44 * 中立派侯爵、派手に笑う
まさかこの四人が揃って応接室で酒を酌み交わすなんて誰が想像したか。
「すまないが、付き合ってもらえないだろうか」
アストハルア公爵家に到着してすぐ、息子のグレイセルから話しがあると数分親子で会話したあと、私がシルフィと別れて行動することになったのはこの公爵家の当主が疲れた顔をして私に会うなりいきなりそう言ってきたからだ。
そして不運なのはツィーダム侯爵だ。彼も到着するなり全く同じセリフで呼ばれたのだが、あちらは夫人が破天荒。
「面白そうだな、あのトルファの曲者がいるんだろ? 私も同席しよう」
と言い出し、夫人を止めるのに相当苦労する羽目になり、その余計な体力の消耗のせいで今はもう放っておいてくれと言わんばかりに無言でソファに深く身を沈めて微動だにしなくなってしまった。
穏健派アストハルア公爵とトルファ侯爵。そして中立派ツィーダム侯爵とこの私。
年齢で見れば私とツィーダム侯爵は穏健派二人より十以上歳上だ。ぱっと見れば私たちの方が立場が上に見えるだろうが立場で言えばアストハルア公爵が上だ。そういう意味で私もツィーダム侯爵のように黙って公爵が主導権を握り話をするのが筋なのだが、それを全く無視する男がいる。
トルファ侯爵だ。
「全く、あなたの息子どうにかならないものですか。あの誰にでも当たり前のように殺気を向けるのやめさせないと駄目ですよ。それにあの彼女なんですか? 本当にあれで【スキル】も【称号】もないんですか? 度胸ありすぎです、元いた世界でどんな生活していたらあんな性格になるんです? ああそれと、公爵家はどういう教育してるんだ、ロディム君もリウト君もちょっと直情すぎるしなんであんなに攻撃的になってるんだい、一度家族で話し合ったらいいよ君たちは」
私にいきなり話しかけてきたその流れでアストハルア公爵に話を振り。お前こそどういう教育を受けたら高位貴族が揃うこの場でそんな態度が出来ると言ってやりたいが、アストハルア公爵が完全に無視しているのでそれに倣うことにした。
一通り喋りたいことを喋り終わるまでおよそ五分、トルファ侯爵は満足したらしい。ふう、と息をつくとあのなんとも言い難い癪に障る笑顔を浮かべる。
「でもまあ、あの【彼方からの使い】に会えたし長年頭を悩ませていたことを解決出来そうだから良しとするよ」
本人はそれでいいだろう。
だが、ここでそれを絶対に良しとしない男がいる。
私でもツィーダム侯爵でもない。
アストハルア公爵。
彼こそ、このトルファ侯爵の笑顔が今一番癪に障るのではなかろうか。
「忠告しておく」
冷ややかな声だった。
アストハルア公爵の脈絡のないその言葉にきょとんとしたトルファ侯爵。それが更に公爵を苛つかせたらしい。
握り拳をドン、と座るソファの肘掛けに叩きつけた。隣に座るトルファ侯爵は驚きぴくんと肩を跳ね上げた。
「お前のやり方は今後一切グレイセル・クノーマスに通用しない、覚えておけ。次は絶対にない。あの者はどんな防御もすり抜けてお前にたどり着く。何を差し出しても目もくれずお前の首をはねるぞ」
ジュリが聞いたらなんというだろうか。
「たしかに!」
……言いそうだ、彼女なら、笑いながら頷きそうだ。
トルファ侯爵は公爵の怒りと言葉の意味が分からないらしい。
それはそうだろう、トルファ侯爵はミスをしていないのだから。
ジュリに近づくためにあえてトルファ侯爵領やその近辺、そして交友関係などの情報をグレイセルやローツ達に掴ませた。それはグレイセルたちも分かっているようだったので私もツィーダム侯爵もあえて口出ししていない。そもそも新しい素材が見つかったりアイデアが生まれたり、事業展開するならば我々は止めることなど絶対にない。ジュリの好きにさせる。それこそが【彼方からの使い】としての本領発揮となるならば、我々はそのために力も金もいくらでも差し出すだけだ。
それもこのトルファ侯爵は知っていた。
おそらく、ジュリの【神の守護】や神による寵愛、そして恩恵などもかなり詳しく正しく情報を得ているはずだ。
だとすればそもそもジュリに手出しは出来ないことになる。
それを踏まえ、では『遊ぶ』には、どうするか。
息子グレイセルを標的にすればいい。
ククマット全体であれば【神の守護】に抵触する可能性がある。ジュリが殆どのことに深く関わっているからだ。
だが、グレイセル個人は?
