【前編】
人間のかたちを被った悪魔がいると景が知ったのは、サーシャの膝の上だった。ベッドの中で、サーシャは景の体を膝に置き、両腕で抱きしめながら、子守歌代わりにボルトアクションとシングルアクションの違いについて語っていた。あなたはハンドガンをうまく扱う才能があるみたいね、もう少し体が大きくなれば、腕が反動にも負けなくなるわよ、と聖歌を歌うような声でささやきながら。
「悪魔は、水銀の瞳を持っているのよ」
「水銀?」
サーシャの胸は柔らかい。女性らしく豊かに広がり、屈強な戦士のように逞しかった。腕は慈愛に満ち溢れているけれど、いくつもの筋肉のこぶがある。実用性と母性を兼ねそろえた彼女に抱かれると、景はとても安心した。——ここにいれば安全で、自分を傷つけるものはいないのだと。
「そう。水銀の瞳。この瞳は特徴があってね」
サーシャが言うには、水晶に青空の粒を入れたかのような綺麗な色をしていること。悪魔の証拠ってやつねと、恐ろしいことをのたまった。そして彼らの体は、構造上は人間と同じだが血の代わりに水銀が流れているのだ。どろどろの水銀。毒々しくて光沢のある、かたまらない液体。
「からだがどろどろなの?」
景は半年前を思い出して、サーシャの腕の中で震えた。サーシャに出会う前、景は一つ屋根の下で家族と暮らしていた。父と母。優しい姉。三人とももういない。景だけが、サーシャが助けてくれたからここにいる。ぎゅっと目をつぶる。両手で両耳をふさぐ。見たくない。見たくない。聞きたくない。固く閉じた瞼から、生温かい液体がちぎれてくる。ごめんね、と言いながら、サーシャは指の腹で景の涙をぬぐった。浅い呼吸を何回も繰り返す。大丈夫、大丈夫。この人がいれば。聞かなきゃいけないことだから、と自分に言い聞かせる。手を降ろして目を開くと、人間離れしたサーシャの美貌が優しく微笑んでいた。
「大丈夫だよサーシャ。私にも教えて」
知りたいといったのは景だ。戦うと決めたのも景自身だ。ここで逃げ込んでしまったら、本当に自分はどうしようもなくなってしまう。
「わかったわ。辛くなったら言ってね。やめるから」
景はしっかりと頷いた。水銀の悪魔はね、見境がないの。身体能力が高くて、人間の社会に紛れて殺人や暴力を繰り返す。そして、人を殺した数だけ、どんどん強くなるの。私は初級、中級、上級って分けているわ。上級になるとね、身体能力が高いだけじゃなくて、個体それぞれに能力が生まれるの。触れただけでひとの体をどろどろにする個体もいれば、肌に触れただけで人を悪魔にする個体もいるわ。能力は悪魔によって違うけど、狂暴なのは基本、変わらないわ。
「だからね、水銀の悪魔は見つけ次第排除しないといけないのよ。その為に私たちがいるんだから。いい子ね、ちゃんと全部聞けたじゃない」
おやすみなさい、明日も早いんだからとサーシャが景の耳元でささやいた。眠るのに心地よい温かさと、花のような吐息が耳たぶに広がった。とろとろと瞼が下がっていく。ここにいれば、穏やかな眠りにつける。悪い夢も見ない。幸せ過ぎて起きてから悲しくなる夢だって見ない。今の私は、この人に抱かれていないと眠れない。