7 * グレイセル、かける言葉が見つからない
引き続きグレイセルの語りです。
父がダッパスを呼びつけた。
予定を聞いて呼んだのではない。命令したのだ。今日のこの時間に来い、と。
私の幼なじみとして子供の頃から幾度となく顔を会わせてきた父がダッパスを領主として呼び出すのは初めてだ。ダッパスがクノーマス領で二番目に規模の大きなククマット地区とその近辺を統括する冒険者ギルドの責任者になってからは関係は希薄になり、ほとんど兄のエイジェリンに任せていた。
そんな父が有無を言わさず呼び出した。
これにはダッパスも肝を冷やしたらしい。ジュリと鉢合わせにならないように何事かと私に聞きにきたのだ。
あんなことがあってよく私に会いに来れたな、なんて私は妙に感心したりもしたが、私は、理由は私も知らないとだけ答えておいた。
知ってはいるのだ。ただ、詳しく父から聞かされていないだけである。
ジュリのことがあり、父は色々言ってやりたいことがあるらしい。臆測で語り父に恨まれるのも面倒だし、ダッパスには話が違うと文句を言われたりなどしたら多分殴り倒す自信しかないので黙っておこうと決めこんだ。
屋敷に到着したダッパスはひどく緊張しているが、それでもどこか納得していないのか苛立ちのような気配を滲ませる。ジュリのことで父から注意を受けるのが気に入らないのだろう。
ダッパスは、【彼方からの使い】にコンプレックスのようなものを抱えている。それがどういうものなのかはっきりと聞いたこともないしあくまで憶測でしかないのでそう思う、という程度なのだが。
ハルトやマイケル、ケイティに対してもどこか刺がある言葉を使ったり、彼らがククマットを我が物顔で歩く姿を見ると顔をしかめることがある。本人は隠しているようだが、ハルトたちも気づいているので、それゆえ三人はこのククマットでは強い魔物討伐依頼しか受けないで、冒険者ギルドに寄り付かないようにしている。
ダッパスのジュリへの発言は、コンプレックスが少なからず関係しているに違いない。
それでも。
許されざる発言をしたのだ。
このククマット冒険者ギルドの責任者としては決して許されないことをしたのだ。
その事に気づくのは、父と久方ぶりに会ったダッパスが、父から渡された物に目を通してからのことだ。
ダッパスが青ざめている。
父からジュリとの『あらゆる契約』について聞かされたからだ。おまけにそれを証明する書類がテーブルに無数に広げられている。
正式な契約をし、借金をして、それに相応しい利子を付けて返す。必要な投資があれば、また借金をして、利子を付けて。王都にある母の実家の (銀行のようなものとジュリが言う)貨商とジュリの意見から作成した契約書を見て、顔が強張っている。全て目を通したら気絶でもしかねない。
パトロンではない。ジュリがしているのはれっきとした金銭の貸し借りだ。しかも、あらゆることにその契約書でもってきっちりと貸し借りなどが明記され、それに沿ってジュリは店や特別販売占有権などから得る利益でもって返済している。
そして。
【彼方からの使い】として受けるべき当然の保護すら今は受けていない。身を守るための護衛に関しては私がその役割りを果たしていると云ってもいいが、私がいられないときはちゃんと自警団でもベテランの者や冒険者の経験豊富な戦闘職の者を雇い、店や自分を警護させるようにしている。そういった経費は自分で出し、侯爵家は関与していない。自分、店、そして従業員を守るためにかかる経費は全て自分で賄えている。
それがジュリなのだ。たとえ【スキル】も【称号】も、【魔力なし】でも。自立した人間なのだ。あの手この手で至らない部分を自ら埋められる知識や判断力を兼ね備えている。
ジュリから相談があると持ちかけられ、家族が相談に乗ることは度々ある。しかし、その内容はほとんど私を含めここに住まう領民にとって利益になることだ。我が家の人々は相談されることを心待ちにしているというおかしな状況にある。
そして何よりジュリによってこの領地は税収が確実に上がった。マクラメ編みこと、『ククマット編み』の露店が三店舗になり、露店ではあり得ない売上を叩きだし続けている。このクノーマス領にある地区全ての露店を見ると、納税額の上位三店舗はこのククマット編みの店が開店以来独占しているうえに、その納税額は他の露店と桁違いだ。
そして 《ハンドメイド・ジュリ》に至っては、その納税額は港のある領地最大の地区の老舗の大きな商店に匹敵する。あの小さな店で、領地でトップを争う売上を叩きだしているのだ。それは今後、一位を独走するだろうと我々が見込んでいるほどの成長もし続けている。
そしてもうひとつ。
これは決して我がクノーマス家が忘れてはならないことだ。
ジュリはその利益をほとんど手にしていない、ということ。
自分の取り分は、将来の蓄え、基本的な生活に必要な生活費、そして人並みの楽しみのための小遣い。それだけだ。
売上のほとんどを店を支える作り手のために、万が一店が継続出来なくなった時にその者たちが路頭に迷わず落ち着いて次の収入源を見つける間、彼らの生活を保障するために一リクルでも多く残そうと貯蓄し、資産運用してほしいと私とローツに任せてくれている。
ジュリはすでに誰かのために、出来ることを全力でしている。
これ以上、何かを背負わせるのはあまりにも酷な、罪悪を感じる程に、彼女はたくさんの人間の幸せのために働いている。
それらがわかる書類や契約書をずらりと並べられ、そして見せられて。
ダッパスは血の気の引いた、生気が抜け落ちた顔をしていた。
「ダッパス。大方やり方を見ると……ギルドの上から何かせっつかれるようなことを言われたんだろう。違うか?」