(だから厄介なのだよ、この男は)
おそらくそこに思い至ったのだろう。
(クノーマス侯爵家ではなく、グレイセル個人に目をつける辺りが本当に小賢しいな)
ジュリには神の寵愛という目に見えない鉄壁の守りがある。そして目に見える鉄壁の守りは息子グレイセルだ。
その息子を振り回せたらどうなる?
間接的にジュリに被害が出るのだ。
このトルファ侯爵は面白ければ何でもいいのだ。
そこでどうすればジュリを巻き込んで楽しめるのか、遊べるのかと考えたのだろう。そしてついでに自領の問題解決が出来るなら儲けもの、そう思ったに違いない。
納得いく形で遊ぶにはどうするか。
グレイセルだけを振り回せばいい。一切ジュリには手出しせず、グレイセル個人を徹底的に振り回すのだ。
息子だけに狙いを定めたこの男は実に見事な立ち回りをしてみせた。
「分かっていないようだが、私が説明しようか」
たまらずと言った感じでツィーダム侯爵はそう声を掛ける。
額に指をあてがい、それはそれは不愉快そうに眉間にしわを刻む。
「トルファ侯爵、先日のベリアス公爵夫人が殺害された件で王家とベリアス家に尋問されているだろう」
「ああ! あれは本当に参りましたよ、あんな分かりやすく敵対派閥の夫人を殺すなんてするわけないのに。私ならもう少しマシなやり方でやりますよ、罪を擦り付けるのだってもっと上手くやれますしね」
「そう、君なら絶対にあんなミスを犯したりしないし、あれは明らかに君とベリアス家どちらにも恨みがある者がやったことだろう。犯人はこちらでは特定出来ていないが」
そこで言葉を区切り、鋭い目をトルファ侯爵に向ける。
「大方、見当がついているか、既に判明しているか。……違うか?」
「さあ、どうでしょうね?」
ツィーダム侯爵に睨まれても動じない。寧ろそれを楽しんでいるようにも見えた。
「……それはまあいい、こちら中立派には関係のないことだ。そう、関係なかった。なのになぜ、尋問でわざわざグレイセル・クノーマスの名前を出した? しかも、その流れで停戦協定の話まで出したそうだな」
「あれ、もうバレてるんですか」
この男のこの楽しげな顔には本当にイライラさせられる。
「困りますねえ、内密にと約束したはずなのに。王宮の文官はすぐ金で買収されるから困りますよ」
「調書開示を求めたが拒否されこちらは内容を確認出来ない。どういったやり取りがなされたか殆ど把握出来ていないがそれでも判明したのは、トルファ侯爵が尋問の際になぜかグレイセル・クノーマスの存在を仄めかし更には王家とベリアス家がネルビアの意向で停戦協定から締め出されたなどと話をいつの間にかすり替えたということ。そのせいであの公爵夫人殺害以降、中立派の周りには次々スパイが送り込まれている。君の情報収集能力を危険視している王家とベリアス家からしてみれば何故唐突にその名前と停戦協定の話が出てきたのかと訝しむだろう、そしてそこに何か事の発端が隠されているのではと繋がったと推測される。おかげでマーベイン辺境伯爵家まで監視される始末、事と次第によってはネルビア首長国にまで疑惑が広がる」
「流石ですねぇ、もうそこまで辿り着きましたか」
ドン!!
