44 * 夫婦揃って来店
私の中で時の人である、トルファ侯爵様が奥様を伴って来店した。
フツーに、本当に普通のお客様と変わらず外で入店待ちをしているのを見つけたローツさんとセティアさんが慌ててお二人を店の二階に案内したのが数分前。
お二人ともちゃんと貴族の訪問着ではあるけれど落ち着いた色味と装飾品をほとんど身につけていないのは好感が持てる。これはおそらく目立たないようにというよりは周囲に配慮したからこそ。この配慮は必要ない、という貴族が圧倒的な中でこちらに寄り添えるのはやっぱり情報収集能力が高いのと、その情報が正確だからなのかもしれない。
「あ」
先日の初顔合わせと奥様の紹介を受けてすぐ、私はとある物に目が自然と向いた。
それはトルファ侯爵夫人の首に掛けられているもの。
ベニトアイトを使ったネックレスだ。
デザインは私がツィーダム家に提案したものからヒントを得てツィーダム家の職人が考えたデザインのものだ。長方形のスクエアカットが施されたベニトアイトが三石、シンプルな爪無しの台座にはめ込まれ、その間に同じくスクエアカットが施された一回り小さなブルートパーズが同じ型の台座に嵌められ並んだデザインになっている。そしてチェーンのところどころにやっぱりシンプルなデザインの台座に乗ったダイヤモンドが配置されていて、シンプルだけど宝石の美しさを最大限に活かした豪華な作りとなっている。
「ツィーダム侯爵家のオークションに出ていた物を主人が買ってくださいましたの」
やっぱり夫婦だな! と思わせる愛嬌ある、でも食えない感じの笑顔の夫人はネックレスに手を添える。
「君にどうしてもお礼が言いたいというのでね」
トルファ侯爵様は苦笑して嘆息した。
「お礼、ですか」
「私の普段の行いのせいで妻まで警戒されてこちらになかなか堂々と顔を出せなかったし、君に関連するものを購入するのも色々と、ね」
「ああ……」
と、声に出してしまった。仕方ないよね、色々楽しくやらかすで有名だから周りが警戒するのは当然だし。
「私としても感謝しているんだ、真珠の取引について周囲から歓迎の声を貰うし妻には贈り物をしてびっくりもしてもらえたし。なりより君が妻が買ってくれるのは別、と割り切ってくれたことで中立派だけでなく他からの監視も弱まった」
ん? 他から?
その疑問が顔に出ていたらしく、トルファ侯爵様が面白そうに笑う。
「いやぁ、まさかバミス法国のウィルハード公爵家に監視されるなんて思いもよらなかったよ。あれを知った時は流石の私も嫌な汗が噴き出たね」
公爵様、監視なんてやってたんですか……。
てゆーか、外国からも警戒されるってどんだけこの人厄介なのか、とちょっと引きつつ顔に出さないようにし笑顔だけ返しておく。
改めて奥様から会ってくれてありがとうと言われ、いえいえこちらこそ、なんてことを返して暫くは談笑。
奥様は相当シンプルなデザインをお気に召したようで、それに合うドレスなんかも今専属のお針子達とあーでもないこーでもないと意見を出しつつ楽しんでいるらしい。ツィーダム家のエリス様が最近身につけているドレスも気になるからと色々調べているとのこと。こういう話で盛り上がれるところを見ると普通に良いご夫人だよね。
そして、そこからは自然と不揃い真珠の話になり、正式な契約を交わした後なのであけすけに互いに生息状況から製品化して市場に乗せるまでの細かな事についても意見交換となって。濃い話し合いが出来たなと満足したところで夫人が話を切り替えてきた。
「そういえば、お耳に入れておきたいことがございましたの」
夫人の声のトーンがほんの少し変わった気がして私は何だろうと自然と首を傾げていた。
「だいぶ前の話なんですけれど、あの頃はこのようにジュリさんとお話しすることになるとは思っていませんでしたし離婚されて伯爵姓から抜けたといってもジュリさんは中立派とみなされておいでですから、正直アストハルア家が把握なさっていれば良いだろう程度でしたの。でも主人からも伝えて構わないと言われましたし、こうして知り合えましたから直接お伝えしようと思いましたの」
「えっと、それはどういう?……」
私はさらに首を傾げ、何が言いたいのか分からない困った顔になっていた。
「これでも私、トルファ家に嫁いだ身として夫同様に情報を集めることには慣れておりまして、それは多岐にわたるのですが……ジュリさんが伯爵と結婚なさった頃まで話は遡りますわ」
「随分前になりますね?」
「ええ、でもあの頃。……ジュリさん、ご本人も変化を感じていたのでは?」
「え?」
「王家、正確には王妃殿下。……ジュリさんたちのご結婚を境に対応が変わりましたでしょ」
その断言に私は目を見開いた。
これはなかなかに重い話ではなかろうか、そう思って下で待機しているローツさんに今日は自警団に顔を出しているグレイを呼びに行って貰おうとしたら止められた。
「伯爵抜きでお伝えしておきたいことですので」
そして夫人から聞かされた内容に、とりあえず私は頭の中でその意味を考えることにした。
「王妃殿下はどうやらクノーマス伯爵の結婚を面白く思っていなかったと言うことです」
面白く思っていなかった?
