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大嫌いだったSS書きに篭絡されかけてヤバいSS書きの話

作者: 綾加奈




 私には嫌いな人間がいる。


 まあ、だれだって嫌いな人間のひとりやふたりぐらいいるだろう。ただ、私の場合はそれがほんの少し強くて、そいつのことが殺せるものなら殺してしまいたいほど嫌いだった。


 憎んでいると言ったほうが正確かもしれない


 私はいわゆるSS書きという人種だった。SSとはショートストーリーの略で、今のネットにおいてはキャラ物の二次創作小説を指して使われることが多い単語だ。つまり私は二次創作の小説を書くオタクだということになる。ジャンルはバンドをやる女の子のゲーム――バンストというアプリで、私はバンストの配信当初からSSを書き続けていた。だからバンスト歴は二年ほどになる。そんな状態で、月に十本前後のSS(カプは固定)をあげ続けていたら、いつの間にか界隈ではそこそこの有名人になっていた。ただ、長く続いているゲームではどうしても流行り廃りがあって、流行っているときは勢いよく書き手や読み手が流入してくるのだが、数ヶ月もたてばあっという間に焼け野原になるというのが、どのジャンルでもお馴染みの光景だ。バンストもまたそうした繁栄と衰退を繰り返しているジャンルだった。だから私みたいに数年単位で同ジャンルに居座る人間は少数派だ。だから絵描きにしろ、SS書きにしろ、互いに顔見知り程度の面識はあって、ツイッターでリプのやりとりをすることもあった。


 そのSS書きの中に私の大嫌いな人間がいた。

 そいつはピーチという名前で活動しているSS書きだった。


 いや、私とピーチのあいだには面識はなくて、私が一方的に嫌っているだけなんだけど。


 これは私の持論なんだけど、SSなんて書いてるやつに碌な人間はいない。クズが多いという話ではなく、だれもかれも社会不適合者かつコミュ障の陰キャで、現実では居場所がないから妄想ばかりしてるようなやつばかりだと思ってる。少なくとも私がそうだったから。私の場合、SSを書いているおかげでネット上では友人――少なくとも私はそう思ってるし、通話やゲームは幾度となく行っている。ただ私は札幌に住んでるので、会うことはできない――は多いけど、現実の大学生活においては、友人と呼べるものはひとりもいない。さらに言えば会話らしい会話を行う相手もおらず、食事以外で口を開かない日もあるぐらいだった。


 だから私は講義が終われば家にまっすぐ帰ってSSを書き殴る日々を送っていた。


 だからこそ一ヶ月に十本というなかなかのハイペースでSSを投稿することができた。そうした生活を送っているせいかはわからないが、私のSSは『薄暗い』とか『鬱展開』なんて呼ばれることが多かった。キャラの内心を掘りさげれば掘りさげるほど、どうしてもリアリティはでてしまうし、二次元のキャラにリアリティを与えようとすれば、必然、そうした仄暗い要素は必要になる。それでも私のSSを読んで評価をくれるひとが多いということは、そういう鬱々とした展開や、リアリティをともなった感情を求めている読者が多いということだろう。


 だから私はSS書きは内省的であるべきだと思っていた。

 そうしなければキャラのことを掘りさげることすらままならないはずだから。


 にもかかわらずピーチはキャラの上辺だけを掬い取ったような薄っぺらいSSばかりをあげ続けていた。その手のだれでも軽く読めるSSは閲覧数も伸びやすいし、評価もつきやすい傾向にある。だから初投稿にもかかわらずピーチのSSはブックマーク数三桁を超える盛況ぶりを見せた。そのときは私も純粋にSSを楽しんでいたように思う。まあ、肌に合わない部分はあったし、文章を書き慣れてない感じはしたけど、そこにある種の勢いを感じたりもした。


 しかしピーチが二回、三回とSSをあげ続けるうちに考え方が変わってきた。

 いや、正確にはピーチが本性を現してきたと言うべきか。


 私はいくつかツイッターアカウントを持っているんだけど、そのうちのひとつが言うまでもなくSS用のアカウントであり、フォローしているのはおもに推しカプ関連のアカウントだった。そのアカウントにやたらとピーチのSSの宣伝がRTされてくるようになったのだ。


 気づくと私はSSのリンクではなく、ピーチのプロフィール画面をタップしていた。

 手癖のようにスマホをイジって画面を下にスクロールしていく。


 ツイッターの呟きは日常や本人の性格に根ざしているものだから、どれだけ隠そうとしても『本人らしさ』とでも言うべきものが滲んでしまう。私はツイッターで愚痴を垂れ流したりする輩が大嫌いだったから、なるべく明るいキャラクターを演じている。それでも、ふと自分の呟きを見返したりすると、腐臭とでも言うべく根暗さに満ちていて、吐き気を催したりする。


 つまりそれぐらいツイッターにおいて癖というものは出やすいのだ。

 頻繁に使っているアカウントであればあるほどそれは如実に表れる。


 ピーチの呟きからは徹底的に根明の匂いがした。


 そもそもSS書きなのに日常のツイートが多く、どこそこのカフェに行ってきただの、友だちと海に行ってきただの、お祭りや花火が綺麗だっただの、そんなことばかり呟いていた。それに添付している写真でそれとなく自分が女であることをほのめかしていることも気に入らなかった。爪に施されたネイルアートを見れば、そいつの容姿のレベルやリアルの充実度が推し量れるものだが、ピーチはかなりのレベルでリアルが充実しているようだった。それからツイッターとSSを見比べてみて、ピーチが『自分が遊びに行った場所をキャラに行かせてるだけ』だと言うこともわかった。つまりこいつは現実の傍ら、暇潰しや日記の代わり程度の軽い気持ちでSSを書いてるに過ぎないのだ。私のように推しカプに人生を捧げているわけじゃない。


 にもかかわらずピーチは界隈でやたらとちやほやされ始めていた。


 どうやらピーチは界隈の重鎮とでも言うべきやつらに擦り寄るのが巧いらしかった。たいして親しくもないくせにいきなりリプライを送りつけるなんて厚かましい行為を繰り返して、あれやこれやと搦め手を使って認知度を高めていって、SSを読んで貰ったり、果てはフォローまでして貰ったりしているようだった。一応は感想を送るという名目でリプライを送りつけているのもイヤらしかった。感想を貰って嬉しくないやつなんていないし、今勢いのある新人だから、お返し程度に自分もSSぐらい読んでやろうかという気持ちになってもおかしくない。


