王宮闘争 * 率直な感想
王都。
その響きに憧れがなかったと言えば嘘になる。
でも今は何の感慨もなく分厚いカーテンで覆われたガラス窓の先にあるだろう光景に心惹かれることもなく、ただただ体を馬車の揺れに任せる。
凡そ二週間、刻一刻と自分が直面することになる『何か』に対して不思議と怯えや不安が生まれることはなかった。
「ローツさん、後は任せるから」
「ああ」
王都に入る直前でローツさんが離脱した。前日のうちにローツさんには頼みごとをしていて、それを一言で確認と改めてお願いという意味で言った言葉に彼は迷わずはっきりと応じてくれた。
「心配するな、グレイセル様の右腕だぞ?」
「あははっ、そうだね、うん。じゃあ、ここまでありがとう。いってくるね」
「ああ行って来い。俺は敢えてお前の心配はしないぞ?」
「ええ? なんでよ」
「【スキル】も【称号】も魔力もない最弱だが、別の面ではジュリは最強だからだろ?」
「別……。そうかも?」
疑問符まみれの返しをすればローツさんは笑った。
「いつも通り、周りを巻き込んで振り回して来い、じゃあな」
そして、周囲の景色を目にすることなく私は到着した。
ベイフェルア国王宮に。
目隠しはなかった。それをしなくて済んだのはロイド団長のおかげ。
「この人には必要ない、逃げたりするような卑怯な人ではない」
と、王宮の兵士に向かってきっぱりと断言してくれたから。戸惑った兵士も、それに続いてニール副団長がさらに援護射撃したことで完全に物言えぬ雰囲気に飲まれてその場は完全に彼ら近衛騎士団が支配した。
「【彼方からの使い】だ、気軽に触れていい方ではないし、あのクノーマス伯爵が許さない」
って言ってくれて、黙らせてくれて。
離婚したといえ、私は公にはグレイのパートナーのまま。伯爵の夫人と変わらない扱いとなる私に触れるか触れないか、それってやっぱり階級制度が根強い国だからこそとてもデリケートな話なんだよね。実際、ロイド団長は私が馬車から降りるときにエスコートしてくれて、たとえクノーマス姓から抜けた私でもグレイが認めているパートナーである限り、伯爵の妻同等の扱いをされるべき人だと知らしめる行為をしていた。
荷物検査もない緩さなのに無駄に入城手続きで時間がかかって、待機場所らしきところで緊張感皆無の談笑をロイド団長とニール副団長と交わして。
そのうちなんだかバタバタしてるな、と思った矢先、女性五人がやって来て、ロイド団長とニール副団長前に整列した。
「ジュリ殿だ、くれぐれも失礼のないように。万が一でも不快な思いをさせてみろ、クノーマス伯爵の怒りを買う。その責は私もニールも負わん」
そう言われた皆さんの顔、凄いんたけども。
……グレイ、あんたは何をやったのよ?
めっちゃ怯えてんだけど。
あんたさ、退団して随分になるよね?
それなのにこんな反応されるって何故?
ちょっと、なんなの。グレイ、帰ったらしっかり聞かせなさい。
「私の直属の部下だ、この者たちは信頼してくださって結構。女性しか入れない場所もある、その時は必ずこの者たちの一人でも構わないから同行させてほしい」
「わかりました、御手数おかけします」
私がロイド団長に頭を下げると、それを見た女性団員さんたちからあからさまにホッと安堵の呼吸音が聞こえ。
「優しそうな人だよね」
「うん、良かった」
「あのグレイセル様の元奥方だっていうからさぁ、どんなのが来るかと。でも安心」
「ホントだよね、あの恐怖とは無縁そうだわ」
コソコソと話す声。
……だからさ、グレイ。あんたは何をこの王宮でしたのよ?
