8 * 学べる環境作り
そして、各国の歴史が学べる講座の講師。
凄い人を連れてきた。
五十代前半の非常に姿勢が良くて、髪の毛をきっちりまとめて、見るからに頭の良さそうな聡明な雰囲気の女性を紹介された。
「ターニアと申します、お会い出来て光栄ですジュリ様。微力ながら誠心誠意勤めさせて頂きます」
……めっちゃ真面目な人が来た。
それもそのはず。
なんとこの方、グレイとエイジェリン様の家庭教師をしていた方だそうで。二年前までは学校の副学長もしていたんだって。
いきあたりばったりの講座の講師やるような人じゃない。と私は変な汗が出そうになったけど、副学長ともなるとやはり多忙で、体調を崩したのをきっかけに引退し今はクノーマス領の西にある小さな地区で自警団に所属する旦那さんと共にのんびり生活していたんだそう。
「ご主人は自警団でそのまま勤めてもらえるし、借家や身の回りに必要な物を一式用意するから引っ越して来れないかと打診したら快諾してくれたんだよ」
「思いきったことしたわね」
「元々このへんの地理にも詳しいし知り合いも多い人だ、先生も人に物を教えるのが嫌になって辞めた訳じゃない、せっかく素晴らしい知識とそれを教えられる能力があるんだからぜひ活かして欲しいと思ったんだよ」
グレイが今でも『先生』と呼ぶほどだからよっぽど凄い人なんだよね、きっと。
「……てことは、他のことも教えられる?」
「ああ、大丈夫じゃないか?」
「例えば、計算とか……読み書きとか」
そう。実は気になっていたことがある。
識字率、そんなにこの世界は悪くない。普通に皆文字を書くし基本的な簡単な計算もほとんどの人が出来る。
でも。
「あんたの作る契約書は細かいし難しい言葉が多いねぇ」
って、《ハンドメイド・ジュリ》に関わるほぼ全員から言われてる。どういう意味か説明が必要な言い回しも多いからと、契約書にサインしてもらうまでに時間がとてもかかる事が多々あるのよ。
識字率が悪いわけではないのに、なぜ?
その理由はこの世界の学校の在り方そのものに関係している。
義務教育ではないけど、それに近いくらいどの領でも就学率が極めて高いといわれているのは、『早く社会進出させるため』なのよ。
何も知らない幼い子供より、それなりに成長してある程度知識がある若者ならば、即戦力として働いて貰える。それはつまり、税収にも直結する。長い歴史の中で、ある程度の知識を持つ方が社会に出て間もなく役に立ち、巡り巡って税収として領に還元されると知ったから。
だから、この大陸全体でこの未発達の文明にも関わらず識字率は高い。
けれど。
あくまで、日常生活や仕事に『差し支えない』程度。子供の学力の向上を純粋に目的としている学校は殆どないらしい。だいたい、学校自体が週に二日や三日が当たり前なんだよね、地球とは真逆。しかも授業の時間も午前中だけ。最低限の勉強以外は小銭を稼がせ少しでも生活を支えようという時間の使い方が習慣として根付いてしまってる。
今のこの状況ではどんなに私が【技術と知識】を持ち込んでも、それを後世に残し、広めるには限界がある。どんなに侯爵家が頑張っても、それを習う人たちが、習得して広めていく人たちが『文字として残るレシピ』を完全に理解してくれなければ、意味がないよね。
こんな状況を変える力は正直ないけれど、せめてこのククマットでは『学ぶことが財産』となる環境が作りやすい空気になればと思ってる。それが巡り巡って人は知識を得る、領地は税収を得る、『豊かな土地と人々』になると信じたい。
「ターニアさんは、算盤使えますか?」
「はい、基礎であれば人に教えた経験もあります」
「それなら……例えば、『広い』という言葉を『広域』や『広大』といった、似たような言葉があって場面に合わせて使い分けするといいとか、そんなこと教えたりは出来ますか?」
「それは貴族のご令息ご令嬢の必須科目となっています、語彙力を高めるための授業ですね。社交界は言葉の駆け引きが求められますので、家庭教師を名乗る者はその駆け引きで使われる言葉を教えられなければ一流とは言えません。少なくとも私はそのように今まで指導して来たつもりです」
「なるほど。一日何時間働けます?」
「はい?」
全五回コースの『やってみよう!:算盤基礎講座』、二週間に一回で全十二回コース『奥深さを知ろう:言葉の教室』が後日追加決定だね。後々、算盤については独立させて算盤教室を開いてもいい。とにかく経験できる環境が今は大事。そっちを優先していこうと。
挑戦あるのみ!!