 そうやってピーチはあっという間に界隈のトップにのぼり詰めたのだった。

 だがそれはどう考えてもピーチの実力ではなかった。


 何度ピーチのSSを読んでも評価に見合う力量なんて持ち合わせてなかったから。つまりピーチは現実の世渡りの巧さをこのネットに持ちこんでいるだけなのだ。リアルで巧く適応できずにネットへ逃げこんだ身からしてみれば、面白くないのも仕方ないだろう。そのせいで私は、不意にピーチのツイートがTLに流れてくるだけで吐き気すら催すようになっていた。だから私はピーチをミュートにして、直接アカウントに飛んで呟きを眺めるようになった。いっそ、ひと思いにブロックしてもよかったが、なにかの拍子にピーチが私に話しかけてこないともかぎらない。だって私とピーチは同じカプを推しているわけだし、カプの解釈が大きく違うというわけでもない。なにより先に語った通り、私は界隈でそれなりの存在であるはずだから、いつピーチに擦り寄られてもおかしくないのだ。そのとき私がピーチのことをブロックしていたら、私のほうが一方的にこの新参者のことを意識しているようで負けた気持ちになりそうだから。しかしどれだけ待ってみても、ピーチは私に擦り寄ってくることもなければ、私のSSの感想をツイッターにあげることもなかった。それが私は堪らなく面白くなかった。


 そのせいで私はピーチのツイートを眺める頻度があがった。

 気にくわないなら見なければいいという思考すら湧いてはこなかった。

 そしてピーチの軽薄なツイートを眺めて、私は彼女のことがもっと嫌いになった。


 ツイートを眺めているうちに知ったのだが、どうやらピーチは札幌に在住しているようだった。写真に

ときおり大通り公園を始めとする札幌のランドマークの写真が現れたからそれはすぐにわかった。それからもうひとつ、そいつは大学の学食の写真等をときおりあげているのだが、どうやら私と同じ大学にいるらしかった。そこまでわかってしまえば、講義やレポートの内容、その提出期限などから大まかな学部まで突き止められるわけだが――どうやらピーチは私と同じ学部の同学年に所属しているらしい。バカは軽率に自分の所属を突き止められるような情報をネットに晒すから始末に負えない。ただ最近は写真の内容が変わってきていて、ピーチという個人を突き止められるような情報はあげられず、やきもきするような日々が続いた。


 私は講義が始まる直前の雑然とした教室を見回す。


 ……この中にあの女がいるのか。


 どうせなら私と同じような碌でもない女であって欲しいと思う。大学ではぼっちでクソみたいな生活を送っているのに、ツイッターでは見栄を張って充実しているようなフリをしているのだ。そんな痛々しいやつなら、私から声をかけて友だちになってやってもいいと思う。だけどそれっぽいやつに目星をつけてみても、ツイッターから得られた情報とは一致しなかった。やはりピーチは教室のなかばから後方に陣取っているキラキラした女の中にいるらしい。しかしその中のだれを眺めてみたところで『SSを書いてそう』という私のイメージに合致する女はいなかった。そんな中、ひとりの女が急に振り返ってきて、私と目が合ってしまう。突然のことだったから私も目を逸らすことができず、視線が正面衝突して頭が痛くなった。


 よりにもよって彼女は学年一の美女と名高い女――姫川だった。


 彼女は目が合ったのが私のような女にもかかわらず、律儀に微笑みを浮かべてくれた。だが私が笑い返したところで気持ち悪がられるだけなのはわかったので、そっと視線を逸らす。


 それから私はなるべく彼女たちのほうを向かないように必死になっていた。

 そんなクソみたいな生き方しかできない自分が恥ずかしくて死にたくなった。


 まあ、その死にたさは私が常に感じているものだったから。

 家に帰って創作意欲に火をつける程度の効果しかなかったけど。



       〇



 ある日、ピーチがツイッターでこんな呟きをしていた。


『ピーチ、同人誌デビューです!』


 合同本に寄稿でもしたのかと思ったら、どうやら本当に自分で同人誌をだすつもりらしい。デビュー場所は東京ではなく札幌のオンリーイベントで、そこで小説本をだすらしかった。


 ……初心者が売れるほど同人は甘くないっての。


 それがわかってるから私は同人誌なんてだしたいと思ったことはなかった。ツイッターでは同人の失敗談が定期的に流れてくる。それと同じくらいの頻度で『同人は素晴らしい』という意見も流れてくるが、あんなのは一部の声の大きいバカの戯言に過ぎない。ただ、イベントにでるとなればピーチの正体を暴くことができるし、調子に乗ったピーチが泣きを見る姿も拝めるに違いない。だから私は勇み足で当日、ピーチの待っている会場へと向かうことにした。


 即売会はテレビ塔という大通り公園に隣接した電波塔の貸しスペースで行われていた。開場してすぐに行く理由もなかったので、私は昼過ぎ――閉場の一時間ほど前に向かった。そうすれば思うように本を手に取って貰えなかったであろうピーチの悔しそうな顔を拝めるはずだから。なんなら私が一冊買ってやってもいい。それぐらいの慈悲はくれてやるつもりだった。


「えっ――」


 しかし、開場について入場料を払った私は言葉を失ってしまった。

 それは私が予定していた『今日の醍醐味』のすべてがかなわないと知ったからだ。

 目的のスペースでは美女――姫川が撤去作業を行っている最中だった。


 ……ピーチはよりにもよって姫川だったのか。


 周りに他の顔見知りはいないから、友だちの手伝いにきたというわけでもないようだった。まあ、ピーチがリア充であることは知ってから、それぐらいの覚悟はしていたつもりだ。だけど彼女の容姿がトップレベルである時点で、私はかなり怯んでいた。さらに空の段ボールが畳まれているのを見るに、どうやら本が売れなさすぎて、諦めて帰ることにしたわけでもなさそうだった。ただひとつ気になったのは、なぜか共に作業している男がいることだった。


 ……イベントに彼氏連れかよ。ずいぶんといいご身分だな。


 先ほどまで彼女の地獄を思って心地好くなっていた気持ちが逆に地獄へと突き落とされる。当初の私の目的はまったく果たされないことはわかったので、さっさと踵を返そうとする。だってこれ以上この場にいたところで、気分が悪くなってくるだけなのは目に見えていたから。


 最後にもう一度だけ、クソッタレのピーチの顔を拝んでおこうと視線を向ける。

 それがいけなかったのか、ちょうど顔をあげた姫川と、視線が合ってしまう。

 先日と同様に正面衝突を起こした視線が目眩にも似たなにかを誘発してくる。


「あっ」


 姫川は先日のような微笑みではなく、驚いた顔でそうこぼした。


 ――ヤバい。


 とっさにそう思った私はいよいよその場から走りだそうとした。


「やっときてくれたんだ。遅いよー!」


 しかしそれよりも先に姫川が――そんなすっとんきょうな言葉を口にした。


 ……えっ?


