7 * グレイセル、いつでも頼りになる
引き続きグレイセルの語りです。
「帰りたい、そう言ってました」
今日のフィンはずっと泣いている。
肩を震わせ、うつ向いて、悔しそうに歯を食いしばり、泣いている。そんなフィンの背中をライアスが擦り、顔を上げた。上げてそう言ったのに対し、私はドキリとしたし、父も明らかに動揺を見せた。
「ジュリがそう言ったのか?」
父の問いにライアスが頷いた。
「笑って、言うんですよ。あの時死んでたらこんな思いしなかっただろうって。この世界で死んだら、少しは神様は魂を元の世界に送ってくれるかなって。……だから、帰りたいなぁって笑ったんですよ」
さすがに、ライアスは泣くようなことはなかった。ただ、三人で過ごしたここ数時間のジュリと言葉を交わしたライアスは眉間にシワを寄せてフィンの背中を擦っていない手がきつく握り締められた。
「今まで、あんなこと一度も……一度も言ったことがありません。そりゃここに召喚されてすぐは泣いて帰りたいって言っていました。それでも、次第に慣れて、 《ハンドメイド・ジュリ》の開店ひかえた頃に、覚悟が決まった、この世界で生きていくって……それが、こんなことに」
そしてグッと強い眼差しで私を見据える。
「どうにかならなかったんですか。グレイセル様は、侯爵家はダッパスの動きがわかってたんじゃないですか? 分かっていて、今日の事が起きたって言うなら、俺はたとえあなたたちが優れた領主だとしても、許せない……」
そして再び、ライアスは目を伏せ、眉間に深くシワを刻み込む。
どう答えたものか判断がつかない。
何故なら半分は知っていて半分は知らなかったからだ。
「確かに、ダッパスが最近活発に動きを見せていたことは知っていたし、それがこの国の《ギルド・タワー》に今後所属する可能性があるベイフェルア支部の上層部だろうことは調べでわかっていた。ただ、ダッパスの冒険者との取り交わしやジュリに理不尽な要求をしてくることまでは把握仕切れなかった。本当に申し訳ない」
父がこうして謝罪するとは思わなかった。
一度謝罪してしまえば、この先今回の件で余波が起こり再び問題になればまた父はライアスたちに謝罪することになるだろう。侯爵としての立場からそれはあまりよろしくない。だから私が言葉を選び謝罪しようとしたのだが、あっさりと父が謝罪してしまったのだ。これは少し意外だったが。
「しかし、今日のようなことを予防できる手がないわけではない」
その言葉に、ずっと変わらず泣いているフィンが顔を上げた。
「その手にジュリが乗ってさえくれれば、今後起こり得ないだろう確信もある」
「それは、それはどういうものですか?」
すがるような、フィンの声。そして父が胸元から取り出したものに私たちはハッとさせられた。
それは以前、父宛に届いた一通の手紙。
内容を父と兄と私で精査した上でジュリにまず見せ、そして 《ハンドメイド・ジュリ》の主要なメンバーにも見せたものだ。
―――冒険者ギルド:フォンロン国最高責任者からの手紙―――
その送り主を見たとき、ジュリがそれはもう首を傾げていた。
「なんでこの国のギルドじゃないんだろう?」
と。しかし、内容を見て、目の色が変わっていた。真剣に、食い入るように何度も読み直し、その上でジュリは父にこの手紙を預かって欲しいと。
その内容はクノーマス侯爵家の介入のもと、フォンロンの民事、冒険者の両ギルドへのジュリの持つ【技術と知識】の提供に至るまでの交渉をさせてもらいたい、というものだった。
それにはライアスは勿論、フィンも従業員たちも異論なし、手放しで喜んでいたのだが、ジュリだけはそうではなかった。
「ありがたいけど、これ、大丈夫?……侯爵家に迷惑が掛かることは絶対したくないんだけど」
と、答えを出しかねたのだ。それで返事は保留とし、父に手紙を預け、そして父はジュリからの正式な代理としてフォンロンに決断するまでに時間を貰いたいという旨の手紙を送っている。
詳細を言えば、手紙はほぼジュリの好きにしていいような内容だった。フォンロンからの希望は人員を送り込むのでその者たちにジュリの【技術と知識】でもって教育して欲しいということ以外は特に強い要求はないというかなり珍しいものだった。ジュリ個人ではもて余すだろう他所の国のギルドとの対応も必ず侯爵家を介すること、定期的にジュリの作品の購入をさせて欲しいが価格は言い値で構わないこと、そして入手可能なものであればジュリが必要とする素材の流通も直接行うことが可能であること、何より、フォンロン国王家と両ギルドの総意で決められたことなので全てを誓約書にしたため正式な協定を結び、あらゆる所への影響力を持つ 《ギルド・タワー》公認である認定書を取り付けてからでも構わない、というものだ。
これになぜジュリが保留としたのか。彼女にとっては非常に有益であるはずなのになぜ?