さっきよりも明らかに響く重い音。アストハルア公爵の腕が乗るソファの肘掛けが軋み歪んだ。
「お前は何がしたい」
「え? ちょっとした嫌がらせかな?」
あっけらかんとそう言い放ち、やっぱり笑顔のトルファ侯爵を信じられない様子で目を見開き公爵が凝視する。
「なん、だと?」
「だっておかしいじゃないか、たまには真面目に手を貸すっていってるのに完全に私たちは部外者扱い。アストハルア家がネルビアに近いってのは私だって十分理解しているよ、それが及ぼす影響はいいことだけじゃないこともね。だとしても中立派だけが歴史的な事に関わるなんてずるいじゃないか」
呆れて反論も出来ない、そんな顔をしたのがツィーダム侯爵だ。
「せっかくあの阿呆な国王もベリアス家もいない状態で歴史的な偉業が起こるっていうのに、そんな面白そうなことにどうして手を貸すと言ってるのに排除されなきゃいけない? みんなで平和な国を作ろうなんて言って結局派閥だなんだと歪めてるのは君たちだろ。私だってたまには真面目に貴族として務めを果たすよ、そして面白ければなおのこといくらだってお金も出すしコネも情報も使わせる出し惜しみなんてしないさ。わかるかい? ややこしい事をしているのは実は君たちなんだよ、そんなことをしているから阿呆達に隙を見せてしまってるんじゃないか」
腸が煮えくり返る気持ちになるが、なるほどと返しそうになる。
「だから彼女が興味を持ちそうなこちらの悩みを全部見せたんだ。今までの情報から食いくつだろうと思ったしね。それに律儀な性格をしているから約束を破るような事もないだろう。でも彼女も穏健派が停戦協定に関わることに難色を示したことはわかっていた。それこそ差別だ、だからちょっとした意趣返しだよ、グレイセル・クノーマス個人になら何をしても彼女の【選択の自由】は発動しないから」
「ふっ」
全員の視線が私に向けられた。
しまった、笑ってしまった。
いや、この状況、笑わずにはいられない。
「なんだ、その笑いは」
ツィーダム侯爵が実に不愉快そうに眉毛を吊り上げて睨んできた。
「いや、すまないっ、流石だと思って」
「なんだとっ、この男を誉める要素が今何処にあった!」
「私が流石だと思ったのはジュリだ」
「……なに?」
「トルファ侯爵、ジュリと不揃い真珠の取引をしたそうだね、ここに来る前息子から手短に説明されたんだが」
「あ、ああ……」
「それで」
私はトントン、と指で、テーブル天板を叩く。
「ここ、テーブルを使ったかい? 彼女はたとえどんな些細なことでも気に入った素材やアイデアを無駄にしないためにその場で契約書を用意し内容を確認してもらいサインが出来る状態を相手に見せる事で信頼を勝ち取る手段を用いる。……君、『契約書を用意します』と言われていないだろ」
目を見開いたのはトルファ侯爵だけではない。他二人も同様に驚きを隠せず表情を変えた。
「用意しているとは思う、思うが……契約書を見せてこない時点で君の動き次第では即時白紙にする覚悟がある。それだけは忘れないように。そしてね、うちの息子はジュリに覚悟があると知ればそれ相応の事をしでかす。君では手に負えない、国どころか大陸すら本気で滅ぼそうと考えるよ」
呆然とするのは仕方ないだろう。
「はははっ、愉快だ!!」
言葉を失いポカンとしたまま微動だにしないトルファ侯爵の目の前でツィーダム侯爵が珍しく大声で快活に笑う。
「ジュリの怖い所はそこだ。あの性格だから何でもその場で勢いで決めているように見えるけれど実は驚くほど警戒心をもって綿密に計画を立てていたりする。今回はその見本にもなりそうな良い例だな。約束を破る、違えるのが極めて難しい魔法紙による契約書、あれを出してこない時点で君は信用されていなかったってことになる。だから君がグレイセル相手に遊んでいると知ったら、口約束だったその計画は瞬時に立ち消えだ」
