45 * とある者たち、語る。
前回よりもさらに楽しくない話。ごめんなさい。
しかも文字数多め。
時系列としては数ヶ月前になります。
―――時はジュリ達がネルビア首長国に入国した頃まで遡る―――
―――とある侍女の語り―――
この王宮に新しい侍女がやってきて早数カ月。
彼女は国境線のとある男爵家の令嬢で、初顔合わせの時からその表情の暗さに私たちは眉をひそめた。
王宮の侍女は大半が貴族の令嬢で成り立っている。
令嬢といっても伯爵家以下の、次女や三女など家を継ぐことがほとんどなく嫁ぎ先も選択肢が狭い女性たちだ。爵位が低ければ資産が少ない事が多いので、比例して持参金も期待できない。それならば平民でも裕福な商家や騎士を輩出した家、神官や魔導師の娘や息子を娶った方が将来困らぬようにしっかり教育されていることが多く、しかも階級意識が薄いことで傲慢な態度やワガママを言うことも少ないからと、庶民を迎える家が意外と多いせいだ。
そんな女性たちの憧れの職業の一つが高位貴族家やこの王宮の侍女だ。
かくいう私も可もなく不可もなくの子爵家の三女、十九歳になっても婚約のこの字も出なかったため、母から勧められ侍女として働けるようにと勉強に励んだ過去がある。
ここで働けるということは一定の教養を身に着けていると認められたも同然で、それがきっかけで結婚相手を見つけられる事もある。実際に私もここに来て二年で夫と出会い結婚に至っている。
つまり、王宮の侍女とは花形の職業の一つといえる。
なのに、男爵家の令嬢は今まで見たこともない顔をしていた。
虚無。
一言で言えば、彼女の纏う雰囲気はそれだった。
「リゼットさん」
「はい」
「私はここの花瓶の花を生け替えるから、あなたは窓辺の物をお願いするわね」
「かしこまりました」
「……あの」
「はい?」
「その、大丈夫? まだ、痛むなら私から妃殿下と侍女長に」
「大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
男爵家の令嬢、リゼットさんは抑揚のない声で感謝を口にした。その顔は笑顔からほど遠い。
「私なら、大丈夫ですから」
「そう、それならいいけれど……」
無表情で、無感情、何を考えているのか分からないリゼットさんは、誰とも打ち解ける様子はなく正直少し怖いと思ってしまう。誰が話しかけてもこの調子で、他愛ない会話すらまともに続かず沈黙で息苦しくなってしまう。そのせいで若い侍女たちは皆気味悪がって近づくこともない。
休憩も彼女は一人で過ごしているし、勤めが終われば与えられた部屋にすぐに籠もって食事の時くらいしか顔を合わせることはない。
何より、とある出来事以降全員が彼女を扱いかねてしまって彼女の孤立に拍車をかけてしまった。
数日前、彼女は怪我をした。
その怪我は侍女として働いているだけなら決して負うようなことはない怪我だった。
誰かの罵声が遠くから聞こえ、躊躇いつつも向かったの数名の侍女の中に私も含まれていた。
そして入った部屋にいたのがリゼットさんだった。
顔の右側を両手で覆い、床に蹲っていた。その床に、彼女の両手の隙間からポタポタと鮮血が垂れ、床に小さな血溜まりを作っていて、私たちは悲鳴に近い声で彼女に駆け寄り続けて声をかけた。
「どうしたの! 誰がこんなことを?!」
「誰か治癒師を!!」
「止血するものはあるかしら!?」
私が彼女の肩を抱いた時。
「……大事には、したくありません」
「え?」
「どうか、ご内密に……」
「な、何を!!」
「ご不興を買ってしまった私の責任ですから」
その一言に私たちは息を呑んだ。
この王妃の間がある宮で人が駆けつける程に誰かを罵倒するなんて事が起こり、そして許されていいわけがない、それでもそんな事をしても咎められない人は限られる。……言い方を変えればそんな事をする人は、最初から分かっている。
「とにかく治療をっ! そしてあなたはしばらくお休みしなさいっ!」
「いえ。汚したならば責任を持って綺麗にするよう仰せつかりました」
「はっ?」
「すみません、汚したこの床は私が綺麗にしますのでどうぞそのままに……」
「な、何を言ってるの」
「お願いします……侍女長からもそのように言われておりますので」
