王宮闘争 * 近衛騎士団団長、思い知らされる
こちらの目的がククマットでは完全に把握されていると気づいた瞬間から私の掌はずっと不快な汗が止まらない。
手綱を握るその手を何度も握り直す。副団長もなにも言葉を発することがなくなり、後ろにいる部下たちなど完全に萎縮して、顔色が悪い者もいる。
その緊張が頂点に達する。
カイに問答無用な対応で案内され到着した路地。ひしめくように人がいる。すべての視線が、我々に突き刺さった。
「久しいな」
その声を聞いただけで、体が震え上がりそうになる。
本能が警告する。
『決して挑むな』と。
「ロイド」
グレイセル・クノーマス。
王族を守る国最高峰の騎士団で団長を務めるこの私が、一度として勝てなかった男。
「変わりなさそうでなによりだ」
「……お久しぶりぶりです。グレイセル様、いや今は伯爵とお呼びするのがよろしいでしょうか」
「どちらでも。好きにするといい」
私より十近くも年下のこの男は、初めからこうだった。どこか達観した雰囲気で何事にも動じず心捕らわれず、自分の領域に人を踏み込ませない、周囲とは明らかに纏う空気が違うところは今も健在だ。
「ここで聞こう、勅命はなんだ?」
「……【彼方からの使い】ジュリ殿への強制仕官命令が下されました。故にこの場で連行します、本日付けの命令です」
「そうか……やはりジュリか」
グレイセル・クノーマスは、目を瞑る。
「強制仕官か、なるほど。……城に入れば自由を奪われるのか」
「グレイセル様」
カイは空気を読んでいるのかいないのか、それともわざとか。何か考え出したグレイセル・クノーマスにいきなり話しかけた。
「考えているところ申し訳ありませんが先に報告するのがいいと思ったので。ここに来る前剣を向けられそうになった若者がいました」
その報告で、グレイセル・クノーマスはパッと瞼を開く。
「……本当か?」
「はい。団長も認めていますし、僕からグレイセル様への謝罪を要求し承諾してもらってます。まずはそれが優先されるべきじゃないかと。騎士団にあるまじき行為ですよね?」
「ロイド、どういうことだ」
「は。私の不徳と致すところ、誠に申し訳ありませんでした。戻り次第徹底した再教育をいたします」
「そうしてくれ。以前、こんなことだから騎士団はいつまでも一般人に嫌われると言ったはずだ、憧れ敬う者よりも忌み嫌う者が圧倒的に多い、と。……あの頃は若造の理想論と、耳を貸さぬ者ばかりだったがな。今でも王宮はそうか?」
「……私には、お答えしかねます」
「そうか。変わっていないか」
「騎士団に……お戻りにはなりませんか? 伯爵ほどの方なら、改革は可能かと」
「ないな」
「その力を、国の、陛下のために使おうとは思いませんか」
「私の力はジュリの為にある。他所の国を侵略したり政治の駒に使われるためではない」
「それは、残念です」
「心にないことを言うな、虫酸が走る。それにお前に言われる事ではない、私に傷一つ付けられない男に口出しする権利はない、控えろ」
「失礼致しました」
恐い。
心底、この男が私は、恐い。
不敬罪も恐れず王妃殿下に退団許可証を突き付け判を捺させた男。
誰もが羨む力を持ちながら、一度も振り向くことなく王宮を去った男。
カイ・セームを簡単に扱える。
後の騎士団参謀長と噂された切れ者のローツ・フォルテを見いだし従えた。
一騎士団を前に、この威厳に満ちた立ち姿。
このような言動が許されるかそうでないかの次元ではなく、この男にとっては恐怖という概念が国や王族に対しては一切ないのだろう。
冷や汗が、私の頬を伝う。
「ジュリを王宮に連れていくための馬車や御者はこちらで用意した、騎士団のものは不要だ」
「え?」
「あんな粗末な馬車に女一人を乗せるのか? この私の妻同然の【彼方からの使い】だ、伯爵家からは出たが間違いなく私の唯一無二の存在だ。それをあんな粗末な馬車で連れていくと? 御者も身の回りに気を使える者ではないだろう、ローツに任せる」
「そのような勝手は」
「お前の意見などきかん。強制仕官に大人しく従うだけありがたいと思え」
「それ、は……王家に逆らうと捉えて構わないのですか」
「逆らっているか? ジュリの連行を認めているのに? 単にそちらの準備不足をこちらが補ってやるだけだし、王家に逆らうかどうかなんて今その話は必要か? よく考えて発言しろ。そして文句なら直接王家からしか受け付けん、何度も言わせるな、お前の指図は受けない。虫酸が走る、これ以上私を不愉快にさせるつもりなら相手になるから全員まとめてククマットの外までついてこい」
もう、何もこちらからは言えない。
そんな状況だった。
「ねえ、強制仕官ってなんだっけ?」
その声に私は反射的に視線が動いた。
初めて、ククマットに召喚された【彼方からの使い】を見た。
情報通り、魔力も戦闘力もないその人はグレイセル・クノーマスと並ぶと小柄で華奢で、私の知る【彼方からの使い】とは全くかけ離れていた。
しかし。
同じだ。
グレイセル・クノーマスと。
醸し出す雰囲気は、まるで同じだ。
底知れない、秘めた何かを感じる。
恐い。
我々は、間違っているのではないか?