 と思い振り返ると、笑顔を浮かべた姫川が私に手を振っていた。


 いや、違う。


 まるで既知の仲のような言葉を投げかけていたのだから、私と同時に入ってきただれかに知り合いがいたのだろう。そう思って気づかれないように周囲を見回すが、入場した時間が中途半端だったせいか、このタイミングで入場した一般客は私以外にいないようだった。


「ねえ、久喜さん!」


 混乱していた私の心を射止めるように、姫川は私の名前を呼んだ。


 名前を呼ばれてしまったせいでひと思いに無視することもできず、かといって気の利いた切り返しができるわけでもなく、私の頭は完全に機能を停止して、その場に立ち尽くしてしまう。


 そんな私のもとに撤去作業を終えた姫川がキャリーバッグを引いて歩いてくる。


「それじゃあ、またイベントで会えたらよろしくお願いしますね」


 姫川はともに作業をしていた男にそう告げると私の手を引いて歩きだした。


 私は抵抗することもできず、今しがたきた道を戻って、エレベーターに連行されていた。エレベーターの扉が閉まって、完全にふたりきりになったところで、姫川は吐息を漏らす。


 それは疲労感と安心感の滲んだ、私にはあまり馴染みのない吐息だった。


「ごめんね、久喜さん。巻きこんじゃって」

「えっ、あ……うん。それは……いいんだけど」


 私はべつにあの空間に目的があったわけではない。単にこの女が不幸のどん底にいるのを見たかっただけだから。それがかなわないと知った今、あの場所に居座る理由はなかった。


 私が困惑しているのは、ただ事態のスピードについていけなかったからだ。


「なにかあったの……?」


 ただ、巻きこまれたからには、なにがあったかぐらいは聞いてもいいはずだ。


 私のストレートな問に姫川は逡巡してから口を開いた。


「たいしたことじゃないんだけどね。あの……久喜さんには全部見られちゃったから……正直に話すんだけど……その……私、あそこで……同人誌? って言うか、小説……をだしてて」


 エレベーターが一階に辿り着いて、大通り公園にでたところで、姫川はそう口にした。


「……はあ?」


 ……どうしてそんなわかりきったことを話してるんだ、こいつは。


 そう思いかけたところで、よく考えたら姫川は『自分が参加していた同人イベントに大学の知り合いが現れた』という、それなりに地獄めいた状況に遭遇しているのだということに気づいた。だって姫川は私がピーチのツイッターを監視してここにきたことを知らないのだ。だから私もこの場では『同人誌即売会に行ったら大学の美人が本を売っててビックリした!』という体で驚いておくのが正解なのだ。その証拠に姫川は私の反応を曲解したらしかった。


「あっ! 同人誌って言っても、べつにえっちなやつじゃなくて!」

「あ、うん」


 ただ極度のコミュ障である私に演技なんて出来ないから『驚いたほうがいい』とわかっていても、そんな塩対応しかできなかったけど。それが逆に姫川を安心させたようだった。


「えっと、さっきは『前々からだしてます』みたいな偉そうな言い方しちゃったけど、本当は今日が初めての参加でね、いろいろとわからない事とかあって、あのひとに教えて貰ってたんだ。それ自体は感謝してるんだけど、なんか急に馴れ馴れしくなってきたと言うか……私が撤退作業始めたらしれっとそばにいて、なんか一緒に晩ご飯に行くみたいな話をし始めて……」

「うわぁ……」


 本当にそういうやつっているんだなと、つい素の反応を返してしまう。


「そうだよね!? 私も『うわぁ……』って思って、でも露骨に悪いひとってわけでもないから邪険にもできなくて……そしたらタイミングよく久喜さんがきてくれたから……」

「私を出汁に使ったと」


 姫川の明け透けな口調が話しやすくて、私もつい素で返答してしまう。


「うっ……ご、ごめんね。迷惑だったよね」


 しかし姫川が露骨にヘコんだ表情を見せるから私はすぐに後悔してしまう。


「あ、いや、べつに、迷惑ってほどじゃ……」


 だから私はそう言い訳めいた言葉を口にしてしまう。


 そんな中途半端なフォローを入れたあと、そのまま迷惑だってことにしておけば姫川のことを相応に傷つけられたのでは? と思って後悔したけど、すべてはあとの祭りだった。


 と言うかコミュ障である私にとって『対面にいるだれかを傷つける』と言うのも相応に難易度が高かったから、そうと気づいていたとしても、塩対応しかできなかっただろうけど。


「でも久喜さん会場に入ってきたばっかりだったよね……? あれ? と言うかあそこにいたってことは久喜さんもバンストやってるの? いや、もしかしてアニメのほうかな」


 入ってきたばっかりだったのに大丈夫だったの? という話だったはずが気づくとバンストの話になっていた。自分の好きなものの話に抗うことのできない姿が相応にオタクっぽくて、姫川みたいな女でもそこは私たちと同じなんだなと思うと面白かった。


「あっ、えっと、ゲームのほう、リリース当時から、やってて」

「えー! そしたらアプリを支えててくれた大先輩だ。いいなぁー……私も自分の成長と一緒にキャラクターの成長を味わいたかった……やっぱりそれが醍醐味だと思ってるし!」


 両手を握りしめながらそう宣言する姫川はメチャクチャオタクの顔をしていた。

 だから私は彼女のギャップに興味を抱いて、つい掘りさげたくなってしまう。


「ひ、姫川、さんはいつからやってるの?」

「私はバンストのアニメ化の告知がされたころかな。こんなアプリあるんだーって思って始めてみたらドハマりしちゃって、気づいたら慣れない文章まで書いて同人誌までだしてたの!」

「へ、へぇ……すごいね。なんか、そういうの」


 非常に残念なことにそれは私の本心だった。


 もしも同じことをピーチがツイッターで語っていたとしたら、私は『クソみたいなおためごかし言ってんじゃねーよ』と毒づいていたことだろう。だけどこうして目の前で、熱の通った言葉を聞いていると、このひとは本当にバンストが好きなんだと思ってしまいそうになる。