リゼットさんは幼い頃から自分の身は自分で守れるようにと教育されていると聞いていた。剣も扱えることから王妃殿下付きとして今後は仕えることになるだろうと、護衛も兼ねた将来安泰な立場になると噂も出ていた。
それなのに。
そして、彼女の傷は残った。
額から瞼の上を通り、そして顎に向かって付いた傷を消せるポーションがその日に限って無かったせいで。
そして二日ほど発熱し寝込んだ後、なんと彼女はすぐに侍女として復帰した。侍女長から働かせて問題ないと言われ、困惑したのは私たちだ。
「あんな、包帯を巻かれた姿で働かせるのですか? せめて傷が塞がってからでも」
「分かっています、そんなこと、私だって」
侍女長に彼女を休ませるべきだと進言した時の、あの苦虫を噛み潰したような顔は印象的だった。
「けれど、そうするように指示がありました。異論は認められません」
「しかしっ」
「このことについて、これ以上の意見と要望は受け付けません。……これ以上は、どうすることも、出来ないのです」
何故こんなことに。
せめて。
それだけは知りたかったのに。
「本当に大丈夫? 無理だけは、しないで」
どうしても声を掛けずにはいられない、そう思って再び声を掛けた。
「……ありがとう、ございます」
この時ようやく、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、リゼットさんの表情が緩んだ。
彼女に何があったのか、未だ分からない。
けれどせめて彼女が少しでも穏やかに過ごせるようにと願わずにはいられなかった。
―――ベイフェルア国王宮内:リゼットの語り―――
初めから王家が私を人質として扱うと決まっていたことは私自身が理解していた。お兄様からは『逃げていい』と、しばらく身を隠す潜伏先として協力してくださる方の領地に行くように言われたけれど、それではきっと家に、お兄様に迷惑をかけてしまう、それも理解していた。
だから私は逃げも隠れもせず召集を受けた。
初日は緊張のせいで感情の制御が難しいと分かっていたので無理せず対応したけれど、思った以上に表情は抑えられていたらしい。
以降、皆が見て見ぬふりをしてくれるのは助かった。下手に私に同情なんかして巻き込まれてその人の未来に影が差すなんてことだけはあってはならないから。
仕事を教えられながら、それを熟し一日が終わりこの部屋に戻って来るたびにドッと疲労が襲う。
積極的に優しくしてくれる人は全員王妃殿下の直属の侍女や執事で監視役。その人たちとも距離を取りたくて一切感情を表に出さないようにしている。そうすることで気味悪がられて監視が緩んで以降そのままの距離を保てている。
「あなたは、マーベイン家の停戦協定について何か聞かされているのかしら?」
事の起こりは王妃殿下からのその質問。
私はお兄様からは何も聞かされていない。知っていることで利用される可能性があるからとお兄様が情報を遮断してくれていた。だから正直に『何も聞いておりません』と伝えた。
「……チェイザ家の娘なのに、使えないわね」
人の気配や音にいつでも反応出来るようにと育てられた私には妃殿下の側で紅茶を淹れる侍女すら聞き逃してまう小さな呟きは丸聞こえだった。
この時の私は、妃殿下がそれだけ停戦協定に興味を示しているのだと思っていた。
でも。
「クノーマス伯爵がどの程度関わるか、そういう事も聞いていないかしら」
その質問に私は首を傾げそうになったのを必死に堪えた。
(え? クノーマス侯爵ではなく?)
停戦協定のベイフェルア側の責任者はエイジェリン・クノーマス卿。
マーベイン家とハシェッド家に対して地位的にも金銭的にも支援可能なクノーマス侯爵家が表向き主導する、それは貴族なら誰でも知っている話で、そこにはクノーマス伯爵は入っていない。
「いえ、申し訳ございません、そのような話は聞いておりません」
一体何故、と思いながらもそう答えれば、一瞬見せた妃殿下の顔に驚いた。
明らかに不満げにグッと口を真一文字に結んで。
(……なに? 何でそんなに不満げなの?)
ここでふと、侍女たちの間でまことしやかに語られている話が頭を過った。
(え、まさか……本当なの?)