「あの五人のうち、訓練と称して四人が半殺しにされたし、一人は重症で済んだが三日三晩悪夢にうなされた」
サラッとロイド団長が暴露してくれた。
「……あの、過去のことなので、私が言うのもなんですが……代わりにお詫び申しあげます」
深々と頭を下げておいた。
「ちなみに……どれくらいの人が、犠牲に?」
「数えたことはない。自ら挑んだ者も含めれば三桁に達するかもしれん」
あ、そんなにいるんだね。
そっか。
グレイ、やっぱりヤバかった。
初めて足を踏み入れたこのベイフェルア王家の象徴であるこの城はある意味私には衝撃的な場所となった。
失礼を承知で言うわ。
下品。
とんでもなく下品。
贅の限りを尽くしたとは全く違う。
なんというか……。
うん、下品しか出て来ない。語彙力が私から走って逃げた。
王宮に足を踏み入れたその瞬間から。
デザインや雰囲気なんて、無視。床も壁も、金色を使えるだけ使ったそんな感じ。
それでもまだ、統一感を出そうと努力してくれてるなら許せる。それすらしていない。
壁の装飾は思い付いたままに変えていったのか、場所によって色は当然、模様が違うし質感も違う。意図してバラバラにしている様子じゃない。思い付いたまま空いてる空間に並べた華美な調度品が周囲に全く馴染まず浮いているし、改装したっぽい真新しいエントランスホールらしき広い空間の太い柱は。
「何故、鏡面仕上げ……」
いくつかあるうちの二柱だけ、『こんな技術があるんだぞ!』と主張するようにピカピカツルツルで模様も入っていないせいで浮いてるどころか異物にしか見えない。
威厳や荘厳、重厚といった、地位の高さに見合った言葉がまるで出て来ないことに衝撃を受けすぎて、失笑も起こらないという貴重な体験をしていることに驚く自分がいるのよ。
バールスレイド、バミス、そしてヒタンリとネルビア。私はそれらの国の王宮に足を踏み入れた経験を持っている。どの国もそれぞれが特徴のある、感動を呼ぶ美しさで感嘆の息を漏らす空間だった。
この城、王宮にはそれを感じられなかった。
残念、その極みと言ってもいい。
その国の象徴だから分からなくもないのよ、お金をかけて、権力誇示の手段の一つに利用するのは当たり前なのかな、って思うしその手法に金や高価な金属で覆う装飾は効果的だと私も認識しているし。
でも、これは違うの。
お金を使っているだけ。
手当たり次第にお金のかかることをしているだけ。
計画性なんてない。
すごく、残念でならない。
応接室も褒められたものではなくて、国王の命令で呼ばれて表向き待遇を良くしなきゃならないという事情があるから通されたんだろうけど、このギラギラした人の癒しなんて無視している部屋なんて人をバカにしてるように見えるのは、私の性格ががひねくれてるのかな? なんて考えるほど。
「どうしました?」
ニール副団長の視線は、私が室内を隅々まで見ていることを直ぐに捕らえた。何かに警戒していると思わせてしまったのか、彼は私の視線を険しい顔に変化させて追って来た。
「あ、すみません、えっとですね……失礼な質問、いいですか?」
「え?」
「この王宮は、全部こんな感じで豪奢な装飾ばかりですか?」
私の質問、どうやらロイド団長の興味も惹き付けたらしい。二人が堅苦しく礼儀正しく見える姿勢を崩して身を乗り出してきた。
「なぜ、そう思われる?」
ロイド団長の興味深げな視線に先に苦笑しておく。
「思いっきり失礼なこと言いますね。品が無くてびっくりしたんですよ、どこもかしこも。外観を見ていないのでなんとも言えないですけど、広いエントランスも、ここに来るまでの廊下も、この部屋も。全部こんな感じですか?」
すると、意外な反応を二人は示して。互いに視線を合わせて、肩を竦め呆れた笑みを浮かべ。
「やはり、そうなのか」
ロイド団長のその苦笑は、情けなさが滲んで見えた。
「貴族の陛下への助言でな」
「えっ?」
「国の象徴ならば贅の限りを尽くすべき、大国として豊かさを知らしめるべき。競うように進言し、流行りだの高級だのを売りに陛下に口添えする。自分の意見を通してもらうことで、『私は陛下に認められている』という自慢や自負になるらしい。それゆえに、次々と、自己主張ばかりが押し出されたものが増えて行く」
「……想像以上に、酷い理由でした」
私の顔、真顔になってるな、これ。
国の威厳無視か。貴族の自己顕示の場所になってるのか。
「ということは、すべての部屋がこんな感じですか?」
