46 * その者、その時
今回はレアキャラさんの語り。文字数多めです。
―――クノーマス侯爵が王宮でベリアス卿と対峙したその時より数週間前まで遡る―――
もう終わらせよう。
そう、全て終わらせるべき時が来た。
何もかも手遅れで、私にはどうすることもできない所まで堕ちていたから。
だから終わらせる。
この手で。
「お疲れ様でございました、若様」
執事がそっと目の前に私の好きな紅茶を置く。
「ああ、ありがとう……」
母が殺された。
それを知った瞬間、私は最早人間ではなくなったのかもしれないなんて自嘲してしまえるほどに、声高に笑っていた。
事態が飲み込めず、母を埋葬した後も動揺しつづけた父や屋敷の者たちから離れ、夜寝室に一人になった途端私は心の底から愉快だと思いながら笑っていた。こんな姿を妻や子供たちが見ていたら恐怖で逃げ出していたかもしれない。
残るは父だけ。この先ベリアス家のすべてが私のものになり、そして家と領の再建に着手出来る。
そんな事を思ったのがつい最近だ。
しかし、その考えは絶たれた。
「あれで、全部か」
「はい。全て精算となりました」
「そうか」
「それでは若様、次は」
「いや、もういい」
「……はい?」
「今までご苦労だった。お前たち我が家で働いてくれていた者たちへの紹介状は全てお前に預ける」
「わ、若様?!」
「母の宝飾品がかなりの額で売れた。皆に分配してくれ。お前の分は別にある、余程の贅沢をしなければ一生穏やかに過ごせる額だ」
「待って下さい、話が違います!! 旦那様の作った借金を精算したその後は改めてベリアス家の建て直しをするために若様が実権を握ると!」
「もう不可能だ」
「……不可能とは」
「愚かな父だよ、本当に」
「何を、仰っているのか私には……」
「執事長、お前の家は古くから我が一族に仕えて来たな」
「は、はい」
「執事長になった時、一番最初に教わったことを覚えているか?」
「勿論でございます」
はっきりと肯定した執事長は、数秒の沈黙の後突然瞳を揺らし、顔色が悪くなった。
「若様、まさか、『初代王の書』に何かございましたか」
『初代王の書』。
ベイフェルア国を誕生させた、正真正銘ベイフェルアの祖が残した書。
―――夕焼け時の太陽のような朱色に金を纏って輝く髪と光の加減で変化する青紫の不可思議で神秘的な瞳―――
この独特の色を持つ初代王と全く同じ色を持つ子供が、膨大な魔力と【スキル】と【称号】を授けられる。
そして四代目の王の子供は四人。一人目の王子はやはり同じように二つの色を持って生まれた。そして弟王子の一人は『朱に金を纏った髪』のみを持って生まれた。その王子がベリアス家の祖となる。
そして三代を経てから即位した王の子供は三人。一人目は王子で二つの色を持って生まれた。そして末っ子であり妹である王女は『変化する青紫の瞳』のみを持って生まれた。その王女がアストハルア家の祖となる。
『片方だけ』でもその血は濃く、脈々と受け継がれてきた。
その証拠に私の髪はベリアス家特有のものであるしアストハルア家の嫡子も見事な瞳だ。
長い時を経て、ベリアス家は新緑を思わせる鮮やかな瞳を、アストハルアは夜を思わせる漆黒の黒髪をそれぞれが独自の血を象徴する身体的特徴を得ている。
『血の継承について全てが書かれている』
子供の頃そう確かに、教わった。
王家とベリアス家、そしてアストハルア家の成り立ちとその血の違い、授かる可能性のある【称号】や【スキル】など。我々の存続にも深く関わる情報と、それを受け継ぐための方法。
それが『初代王の書』とそれを翻訳するために必要な『辞書』だ、と。
いずれお前が当主として引き継ぐものだとも言われ育った。