それは、うん?
政治的に?
それとも私情?
……はぁ?
となった。
百面相をする私を見て吹き出し笑いをしたのがトルファ侯爵様。
「まあ、あなた……」
ちょっとだけ咎めるような言い方をした夫人などお構い無しに侯爵様は大笑い。
「すまないっ、なかなかに面白い顔をするから! でも当然でもある、わかるよ私も報告を受けたときにそんな顔をしたと思うから!」
あのー、笑いごとではない気がしますよ。
だってね、そもそも王妃とは退団当時進退について意見が真っ向から割れてグレイは不敬罪覚悟で退団届けを出してきた、と聞いているしそれが事実だと周りも認めていて……。
あれ。
待って?
そういえば、今まで気にした事がなかったけど。
「……グレイが退団することになったきっかけとして、王家と強権派は、クノーマス家を使い潰すもしくは陥れる動きをしていましたよね?」
「ええ、そうですわね」
「でも、王妃に、引き止められてますよね?」
「ええ」
「で、一度はそれに従って……でも次は断ってます」
「ええ、届け出通りその日付に退団なさってますわね」
「……理由は」
「ご存知の通りです。王妃殿下お抱えの【称号:隠密】を持つレイビスが伯爵の指導を受けたいからと無理を言い、妃殿下の権限で引き止めたということになってますわ」
「ということになってる?」
「間違いではありませんのよ。でもね、私の持つ情報筋だともう少し続きがあるんですの」
もう少し続きが、ある?
「王妃殿下ご自身が、伯爵が王宮に残ることを望んでいた、と。しかもその理由が『レイビスのため』とはなっていましたがそれでは王宮や強権派を納得させるには弱すぎる口実で当時も実は密かにほかの理由を探る動きは一部であったんです。けれど曖昧で一貫してこれだ、という理由がないまま、その疑問だけが一人歩きをしましてね。そうしたら、王宮内の侍女のごく一部が裏でこんなことを話していたんです。『妃殿下は密かにクノーマス団長に想いを寄せている』と」
一瞬息を止めた。そして息を吐き出した。額に手をあてがい、自然と眉間にシワを寄せてしまう。
「……あー、なるほど。なんか、納得です」
今更、本当に今更納得したわ。
実は私も一度は考えた。
王宮、つまり王家は強権派と共にクノーマス家の力を削ぎたかった。だから無理なことを押し付け搾取できるものは搾取し、弱体化を狙った。そこには勿論グレイも含まれていた。圧倒的な能力持ちのグレイを追い出すもしくは自ら出ていくように仕向けていたはず。
なのに王妃は引き止めた。
そう、私もかつてそこに引っかかりは感じていた。いくら自分の縁戚でしかも自分の側近のような【称号】持ちのレイビスのお願いだとしてもわざわざ王宮や強権派の機嫌を損ねるリスクを背負ってまで引き止めるの? と。ちょっと随分考えが甘いんじゃない? って。そこには何らかの私情がありそうだよね、って。
ただ、あの頃話を聞いた時、グレイの拒絶っぷりが当時から突き抜けていたというか最早無関心で一応貴族の一員として形だけは王家に忠誠を誓っている、というのが傍にいるからこそ嫌と言うほど分かっていた。
だから『そういう可能性』は深く考えなかった。異性として全く意識しないなんてレベルはとっくに超えていたから。
「あー……私の作るものへの関心が急激に冷めたのって、もしかして」
「正確な時期までは流石に私も把握してませんわよ、でもお二人が結婚の報告を王家にした辺りか、それ以降ではないかと」
「つまり、私のことが嫌いになったついでに作るものへの興味が冷めた、と」
「だと思いますわ。手紙の内容も変わりませんでした?」
「……変わりました、殆ど社交辞令の定型文って感じになっていって。扱いかねて今はグレイに丸投げです。グレイもここぞとばかりに社交辞令の定型文で返しているんですが、今でも定期的に手紙は来ます」
「王妃殿下の侍女の中にその手紙を出す係りを任されている者がおりますわ、その者の話によれば伯爵にお出しになる手紙の封筒と便箋が妃殿下が使用する最も高級なものだそうです。わざわざ専用の香水まで取り寄せたとも。ジュリさんが目を通すのを想定しておられるからこそ、出来るのがその二つだけなんでしょうけれど」
私は反射的にトルファ侯爵様の方を向いていた。
侯爵様はいつもの笑顔を潜め、まっすぐこちらを見ていた。
「妻の話は私も裏取りをしている」
「つまり、かなり正確な情報、と?」
「王妃殿下から直接聞いたわけではなくあくまで周りが話していたことと実際の妃殿下の行動を知っている、と言うことだ。でも、大きく外れた話ではないね」
ここにきてそういう話が転がり込んでくるとは。
ちょっと、今更すぎるでしょ!!