本当に、この人を連れていくのが正しいのか?
漠然とした得体の知れない疑問と不安が押し寄せる。
「強制仕官は国王勅命のものだ。言動全てにおいて国王の許可が必要となり、監禁状態で与えられた仕事をこなすことが最優先となるんだよ」
「……つまり、私は従うだけってこと?」
「ああ、そうなる」
「ま、仕方ないか。私が逃げたり隠れたりするとロディムだもんね、それは絶対ダメだし」
「すまない、私の力が至らないばかりに」
「そんなことないでしょ。今してくれてる、出来ることを全力でしてくれてるじゃん?」
「ジュリ……」
「後のことは、ククマットや他のこと、よろしくね」
「……ああ、お前の望む通りに」
「うん、信じてる」
何もかも、知っている。
分かっている。
二人の会話は全て理解し納得しているからこそできることは明確だ。
「……団長、どういう、こと、ですか」
副団長ニールの絞り出すような声。
「全部、把握されてるとしか……この任務は、機密のはずです」
「機密だよ」
久しぶりに聞く、ローツ・フォルテの声。今まで気配を消していたのか、急にその存在が感じ取れたことで団員たちの気が乱れたのを私は感じ取った。
「強制仕官のことはさすがに調べられなかったから機密で間違いない。ただ、そちらの動きはまる見えだったから特に手間もかからず情報は掴めた。ここに来るのにずっとその大人数での移動ってのはさすがになぁ。こちらを混乱させてジュリを連れていきたかったにしては、お粗末。そして、古い情報だけを頼りに鵜呑みにしてこちらの動きをなに一つ把握してなければ予測もしてないのは騎士団としてどうかと思うから国境線紛争地帯に行ってたるんだその感覚をもう一度鍛え直してこい」
「うわ、ローツさんっ辛口……」
「これでも俺は次期騎士団参謀長候補だったからな、騎士団を見る目は誰よりも厳しいと自負がある」
「グレイより?」
「私より鬼畜だそ、騎士団のことになると」
「この顔で鬼畜、やっぱ色々需要あるって!! そういう物語書ける人探す?! 絶対売れるって!」
「物語?! 何の?! 俺はジュリのその顔がたまに恐いからな?!」
これはもう。
我々が不利だ。圧倒的に。
こちらとそちらはまるで別空間。この異質さを増長しているのが、一般人達だ。未だ誰も言葉を発しない。ただじっと、こちらを見ている。
鋭い視線で我々を。
ただその一点を見定める、迷いないそんな視線。
「あのー、一応先に言っておくとですね」
その人は突然、私に話しかけて来た。
「あ、その前に。私ジュリ、ジュリ・シマダと申します」
「ありがとうございます。私は、第一騎士団、近衛騎士団団長のロイドと申します、以後お見知りおきを」
「よろしくお願いします、それでですね?」
その人はとても落ち着いた世間話でもするような口調だった。
「私の恩恵が目的で騎士団がわざわざ来たんじゃないかって話がこちらにはあるんですが、あなたたちは一切授からないのでそれが目的でついてきてる人がいたら無駄な護衛だから先に帰らせたらどうかな、と思ってます」
「え?」
「私の恩恵、物作りが好きな人や職人にしか授からないんですよ」
「……え?」
「ロディムのもそうですし。もし、それ勘違いしてて私の恩恵を期待して王宮で仕官させるなら、全く意味ないです」
私は、混乱した。
神の恩恵は近くにいる人間全てに作用する。そう聞いている。
物を作る者だけに限られた恩恵など、聞いたことがない。
「……その判断は、私がするこではありませんので、連行します」
「はあ、まあ、いいんですけど……」
「全ての判断は国王陛下が下されます、ジュリ殿のご意見は通らないとご承知下さい」
「え?」
その人は、ひどく驚いた顔をした。
「陛下じゃないですよ、そこは」
「……どういう、ことですか」
「え、だから、そんなの国王陛下がどうこう決めることじゃないって話です」
緊張の糸がこの会話から切れかかっていたのが分かっていた。それが、良くなかった。
「無礼だな!! 黙れ能無し【彼方からの使い】が!!」