王家の血筋である紛うことなき証明となる、と。
父はそれを暖炉に投げ入れた。
「……は? 若様……今、なん、と?」
「泥酔した状態で宝物庫から持ち出し、読もうと思ったのに全く理解できない言葉で書かれていたことに腹を立てて暖炉に放り込んで跡形もなく灰にしたそうだ」
執事長がその場に膝から崩れ落ちる。
「ま、さか。そんなっ、そんなはずは!」
「事実だ」
「大旦那様は! その事を存じてっ」
「ああ、知っている。……知っているというより、五年前に起きたその事実を隠蔽してきたのが祖父だ」
父の作った莫大な借金の精算に目処がついたため、その事を領地の端にある保養地の別荘で隠居生活をする祖父に手紙を送ったらその返信が来た。
祖父もこれで安心してくれるだろうと思った。
妻と子を呼び戻し、父を僻地に追いやりこれから祖父とともに再興を、と思った。
父が目先の欲で傀儡にした国王と、手中に収めた王家そのもの。玩具にして国を裏から動かすのも悪くないと思っていた。崩壊しない程度にギリギリ存続させ、頃合いを見て思うままに国を作り替えるのも面白そうだ、と。
『今の王家』よりも遥かに『血の濃い』自分たちなら、可能だと。許されるだろう、と期待に胸膨らんだ。
しかし祖父からのその手紙は懺悔一色だった。
『初代王の書』は現在使われている言語でも古代語でもない。
当時召喚されたという【彼方からの使い】がかつていた世界で使っていた言語の一つだという。
そしてその言語を習った初代王がその言語で書を残した。そんなもの読めるわけがないと誰でも思うだろう。だが初代王は『辞書』を残していた。
【彼方からの使い】の協力の元、その言語を翻訳するための辞書を。
そしてそれがきっかけでこの世界に辞書が広まっていくことになった。
辞書は三冊。
王家、アストハルア家、そして我がベリアス家に一冊ずつ。それぞれに与えられた言語を訳すための辞書だ。
成人すると同時に辞書と『初代王の書』について教えられる。
そして己で翻訳していく。
翻訳したものを残してはならない。
それが『初代王の書』を読み、継承する条件となっている。
だから辞書が必要だ、時間を掛け己自身が深く理解するために必ず無くてはならないのだが私は既に翻訳が終わっていたため、後は父が爵位を私に譲ってくれさえすればいい状態だったのだが。
父は、辞書を使わなければ読めない本など存在が無駄だと酔った勢いで暖炉に放り込んだ。
紙の欠片も残らず燃えた『初代王の書』。
せめてその事実を私に教えて欲しかった。
隠さずに、ベリアス家を存続させるためにも私に教えて欲しかった。
だが祖父は己の息子の失態を隠したかった。父は己の失態を無かったことにしたかった。
そして、ベリアス家は永遠に『初代王の血』の証明を失っていたのだ。
あまりの衝撃に祖父に会いに行って聞かされたさらなる事実。
「あの頃ちょうどアヤツが失敗した事業の借金が膨れ上がり、周囲に決してバレぬようにアストハルア家から金を借りた時期だった……あまりあいつを責めないでくれ。泣きながら私に詫びて、アストハルアに頼るという恥に耐えられず荒れていた。それを強く咎められなかった私も悪い」
そんなのは当たり前だと罵った。
その時に父を廃嫡してアストハルア家に相談すれば良かったと言ってやった。私とあなたで何とか出来ただろうと。
返ってきた言葉に私は笑った。
「何を言う! アストハルア家を頼れだと?! このベリアス家が、アストハルアよりも早くに公爵位を賜った我が家が金を借りる以外にアストハルアに頭を垂れるなどあってはならないことだろう!!」
本気で祖父はそう叫んだのだ。
過去の歴史と当家の高貴な証を汚す言葉だった。