「そういうわけではありません、慣れない土地で過ごすならとやはり質素や落ち着いた雰囲気を望まれる国賓は多いので、客室や貴賓室などは古き良き落ち着いた洗練された部屋も残っています。ここはすべてのお客様が一度一息つくための待合室の意味がある一室です、誰もが驚く豪華さを演出してこうなったと聞いていますね」
ニール副団長はどうやら私が何を見ているのか気になるみたいでずっと私の視線を追ってくる。
「ジュリ殿は、どの国の王宮をご覧に? いくつかの国に、赴いた話は我々も聞いていますので参考までに」
「バールスレイド、バミス、ヒタンリ、そしてネルビアですね」
二人が驚いたのが伝わってきた。そりゃね、私の身分としては平民だし伯爵夫人だった期間も短い。貴族でも他国の王宮やそれに近い場所に足を踏み入れるなんて機会はそう簡単な話ではない。色んな王宮を出入りすることなんてそれこそ国賓でもなければあり得ないし。
「中でも私は、ネルビアが一番すごいと思います」
「……何故と、問うても?」
「ええ。あそこは、金の装飾を限界ギリギリまで抑えてるんですよ。なのに、圧倒されたんです。無駄がなくて、それでいて細部まで計算された装飾や統一された家具は歴史を感じるものばかりで、大事に、丁寧に受け継がれたものが至るところに当然のように使われて。中でも玉座のあるところは圧巻で、私、扉を開けられて進むことを促されたとき、息を止めそうになりましたよ。……玉座に向かって金が使われる量が僅かに増えていって、装飾も細やかになっていって、最も高い玉座のあるその背後の壁には、ネルビア国の紋章があるんですが、紺色で。そして基調となる色が黒なんですよ」
「なんと」
ロイド団長が小さくそう呟く。
「そこに、レッツィ大首長が立って。同じく黒を基調としたとてもシンプルなお召し物なのに……あれを初めて見たときの圧倒的な存在感は忘れられません。居るだけで、人がひれ伏す。人の上に、頂点に立つ者が最も得たいと思うそれをレッツィ大首長は持っていて、そしてそれをさらに増幅させているのがあのネルビアの玉座です。ネルビアは、代々、長きに渡って大首長が絶対権力者であることを第一に考えて宮をつくり、それを維持しているんでしょう。権力誇示の真骨頂ですね、あそこは。そこにあの大首長が入ってくる瞬間は、この世界のすべての人に見てもらいたいです、本物の統べる者を、この目にできるので」
ん? 二人が押し黙ってしまったわね? どしたの?
「ロイド団長?」
「……そうだな」
「え?」
「ここは、王宮であって、決して貴族が競う場ではない。……国王陛下のためでなくては、ならない」
何か、彼の中でつっかえていたものが落ちたのかもしれない。
深刻な顔をしたと思ったら、当然変化して、優しそうな笑顔を見せてくれた。
「ジュリ殿と、こうして話せる機会を与えられことを神に感謝する」
「あ、それならご自身が崇める神様と【知の神】セラスーン様にお願いしますね。私との巡り合わせはあのお方が必ず関係していると思います。神の気まぐれ、思し召し、そのどれかは分かりませんけどね」
ニール副団長も、笑顔になった。二人の笑顔に私がここに来て一番笑顔を自然に出せたその時。
始まった。
私に課せられた試練が。
突然ノックもなく、男が四人、入ってきた。
「お前たち、どういうつもりだ」
咄嗟にロイド団長が立ち上がり、そしてびっくりするくらい低い声を出していた。彼らはロイド団長がいるとは思わなかったのか、威勢よく入ってきたわりには急に立ち止まり、顔を強ばらせてたじろいで。
「あ、し、失礼した」
先頭で入ってきた男性一人が戸惑い震える声でそう返す。
「失礼にも程がある。騎士団団長四人もそろってなんだその不躾極まりない行動は」
なんと、この四人は騎士団団長さんか。見た所二十代から四十代、幅広い。
「団長ともあろう者が規律や礼儀を無視するな。ましてここは王宮、我々の言動でこの王家の品位を損なうことは許されない。私も己の行いを見直す、お前達もそうしてくれ」
完全に萎縮した彼らに同情したくなった。
このロイド団長、多分すごく、強い。
普段グレイやハルトが近くにいるから今の今まで気づかなかった。ビリビリと伝わるこれはこの人の怒気よ、魔力がなくて察知能力がどん底の私でも感じれる気を放てる人は、そう多くない。
「謝罪しろ。【彼方からの使い】だ、無礼は許されん」
「ロイド団長、私は大丈夫ですよ」
「しかし」
私一人だったら、どうなっていただろう。
腕を引っ張られ、ひきずられていたかもしれない。
私は、目を閉じ、深呼吸する。
そして再び、開いたその目で、四人を見据えた。
打ち勝つ。
必ず。
そして、帰るの。
皆の所に。
グレイと共に。
「人権を尊重する扱いをしてくれるなら、逃げも隠れもせずに従いますよ」