「うん! やっぱりバンストってすごいんだよね」


 熱っぽい口調でそう告げてから「先輩の久喜さんに言っても仕方ないか」と言って姫川は恥じるように苦笑した。そうやって明け透けに自分の想いを表現できるのは羨ましい。


 私には絶対にできないことだから。


「姫川さんが……なに? 小説とか書いてるの、なんか、すごい意外」


 その笑みを真正面から受けとめきることができずに私はそう口にする。


「そう?」


 なぜか姫川のほうが意外そうに目を丸くしながら尋ね返してくる。私はその大きな眼に吸いこまれて、そのまま落ちてしまいそうで怖かった。しばらく無言のまま姫川は私のことを見つめ続けて、私はいよいよ目眩で倒れてしまいそうになったタイミングで、


「……って、そりゃあ、そうだよね」


 そう口を開いてくれたものだから、私はやっと生きた心地を取り戻せた。


「私みたいなやつが小説書いてるなんてだれにも思わないよね。友だちにも教えてないぐらいだもん。私ってさ、こう見えて物語に没入しちゃうタイプなんだよね。燃え尽きるって言うのかな? ゲームとかやり終わったら『あれ? 私、これからなにすればいいんだろう?』とか思っちゃうタイプで。当時配信されてたシナリオを全部やり終えたところで、そうなっちゃって。シナリオ何周かしたあと、スマホでいろいろ調べてたら、二次小説のサイトを見つけて、それを読み漁ってたら、めちゃくちゃステキな小説書いてるひとを見つけちゃってね」


 元より熱っぽかった口調をさらに強めながら姫川は語る。


「そのひとの小説が本当に物語の続きみたいだったから救われちゃって。だから私、アプリはもちろん好きだけど、そのひとみたいな文章を書きたいなって思って小説を書き始めたんだ」


 溢れだす熱量がすごかったから私も気の利いたセリフをひとつぐらい返したかった。

 しかし私の口から漏れたのは「……へえ」という熱のカケラもない返答だった。


 だからといって姫川の言葉に何も感じなかったわけではない。私だってSS書きの端くれだ。いつか自分もそんなふうにだれかを突き動かせるようなものを書いてみたいと思う。


 ――いや、私は『姫川の特別が私だったらいいのに』と思ってるのか。


 理由はわからないけど、なぜか私はそう切望しているらしいのだ。


 だけどピーチの呟きを逐一観察し、数ヶ月分の呟きを遡っている私は、その相手が絶対に私ではないことを知っていた。


 それが無性に悔しかった。

 悔しく感じてしまったのだ。


「久喜さんは絵とか小説とか書いてたりしないの?」


 隙あらば内省に耽ろうとする私の意識を姫川の声が呼び戻す。私という人間は返答に面白味がないだけではなく、すぐに黙って考えこんでしまう癖があった。大抵の人間はそれだけで露骨にイヤそうな顔をするのに、姫川はいまだに私への興味を持ち続けているらしかった。


 ただその内容は私にとって都合のいいものではなかったけど。


「……それは私がそういうことやってそうってこと?」


 だって絵とか小説とか書いてそうってことは、そういう部屋に引きこもる趣味しか持っていない根暗扱いされているということだ。だから私は攻撃的な視線を向けてしまう。なのに、


「うん」


 姫川は私の視線など意に介さず、爽やかに頷いてみせた。


「あ、べつに久喜さんのことをバカにしてるわけじゃないよ」


 この期に及んで黙り続けていた私を見て、姫川は私の心中を察してくれたらしい。


「私、自分が小説を書いてるからってわけじゃないけど、創作やってるひとってステキだと思ってるから。自分の世界とか解釈を思うように表現できるひとって本当にカッコいいと思う」


 だから久喜さんはどうなのかなって。

 最後にそうつけ足して、姫川は私の顔を覗きこんだ。


 自分と同じ種族とは思えないその顔から逃げるように、私は勢いよく視線を逸らす。ただそうしたうしろ向きな行動とは裏腹に、私の胸中はなにかに急かされるように素早く脈打っていた。


「私は……」


 この流れなら私も自分がSSを書いていることを姫川にカミングアウトできる気がした。だけどそうと告げたところで姫川は私のSSをまったく認知していないのだ。もし知っているなら、それを暴露することに面白味もある。だけど現状、それをする理由が見つからなかった。


「……そういうの、やったことないな」


 だから私はそう嘘をついた。


「……………………」


 姫川は私の言葉の真偽を確かめるためか、それとも先ほどの私のマネなのか、グッ……と黙りこんで、しばらく私の目を見つめ続けていた。最初から目を逸らしていた私には、たいしてダメージもなかったけど。数十秒、そうやって私のことを弄んでみせた後、姫川は


「そっか」


 と、なんとも気のなさそうな声で呟いた。


「自分が小説書いてるせいか、絵とか小説とか、そういう創作って、じつはだれでもやってるものなんじゃないかって思っちゃうんだけど、やっぱりそんなことないんだよね。残念」


 そう言って、姫川は本当に残念そうに眉を八の字に曲げてみせた。表情のマヌケさとは裏腹に姫川の顔は蠱惑的で、私は誘われるようにして、本当のことを話してしまいそうになる。


「久喜さんは本当に会場戻らなくていいの?」


 しかし当の姫川が私にそれを許さなかった。


「あ、うん……今戻ったら、あの男と鉢合わせになっちゃうかもしれないし」


 そしたら口ベタな私には巧く言い訳できないだろうから。


 だけどその言葉は結果的に『姫川のことを気遣っているような形』になってしまったらしい。


「ごめんね。でも……そうしてくれると助かるかも」


 表情だけで器用に『申し訳なさ』を演出して、声音も聞いているこちらが逆に罪悪感に駆られてしまいそうなものだった。だから私は為す術もなく「べつにいいよ」と答えるしかなかった。


「お礼代わりに奢るから、これからご飯でもどう? 久喜さんとバンストの話もしたいし」

「うーん……まあ、それで手打ちに、しようかな」

「やった! そしたら近くに居酒屋があるからそこで飲もうよ」


 先ほどと同様に私の手を引いて、姫川はそそくさと歩きだす。先ほどと違うのは、その足がなにかから逃げるのではなく、自ら望んで前を目指して進んでいたということだ。姫川が連れて行ってくれたのは、彼女の印象に反して、落ち着いた雰囲気の居酒屋だった。てっきりオシャレなバーにでも連れて行かれるのではないかとヒヤヒヤしていたから安心してしまう。それから私たちはお酒を飲みながら延々とバンスト話をして過ごした。私はこうやってだれかとお酒を飲みながら話すのは初めてだったし、姫川も仲間内でバンストの話で盛りあがれる相手がいなくて欲求不満が溜まっていたらしく、三件目に突入してしまう程度に会話は盛りあがった。