その浅はかさに、至らなさに、本気で笑った。
そんな私を見て祖父が恐怖に慄いて私に虚勢を張り罵声を浴びせてきた姿は忘れられない。
そんな私たちを見て祖母が泣きながら祖父に対して声を荒げた。
「貴方も結局読み解くことを途中でやめたではないですか!そんな貴方が反論も、何か言う権利もありません! それにっ、『初代王の書』がないのなら意味はないと、辞書を破り捨てたのは、他の誰でもなく、あなたです!」
と。
終わったと悟った。
一縷の望みも絶たれていたのだ。
この人もまた、『初代王の書』の翻訳が面倒だからと何かと理由をつけて読み解くことをしていなかったことが祖母の口から語られた。そして祖父はそんな物がなくてもベリアス家は不変だと今なお信じていた。
結果。
私は全てを翻訳し継承したつもりでいたのに、そもそも祖父の代から継承は失敗していた。
故に私は、私自身が生まれたその時から『ベリアス』ではなったことを、知った。
あれから数日。
執事長たち長らくこの家を守ってきた者たちを全員送り出し、残ったのは私と雇って日の浅い使用人たちのみ。
この者たちは金さえ貰えれば良いという情も信頼もない関係だ。これでいい。
万が一私の身に何かあって、今いる者たちが全員裏切り屋敷の物を持ち出しても今はもう価値のなくなった物や父や母の趣味の悪い収集品ばかり。売っても大した金にはならないし何よりベリアス家の紋章が入ったものが多いからそもそも売ろうとすれば盗品とバレてすぐに捕まる。それで少しベリアス領が静かになれば領民にとっても良いことだ。
「はあ」
一人安堵の息を吐いてソファに体を任せ目を閉じる。
私がいたのは絶望の底ではなく、淵だった。
そんな私に今さら、これ以上の絶望などないと思っていた私に齎されたのは『今の』ベイフェルア王家の真実。
絶望の先にあったのは、感情すら飲み込む闇。
全てを飲み込むその闇に私は堕ちた。
「……ははは、笑わせる。これが王家だと?」
次から次へと届く情報は父からだ。
これらの情報を盾に王家を更に操って国を乗っ取る計画があるからそれを手伝えと毎度書き添えられてくる。
こんな王家を乗っ取って何になる。
最早名前だけしか残らない王家にどれほどの価値がある?
「ああ、父は本当に……」
今回の手紙には私の息子か娘を王太子か王女に嫁がせろという事まで書かれていた。
「無知だとこれほどまでにバカなことが書けるのか」
子供たちを王家に?
あの王太子か王女に?
死んでもごめんだ。
たとえベリアス家を名乗れなくなったとしても、我が子をあの愚かな王族たちに嫁がせたりなどしない。そんなことなら、名を捨て自由に生きてもらう。
そんなに王家の人間になりたいなら国王に養父になってやるとでも言って上手く丸め込んで勝手になればいい、そんなことを考えながら手紙を読み進めると気になる事が書かれていた。
「……ほう? これは?」
【彼方からの使い】についてだった。
ククマット・クノーマス領にいるジュリという女を反逆罪容疑で拘束・連行し、『強制士官』として王宮にて強制労働にあたらせ、『審問会』にかけて戦犯者として王家に生涯監禁させる話が国王やごく一部の大臣たちとの間で進んでいるという。もう一つ、手っ取り早く金を得るためロディム・アストハルアを似たような罪状で連行し政治取引として王女と婚姻させることも目論んでいたようだが、アストハルア家を正面から敵にし勝てる見込みはないと判断したようだ。
しかも強制労働で加工させるのは希少素材。
情報によれば女が加工するとあらゆる魔物素材が飛躍的に魔法付与の確率が高まるとされる。
その女を王家が生涯監禁し死ぬまで作らせ続けると?