「グレイセルがそれを勧めていたか?」
「かもしれない。うちの息子はジュリの事になるとそりゃもう鼻が利くからきっと信用出来ると確信が持てるまでは契約書は必要ないと言った可能性がある。勘がいいからそれだけ聞けばジュリもその方向で話を進めやすいように動く。効果的だったと思う、目の前でアクセサリーを作ったなら。あの流れるような迷いない美しい手の動きで物を作り上げるのを見せられて、しかもそれが目を引くものだったらよほど美的センスが狂った者でなければ引っ張られる、彼女の思うツボだろう。でも別に悲観する必要はない。口約束だとしてもジュリが確かに言ったなら後はトルファ侯爵の動向次第でいくらでも彼女なら力になる。もちろん少しでも余計な動きをすれば直ぐ様警戒するだろうがね。一枚の大金貨を受け取ったのは、あれは……ジュリの相手を油断させる手段の一つと言えるかもしれないな」
私とツィーダム侯爵が実に愉快な気持ちで話す一方でアストハルア公爵はずっと険しい顔をしている。
「伯爵は今回の事をどう思っている?」
その問いに私は肩を竦める。
「言いませんよ、絶対に。言ったら侯爵家に責任が及ぶと思っているような息子なので。自分に降りかかる火の粉は自分で払う、その程度だと思いますよ。ですが……トルファ侯爵がジュリへの接触でミスを犯していますから、それがどうなるかは未知数です」
「え? ミス?」
トルファ侯爵だった。
「そう、君はミスをしているんだよ」
楽しみ過ぎたのだ。
グレイセルで遊ぶのは結構、好きにしたらしい。
だが、読みが甘すぎる。
離婚してそれぞれが独立した存在にはなったが。
ジュリとグレイセルが『他人事』『個人の問題』と全てを割り切るはずがない。
二人で一人。
離婚してなおその感覚が強まったように見える。
だとすれば。
「彼女は、確かに無力ではあるが」
私は指で自分の頭をトントンと突いた。
「ここを使い出したら怖い。そして彼女がそうすると君のように面白い! と食いつく人間がいる。それが【英雄剣士】だ。同郷らしくてね、価値観も近く、歳も近く。……グレイセルが困っている煩わしい思いをしていると知ったら、頭を使った戦いを挑んで来るよ【英雄剣士】という最強の友を巻き込んでね。彼女には、我々とは違う形で息子を守る力があるんだよ」
それを聞いてツィーダム侯爵が笑った。
「ジュリは巻き込む天才だからな、あれも立派な力だ」
それについては同意しかない。
「なのでトルファ侯爵」
私も笑っておく。
「アストハルア公爵の友であり続けたいのなら即刻グレイセルにちょっかいを出すのをやめなさい。アストハルア公爵はジュリだけでなくグレイセルからの信用信頼もジュリとの関係に絶対に必要だと理解している。もし、それでも己の楽しみを優先したいのならば、当家はトルファ侯爵とは信頼の構築が難しいためあらゆる事で一切の交渉も契約もしない、という内容の誓約書を作ろう。彼女はそれを見たら、どう動くだろうね」
穏健派筆頭家は頭を抱えた日となり。
中立派筆頭家は笑った日となった。
おじさん四人の語り回でした。
ジュリの離婚騒動あたりでクノーマス家の評価ガタ落ちしてると思うんですが、あの時も良かれと思ってやったことなんですよ。単に価値観の違いってやつですね。それだけは誤解のないようお願いします。
でも価値観の違い、本当に怖い……。
ちなみに普段はこうやって侯爵もエイジェリンも、シルフィもルリアナもジュリのことを褒めつつ宣伝しつつ社交界を渡り歩いてます。なんだかんだいいつつクノーマス家の地道な活動がジュリの知名度を上げる基盤となっているのかもしれません。