 それから私たちは定期的にふたりで会って、バンストの話をする仲になっていた。

 そして私は前にもまして『ピーチ』のことを意識するようになっていたのだった。


 姫川と一緒にいるのは楽しくて好きだった。私も彼女と同じようにリアルでバンストの話をする相手が欲しかったし、そうでなくとも姫川は私が唯一、友だちと呼べる存在だったから。


 しかし彼女と親しくなればなるほど、私の中にあるどす黒い想いが煮詰まっていく。

 それは姫川ではなくピーチに向かっている感情だった。


 ……ああ、クソッ。


 前にも増して、私はピーチに自分のSSを読んで貰いたがっていた。


 私は自分のSSが他のだれのSSよりも面白いと思っている。事実、私のSSを贔屓にしてくれているファンもいるくらいなのだから、決して面白くないわけではないはずなのだ。


 だからピーチが私のSSを読んでくれるだけでいい。


 たった一言感想を呟いてくれれば、私は喜んで彼女にフォローを飛ばす。不慣れなリプライでもなんでもしてやっていい。だから他の有象無象なんていいから私のSSを読んで欲しい。しかし私がどれだけ強く願っても、彼女はそんな私を嘲笑うようにスルーし続けたのだった。


 ああ見えて、ピーチの守備範囲は広かった。


 作風的にゆるくてふわふわしたものが好きなのかと思っていたが、どうやらカプと解釈さえ一致していれば、どんな物語であっても好んで読むようだった。ならば私のSSだって読んでくれてもいいものだと思うが、彼女は頑なに私のSSには手をださなかった。もはや意図的に避けているのではないか? と感じてしまうレベルだったが、かといってツイッターのアカウントがブロックされているわけでもなく、単に視界に入っていないというのが正確らしい。


 いっそひと思いにブロックでもしてくれれば、それはそれで楽だったのに。だってそれは私のことを認識してくれた上でブロックするほど強い感情を抱いてくれたということだから。


 せめて一度だけでもいいから、私のことを視界に入れて欲しかった。

 だから私はますます彼女に固執するようになっていた。


 呟きが更新されてないとわかってるのに数分おきにピーチのホーム画面を眺めにいっている自分がいた。彼女が言っていた『SSを書くきっかけになった作家』のことも気になった。彼女の呟きやリプライを遡って発言を総ざらいしてみたが、それらしい発言は見られなかった。


 どうやらあれはリアルだから漏れてしまった発言らしい。


 さすがのピーチも、本人の目に届く範囲でそうと告げられる勇気はないようだった。

 そんなネット上での私たちとは裏腹に、現実の私たちの仲はそれなりに進展していた。


 私は基本的に0から築きあげる関係性が苦手なだけで、バンストという共通の趣味があった姫川とは会話に困ることもなく、互いの解釈を面白おかしく話せたりした。


 どうやら彼女はネットとリアルの区別というものをつけない人種らしかった。

 だから私はどうして彼女という人間がツイッターで人気なのかも理解した。


 この身を持って――という最悪の形で、だ。


 なぜなら私もそれが自然の摂理であるかのように、彼女に惹かれていたのだから。


 ちょっと親しく話せる相手ができたからって簡単に惹かれてしまう自分に嫌気が差したが、姫川が相手ならそれも仕方ないと思える程度に、彼女は魅力的な女性だったのだ。


 今日もまた、私は姫川とふたりで飲みにでかけていた。


 一件目は最初にふたりで行った居酒屋で料理と酒を楽しみつつ、二件目は私が『姫川と言えばこういうバーに行きそうだな』と思っていたバーに連れて行かれた。間接照明やキャンドルの灯で彩られた店内の奥へと案内されて、窓際の席でふたり並んで座らされた。まあ、こんなオシャレな店にきても、話す事と言えばバンストの話なんだけど。明日から始まるイベントの予想や、どんな内容かを想像し合いながら、居酒屋のものよりも濃くて飲みやすいカクテルを楽しむ。気づくと五、六杯は飲んでいて、首から上がふわふわしていた。それは姫川にしても同じだったのか、ふわふわしていた頭を支えきれずに、私の肩に寄りかかってきた。


 重みをあまり感じない小さな頭。

 しかし私は壊れ物でも受け取ったような心地になっていた。


「私、久喜さんのこと好きだな」


 バンストを語っているときの熱っぽい口調とは違う――いや、この声もそれとは別種の熱を帯びてはいるんだけど――ふわふわとした掴み所のない声で姫川は私にそう囁いた。


 髪の毛を通して、アルコールの風味を帯びた熱や香りが漂ってきて、心臓がちりちりと鳴く。


「……………………」


 私はなんと答えていいのかわからず、ただ彼女の放つ空気に酔っていた。


「一緒にいると安心するんだよね」


 私の心臓に追い討ちをかけるようにして姫川は言う。

 瞬時にバンストという共通性を失ってしまった私は返す言葉を見つけられなくなる。


「……………………」


 無言でいた私の肩に姫川は軽く髪の毛を擦りつけてくる。

 その行動がなにを意味しているのかわからず、私はただ混乱するばかりだった。


「私の友だちって騒がしい子が多いからさ、お酒を飲むときも『飲み会!』って感じで、こうやってゆっくり話す機会ってなかなかないんだよね。だから私、この時間が好きなのかも」


 そこで私は自分たちの姿がガラス窓に反射していることに気づいてしまう。彼女は目をつむっているものの、その表情は至福に満ちていて、私の心臓がギュッと引き絞られる。


 だけど私の頭によぎるのは、


 ……大学生とか社会人パロのSSで見たことがあるやつだ。


 そんな考えだった。だけどその通りだとも思う。


 一緒にお酒を飲んでいて、酔っ払って、終電を逃しちゃって。普通ならタクシーに乗るか、カラオケで時間でも潰しそうなものを、片方が泥酔しているという理由で謎にラブホテルに入ってしまうやつだ。なんとなく今のシチュがその導入部分に似ているような気がしたのだ。そんなバカなという想いはあるものの、私の知識がSSに偏っているせいで、そういう方向にしか意識が向かわない。と言うか、姫川がなにを望んでいるのか私にはわからなかった。


 ふらっ……と体勢を崩したような不確かさで、姫川の体が私から離れる。


 ……えっ?


