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水銀の花が咲くころに  作者: 神山雪
1.四月、桜がさくころ
8/8

六話


 サーシャはマリアが運転するアクシオの助手席に乗っていた。カーステレオから流れるのは、リストの作品集だ。リストはサーシャが一番好きな作曲家だ。最高の技術に至高の芸術。その二つが難なく融合しているのがたまらない。


「ごめんなさいね、マリア。こんな時間に運転を頼んでしまって」

「いいえ、ボスのためなら車ぐらいいくらでも出しますよ」


 夜の街が流れていく。高速道路から見る東京の街並みは、どこか現実感がない。マリアが首都高を飛ばして着いたのは東京都新宿区。西口の駐車場にアクシオを停め、サーシャはマリアを伴って歌舞伎町に向かって歩き出す。夜10時を過ぎても、新宿は一向に鎮まる気配を見せない。駅に向かってせわしなく人が向かい、駅から人が吐き出される。この中にも悪魔はいるのだろうとサーシャは考える。


 東口方面を歩き、細い路地を縫って入ったのは地下。『妖精の巣』という名のアクセサリーショップだ。ドアノブには『閉店』とプレートが掛けられているが、鍵は開いているのを知っている。カランと音を立てながら扉が開く。こじゃれた店内。照明は明るめで、アクセサリーの綺麗さが際立つようになっている。


 レジカウンターの中には、栗色の茶色を捲いた、華やかな女性が座っていた。レジの横には小型のノートパソコンと、いくつかのネイル液が散らばっている。爪の手入れをしているらしく、店内にはベンジンのつんとした刺激臭が充満している。まつ毛にはパールが降ったようなマスカラ。ジルスチュアートのワンピースを可憐に着こなしている。サーシャは女性に手を振りながら声をかける。


「リナ」


 本郷リナ。リナはカタカナでリナと書く。サーシャの昔からの友人だ。


「沙奈子、マリアさん、久しぶり」


 サーシャよ、と一言笑う。リナはサーシャを日本名で呼ぶ、ほぼ唯一の友人だ。

 リナはカウンターから出て、サーシャとマリアの二人と軽く抱擁を交わす。フレアのワンピースに品のいいミュール。数年前まで桜のバッジをつけていたとは思えないほど華やかだ。猟犬のようなサーシャと、品のいい室内犬のようなリナは、見た目は真逆だが同じ匂いを醸し出している。同じ匂い。火薬のにおい。よく砥がれた刃物の匂い。


「沙奈子のところの黒猫ちゃん、どうしてる?」


 黒猫ちゃん。景は制服以外、季節感のない黒系の服を着ている。それでリナが勝手につけたあだ名が『黒猫ちゃん』だ。


「元気よ。高校に入ったら、少し明るくなった。ちょっとだけ学校が楽しくなったみたい」


 サーシャはレイトショーの日を思い出した。夜の11時ごろ、景はずぶぬれで帰ってきた。一瞬何か嫌なことがあったのではないかと思ったが、喜楽の感情を表すのが下手な娘が見せる不器用な表情を見て、逆だったのだと確信した。尋ねるような野暮な行為はしない。以来、朝、学校へと出る足音が弾んでいる。仲の良い友人でも出来たのだろう。


「そりゃよかった。仕事のほうもあの子は順調だね」

「そうね、と言いたいところだけど、今のところあの子には、あの子に確実に出来る仕事しか与えてないの」

「何。沙奈子も人の子か」

「勿論よ、何かと思ってたの」

「鬼か軍曹か軍神か、水銀の悪魔の生まれ変わり」

「そんなことないわ。ただ人よりちょっと体が強くて腕力があるだけよ」

「普通の人間は、ちょっと指に力を入れただけで顎が外れたりしないし、片腕でショットガンなんて持てないよ」


 ひどいわね、と言いながらサーシャはリナとの会話を楽しむ。リナの容赦のない物言いが、サーシャは嫌いではない。

 サーシャは、景よりも腕のたつデビルハンターを何人も雇用している。

 表向き、サーシャは横浜を含めて三か所でスポーツジムを運営する経営者だ。そして裏では悪魔狩り専門の戦闘集団の代表。どっちが本当の仕事なのかと問われれば、どっちも本業だとサーシャは答えることにしている。現に、スポーツジムのインストラクターは全員、サーシャに拾われた悪魔狩りだ。


「本題に入るけど、ガイシャはどんな感じ?」


 リナはノートパソコンを開いた。パスワードを解除して写真を画面に映す。

 被害者は高校生の女の子だった。路上で襲われたようだ。横浜の有名私立女子高校の制服を着ている。ひじの関節が逆方向に折れて、脇腹と右の太腿に大きな穴が開いている。制服はぼろぼろで血にまみれている。顔は赤く腫れて、何度も何度も殴られたのが伺える。

