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『ハンドメイド・ジュリ』は今日も大変賑やかです 〜元OLはものづくりで異世界を生き延びます!〜  作者: 斎藤 はるき


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7 * ローツ、知らずに別の恩恵をもらっていた

今回はローツの語りです。



 


 凡そ百年前に、【彼方からの使い】によって『算盤』がもたらされ、この世界の数字理解力が飛躍的に伸びてそして財産管理能力を向上させた。

 だが、算盤自体が未だ高級品であるゆえに一般的には普及しているとはいえないし、使いこなせる者も少ない。我がフォルテ子爵家でも次期当主である兄と俺、そして父がその使い方をしっかり学び扱えるがあとは管財人のみが使いこなせるだけである。妹は基礎を習っただけだし、男爵家出身の母も王都の学院にいた頃に貴族の嗜みとして使()()()を習った程度である。

 要は、こういうものがありますよ、貴族なら知っておいてくださいね、という知識の一つとしての扱いに近い。


 そして一般人への普及ともなると、『算盤』を知っていても使い方を知らないどころか現物を見たことも触ったこともない人がほとんど、中には『算盤』を知らない者も少なくない。

 高級品であること、そして貴族と一般人というくくりで未だ学問への格差がある故に、『算盤』は画期的なものでありながら『大陸全土に広く普及』できずにいるのである。


「あれ、ソロバンじゃん。どうすんのこれ」

【英雄剣士】が閉店後の 《ハンドメイド・ジュリ》にふらりと訪れ、工房の大きなテーブルに並ぶ十本もの算盤を見てそう声を上げた。

 彼と店の前で遭遇した俺も談笑しながら入ってきたので、整然と並べられたそれをみて驚く。

 今ジュリの指示で 《ハンドメイド・ジュリ》の管財人として働く数名の『会計士』 (ジュリが拘ってそう呼ぶ)は全員個人で算盤を支給されている。だから十本もあるとなるとそれだけの人を雇うのか? と私は一瞬思ったが、ジュリの言葉に驚愕する。

「『領民講座』の長期コースに『そろばん教室』開設しようと思ってね。講師はまだ全然決まってないけど」

「えっ?」

「おおいいじゃん!!」

 俺の驚きをよそに、ハルトは明るい声でそう答え、算盤を手にすると椅子にドカリと座り、突然珠を弾き出した。

「おお、久々!!」

 え? なんだ、その速さ!!

「昔俺も習ってたんだよなぁ! うはは、やっぱこっちのはちょっと珠の滑り悪いなぁ、改良は随時すべき案件」

 喋りながら弾いてる、凄いな!!

「す、すごいなハルトは」

「そうか? 俺たちのいた世界のプロなんてもっと速いぜ? なぁ」

 と、ジュリに振るとジュリも何て事ない顔で頷いた。

「私の友達なんて全国の珠算大会? みたいなので上位入賞してたけど、手元見てるのか?! ってツッコミたくなるし恐ろしく速かったよ、ハルトの倍近く速かったかも」

「すげえよな、それの発展型でさ、ソロバン使わず暗算で六桁七桁の足し算引き算するしな」

 はあ?

「ああ、そういう大会もあるくらいだしね。あはは! ローツさんその顔ウケる!」

 ジュリに笑われた。いや、当然だろ? そんなこと出来るのか?!


 そこまで出来ないとしても、『領民講座』で算盤を活用し、このククマットや近辺から算術への理解と向上を目指して浸透させるのが目的だという。

「その人たちがお金に携わる仕事をする、もしくはしたいなら、現場の教育時間はグッと減るよ。聞くと大きな商家や貴族の財産管理が徹底している家はちゃんと普及してるんだよね算盤が。そこに食い込んでいけたら凄いよ。そのためには扱えることが必須、高級過ぎて買えないなら短時間でも使える環境を整えないといつまで経っても普及しないし、そのものを量産出来る体制を整えようなんてことも思わないからね」