 本当に意識を失ってしまったのかと思って、私は慌てて彼女の体を支えようとする。反対側に倒れかけていた肩をグッと引き寄せると、思いのほか軽い体がグッと私の元に密着してきた。そして先ほどよりも近い位置に顔があって、彼女は潤んだ瞳で私のことを見つめていた。


「久喜さんはどう……?」

「ど、どうって……なにが?」


 私はそこでやっと口を開くことが許された。しかしどれだけアルコールを入れても縺れなかった舌が、ただ姫川に見つめられてしまっただけで、麻痺でもしたように縺れていた。


 一瞬で彼女という毒に犯されてしまったように。


「久喜さんは私のこと、どう思ってるのかなって」


 舌先を麻痺させていた毒が、さらに頭をのぼって、脳まで蕩かし始めていた。

 ただ、彼女という情報でパンクした頭は、言葉を生みだすことをやめていたけど。


「……………………」

「……………………」


 言葉という不純物を排して、黙したまま見つめ合う私たち。

 姫川はこの沈黙からいったいなにを掬い取ったのだろう。


 パチリ――と見つめていた瞳が消えて、私は心の支えを失ったような心地になった。


 しかしすぐに姫川が目を閉じただけだと言うことに気づき、次の瞬間、吐息が顔に当たる。つまりそれは、互いの吐息が重なるほどに顔が近づいていたことを示していた。あれだけ食べ飲みしたはずなのに、その吐息は多少のアルコール臭がするだけで、どこかいい香りがした。


 そのまま唇を重ねたくなってしまうような甘い香りだ。


 ……や、やっぱりこれは、そういうことなのでは?


 姫川は私にキスをして貰いたがっていて、だからこんな無防備な姿を晒しているのではないか? それはきっと、彼女が私に好意以上のなにかを抱いていることを意味していた。


 ――このまま誘惑に飲みこまれてしまいたい。


 アルコールと姫川の香りで理性が溶かされた状態で、こんな無防備な姿をした姫川が目の前にいるのだ。それは飢餓状態で目の前に食べ物を置かれているようなものだった。


 だけど私が求めているのはリアルの彼女――姫川ではなかった。

 いや――私が見て欲しいのはリアルの私ではなく、ネット上の私なのだと言うべきか。


 私は姫川とは違ってリアルとネットは別物だと考えている。


 そして私にとって『本当の自分』でいられる場所はリアルではなくネットだった。

 だから私は姫川ではなくピーチに私を見て貰いたいと、そう思っていたのだ。


 ――私はあなたに焦がれてはいるけど。


 私があなたにして欲しいのは、キスではなくて……ただ物語を読んで貰うことだけだった。それは今しがた感じている飢餓感よりも強い感情で、性欲よりも強い想いに違いなかった。


 それはきっと心にぽっかりと開いた空白だった。


 ――いや、もしかしたらこれが私の性欲と呼ぶべきものなのかもしれないけど。


 なによりピーチが私の物語を読むより先に、姫川とこれ以上深い仲になってしまうことが怖かった。この空白が不完全な形で満たされてしまうことが、とてつもなく怖かったのだ。私はこの空白を満たすためだけに姫川のことをメチャクチャにしてしまうかもしれなかったから。


 きっとこの空白はどれだけ姫川を犯したところで埋まることはないだろうから。

 だから私はそっと彼女の肩を掴んで――優しくその体を引き剥がした。


「……………………」


 先ほどと同様、彼女はなにも言わず、黙って私を見つめた。


 物欲しげな瞳をしながら自身の唇を舐め、口寂しさをごまかすようにカクテルを舐めた。

 私もまた、口元まで這いのぼってきていた卑しい想いをカクテルに混ぜて、飲みこんだ。

 残念ながらそれだけでは私の胸中に広がっていた劣情を散らすことはできなかったけど。


 それでも私はその想いを抱えたまま、姫川と普段通りの会話を続けることにした。

 姫川も酔っ払っていたから、私の変化に気づく余裕もなかったと思いたい。

 そのあと私は溺れるようにしてカクテルを飲んだ。


 だけど今日はもうどれだけ飲んでも先ほどのように酔えそうにはなかった。だからと言って私たちの関係がそこで終わることもなく、皮肉なことに私たちは良好な関係を続けていた。


 だけど私からしてみたら、この日の悪酔いが延々と続いているような感覚だった。


 いつか瓦解してしまう危うさを抱えながら、それでも私たちは友だちのフリを続けていた。











       ○











 喉が渇きすぎて、脳の奥まで乾涸らびてしまったような心地がした。頭を働かそうとすると脳の芯がズキズキと痛む。布団からでたくもなかったが、このままだと脱水で意識を失うことになりそうだったから、重たい体を引き摺って冷蔵庫の中のスポドリを飲み干す。


 ……はしゃぎ過ぎたな、昨日は。


 昨日はそれなりに楽しかったから、二日酔いに後悔はなかったが。


 とりあえずもう一時間をほど寝直してから、今度こそしっかりと起床する。固形物を口に入れる気分にはなれなかったから、もう一本スポドリを開けて、それを朝食の代わりにした。


 それからベッドの縁に座ってスマホで日課をこなすことにする。


 私は菊池セトという人物のツイッターに飛んで、そこから彼女のSSが載っているサイトに飛んでいった。案の定、あの女は昨日の晩に作品を投稿していたらしい。あれだけ酔っ払っていたのに律儀なものだ。さすがこの二年間ハイペースで更新を続けてきただけのことはある。


 彼女にとってSSの更新こそが生きる理由なのだろう。


 私は菊池の新作をさっそく読み耽る。


 堅苦しい文体ではあるが几帳面に整理された文章は頭にスッと入ってくる。登場人物が女子高生であることを鑑みると少々堅苦しすぎる気もしたが、それが彼女の文章の売りで持ち味だった。夢中になっている内に新作もあっという間に読み終えてしまう。SSの文章の下に表示される『いいね!』と『ブックマーク』をタップしてから、流れるように感想を打ちこんだ。


『菊池さんの新作、今回も楽しませていただきました。次の更新も楽しみにしてますね!』


 しかし菊池が返信なんて絶対にくれないことを私は知っていた。彼女は硬派を気取るSS書きだから。読者の感想に浮き足立ったり、喜んでいる姿を見せたりすることはほとんどなかった。なにより彼女は読者に対して真摯で平等にあろうとするから、中途半端に返信をするぐらいなら、最初からだれにも返信をしない人間だった。もしかしたら感想を送ったのが『ただのファンである私』ではなく、彼女が夢中になっているピーチというSS作家なら話は違ってくるのかもしれないが。そこまでの日課を済ませたところで私はツイッターのアカウントを切り替える。ピーチというアカウントにきていたリプライを適当に返し、TLの話題に適度に参加しておく。もう少しでバンストの新イベントが始まるから、皆はその話題に持ちきりだった。


