟いた。
敵でも味方でもない、けれど敵意も恐れも見せず、ただ真っ直ぐに言葉を向けてくる。
そんな俺の姿が、彼女にはどう映っているのかは分からない。
でも――
その声は、ほんのわずかに柔らかさを帯びていた。
ようやく、ミレオナの口が開かれた。
「私が奴らと戦う理由……それは、奪われた“もの”を取り返す為。」
その声には迷いがなかった。
静かで、けれど確かな決意が宿っている。
ある物、か……。
だが、それだけか?
その“もの”とやらを取り返すためだけに、命をかける?
自分を裏切り者と呼ばせ、血を流しながら、それでも戻ってきた理由が――それだけ?
……いや、違う。
きっと、それ以上の何かがある。
そもそも、“裏切り”の内容すら、まだ俺は知らない。
「奪われたもの……」
俺は一歩だけ身を乗り出すようにして、静かに問いかける。
「その話、もっと詳しく教えてください。」
ミレオナは視線を伏せたまま、しばし沈黙する。
だがその沈黙は拒絶ではなく、葛藤の色を帯びていた。
やがて――
ゆっくりと、まっすぐこちらを見て言った。
「……分かった。」
その一言に、確かな決意が込められていた。
語られる“真実”。
翡翠那聖の闇と、ミレオナの過去。
そして、奪われた“何か”の正体。
──それは、まだ誰も知らない物語の核心だった。
次回はミレオナの過去編です!
少し程度だと.....。
ヒナタ視点は少しお休みですので混乱なさらずに!