それは、我が侯爵家のことを考えたからだ。
たとえギルドが認めたとしても。国内の貴族は黙っているだろうか? 王家は、どう動くのか? それがジュリは判断できなかったのだ。
異世界での高度な知識を持つゆえに、ジュリが作成する契約や誓約書といった類いのものはとにかく綿密に言葉を選んで、そして何度も精査して完成に至る。そういった習慣に慣れ親しんだ彼女は極めて優れた危機察知能力を発揮する。
それ故、
「この手紙に私は返事を直ぐには返せない」
と。
未だ決断していないのは、決断に至るための情報がジュリの手元にないせいだ。
「この手紙について、ジュリの意向をしたためた私からのフォンロンギルドへの手紙はすでに出してある。今その回答待ちだ。……おそらくフォンロンはジュリの意向に従ってさらに詳細を詰めたものと使者を送って寄越す手筈も整えてくる。なので私としては話を進めるようジュリに進言したい」
「その、侯爵様はフォンロンは信用できると?」
「出来るよ」
断言した。
「【彼方からの使い】とは、本来こう扱われるべき存在なのだから。フォンロンの一連の動きが【彼方からの使い】の恩恵を【彼方からの使い】が望む形で正しく得られる道筋なのだから」
「フィンとライアスと話して、少し気持ちが落ち着きました。ご心配おかけしました」
もう泣いてはいなかった。どこかすっきりした顔にも見える。二人に説得され、なんとか『二度と作らない』は取り下げてくれたらしい。それでも、創作力意欲は欠落したまま。
「ただ、お店は……休業します。期間は、分かりません。今作っても納得出来るものが出来るはずがありません。それに、作りたくない、という気持ちが拭えないんです。色々考える時間をくれませんか? 気持ちの整理もせずに物を作れるとは思えないので……」
父は否定も意見もせず、ただ穏やかに微笑んで頷いた。そして、あの手紙をジュリに差出して、手に取らせた。
「君が持っていなさい。そろそろ、また手紙が届く。それはこれとなんら変わりない、君の意向を最優先する内容だろう」
ジュリはただじっと渡された手紙を見つめる。
「そして……今回の事は、事故みたいなものだと思いなさい」
「……事故、ですか」
「起こるべくして起こったというよりも、君は単に巻き込まれただけ、事故を起こした人間が悪いのであって、君には何ら責任も問題もないということだ。フォンロンのことを前向きに検討し、今後のことをゆっくり決めなさい」
「でも、それでは侯爵様に迷惑がかかる可能性だって」
「それはない、心配無用だよ」
「……本当、ですか?」
力強く頷いた父に、少しだけホッとしたような、肩の力が抜けた様子のジュリは小さく頷き微笑を浮かべた。
「……では、少しだけ、時間をください」
このまま今日は私の屋敷に泊まることになったジュリのために、テキパキと使用人が食事や風呂の準備を済ませ帰宅すると、二人きりになる。ライアスとフィンは父の馬車に乗せ、帰宅させた。あの二人の顔を見てジュリが困った顔をしたからだ。冷静にこれからのことを考えたいのに二人の憔悴した顔がちらつくのは彼女にとってもて余すものだったに違いない。
その証拠に二人きりになったとたん、ジュリの顔が変わった。
「グレイに、お願いがあるの。……うまく、伝えられるか分からないけど、話を聞いてほしい。今の私が考えてること、出来そうなこと、譲れないこと、全部、聞いてほしい。それを踏まえて、グレイの意見を聞かせて」
その顔には、迷いや躊躇いと言ったものが感じられなかった。
何かを決意したような。
傾いだはずの心を立て直してはないだろうに。今、必死で立っているのだ。ジュリは自分のすべきことをするために、最善を尽くすために、踏ん張っている。
もっと頼ってくれ、なんて私は言ったりしない。彼女はいつだって私を頼りにしてくれているから。こんな風に。
そして。
「何でも言ってくれ、聞かせてくれ。そして私は、最善を尽くす」
迷いなく私がそう答えれば、柔らかな笑みで、安心した様子で、彼女は私を見つめる。
「うん……ありがとう」
話し合った。とにかく話し合った。日付が変わるまでとことん。
この国の冒険者ギルドに啖呵を切った以上、ジュリは何があろうと自分の意思を貫くという決意だけは変わらなかった。それで圧力をかけてくるならば、今後も何かあるならば、その時【選択の自由】が発動してもレイビスの時のように悩んだりしないとも。そしてクノーマス家に対しても何かするようならば、その時はハルトやマイケル、そしてケイティの持つコネクションをフルに頼らせてもらうと。
三人から『何かあったら必ず頼るように』と言われているジュリだが、それだけは避けていた。けれど今回のことで、吹っ切れたのかもしれない。自分の守りたいものを守るのにプライドや躊躇い、そういったものが命取りになるかもしれないと気づいたようだ。
他にも不安なことは些細なことも話し合った。どんなことでもいい、とにかく、最善を尽くし後悔しないためにもより一層侯爵家との繋がりを密にし、情報を共有し、迅速な対応が出来るようにしていこうと。
それでいいと思う。
頼れるものがあるのなら、頼っていい。
一人で全てを抱える必要なんてない。
「やれること、全部やってみようと思うの」
「ああ、それでいい」
「失敗したら、その時はその時。一からやり直す覚悟も出来たから、進んでみる。本気でね、捨ててもいいと思うのよ、何もかも。目の前のものにすがって、それが足枷になって傷つくくらいなら、捨ててしまえる。でも、きっと後で後悔するのよね、捨てたら。……だから、今回は、足掻いてみる」
「ああ」
不意に見せる瞳の揺らぎ。きっとダッパスに言われたことを気にしているのだろう。
役立たずの烙印を捺された【彼方からの使い】だから。
それでも前を見ようとするのだ。立ち上がり歩こうとするのだ。
私は、そんなジュリを支えるだけだ。
共に、歩くだけだ。
一瞬、ぐっと握りこぶしを作っていた。目を閉じ、深呼吸をして。そしてその手の力を抜いたあと、ゆっくりと開かれたジュリの瞳には、いつもの強い意志を滲ませる輝きが、戻っていた。