 凄いことを言う。

 これが【彼方からの使い】と我々の違いなのだ。


 発想力。


 異世界での優れた文明と物で溢れた環境で育った故の柔軟で広域で豊富な知識を活かせる頭脳を持っている。

「なんだ、ハルトも来ていたのか」

 グレイセル様がジュリのおやつだろう包みを抱えて裏口から入ってくる。

「ローツ悪いな、せっかくの休みに呼び出して」

「いえ、グレイセル様のお誘いは何か楽しいことがある予感しかしませんからね」

 そう、呼ばれたら行かずにはいられない。

 何か、必ず俺の知らない世界が広がっているからだ。


「おやつじゃなかった」

 俺の呟きにグレイセル様が笑う。

「おやつは既にジュリの胃袋だ」

 早いな、おい。

「それにしても面白いもの作ったな!」

 それは、俺たちが持っている算盤よりも珠を二周りは大きくした、そしてたった十列しかない大きな算盤だった。

 色も全体として優しい色合いで、俺たちが持っている黒と濃い茶色のものと並べるとその違いは一目瞭然だ。

「子供や初心者用の格安算盤よ」

 ジュリがそう教えてくれた。

「この大きさと珠の数だと、時間も短縮になって価格なんて三分の一で作れるのよ。材料次第では四分の一」

「えっ?」

「価格はね、この独特の珠の形とその小ささと、均一性。これが値段を跳ね上げる原因じゃないかと気づいたわけ。それでグレイに相談してクノーマス領で唯一作れる職人さんがいる地区にお願いしてて。で、作ってもらってさらに分かったのが、これなら他の職人さんでも作れるのと、時間もかなり短縮になるから一定の量産が可能。数が揃い次第、クノーマス領内にある学校の十五歳の学生が学ぶ必須科目に取り入れる方向で今から調整しようってエイジェリン様が乗り気よ」


 軽々しくいうものだ。

 こんなこと、今まで誰も考え付かなかった。

 それを、いとも簡単に、大したことではなさそうに。

「いいじゃんいいじゃん。どうせならこっちでも『講座』やれば? 年寄りとか大人でも習いたいけど習えなかった奴多いと思うぜ? こっちの普通のだとちょっと気圧されるかもだけど、これなら珠の数が少ないからさ、取っつき易さがあるじゃん、しかも安いんだろ? 今まで暗算で商売してた奴らもこれなら使いやすいし、足し算引き算なら十分だろ。講座とセットにしても売れると思うぜ?」

「おおっ?! その案全部採用!! 後でハルトにその提案料出すからグレイと契約書交わしておいて」

「おう、ラッキー! へそくり増える!」

 本当に簡単に言うものだ。こうなると感心というより呆れてしまう。一体どれだけ彼らの世界は知識と技術と物に溢れていたのだろうと。


 ただ、私もそう感嘆しているだけではない。

「この初心者算盤、うちの実家の領でも取り入れていいか?」

「うん、いいよぉ! 何本くらい?」

「千」

「……ええ、さすがに職人さん可哀想だわいきなりそれは」

「順次揃い次第でいいよ」

 めずらしく俺の発言に引くようなそぶりのジュリを俺たちが笑う。

「まず兄に見本で十本あれば助かるけど」

「それなら全然大丈夫。百本は既に完成間近、だよね、グレイ?」

「ああ、十本なら問題ない。何なら今あるこの十本をやるぞ?」

「ああ、それは助かります! 格安の算盤で、基礎を習える環境なら、子爵領でも時間をかけず整えられると思うんですよ。これは人材育成に大きく貢献してくれますよ」

「そうだね、じゃあさっそく契約書交わす? とりあえず十本ってことで」

「そうしてもらえるとありがたい。初期投資分の算盤については支払いは俺がするから。後は状況により兄との契約になるだろうな」

「わかったー、その辺の契約書もある程度形にしておかないとね」


 そしてこの『契約』。

 そう、【彼方からの使い】であるジュリとハルトの凄いところはこうして直ぐ様契約という手順をしっかり踏まえるのだ。それでも

「相当簡単なものだよ? 私は元の世界では社会人してたけど、あっちの世界の契約書ってすごいからね? 文字びっしりで理解に苦しむ細かさだったんだから」

「そうだなー、こっちはむしろ契約書ねえのかよ!! って不安になることが多い。口約束ほどアテにならねえものはねえだろって思うけど、それでも成り立ってる部分が大きいよな。俺はジュリのやり方が安心で慣れてる感じ、ってことで俺にも五本売って」

