王宮闘争 * 事の発端
「え?」
そのときのキリアは、一瞬理解が追い付かない顔をして室内を見渡してそう声を発していた、と教えられた。
「これって!」
そしてその日出勤時間が同じで途中から合流し一緒に入ったフォンロン国ギルドのマノアさんは、すぐに事態を把握し青ざめ叫んだと。
研修棟兼夜間営業所が荒らされた。
盗みにあった。
《ハンドメイド・ジュリ》を開店して初めてのことだった。
「結界が壊されてないね、しかも、形跡なしだ」
マイケルが険しい顔をして、研修棟に入るなり呟く。
状況が状況なだけにマイケルに来てもらっていた。
理由は一つ。 《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》、そしてこの研修棟はマイケルに防犯対策をしてもらっているから。
建物に結界を張ってあるのよ。それは私とキリア、グレイとローツさん、そしてフィンとライアス、おばちゃんトリオなど主要メンバーが持っている鍵と連動している。その鍵の開け閉めで結界が発動と解除が出来る高度な魔法結界。
鍵を閉めると発動する結界には、攻撃性のある魔法なんかは付いてなくて、単に侵入を防ぐだけの物にしてもらっている。物々しいのは万が一その攻撃性の魔法で周囲に影響でも与えたら大変だから、ということでわりとすんなり決まったこと。
ただ、マイケルからは侵入した人の気配が霧散しないようにするものがあるからそれだけは付けるべきと言われてそれをつけていた。
残った気配からどんな人物かが読み取れるらしい。
マイケルがゆっくりと何度も今室内を隅々まで見ていたのもそれ。
なのに。
「……リンファに、会えるかな?」
「俺が行く、連れてくる」
険しい顔をしていたのは、グレイが呼んだハルトもだった。ハルトはマイケルの問いかけに迷いなく返しあっという間に転移で姿を消す。
この研修棟では、実は先日マイケルとリンファが面白がって金庫にやたらと不気味な呪いを掛けて二人で最強の金庫が出来たと凄く怖い笑顔で楽しそうにしていたばかり。貴重な素材を入れておくための金庫で、かなり大きくてそもそも持ち出し出来ないようなもの。二人は。
「持ち出そうと触ったら魔力抜かれるとかどう? 瀕死レベルで」
「いいわね!! じゃあこじ開けようとしたら周りの空気がなくなるのは?」
「それは面白そうだ! そしてやっぱり」
「触った時点で手が腐るのは」
「外せないね」
嬉々としてこんな事を言いながらやっていたので、周囲が当然ドン引きするような危険な金庫に仕上がっていた。
とは言え、触れなければ発動しない呪い。知らなければ明らかにそちらを狙う。狙ってそして呪いが発動。要するに触れたら必ず何らかの反応が残る金庫には一切手が付けられた形跡がない、とマイケルが断言したの。
「キリア、盗まれたものが何か分かるか?」
「見てみます」
キリアはこの研修棟の責任者をしているから誰よりも中を把握している。そんなキリアは研修棟を隈無く見て回る。当然金庫はなにも盗まれてはいなかったんだけど。
奇妙なことがわかった。
ここで扱われているものが狙われたことは一目瞭然だったんだけど……。
「ロックコボルトの魔石が、残ってる」
「え?」
「全部、残ってる、ほら」
キリアに見せられてびっくりした。
ロックコボルトの魔石は、地球でいうパライバトルマリンという青や緑の蛍光色をしている独特な色合いがとても綺麗な天然石にそっくりなカラーをしていて、魔法付与、装飾品としてとても人気がある。
以前私とケイティとハルトの三人で潜ったダンジョンで二人が狩り私が拾いまくった魔石は小さなバケツ一杯の量になり、それを時々使っていた。半分ほど使用済みで、残りの数としては約二百粒、今後どう加工しようかキリアと相談していた最中だった。
それが残っている。手付かず。
金庫には入れていなかった。その代わり、加工しやすいように素材を入れておくための棚に箱に入れた状態で。その箱は、明らかに動かされ、蓋が開けられた形跡があった。
在庫確認しやすいように袋に二十粒ずつ入れた状態だから数の確認はすぐにできて。
一粒も盗まれてはいなかった。
「あれ、こっちもじゃないですか?」
フォンロンギルド職員のティアズさんのちょっと驚いた声に私たちは彼の所にすぐに向かう。
「三十……三、四、五、六。盗まれていません。昨日の在庫のままです」
彼が数えたのは、これも明らかに箱を開けられていた、別の棚に箱にいれていたメタルリザードの鱗。通常のリザードとは違って金属質の鱗でメタリックな艶を帯びており、特に珍しいとされる紫色のもの。武具には出来ない脆い部分と言ってもメタルリザードである上にレアな紫。未加工の一枚でうちのアクセサリーなら数個買えてしまう。それがそのまま残っている。
手分けして皆で在庫を確認すると、本当に奇妙なことがわかった。
高いものでも盗まれていないものもあるし、逆に格安なのに全て盗まれているものもある。
まったく基準がわからない。
窃盗犯は素材の価値もわからず、手当たり次第に目に付いたものを盗んだ?