 三週間前に横浜で起こった事件だ。被害の状況や被害学生の話から、警察は友人間のこじれか集団暴行の線を追っている。被害者の女子高生はそれなりに交友関係が広かったようだ。だが、サーシャの興味は別にあった。


「眼球がないわね」


 瞳があったところは、ぽっかりと黒を描いている。


「私もそれが気になっているの。前にもあった。これ、水銀の悪魔だったらやばい」


 からだや暴力性はそのままに、眼球だけをトレードする。銀色の瞳がなくなれば、より紛れやすくなる。厄介なこと極まりない。リナの言う「前にもあった」事件は、彼女が桜のバッジを外すことになった出来事だ。リナはこの事件で、水銀の悪魔という存在と、警察でも手に負えない事件があると思い知った。


「まずは容疑者を特定しないといけない。時間たっているけど、できそう?」

「やるわ。野放しにしていたら、また被害が出るかもしれない」


 サーシャは「被害が出るかもしれない」ではなく、「被害がどこかで出ている」と踏んでいる。似たような事件が出ていないか、リナに調べるよう依頼をする。リナは力強く頷いた。


「あとこれね」


 リナはサーシャに紙切れを渡した。


「ファイルにはロックが掛かってるから。でも、沙奈子の望み通りのものがそろったと思うよ」

「ありがとう。これで汚い男の金玉を掴めた。感謝するわ」

「……もう少しいい方ってもんがないの?」



 帰りの車の中で、サーシャは小型のタブレットを開いた。リナが渡した紙切れにはGoogleドライブのパスワードが書かれている。ファイルが開いたのを確認して、サーシャは紙切れを千切って捨てた。


「――巣はここなのね。じゃあ、夜に実行するのが一番いいかな」

「誰に行かせますか?」

「そうね、人数多いし、武装している可能性も高いから複数で。ああ、もちろん、マリアはメンバーに入っているから、よろしくね」


 ハンドルを動かしながら、マリアは弾んだ声でわかりましたと答える。マリアはサーシャに頼られるのが好きだ。もっと使って欲しいとすら思っている。


 リナが渡したGoogleドライブのファイルの中には、次の標的である、横浜の暴力団の情報がずらずらと並べられていた。幹部や構成員の中に水銀の悪魔が数多く潜んでいる。顔、密輸された銃の種類、確定できた悪魔は一体誰で、能力持ちか否か。汚い男ーー暴力団のトップもその一人だ。


 指で情報をスライドさせながら、サーシャは頭の中で編成を決めていく。相手は武装しているだろう。毎年結構な数の拳銃が日本に密輸されている。暴力団の構成員が一人一丁持っていても有り余る。マリアの狙撃は外せない。タツキの身体能力は捨て難い。……思い上がりではなく、私が一番強い。


「ボス」

「何かしら?」

「民間人がいた場合はどうしますか? それから、悪魔ではない構成員」

「民間人は助ける。人間の構成員は……彼らを殺すのは私たちの仕事じゃないから。でも、流れ弾で亡くなったらそれはそれ、これはこれって感じね。おまわりさんもきっと大目に見てくれるわ」


 警察の手に追えない分、見つけ次第駆除できるから、悪魔を相手にする方がよっぽどシンプルだとサーシャは考えている。どんな犯罪者でも見つけ次第殺せないから、人間の犯罪の方が厄介に感じる。もし流れ弾に当たってしまったら、来世では田舎で平和に暮らしてもらいたいものだ。銃に触るとロクな死に方をしない。ろくな人生にもならない。……それは私も同じかとサーシャはひとりごちる。


 それでも娘には幸せになって欲しいと思ってしまうのは、養母としてのエゴだろうか。高校に行き始めて、少しだけ明るくなった可愛い一人娘。友人から黒猫ちゃんと言われていることも知らずに、体のラインを隠すような黒い服を着ている。もっと色のあるものを着ればいいのにとやんわりと薦めても、養い子は頑として拒絶する。昔のことを考えると致し方ないのだが。


 そんなエゴを振り払って、サーシャは決める。


 ……幸せになってほしいと同時に、娘が本当に強くなりたいのなら、それは後押ししてあげるべきだと、母親としてではなく、悪魔狩りを生業としている人間の本能が叫んでいる。ーーあの子が戦いたくないのなら、私は絶対に戦場へと連れ出さない。命の無駄だから。でも、あの子は戦いを望んでいる。そして私は、あの子を戦場で死ぬ確率をできる限り減らしたい。           


 この作戦には、景も参加させよう。

 

 


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