王妃殿下はグレイセル・クノーマスを王宮に呼び戻す計画を立てている。
グレイセル・クノーマスが離婚した話が齎された時感情を露わにして周りを驚かせた。
それよりもずっと前、グレイセル・クノーマスが【彼方からの使い】ジュリと結婚するという情報が入って以降、 《ハンドメイド・ジュリ》の商品に興味を示さなくなっていった。
様々な噂が囁かれる中で、最近は王妃殿下のそんな話で侍女たちの休憩時間があっという間に過ぎていく。その輪に入らなくても、近くに座れば嫌でも聞こえる話。仕える主の話をこんなに楽しげにしていいものなのだろうかと不信感が募るものの、その手の話はここで働いていれば真偽を確かめるのは然程難しいものではないと感覚で理解するまで時間はかからなかった。
そして、今。
(本気でクノーマス伯爵を呼び戻すつもり……?)
その疑問が頭に浮かんで、でも一瞬で消え去った。
(無理だわ、だって)
お兄様は言っていた。
あの伯爵が王宮に戻ることはない、と。
王家に仕えることはない、と。
断言だった。
その発言は不敬罪に問われてしまうと咎めた私にはっきりとお兄様は首を振ってみせた。
(絶対に意志は変わらないとまでお兄様は仰っていた。理由は不明にせよ……)
そこまで考えたその時。
「クノーマス伯爵とあなたのお兄様は面識があるかしら?」
質問され、ハッとして私は頭を垂れる。
「申し訳ございません、そのような話も私は聞いておりません」
もしかしてこれからはこんな質問ばかりされるのかとうんざりする心を隠しながら、答えたけれど。
「国境線を守る家の令嬢としてあまりにも無知ではないの?」
王妃ではない別の声に、反射的に私は頭をあげてその声の主に目を向けた。
【称号:隠密】を保有し、王妃殿下の縁戚でもあるレイビス。
彼女だった。
この人は嫌い。
いつも王妃殿下の後ろにいるだけで、何も出来ない。なのに選民意識が非常に強くて、私たち侍女を蔑む発言ばかり。
「あなた王都の学園にも通っていたのよね? それでその程度なの?」
(学園に通っていたことと停戦協定のことは別問題でしょ……?)
呆れてため息が出そうになる。私より七歳年上のこの称号持ちは、よくこれで王妃殿下の側近などやっていられると思わずにはいられない。私の考えは王妃殿下も常々感じているのかもしれない。直ぐ様反応し、僅かに振り向く。
「余計なお喋りは淑女としては問題よ」
「あ、はい……申し訳ございませんっ」
少し不機嫌さの感じる低めの声で咎められ途端に萎縮するレイビス。見ていてこうはなりたくないと心底思ってしまった。
少なくとも、それらの感情含めて顔には出ていなかったと自信がある。これは憶測や根拠のない理屈ではなく、生まれ育った環境からくる生きる術の一つとして身につけた感覚だから。
けれど。
レイビスは私の平坦で変わり映えしないその雰囲気が気に入らなかったのかもしれない。
顔色一つ変えない私を見て明らかに苛立ち、そして瞬間的に憎しみに似た感情をその内に抱えたのが伝わってきた。
「……なんなのよ、その顔。感情はないの? 人形じゃあるまいし」
虚勢による嘲笑だった。
彼女なりの私への挑発だった。
でもそんな事をしなければ優位に立てないと思っている彼女があまりにも憐れで、心の底からこのレイビスという人に同情することになった。
―――当事者レイビスの語り―――
最近王妃殿下から『イライラするな』と何度も咎められてしまう。
イライラなんてしていないのに。何でそんな事を言われなければと思いながらも私は素直に従う。王妃殿下がお側に置いてくれなければ今ごろ私は【スキル】も【称号】も条件が揃わないと使えなくなった役立たずだと王宮を追い出されていたはずだから。
王妃殿下の親戚と言っても、私は他人。幼い頃に【称号】持ちだと発覚してお金持ちの今の実家に引きとられた養子だから。
でもそれでも王妃殿下は身分など関係ないからと良くしてくださった。私を王妃殿下がこの王宮に嫁いで来る前から側近として置いて下さると約束して下さって、そして今に至っている。
でもいつからだろう、なんとなく、本当に感覚的に、王妃殿下が私を疎ましく思っているかも、と感じるようになって。
ふとした時にその感覚を思い出しながら、気付いてしまった。色んな、小さくて見落としそうな違和感が一つに纏まった瞬間だった。
王妃殿下はグレイセル様を私情で呼び戻そうとしている。
と。
(……私のためじゃ、なかった?)
私が懇願したから、私のために、私だから王妃殿下はあの時無理を承知で引き止めてくれたのだとずっと思っていたのに。
そう気付いてしまえば、様々な事が綺麗に隙間なく記憶を埋めていったし腑に落ちた。
(私、利用された?)