面白いと思った。
【神の守護】を与えられているその女をそんな風に扱えると過信している父と国王たち王宮の人間の情報不足に、心の底から面白いと笑った。
あの女を振り回し遊ぶことはできても支配することは不可能、許されないとまだ分からないことに素直に驚愕しやはり面白くなりそうだと笑う自分がいた。
私の【スキル】の影響だけではない。あの王宮は私が入り込んだ頃には既に父たち強欲な者によってボロボロにされていてその惨状に笑いを堪えたほどだった。そんな状況をまだ悪くできる手段があるのかと、一体どうなるのだと久しぶりに高揚感に包まれた。
調べる気になればいくらでも調べられた【彼方からの使い:ジュリ】の情報。
私ももっと早く知っていればと後悔が募るが今更だ。
だからだろうか。
興味が湧いた。
放っておいたらどうなるのだと。
今までトルファ侯爵家の情報操作に散々苦しめられて来たが、どうせベリアス家はそれに対抗する金も力もない。
ならば無駄な足掻きをやめ、傍観者になったら、何が起きる?
「……あははははっ」
久しぶりに腹の底から笑った。
「これは面白いことになる」
私は勢いよく体を起こす。
「王宮へ行かねばな」
王宮へ行きこの目で見よう。
「楽しくなりそうだ」
ベリアス家が消されるのが先か、ベイフェルア王家が潰れるのが先か、それとも何か別の事が起きるのか。
「楽しませてくれ」
【彼方からの使い:ジュリ】。
お前次第だ。
数多の有力者だけでなく、あのネルビア大首長を懐柔し、なにより【神の欠片】をもつエルフと人魚に友と認められたその実力と豪運。
そして『殺戮の騎士』を飼い慣らす度胸。
「楽しみだ」
期待しているぞ。
これほどまでに清々しい気持ちになったのはいつぶりだと思いに耽ったその時。
聞こえた声は崇め信仰する神か、それとも別の神か。
知った己の運命。
やはり、面白いと思った。
「私はお前のために【種】を蒔いたらしいぞ。その私が【種】の肥料となってやる」
―――神界にて―――
「【種を生み出した者】よ」
セラスーンは凪いだ表情で囁く。
「お前のその望み、叶えましょう」
「セラスーン様……」
【音の神:ヒュート】は物言いたげに憂いた表情でその名を呟く。
「ヒュート、【種を生み出した者】だもの。当然の権利なのよ、最後の願いを叶えてもらえることは」
「しかし」
「何を怯えているの?」
「怯えてなど、そんな、私は」
「残念ながら今の貴方には、私に何かを請う権利も力もないわ……」
「承知しております」
「ならば見ていなさい。何が起きるのか」
「良いのですか!」
「何が?」
「ジュリが辛い思いをするのですよ!!」
「あら、勘違いしないで?」
「え?」
「辛い思い? ジュリが?」
セラスーンはたおやかに、優雅に、実に面白そうに笑い出した。
「ふふ、ジュリが?」
そして見せた、無邪気な笑み。
「ジュリが、無力なわけないでしょ? 【スキル】【称号】それに魔力。無くても戦えるほど強いのよ、世の中を渡り合えるのよ。面白い力の持ち主なのよ。知ってる? 勢いであれこれ自由に発言して実行して周りを笑いながら巻き込んで、これでもかと巻き込んで雁字搦めにして引きずり回すのよ。権力者や堅物たちがね、縄でぐるぐる巻きにされてその縄をグレイセルに持たせて引き摺らせて絶対に離すなと笑ってるジュリを想像してみて?」
返す言葉が見つからず口を噤むヒュートの目の前。
「うふふふふっ、凄く、面白いでしょ? そんなジュリが辛い思いをする未来など、存在しないわ。それに……彼女は自ら強くなったの、自ら強くなるに必要な揺るがない意志、誰でも持てるものではないのよ」
セラスーンは幸せそうに蕩けるような笑みを浮かべて続けた。
「その強さを、舐めてもらっては困るわ」
ベリアス卿もセラスーンも怖い怖い。