 サラリと流して話すことではないと思うのだが、そこはあえて触れない。この二人の会話はいつでもそうだから。

「いいよ、でも何で?」

「ルフィナが計算苦手でさ、この初心者算盤なら使いやすいだろうし商売にも使えるだろ、あれでも店主だから、何人か雇ってるんだけど他のお針子もそういう勉強ほとんどしてこなかったみたいだし、これを機に俺が特訓するのもいいだろ?」

「……ハルトの特訓って、ヤバそう。チートのあんたの特訓……」

「大したことしないぞ? 一日八時間ぶっ続けで計算させるだけ、楽しいだろ?」

「止めておいてあげて! そんなのあんたしか楽しくないからね!!」

「えぇぇ……限界超えるとハイになって楽しいんだぞ?」

「あんただけだからね、絶対やらないであげてね」

「いいじゃん、身に付くなら。ってことで契約書俺にも用意しといて。ああ、それから特別販売占有権を俺かロビエラムが買ってこっちが紹介する職人に直接指導してもらう手配もすると思うからさ、ダルちゃん (ロビエラム国国王)とも契約書交わすことになるかも」

「うんいいよ、それはそうなったときにどういう契約になるか話を詰める必要もあるから、それは侯爵家も介して決めよ。一応ハルトに任せるよ、文書の形式にロビエラム独自のものがあるならそれを参考にしてもらっていいし。そして絶対にルフィナ達の指導は優しくね」


 こんな風に滑らかに言葉を交わせる。それだけ当たり前のことなのだろう『契約を交わす』ということが。

 この世界の帝王学に匹敵、いや、それ以上の知識。それを実践に活かせる頭脳。


「ねえ、今日は肉ないの?」

「ない。ダンジョン入ったけどさ、程よくデカいのがいなくて」

「奥まで入った?」

「入ってねえよ、面倒だし」

「入れ!!」

「何でだよ!!」

「肉!!」

「グレイに行かせろよ!!」

「うちの重役を肉のためになんて出さないわよ!!」

「俺ならいいのかよ?!」

「いいに決まってるでしょ! ニートチートめ!!」

「ニートじゃねぇ! 自由人だ! せめて自由人チートと言えよ!」

「変わらねぇわよ!」


 ……なんとも低レベルな言い争いである。それでも我々の想像、発想を常に超えてくることを事も無げに時々言ってくれる。なのでこの程度の言い争いなど些末なことだ。












「しかし、こんなのよく思い付きますよね」

 醜い低レベルな言い争いは無視して俺は算盤を手に隅々まで観察しながらグレイセル様に話しかける。すると肩を震わせて何故か笑いだす。

「お前も大概だと思うよ」

「何がですか?」

「これを父と兄が見たとき、眉間にシワを深く刻み込んで黙り込んだんだ。個人で商売をする者たちにとって画期的な物になるだろうって。それはもうすごい顔をしていた。革命になる、なんて呟いていたな。……この初心者算盤と、使い方を手に出来たなら、売り上げはもちろん日々の金の管理を格段に正確な数字に表せる、それが浸透するとどうなると思う?」

「……納税する額を計算しやすくなりますね。しかも誤差が減って、確認や訂正時間も短縮できる。計算するために使っていた板や紙も削減できる。つまり業務や備品類の経費削減にもつながる店が増えます。そして覚えるまでが大変かもしれませんが、身に付いたら一生ものの技術です、職の幅も広がりますね、万が一店を畳んでも、次の職を見つけやすくなります、計算が出来るというのはそれだけで強みですから」

「ほらな?」

「え?」

「似たようなことを思い付いて父と兄にこれを見せながら話したんだよ。そしたら言われたよ」


 ジュリの影響なのか?