「そして、今でも妃殿下は伯爵の復帰を望んでいると周囲に話している」
「は? あ、すみません」
自分でびっくりするくらい失礼な低くて高圧的な声が出てしまった! 慌てて謝ればトルファ侯爵様は『大丈夫だよ』と一言優しく返してくれる。
「本人も望みは薄いと理解してのことだから冗談混じりに雑談として話す程度らしいけれど、それにしても何度かその話をされれば周りも『もしかして?』『やっぱり』と思うものだろう? ましてや相手は王妃殿下、嘘も真に変える事が可能な地位にいる」
「いや、あの……それに関しては……絶対にありえません。私が言うのも何ですが、私を無視するような態度を改めない限りあの男が王家の言うことを聞くなんてありえません」
再び額に手をあてがう。ホントにそれくらいグレイは本来扱いが難しいんたけどなぁ。それを知らないわけないんだけど。
「だから伝えておこうと思いましたのよ」
「え?」
「今後、王宮と強権派とは別に妃殿下が独自に動かれる可能性がありますわ。クノーマス伯爵を呼び戻すために、何らかの手段を講じるとして……まず真っ先に思い浮かぶのはジュリさん、あなたの存在でしょう。間違いなく、妃殿下からしたらあなたの存在は厄介ですわ。あなたがいる限り、伯爵は絶対に他の女性のことなど全く目に留めませんもの、排除は出来なくとも引き離すための何かを仕掛けてくるかも」
「えっと、それも、あの男に通用しませんよ、きっとそんなことになれば」
「存じてますわ、間違いなく伯爵は王妃殿下に手をかけますわね」
おお、他人からはっきりと言われるとなんか清々しいわ。グレイってトルファ侯爵家でも『私のことに関しては思考がイカれてる男』って認識なんだろうね、これ。
「ですから、おそらく動くとすれば王宮と強権派が派手に動く時だと思いますわ」
「え?」
今日何度目の『え?』か。
「派手に、動く、ですか?」
「もう王家のお金が底をつきかけてますの、国全体に重税を課すしかもう手段はありませんわ。そしてお金を生み出す国民は一人残らずそこに巻き込まれるでしょう。ジュリさんも例外ではありません、寧ろその中心人物となりうる。……あなたを軸にして、王宮、強権派、そして王妃がそれぞれの思惑で動くはずです。そしてそれを増長するのが、アストハルア家とクノーマス家の婚姻。穏健派と中立派の筆頭家の婚姻がもし、派閥を一つに纏めるきっかけとなったらどうなります? 間違いなく、王家と強権派を遥かに超えます。……財力だけでなく、軍事力も。そうなったら、もうお手上げです。ならばどうするか。そうなる前に動きます、確実に王家と強権派は動きますわ。そこに王妃が個人で加わりますのよ、一体どれだけの混乱を呼ぶことになるか想像するだけでも恐ろしいものがありますわね」
『これからはどうぞよしなに』と帰っていったトルファ侯爵夫妻。
「えぇぇぇぇ……? 聞かされて私はどうしろと?」
一人になっての第一声がそれ。
もう面倒以外のなにものでもない。
とりあえず、グレイには……。
「うん、隠し事よくない、離婚の原因になったしね!」
話そう。
情報共有大事、グレイ抜きで話しがしたかったというトルファ侯爵夫人の気持ちも分かる。でも私とグレイが話し合うかどうかは別問題。私たちのことだからこそ、互いにしっかり理解しておくべきだ。
「はぁぁぁ……」
停戦協定が結ばれてホッとしたのもの束の間。
憂鬱だわ。
今さら出てきた王妃ですが、ジュリたちのワチャワチャの裏では色々起こってますからね、それが世の中ということで。