兄の問いかけに、うつむいてダッパスが黙秘する。これが答えだ。否定できないが、肯定も出来ない。口止めされている証だろう。
「お前の立場からそれに逆らうことは難しいんだろうな。だが、相談してほしかったな。少なくとも、今回の件は、一方的にお前が悪い。ジュリが無償提供しないことをわかっていてあえて先に売る話をつけていた。お前たちギルドの人間には未だにジュリは保護されるべきではない無駄な【彼方からの使い】と見ている者が多い。だから、王家がギルドの思惑を知ればジュリ一人の意見よりギルドという巨大な組織の意見を優先すると思っただろう? ギルドは王家という後ろ楯を得られる自信があったんだろうが……見ろ」
兄はダッパスの前、テーブルに一枚の紙を、広げた。
サインと、非常に美しいデザインの捺印。王妃のものだ。
「初めてお前がジュリのところへ無償提供を頼んだ時、すぐに私が王妃様に手紙を送った。その返信が届いている……」
ダッパスの手が、その手紙を持つ手が微かに震えている。
「【彼方からの使い】であるジュリには神の寵愛があること、彼女の【技術と知識】は長期的な国益になること、それらを踏まえククマットのギルドのみがジュリから無償提供を受けることは認められない、そのことが書かれている。あくまで王妃様個人の意見ではあるが、捺印された正式なものだ。これを 《ギルド・タワー》に提出したら、どうなるかお前なら理解しているだろう」
ダッパスの様子など構いもせず、兄は続ける。
「そして……お前はジュリが【神の守護】を持っていると知りながらこの事態を招いた。発動しなくて良かったな、ジュリの慈悲だ。グレイセルの幼なじみだから、彼女は守護神セラスーン様と意志疎通が出来るようだから、きっとジュリが発動することを望まなかったのだと私は思っている。でなければ今お前はここにはいないよきっと。大変なことになっていたはずだ。ギルドのどこまでがそれを知っているのかわからないが、今回ばかりは命拾いしたとしかいいようがないよ。その事を肝に命じておくように」
兄の隣で父は、特に感情の籠らない淡々とした表情でダッパスを見据えている。兄の話すことに口出ししないところを見ると、同じ意見なのだろう。
「それと」
追い討ちをかける、今度は父の声に、ダッパスはびくりと体をこわばらせた。
「最近、冒険者ギルドに寄付される冒険者の携帯食のブルの干し肉、あれ美味しかっただろう? あのブルはジュリがハルトに依頼してブラックホーンブルを討伐してもらい、それを肉屋で干し肉に加工してもらっているものだ」
「……え?」
「ハルトへの討伐依頼、肉の加工代、すべてジュリが出している。先日で四回目だったかな。『ククマット周辺の魔物討伐をしてくれる冒険者の力に少しでもなれたら』という思いでな。上質なブルの干し肉は、冒険者にとって貴重な栄養だ。それを仕入れることも加工の必要もなく、冒険者ギルドも楽だったろう? ジュリはまたハルトに依頼する予定があったと思ったが、それももう止めさせる。冒険者ギルドにジュリがそこまでしてやる義理はない」
「き、聞いてませんよ!!」
「聞かれたことはないがな」
「えっ?」
「冒険者ギルドに、侯爵家が預りちゃんとしたものであるか精査してから届ける寄付金や支援物資、寄贈品に至るまで、『誰からですか?』『いくらかかったんですか?』……過去、一度も聞かれたことはない」
「あ……」
「貰って当たり前、なのだろう? 冒険者ギルドというのは。人の善意が向けられて当然なんだろう? 侯爵という立場になって私も長いが、少なくとも私は善意には善意を返すという礼儀を幼い頃に教わって実行しているがな。侯爵家では預ったものには送り主の名前を入れてギルドに届けている。その様子だと、その名札すら、お前はギルドでは見ていないのだろう。名札は邪魔になるからすぐ外して燃やしているのかな?」
そして、トドメを父はやはり淡々とした表情で投げつけた。
「ああ、そうそう。ククマットの両ギルドの建物外壁改修工事、あれだが。一部を侯爵家にお願いしたいというから資金を出したが、その資金の三分の一はジュリが出したこと、まさか知らないなんてことはないだろ?」
「え?」
「新しい商品が出来る度にギルドでは登録する手間を取らせてるから資金の一部を出させてくれと申し出があってね。商いをしている人間としてそういう経験も必要だろうと快くお願いしたんだよ。いやはや、気前がいいよジュリは。民事ギルドからは御礼の手紙が届いたし地区長から直接お礼の挨拶があったと聞いたが、そういえば冒険者ギルドは御礼の手紙は出したのかな? ああ、誰が何をしても気にしなくていいならそんなことはしないかな、冒険者ギルドなら」
父の皮肉に、その後ダッパスが反論することはなかった。
「何か言うことはあるか?」
という父の問いに、ダッパスは。
「申し訳ありませんでした。本当に、申し訳、ありませんでした」
とだけ、返した。それ以外、何も言わなかった。父も追及しなかった。
「以上だ。こちらから冒険者ギルドに抗議はしない。事を荒立てたくない、それだけだ。それはお前の為ではなく、ジュリの為だ。彼女にこれ以上の心労を負わせたくないだけということは、忘れないでくれ」
そして私たちはダッパスの弱々しい後ろ姿を見送った。
「バカだ……なんで、こんなことに」
幼なじみにかけてやる言葉が見つからず、私の口から漏れたその言葉を聞いて隣で共に見送った兄が呟いた。
「本当にな……」
兄も、言葉が見つからなかったようだ。
ブクマ&評価ありがとうございます。
まだまだ頑張ります!!




