鬼
そこからしばらくは静寂が続いた。恐らく何も起きなかったのであろう。早送りの編集がなされている。
カチッ。
『……え?』
小さく声を漏らした。それは何かの音に反応したものであった。時計の針程度の何かしら日常で鳴っても不自然ではない程度の微かな音ではあった。が、降霊術の最中、深夜の静寂の中では目立った音である事が彼の恐怖心を煽ったのであろう。
『なんか、音……音したぞ……』
何度もこすられたようなホラー企画だが、こうやってまともにひとりかくれんぼを行っている人間を見たのは初めてだった。真剣に見ていると、こんなものでも臨場感はあるものでそれなりに見ているこちらにも緊張感は伝わってきた。
その間にも微かな物音は何度か続き、その度に怯える彼の姿が映し出されていた。
しかし、大きな動きはなかった。なんだこの程度か。動画に飽き始めている自分がいた。こんなものでは人気は出ないだろう。
『え、何? なになになに?』
ふいに彼の反応が変わった。
今までとは違う何か異常を感じとっているようだった。
『え、え、誰? 誰? 何、なに?』
明らかに動揺していた。しかし見ているこちらには画面上で特に何の異常も見られない。
そんな視聴者の為にかテロップが表示された。
“この時誰かの足音が聞こえ始めた”
とん。とん。とん。とん。
テロップの通り、何か部屋の中を歩くような足音が聞こえた。
『無理無理無理。無理だってこんなの一時間も……』
ひとりかくれんぼのルールは一時間から二時間。そして必ず二時間以内に終わらなければならない。最低でも始めたら一時間は終わる事が出来ないというルールが、ここに来て彼の恐怖を加速させているようだった。
とん。とん。とん。とん。がた、ごと。
唐突に聞こえ始めた物音にさすがに驚く。画面上の彼はずっと震えている。
とん。とん。とん。とん。とん。
誰かが部屋の中を歩き回っている音がその後も続く。
『ふーっ、ふーっ、ふーっ』
彼は呼吸を荒げ顔を塞いでいる。このままこの状況が続けば彼の限界はそう遠くないかもしれない。
カットが瞬間入った。少し時間が飛んだようだ。
どんどんどんどんどんどん。
『っひぐっ……!』
急に何かを叩くような音がした。その音はやけに近い場所から鳴っている。その音はおそらく、彼が隠れたクローゼットの扉を叩いているようだった。彼は口を押えながら叩かれる扉の方を凝視している。
どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん。
ノック音はしつこく続いた。ふと思った。ひとりかくれんぼで、鬼に見つかるといったパターンは存在するのだろうか。だとしたらこれは凄い動画かもしれない。だが同時にあまりに出来過ぎた恐怖に作り物じゃないかと興ざめする感覚も残っていた。
しばらく続くノック音。
それはあまりにしつこく続く。
どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん。
これはもう彼がそこにいるとバレているのではないか。
普通の鬼ごっこであれば隠れられる所は非常に少ない部屋だ。隠れている場所なんてすぐに目星がつく。それが人と人のかくれんぼであれば。だがこれは違う。ひとりかくれんぼなのだ。
『やめろ、やめろ、やめてくれ』
彼は鬼が目の前にいるにもかかわらずもう普通に声を出してしまっている。
彼からすれば絶望的な状況だろう。目の前には鬼がいる。逃げなければいけない。だが逃げる為には扉を開けなければいけない。しかし開けたらどうなる。開けた先にいる鬼に見つかったらどうなる。さすがにその先の事までは調べていないだろう。始めた時にはそんな事まで想定しているわけがないのだから。
どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん。
尚もノック音は続く。なんだこの動画は? ここまでくると放送事故レベルだ。
『うわあああああああああああああああ!』
突如彼はクローゼットを開け放った。恐怖の限界を超えたのだろう。まだ時間は一時間を経過していない。しかしもうそんなルール等彼はかなぐり捨てた。
『はっ、はっ、はっ、はっ、はあっ』
荒い息遣い。ぶれるカメラ。勢いよく彼が飛び込んだ先は浴槽だった。
『ああ、ああ、あ、あ』
画像が急にぴたりと止まる。
カメラの先は浴槽に入れられていたくまのぬいぐるみに向いている。それに向かっておそるおそる彼の左手が伸びる。
びちゃりとぬいぐるみが浴槽から出される。
『な、なに。な、な、あ、な、んで』
左手はぶるぶると震え、まるでぬいぐるみも痙攣しているかのようにがくがくと震えている。異様さはこちらにも十分伝わっていたし、彼が震える理由も理解出来た。
しっかり縫い止められていたはずのぬいぐるみの腹が何故か開かれ、はらわたがぶちまけられたかのように中に詰められていたものが飛び出していた。一番印象的に映ったのは赤い糸で、ほじくり返された腸のように乱暴に引き抜かれてだらしなく垂れ下がっていた。どう見ても自然になったものではなく、何らかの力で無理矢理引きちぎられたかのような姿だった。
とん。とん。とん。とん。
後ろでまた足音がした。
『はあ……はあ……はあ……』
振り向いてはいけない。きっとそう思っているのだろう。彼はそのまま動かない。
後ろにいる者は何か。分からない。だが答えるなら一つ。
これはかくれんぼだ。彼が逃げる存在であればもう片方は決まっている。
鬼。
彼の後ろにいるのは、鬼だ。
『はあ……はあ……』
荒い呼吸が浅くなっていく。
『はあ…………』
彼は瞬間呼吸を止めた。
そして、彼は振り向いた。