でもそれなら、一目で高級そうなロックコボルトの魔石やメタルリザードの鱗も盗まれていておかしくない。
「盗まれたものの共通点って、なんだろう」
「え?」
「これ、おかしいのよ。中身を確認して見るからに高そうな素材が、盗まれてない」
今確認できた紛失している物が書き出された紙をみて、私が首を傾げる。その紙を側で覗き込むグレイは、それをひとつずつ声に出して読み上げる。
「……カフスボタン用のリザードの鱗、色付きスライムのカットルース、螺鈿擬きのラメ」
「は?」
キリアが素っ頓狂な上擦った声を出す。
その反応は自然。だって、ラメだよ? かじり貝様を粉砕しただけの、ラメ。
それが盗まれてる。
彼女のひっくり返ったような声が室内に響いた直後は一瞬の静寂。
動揺によって乱れた空間の雰囲気が霧散するほどに、全員がキリアのように理解出来ず妙な無言となってしまった。
「……なんでラメ」
ポカンとした顔のデリアの呟き。
「知らない」
私もどう反応していいのか分からずおかしな声色になってしまった。
そして、ハッと我に返って慌てたようにレフォアさんが棚を手で叩く。
「本当ですよ!! ここに二本あったのがないんです!!」
「ほんとだ……ない」
キリアは棚を凝視する。
「私昨日使ってそこに戻した…… 確かに二本あったわ!! え、なんで?! ただのラメだよ?!」
そしてようやくその奇妙さにキリアが声を荒げると。
「魔物素材だ」
断言したのは、グレイ。
「加工済みの魔物素材」
え?
「レフォア、確認してくれ。花や金属パーツが入れられた混合パーツや未加工の素材の在庫は?」
「あ、は、はいっ。ええと……本当だっ」
マノアさんがすぐに側の箱を覗き込む。大きな箱で、板で十二にしきられた、夜間営業所で販売される単品パーツ専用の箱の中も盗まれているものと盗まれていないものがあった。
残っているのは。
「押し花入りと金属パーツが入ってるのは残っています」
なにこれ。
何なの。
ハルトに連れてこられたリンファの顔が怖い。美人の怒った顔ってどうしてこうも迫力があるんだろう、そんなバカなことを考えてしまうくらいにリンファの顔が怖い。
「魔導師ね」
険しい顔を顔をしたリンファきっぱり言い切った。
「やっぱりそうだよね?」
「金庫に近づいた形跡が全くないわ、強力な呪いが掛けられているのを見破ったのよ。しかもこの建物の結界に綻びもない。間違いなく魔導師よ。しかもかなりの手練れだわ」
「これ、国に仕えてもおかしくない魔導師だよね」
「ええ、間違いなくね」
マイケルとリンファのこの会話がすべてのはじまりを告げる事になる。
「あなたたちの恩恵の影響力が知りたかったのかもしれないわよ」
リンファの落ち着いた、淡々としたその様子とは対照的に、キリアと途中から合流したロディムが息を詰まらせ、体を強ばらせた。
「ジュリって、研修棟ではほぼ作業しないでしょ?」
「うん。作ったとしても基本的にはすぐに工房に持ってきちゃうし」
「私が見る限り……今この研修棟で物を作ってる人って、全員大なり小なり恩恵を授かってる。レフォアやライアスは特殊な例としても、ここで主に物を作っているのは、今ロディムを中心として、マノア、ティアズ、ウェラ、他に以前見かけたときは名前はわからないけれど四人いたわね……キリアは工房での作業もあるから除外したとしても、研修棟にいる人たちって、殆ど恩恵持ちよね?」
そう。
研修棟の人員は今、夜間営業所の販売をしてくれる自警団の人たちを除いた約八割が大なり小なりの恩恵を授かっている。リンファの言うように、個人の恩恵の強さや性質にはかなりの差があるんだけど、間違いなく、ある。
「特に、ロディム、あなたはキリアに並ぶわよね?」
リンファの問いかけに一瞬躊躇ったけれど、ロディムはしっかりと頷いた。
「ここに来て働くと恩恵を授かる。差はあれど、ジュリが見て仕事を任せられると認められた人は皆、恩恵があるわ」
「……それで、魔物素材のみの盗難だね」
マイケルが付け加えた言葉にリンファが頷いた。
「恩恵持ちが加工した可能性がある、加工済み魔物素材だけを盗んだのよ」
離婚して、グレイとの関係を一からやり直している。
夫婦の形は色々、過去に自分で自分を縛り付けていたことに気付いてようやく『未練』とは違う無駄な拘りから解放されて、改めて元の世界への『未練』を実感し、そしてそれを受け入れて進もうと思えるようになった。それが心のゆとりになったのか、この先のことをよく考えるようになって、冷静に、客観的に、自分を取り巻く全てを見れるようになってきた。
権力というものから抜け出すことは不可能。