 そうなると、自然と昨日の久喜とのやりとりを思いだしてしまう。


「昨日の久喜はめちゃくちゃ気持ち悪かったな」


 そして私の口からは湿った笑い声が漏れた。


 同性の私がちょっと挑発しただけであんなふうに狼狽えてしまうなんて。今までどうやって生きてきたのかわからない。まあ、昔からずっとひとりで気持ち悪く生きてきたんだろう。


「あー……久喜は本当に気持ち悪くて楽しいな」


 あの女が私に夢中になっていく様を見るのは最高に愉快だった。あの狼狽ぶりと葛藤を見れば、彼女の考えが手に取るようにわかるだけに、私はすでに歯止めというものを失っていた。


 だからこそ私は昨日あんな悪ノリめいたマネをしてしまったわけだけど。


「さすがにあれはやりすぎたかな」


 ヘタレでチキンだが妙なところでプライドの高い久喜のことだから、絶対にキスはしてこないとわかっていたが、もしもあそこで理性が焼き切れていたら私はどうしていたのだろう。


 ……まあ、考えるだけ無駄か。


 だって私には久喜の思考が手に取るようにわかってしまうのだから。彼女は私がどれだけ揺さぶろうと、あのバカみたいな顔を晒すだけなのだ。なんて惨めで可哀想な存在なのだろう。


「だけど……いつからこんなことを思うようになったんだろ」


 もともと私は別ジャンルで活動していた菊池セトのファンだった。菊池がジャンル替えをした先がバンストなのも知っていた。好きなSS書きがハマっているのだからと私もアプリをプレイしてみたら案の定私もバンストにハマってしまい、再び菊池のSSを待ち望む日々が始まった。毎日のように菊池のSSを読んでいたから『私もこういうSSを書いてみたい!』と思い始めるのにそう時間はかからなかった。しかし菊池への憧れが強すぎたせいか、私の書く文章は彼女のオマージュのように堅苦しかった。しかし彼女の硬派な文章は私のような素人には扱いきれず、投稿したSSは数個のブックマークがつくだけでやっとだった。当然、菊池本人にも見向きもされなかったが、どうせ雲の上の相手だからと自分を慰め、諦めていた。


 私にとって菊池セトは神様のような存在だったから。


 バンストというゲームは情報量が適度に統制されていて、キャラの解釈がユーザーに委ねられるようになっている。だからこそ二次創作が捗るわけだが、菊池は常に独自の解釈を披露し続けていた。しかしそれが突飛なのかと言えばそんなこともなく、彼女の考察はゲームのテキストをきちんと読みこみ、理詰めで考察を重ねていけば、だれでも思い至れるようになっていた。つまり彼女はだれよりもバンストを愛していて、ただひたすらにテキストを熟読しているだけなのだった。それだけの愛をバンストに捧げられる菊池を私は素直に尊敬していた。


 いや、崇拝していたのだ。


 彼女の緻密なSSはもちろん、ツイッターでの硬派な立ち振る舞いもまた、私の憧れを助長させていた。だから私はいつか彼女のようなSSを書いてみたいと心の底から思っていた。


 そしていつか私のSSを読んで貰って、面白いと言って貰うのが夢だった。

 しかし私の夢はいとも容易く打ち壊された。


 恥ずかしい話ではあるのだが、私は菊池を尊敬するあまり、その容姿にすら幻想を抱いていたのだ。まさか現実で会うことになるとは思ってもみなかったのだから、それも仕方のない話だとは思う。言うなれば私はただ、自己完結の妄想で遊んでいただけなのだから。


 しかし私はひょんなことから菊池の正体を知ってしまう。


 ――それが久喜千歳だった。


 あんなに美しい文章を書いているのが久喜のような野暮ったい女だと知った私は絶望した。

 理想と現実のギャップに吐き気すら覚えそうになった。

 自業自得なのはわかっていたが、それはきっと、私が生まれて初めて経験した失恋だった。


 ……ネットとリアルは別物だってことぐらいわかってる。


 それでも私にとって菊池は人生を狂わせるほどの影響を受けた特別なひとだったから。見た目を整える努力もせず、ただ自分の世界に閉じこもろうとする彼女に私は殺意すら覚えた。


 私の中では菊池セトという理想のひとが、久喜千歳に殺されたようなものだった。


 そう大真面目に私は考えて、感じて、彼女に殺意を覚えていたのだ。

 だから私はたぶん――ほんの少し狂ってしまったんだと思う。

 それからの私の行動は自分でも制御ができないものになっていた。


 菊池を神聖視することをやめたかったのか、単に自分を見て貰いたかったのかは自分でもわからないが、私は『ピーチ』という新しいアカウントを作ってSSを投稿し始めた。


 内容は評価があがりやすいように数千文字程度のワンシーンを切り取ったものにした。私は推しカプのSSについては菊池以外の作者が投稿したものも漏れなくチェックしていたから、どういったものがウケやすいのかは熟知していた。だから私は『簡単にウケるもの』を量産し始めた。想像通り、私の書いたSSはそれなりの評価を受け、サイトのランキング入りも果たした。それからはツイッターアカウントを作って、界隈の人びとに媚びを売りまくった。SS書きはファンがつくのに慣れていないひとが多くて、ちょっと感想を送ったり、いい顔をしてやれば私を個人として認識してくれるから、なんとも御しやすかった。界隈を牛耳っているつもりでいるひとや、SSを投稿したての初心者らしきひとにも徹底して声をかけ続けた。そうした努力の甲斐あって、想像よりも早い段階で『ピーチ』はそれなりの有名人になっていた。


 だけど私は徹底して菊池には触れなかった。


 単純な順位づけをするなら、彼女は界隈で一位、二位を争う有名人だったと思う。イラストレーターや漫画家が有名になりやすい二次創作という場でSS書きの彼女がそこまで登り詰めたのは賞賛に値すると思う。だからこそ私が彼女に絡みにいかないのは、傍目から見ても不自然だったと思う。それでもなお私は菊池セトという作家が視界に入らないフリをし続けた。