「止めろ!! お前が黙れ!!」
私の諌める声は、確かに遅くなどなかった。
「う、ぐうっうぅ」
「お前私に殺されたいんだな」
グレイセル・クノーマス。
見えず、気配も感じなかった。私の後ろにいた部下のところに移動したその一連の動きが分からないなんてことがあるのか。
「殺していいだろ?」
部下の首を片手で掴んでいる。その手を必死に払おうとする部下の手は、まるで意味をなしていない。指は食い込みもせず滑るだけ、掴もうとしても分厚く強い魔力に弾かれるだけ。
そして振り向いて私に問いかけたグレイセル・クノーマスの顔は特別な感情を感じない、酷く落ち着いたものだった。
「こんなのが部下ではお前も心労が絶えないだろう、ここで殺そう、そうすれば帰りは身軽になる」
「お止めください!! これ以上は、どうか、お願いですっ……」
「ロイドがそれでいいならいいが、躾がなっていないな、私が団長の時はこんな部下はいなかった」
「……精進いたします」
「そうだな。騎士団全体の品位に関わるからな」
もう、滅茶苦茶だ。
早く、この場を去りたい。
「申し訳ありませんでした、話を暴言にて遮るなど騎士としてあるまじき行為です、私があの者を罰しますので、どうか、お許しを」
「いえ、私は別に……ただ、グレイのことはちゃんと教えておいて下さい、私がいなくなったら誰も止めないし、止められないので」
「肝に命じておきます」
「その前に、グレイもういいから」
この人も酷く落ち着いている。彼女の一言でグレイセル・クノーマスは、あっさりと部下の首から手を離す。
「で、続きですけど」
もう、心から嫌だ。
なんなのだ、この異様な落ち着きは。
ここにいる全ての人間のこの異質な静けさは。
「私の恩恵をどうこう語れるのは国王陛下じゃないです、神様です」
時が止まった錯覚。
呼吸を一瞬忘れた。
そしてハッとして。
息が、乱れる。
「恩恵をどうするかとかそんな話の前に、神様が決めてることなので人間の私たちが思い通りになんて使えません。 【技術と知識】は、まあ、使えるって言っていいのかな? でも基本的に神様自身の意思、人間なんてそこに干渉できるわけがないんです」
「……【彼方からの使い】は人々の発展と幸福のためにいます。それを国の中枢で発揮されることこそが、【彼方からの使い】の真の存在意義ではありませんか?」
「ん?……それ、神様が言ったんですか?」
「これは、その、国がかねてから……」
「びっくりするくらい、神様の存在無視なんですね……」
その人は、本当に信じられない、そんな顔をした。そしてその顔でいつの間にか隣にぴったりと寄り添うように戻っていたグレイセル・クノーマスの顔を見上げる。
「そんな間違った価値観のところ、ホントにロディム行かせなくて良かったかも」
「だからと言って、ジュリが行っていいわけではない」
「まあ、私はいざとなったら【選択の自由】があるから大丈夫、多分。……セラスーン様が暴走するのは、ちょっと怖いけど、まあ手加減してくれるでしょ、うん、多分」
「その多分が非常に不安だが」
「いやぁ、私の意志ではどうにもできないことだしね。セラスーン様次第なんだもん。ま、今回は今まで以上に簡単に連発してきそうな予感がするから、一応私の身の安全はそれでなんとかなるかな、いや、それ、どうなんだ? 強すぎる。……でも大丈夫、多分」
「だから最後に多分を入れるのをやめてくれ」
そして、その人は微笑んだ。
「行くね」
「ああ。必ず、迎えに行く」
「うん」
「無茶だけは、するな」
「うん」
「信じて、待っていろ」
「うん、信じてる。行ってきます」
全てを、見通している。
そして、それらを打破しようとしている。
全力で。
今まで見てきた世界が、歪んだ気がした。
(私は、何を見て、聞いて、信じて生きているのだろう……)
想定以上の長編になってしまっている作品の初期の頃には既に存在と役どころが確定しキャラが出来上っていたというロイド……。
マトモな登場まで凡そ六年。ごめんよ、遅くなってと結構本気で思いました。