最近自分の中で出た答えの一つ。
【彼方からの使い】として、この世界でお金を生み出す限り、絶対に逃れられないと今さら、本当に今さら、実感しているし、それを受け入れてもいる。
だから、覚悟はしていた。
魔法付与。
魔法が当たり前に存在する、そんな世界で魔法付与の歴史は浅い。けれどそれによって飛躍的に生活が変わり、魔物討伐の効率が上がり、需要も必要性もあっという間に高まったと聞いている。『軍事力において優先すべきことの一つ』として各国が魔法付与の更なる可能性を見いだそうと躍起になっている中で、私が召喚された。
不活性魔素と呼ばれる魔法付与を阻害する異物とも言われるそれを、私が触れ、加工することで取り除くことが出来ると知られ始め、『覇王』騒ぎの時にそれが白日のもとに晒されることになったのではないかと思っている。
「魔法付与、か」
「ジュリ?」
「私にとって、それって二の次以下のことなんだけどね」
つい、投げやりな吐き捨てるような言い方になってしまった。
「覚悟は、していたんだけど……いざ現実にぶち当たるとどうしていいか分からない」
「……恐い、とは違うの?」
「違うと思う。なんていうか……置き去りにされてる気分」
「ジュリ……」
「当事者は私なのに、私の意思は必要とされてないんだなぁ、って。トラブルを解決したくても、私がまるで部外者みたい。それって、どうやっても解決しないんじゃない? 今回のは盗難でしょ? 被害者、私たちでしょ? でも、なんだろう、まるで他人事みたいに扱われてる気がしてならないの。そこに……憤りを感じる」
リンファは神妙な面持ちで、私の肩を掴んだ。
「ジュリ」
「うん?」
「落ち着いて」
「落ち着いてるわよ?」
「いいえ、手が……」
そう言われ、気付いた。
爪が掌に食い込むほどきつく握り拳をつくっていた。その握り拳が、怒りで震えていた。
この世界で、どうやって生きていこう。
そう考えるタイミングが私には何度もあった。
その中でも大きく分けると見えていなかった重要な分岐点は三つあった。
一つ目はリンファとの出会い。
殆が敵に見えていたリンファにも愛する人が出来て、その人と幸せになる道を選び迷いや不安を捨てた彼女は私によって救われたと、だからいつでも何があっても私の味方になると迷いなく言い切った。
あの時、私は彼女のその眩しい笑顔を見て何故か後ろめたさのような物を感じた。
その形のはっきりしないものを、今は考える必要はないと見て見ぬふりをした。
二つ目はグレイからのプロポーズ。
これで私は一人じゃない、幸せになれるんだと疑わずその目先だけの幸せに飛びついた。見て見ぬふりをし続けたものをさらにその時、放置した。そのせいで私が足をふみこんではならなかった社交界に安易に踏み込んで、自爆して、もうどうにもならなくなって。
三つ目は離婚。
長い間苦しかった呼吸が出来るようになった開放感を感じた。
この世界に私が完全に馴染むことは不可能だと理解して、それを受け入れて、グレイとの関係を再構築し直そうと決心した。
分岐点で迷い間違いながらもここまで来た。
ようやく、自分の道に立った。
未練よりも今、私を占めるもの。
憤り、怒り。
私という個人を置き去りにする現実に、初めて本気で、心の底から気に入らないと不快な感情が湧き上がる。
「腹立つね」
「えっ?」
「……本気で、腹が立つ」
「……ジュリ」
「うん?」
「戦うの?」
うん。
戦うよ。
その先に何があるかわからないけれど。
その先で何を失うのかわからないけれど。
それでも。
これも、分岐点なんだろう。
逃げない。
戦う。
このことで、この先未練を抱えるつもりはないから。
未練は、今あるもので十分。
もういらない。
分岐点から進む。
『逃げずに挑む』
へ。
突然始まりました『王宮闘争』編です。
先の46が実に中途半端になりました、43あたりから調整してたつもりが完全にズレてました……。
何故数字での表記ではないかと言いますと。
この『王宮闘争』話数が非常に多くてどこで分割していいのか分からない上に加筆・修正、削除などで話数自体が定まっていない、そしてジュリがもの作りではなく揉め事と向き合う章で、彼女本来の生き方から外れてしまう期間。ならばいっそジュリ視点ならきっとイレギュラーだと考えるんじゃないかと章から外した?章として換算しない?のがいいかなと思いこのスタイルで落ち着きました。
なのでそれを踏まえ『王宮闘争』お読みいただければ幸いです。
それでは、中心に立たされたりほったらかしにされたりと目まぐるしい変化にめげず活躍? 暴走?するジュリを見守ってください。