 なぜなら私は他者に個人として認識されないことのつらさを知っているから。

 とくにぽっと出のSS書きに無視されたとなれば彼女のプライドが許さないだろう。


 その感情を彼女にもほんの少しでも味わって貰いたいたかった。


 私の手に入れた栄光なんてくだらないあぶく銭のようなものだったから、私はアカウントのバン覚悟でツイッターとSS投稿サイトに許可されていない外部ツールを連携させた。


 その外部ツールがなにをしてくれるのかと言えば、とても単純な仕事だった。

 単に『足跡を残してくれる』というだけの代物だった。


 この足跡ツールを使えば『だれが私のツイッターを見た』とか『私のホーム画面に飛んできたアカウントはどれか』とか『私のSSを開いたユーザーを回数別で表示する』とかそういうことができるわけだ。そのツールで解析を行った私は、あまりの出来事に高笑いをしそうになった。だってあの菊池が私のようなザコのページを何度も開きまくっていたのだから。それを踏まえて菊池のツイッターを見てみると、私を目の敵にしているような呟きが目に付いた。それは概ね『同人イナゴがバンストの上辺だけを掬ったような薄っぺらいSSで閲覧数を稼いでいて腹が立つ』という内容で、彼女が顔をまっ赤にしていることが容易に想像がついた。硬派で理知的だと思っていた菊池がこんなことで冷静さを欠くなんて愉快で堪らなかった。


 なにより日増しに彼女の足跡が増えていくのが楽しくて堪らなかった。

 私に対してこんなに夢中になっているだれかを見るのは初めてだった。


 いや、それは『夢中』なんて言葉で片づけられるものではなく、すでに『狂気』に片足を突っこんでいたのかもしれない。それほどまでに菊池は繰り返し私のページを開いていた。今まで『菊池さんに見て貰いたい』という強い想いがあっただけに、その足跡ひとつひとつが私にとって強い麻薬のような作用を及ぼし『もっともっと』と彼女を求めるようになっていた。


 しかしそうしたやりとりを数ヶ月続けているうちに私も飽き始めていた。あれだけ渇望していた足跡にも飽きがくることに驚きながら、私は次のステップにことを進めることにした。


 私はオンリーイベントを使って彼女を誘き寄せることにしたのだ。


 ツイッターでさんざん調子に乗った痛いやつを演じて、さらに痛い勘違いをしていたフォロワーを使って準備を整えた。まあ、あの男には悪いことをしたとは思うが、善意を装ってネット上で付きまとってくるあの男には私も辟易していたから、一石二鳥ぐらいの軽い気持ちでしかなかった。そして当日、ベストなタイミングでやってきてくれた菊池に『男に付きまとわれていたところを助けて貰った』というポーズを取った。もしかしたらあの男からピーチの悪評が広まってしまうかもしれないが、どうせ捨て垢のようなものなのだ。炎上するなら好きなだけしてしまえばいいと思う。それより問題は実際に顔を合わせた菊池――いや久喜だった。一日に何十回も私のツイッターを見ている癖に、彼女は『私はなにも知らないです』という顔をして私に接してきた。まあ、プライドの高い彼女のことだから、ピーチである私が菊池を認識しないかぎり、自分からSSを書いている事実を暴露しないことはわかっていたけど。


 それでも彼女がヘタクソな演技で白を切ろうとする様は最高に面白かった。

 あれだけ笑いを堪えるのに必死になったのは生まれて初めてかもしれない。

 おかげで、その次の日は腹筋がヘンな形で引き攣っていたのを覚えている。

 それでも久喜と一緒に酒を飲みながらバンストの話をするのは楽しかった。


 私の周りにオタク趣味に理解を示してくれるひとはいなかったから。だれもかれも二次元の美少女というだけで拒否反応を起こし、紋切り型の反応を返してくるから辟易していた。なにより私の憧れのひとだけあって、彼女の口にする言葉はどれも含蓄に富んでいて面白かった。


 そのおかげでSSを書くのもさらに面白くなって私はこの世界にのめり込み始めていた。

 気づくと私たちは月に二、三回という頻度で遊びにでかけるようになっていた。

 こうなることを当時の私は想定していなかった。


 だって私はただ、こちらがすべてを知っているとも知らずに、私の前で策を弄そうとする久喜を見て楽しみたかっただけなんだから。だから一回キリで満足するつもりだったのだ。


 しかし私はズルズルと彼女との関係を続けていた。


 バンストは今かなり勢いのあるコンテンツだから話のネタも尽きず、それにツイッターの流行りのネタも含めればたとえ毎日であっても、何時間でも話せていたことだろうと思う。


 ――まあ、それでも久喜は気持ち悪いんだけど。


 だけどそのおかげで久喜の新たな一面を知ることができたのだ。

 せっかくだから私はもう少し踏みこんだ形で彼女をからかうことにした。

 あたかも私が彼女に恋でもしているようなフリをして、その反応を観察してやった。


 結果は昨日の通りで、彼女は想像以上に私を楽しませてくれた。


 私のことが気になって仕方ないのに――自分のことを見て欲しくて仕方がないのに――それをおくびにもださずに私と接しようとする久喜。その内側には、この数ヶ月のあいだ溜めこんできたドロドロとした想いが煮えたぎっているのだと思うと、無性に心が躍ってしまう。だって久喜は私がすべてを知っているとも気づかずに、一方的に私の秘密を握っているつもりで、私のそばにいるのだから。その滑稽さが、私には愉快で――そして可愛らしくて堪らなかった。


 ――私は菊池さんに憧れてSSを書き始めたんですよ。


 そう言ったら、あなたはいったいどんな顔をするのだろう。


 だけど残念ながら私は絶対にこの事実をあなたには話さないだろう。だってそれを話してしまったら、きっとあなたは満足して、今みたいに私に焦がれることはなくなるはずだから。


 あなたが私を思っているのは『ピーチ』という存在があるからだ。

 だから私はそのドロドロとしたもので遊べるだけ遊び尽くしてあげよう。


 もういっそこのまま私を思うあまり潰れてしまえばいいとすら思う。

 そうすれば、もしかしたら耳元で囁いてあげることもあるかもしれない。


 そのときのあなたの顔を想像したら私はキスでもしてあげたくなってしまう。


 ――だって私はあなたのことが大嫌いなんだから。


 だから飽きるまで一緒にこの遊びを続けていよう。





いつも評価やブックマークありがとうございます。

作者の綾加奈です。


この短編はpixivで開催されていた『百合文芸』の再録になります。

普段はKindle等々で百合小説を販売しています。

下にある表紙画像をクリックすると詳細ページに飛べますので、

気になった方はそちらも覗いてくださると嬉しいです。


それから『私は君を描きたい』という高校生百合の長編小説をなろうで連載しています。

こちらはラブコメ百合です。

9月12日の夜8時の更新で第一部が終了します。

導入だけでも覗いていってくださると嬉しいです。


綾加奈でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] どちらも互いに篭絡されているのが対比的に書かれて、読み応えが有りました。 心情描写が良いですね。 [気になる点] 改行が少ないので読むのに少々苦労しました。 それを超える魅力は有るのですが…
[一言] はてな匿名ダイアリーの「嫌いな小説書きの話」を思い出しました...。面白かったです。
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