今だってそう。グレイセル様のことをこんな令嬢にまで聞いて。
知ってるわけないじゃない、私の方が詳しいのにと言いたくなるのを堪えなければならないほど、王妃殿下はグレイセル様の事を知りたがる。
特にグレイセル様が離婚してからは露骨になって、王妃殿下付きの侍女なら知らない者はいなくてその侍女たちもご機嫌取りのために周囲から情報を集めて些細なことでもこっそりと王妃殿下に伝えているみたい。
そしてその情報は、私には来ない。
……イライラする。
今日は特に、イライラする。
なんでだろう。
「レイビス」
名前を呼ばれてハッとした。
「何度言わせるの、品のない言葉遣いや余計なことは言わないでちょうだい」
分かった。
目の前のこの地位の低い令嬢のせい。
私を馬鹿にした目をしているから。
だから、イライラする。
『貴方に興味ありません』と、言っているその目が生意気で、性格を表しているとしか思えない。
そして私は見逃さなかった。
微かに視線を落としたのを。
ほら、馬鹿にして笑ってるんでしょ。
私を下に見て笑ってるのよね?!
私はそんな目で見られるような立場じゃない!!
「レイビス!!!」
王妃殿下の聞いたことのない怒鳴り声と、それに重なった侍女たちの悲鳴。
目の前の令嬢が顔から鮮血を散らしていた。
その一部がパッと、私にも飛んで。
そこからはよく覚えていない。とにかく王妃殿下に怒られて、怒られて、怒られて。
数分、王妃殿下からの膨大な量の言葉に耐えた。
そしてある時、突然それが止まって。
「お前のこの離宮の出入りは禁止するわ」
「え?」
「不愉快だわ、私の離宮で流血騒ぎを起こすなんて。甘やかしすぎたわね、当分顔も見たくないわ、早く出ていきなさい!」
「え、え?」
「陛下の許可を貰いお前は再度暗部に所属させるわね。しばらくそこでその直ぐカッとなって手を出す悪手を直しなさい!!」
やだ、やだ!
あそこはっ、情報を集める部署とは表向きで人を殺したり拐ったりするところ。任務を拒否することは許されなくて意見するだけで罰が与えられるのっ。
フォンロン国の『覇王』発生時の時も王妃殿下の指示で同行したけれど、私の扱いはまるで物扱いで!
「あ、あの、王妃殿下っ私はただっ」
「話しかけないで、今は話したくないわ」
「あっ……」
「まずは私への謝罪でしょう、それも出来ないような側近などいらないのよ」
目も合わせてくれなくて。そして王妃殿下は床で蹲る令嬢の前に立つと見下ろして。
「あの者も悪いけれど、きっとあなたも悪いわね。人を見下す目でもしていたのかしら? それとも雰囲気が伝わったのかしら? 人によってはそういうのを敏感に感じ取るのよ、覚えておきなさい。今日のことはあなたの勉強になったんじゃないかしら。……後始末は自分でしなさい、私の離宮を汚したのだから。それと、治療やポーションは自分で用意しなさい」
そして歩き出した。一度も私を見ることなく。引き留めようと『王妃殿下』とお声をかけたのに。
そんな、馬鹿な。
この私が。
なんで、こんな目に。
私は【隠密】なのよ。
こんな扱いをされるような人間じゃないの。
それに。
王妃殿下から離れたらグレイセル様のことを知る手段を、失ってしまうじゃない。
嫌、イヤだ。
そんなの、いや。
いや、いや、いや。
この複数人による王宮での語りはネルビア編後半で入れる予定だったのですが、前回の侯爵の語りのように王宮内の話ということで時系列は狂うけれど纏めた方が良いかなと思い今になりました。
この2話でベイフェルア王宮内がめちゃくちゃなのが伝わったかな、と。
特にこのお話の最後、レイビスの語りとそこで語られる王妃のこと。数年ぶりに出てきた王妃とレイビス、急にアホになってまして。ごめんなさい、もう少しその過程を描けば良かったのかもしれませんが、何せ他に書くこと、書きたいこと、書かなきゃならないことが多く。600話以上あるなら出せたろ!!と咎められそうですが、そこはスルーさせて頂きます。そのうち季節のスペシャルとかでその過程を……いや、楽しくない、やめておこう、そんな気持ちです。