教室の空いてる時間がもったいない。
そんな思いもあって次々提案していく講座だけど、まぁ、一回こういうのを考え出すと人とは楽しくなるようで。
「護身術とかどうですか! 僕やってもいいですよ!」
「おおっ、それいいな! 後は、ちょっと受講料高めになるが絵の基本が習えるっていうのはどうだろ?」
「それは素敵ですね、そういう基礎を教えるところはありませんから。それと、ジュリ様がご提案下さった『美しい文字教室』もやはりあるべきです。描くものが美しいだけでその人の印象は変わりますから」
「それはいいねぇ、俺がもっと若い頃に欲しかったよ。あ、じゃあさ、冒険者用に武器や防具の手入れの講座を予定してるなら自分で作れる手入れ道具の講座もあるといいな」
と、カイくん、ローツさん、ターニアさん、そして今日の仕事が終わって講習日の確認に立ち寄ったゲイルさんが新しい講座を開設するなら何がいいかと盛り上がったりしてる。
こうして見ると、みんな結構やってみたい事って多いんだね。
その理由はわりとすぐ思い付く。
テレビ、インターネットなし。書籍の普及率ですらかなり低い。そして一般的な移動は徒歩と馬車。
当たり前にしていた時間潰しができないことに私もこの世界に来てしばらくはストレスだった。ものつくり、お店の開業でそんなストレスとは無縁になったし、今ではわりと馴染んできたと思うけど。
この世界の人たち自体が、時間潰しそのものにそれなりのストレスを感じていたのかな、と思うのは、内職を広めた時に見てとれた。
家で出来ることが増えるって、それだけで時間に対しての『飽きる』『耐える』ことが減るんだよね。
そして、移動が制限をされてることも同じ。なにか興味があって行きたくても距離が遠すぎ断念することが当たり前。『仕方ない』それで済ませるしかない。
それがもし、近くで時間を潰せる、興味を引くものが体験できたら。
その一端をこの『領民講座』が担ってくれたらと期待している。
試験的に営業している『託児所』も、それに組み合わせられたらいいから今調整しているのよ。子育てする親世代へちょっと息抜き出来る時間を提供したら、きっと講座ももっと幅広い年齢層や立場の人が気軽に受講出来ると思わない?
娯楽とは違うけど、楽しめる場所として、時間を有意義に使う手段として、気分転換の一つとして利用してもらいたいね。
そして。
「俺はがんばったぞ!!」
と、鼻息荒く乗り込んで来たのはハルト。
《本喫茶:暇潰し》の準備を相当頑張ったらしい。ようやく開店させられるとわざわざ言いに来た。
「……死ぬかと思った」
そう後ろで魂が抜けたような顔をしてるのは冒険者のエンザさん。相当スパルタでハルトが雇う冒険者さんたちを教育してたことはケイティから聞いてたのよ。
「見てて笑えるくらいハルトはスパルタ」
って、ケイティも笑ってたけどね。
というか、エンザさんは冒険者としても名の知れた人で個人で依頼受けたり見習いの育成したりと忙しい人だから臨時のアルバイト (ヘソクリ増額計画)が出来そうにないって嘆いてたのに、何でハルトの新人教育に混じってたの?
「俺、こう見えて本が好きなんですよ……」
「っていうからさ! ならいざというとき俺の代わりに対応できる立場の副支配人の一人になれって誘ったんだよ。優先的に新刊読ませてやるっていう交換条件で経営に必要な知識を覚えて貰ったわけだ」
「いや、あれは、覚えたというより、無理矢理、詰め込まれた……」
「大したことないだろ、あんなの。経営マニュアル一冊暗記しただけだろ」
「……何頁あったと思ってんだよ」
どうやら、チート野郎に強制的に知識を詰め込まれたエンザさん。あんなことになるなら魔物と三日三晩闘い続けた方がまだマシだったとブツブツ呟いていたことは見なかったことにする。
「……俺、ジュリさんのお誘い受けて運輸部で雇ってもらって、こっちで講師になって良かった」
と、ゲイルさんが顔をひきつらせてた。うん、それ正解。
うちのお店の夜間営業所の開店日だけではなく、遠方からの領民講座に来たいという人たちもせめて宿代を節約出来る場所として 《本喫茶:暇潰し》はとても重宝しそうだね。
営業日も様子を見ながら増やしていく予定で、何れは年中無休を目指すとハルトは意気込んでるよ。
本喫茶については近隣の宿から客を取られると苦情がくるかな? なんて心配もしてたけど、それは杞憂に終わり、むしろククマットの宿から感謝された。最近はうちだけじゃなく、色んな店が新しいものを売り出すようになってそれが話題になり、ククマットは通過点ではなく立ち寄る地区として人の流れが変わり始めて、そのぶん宿泊先としてククマットを選ぶ人も増えてきた。軒並み満室が続く宿ばかり、人気の宿にもなれば断るのにも苦慮するハメになってたらしく、そういった人たちの受け皿にもなるとしてライバルじゃないの? って立場の宿の経営者さんたちから期待されている。
そもそも本喫茶は宿ではなく、連泊出来ないし休憩が目的。
宿とは違う形態だと宿の経営者さんたちは直ぐ様理解してくれたようで、これを機に本喫茶にも興味を持ってうちでもやりたいという声がちらほら。
いいことだね。色んな形態が広まればそれだけ使う人の選択肢も広がるし。
色んな事が少しずつこのククマットで始まってるね。
嬉しいねぇ。
「俺も講師やろうか!」
「えっ、なんの?!」
「剣の捌き方とか、魔法攻撃回避術とかみっちり教えてやれるぞ?」
ニコニコと言ってるけど。
「……あんたがそんな講座の講師なんてやったら死人出そう」
「まさか! 殺しゃしないよ、せいぜい半殺し。 俺の【スキル】に回復とか再生とか出来るのあるから。心臓止まっても直ぐなら復活させられるしな」
「恐い恐い恐い、マジで恐い」
「大丈夫だって。丈夫なエンザやゲイルで試してみるし、瀕死を経験すると冒険者は強くなるぞ?」
もちろん、そんな物騒にも程がある講座は開講させるわけもなく、その場で私が全力で拒否しておいた。
笑って平然とそんなことを言ったハルトに対し、エンザさんとゲイルさんが顔をひきつらせて『ハルトは講師に向かないよ、やめておけ』と、今後間違っても講師にならないように凄まじい形相で釘を刺していたのは言うまでもない。
次のお話、新素材登場です。