「とな」

「ジュリの、ですか?」

「私はな、恩恵だと思っているんだよ」

「えっ?」

 ジュリは否定していた。自分の 《ハンドメイド》に直結すること以外は恩恵として人に影響しないと。私の恩恵はそういうものだと思うと。


 違うのか?


「本人は否定しているが……普通、ジュリやハルト、マイケルやケイティの話を聞かされると画期的、斬新すぎ、何より先進的すぎて頭が混乱してついていけないんだよ」

「あ」

 そうだ、たしかにそうだ。

 何かジュリが思い付く度に、それを聞いている従業員たちは理解するまで時間を要する。最初は俺もそうだった。あまりにも現実的ではないと感じて、説明を最後まで聞き終わらないと納得できなかったり。

 しかし、最近は。


 驚きはするが、そこで思考停止することはない。話を聞きながら俺なりにそれを活用するなら、何てことを片隅で考えたりする。

 言われてみれば、そうだ。


「そんなのは慣れの問題だと言われたが……慣れでは済まされないだろ? この歳になってどんどん知識を吸収出来るなんて思いもしなかったと、『技術』の恩恵を受けている店の従業員も皆思ってるはずだ。それは私も同じだよ、驚くほど頭にジュリからもたらされる知識が蓄積していく」

「……俺もです。確かに、そうですね」

「恩恵だよ、ジュリは無自覚だし否定しているが。【技術と知識】……『知識』の恩恵はその中身だけでなく、それを受ける側の学習意欲や向上心にまで影響を与えていると思う。私とローツの場合は特に店の経営に直結することを任されているから知識の部分が極端に恩恵を授かった。ジュリには目に見えて確認できないから分からないだけ、恩恵だよ」

「……そう考えると凄いですね。そして、俺としては今さら肉体に恩恵を授かっても仕方ない体になったせいか……よっぽどその方がありがたいです」

今でももて余す不自由になった左手を、俺は何故か撫でていた。


 すごいな、ジュリは。

【スキル】なんていらない。

【称号】なんて無意味。

 そんなもの、必要ないんだろう。

【技術と知識】はまさしくジュリが最大限にこの世界で影響を与えるための武器になる。

 そして俺たち周囲の人間を知恵と工夫で生活を向上させて生活を支える、守る防具になる。


 目に見えない最強の武装をした【彼方からの使い】なんだ。


「きゃはははは!! いってらっしゃーい!!」

「ちくしょう! だから『あみだくじ』なんて嫌だったんだよ!!」

「じゃんけんはあんたの動体視力がイカサマレベルだから不公平だし!! さぁ、いってらっしゃいハルトさんや! 美味しいブル様を私に提供してくださいませ!!」

「腹立つわぁ!!」


 うん、いつも通りだ。この非凡な【彼方からの使い】は、グレイセル様の言うように無自覚で周囲に色々な恩恵を撒き散らしている。

 これからも撒き散らして欲しいものだ。人々の心を豊かにしてくれる恩恵を。











「……ところで、どうしても納得いかないことがある」

「はい?」

グレイセル様が真剣な様子だったから、なにか問題でも起きたのかと俺は気を引き締めた。

「どうしてローツ、お前は『技術』の面でも恩恵を受けたのに、私は受けなかったんだ」


……あなたは作る事に興味ないからですよ。

と、言おうかと思った。でも、ジュリが再三同じ事を言ってることを思い出した。

「さあ、なんででしょうね?」




この人はグレイセルと違ってジュリを偏った想いや価値観で見ていないので主人公の語り以外でもう少し出していきたい人の一人です。

この人の目から見た他の【彼方からの使い】や従業員はどう見えているのか、そのうち書きたいと思います。


ここまで読んで頂きありがとうございます。


続きが気になる、好きなジャンルだと思って下さったら感想、イイネ、とそして☆をポチッとしてくれますと嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  百年前に算盤渡来したのに普及率が悪いの、知の神がテコ入れしたくなるはずだわ~ってなる回です。  数学好きのハルト、江戸時代に生まれていたら和算絵馬とか奉納したクチですね。今でも数学好き…
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