44 * 中立派と穏健派
「お前を見ていると肩が凝るわ」
人の顔を見て披露困憊と言わんばかりにため息をついて肩を手で凝り解すのはご隠居。
「なんだか酷いこと言われてますね私」
「あのトルファの小僧相手にあそこまでやりあっておいてよく言う」
「ええ? 別にケンカを売ったわけじゃないですよ、しかもあちらは私にあの真珠をどうにかして欲しいことは知ってましたし」
「そういうことじゃない」
ピシャリ、明らかに呆れと怒りが籠もった言い方をされて流石に口を噤む。
「あれが何故ああも皆に恐れられているか理解しておらんだろ。あの小僧はな、単に人の揉め事に首を突っ込んで引っ掻き回して楽しむ悪趣味で恐れられているわけではない」
「え?」
「トルファ家というのは元々情報の売買と操ることで家を大きくした。かつては王家の影を動かすことすら許されていた程の情報網や情報収集力を持っている。情報戦であの家に勝てる家は数えるほどだ。しかも今の代はアストハルアと学友となり、そして今では悪友と呼び合うだけの近さがある。トルファを敵に回せば情報で、後ろに見え隠れするアストハルアの権力で、一瞬で滅ぼされる」
「それは、知ってます」
「……あの小僧の怖いところは面白ければ何でもいい、そういう価値観を持っていることだ。いいか、楽しければいいんだ、例え自分が傷つこうが自分を満たす楽しみならそっちを迷わず選ぶ男だ。【神の守護】を恐れるような男ではない」
なるほど、と納得。
なんであんなにも皆がトルファ侯爵様を私に近づけさせなかったのかようやく理解出来たわ。
【選択の自由】が発動する事も、グレイに命を狙われることも、些事ってこと。
それ、怖いね?! 確かに怖い、マジで怖い!!
「あー……そういう。……究極に面倒な人ってことなんですね」
「そういう事だ。下手に興味を持たれたらお前が酷い目にあうのは勿論、楽しいと判断されれば周りをとことん巻き込む。ジュリとは違う人の巻き込み方だぞ、甚大な被害しか生まん」
すると黙って話を聞いていたリウト君がフンっと鼻息荒く急に身を乗り出してきた。
「そうなる時は僕が物理的に排除してみせます、魔法なら負けません」
その脳筋めいた発言、誰に似たんだろうね? リウト君。
「心配には及びません」
「あれ、グレイ」
一通り 《ハンドメイド・ジュリ》のコーディネート部門の宣伝が終わったのか、グレイがこちらに姿を現した。
「煩わしいと判断した時点で私が始末しますから」
挨拶もそこそこにご隠居に言うのがそれなの?
グレイもその脳筋、いや物騒な発言は止めよう。ここはククマットじゃないよ、忘れちゃならないアストハルア公爵家だよ。
トルファ侯爵様はあの後アストハルア公爵様に呼ばれロディムの案内で何処かへ向かった。私たちはというと昼間のパーティーがちょうど終わったタイミングでもあったので晩餐会までの時間をゆっくり過ごすのにリウト君に案内されながら応接室の一つに向かっている最中だった。
応接室に入るとリウト君がテキパキと侍女さんたちに指示を出してお茶の準備等を進めてくれる。促されるままにソファに腰掛ければすかさずグレイからトルファ侯爵とどんなやり取りがあったのかと質問攻めにあった。それには私だけでなくご隠居とリウト君も補足する形で話をしてくれて、詳細を伝えることが出来た。
全て聞いてしばし逡巡したのち。
「これでこちらに何か仕掛けてくるなら、即座に消して問題ないかと」
サラッと真顔でグレイがそう言って、リウト君が頷いている。
一方でご隠居は遠い目。わかる、わかるよ。物騒脳相手にする時そうなるよね。
「そうもいかんだろ。それで本当にトルファが退くことになればアストハルア公爵家が穏健派筆頭家として動かんわけにはいかんだろう。少なくとも、あの小僧があれだけ自由に出来ているのは公爵家がそれを黙認しているからだ。それだけなんだかんだ言いつつ信頼関係があり同じ派閥の筆頭家とそれに次ぐ影響力のある家として近い。中立派の筆頭家二家の協力体制とはわけが違うぞ」
それに、とご隠居は続ける。
「知っているだろう、王宮が強権派に支配されている状況でまだ国と派閥というものが機能しているのはあの小僧があちらを外部内部含め絶妙な塩梅で引っ掻き回しているからだ。それだけあの家の情報操作力は強力な攻撃手段となっている。それを今、どんな理由にせよ排除となれば穏健派も中立派も無傷とはいかん」
え、怖。ホントに怖いんだけど。
トルファ家の情報操作、統制力。それって現代の地球で言えば、大規模サイバー攻撃が成功する、そういうレベルの脅威に該当するんじゃないの?
この世界の情報戦って、人海戦術。スパイを送り込んだり、国は勿論地方によって呼び名が様々な市井で情報を集めたり広めたりする人を至る所に配置して馴染ませて情報網を独自に作り上げる組織をフル活用するのが一般的とされている。つまり、トルファ家というのはこの世界の情報戦で常に優位に立てるトップクラスの技術と人材を抱えているってことになる。
『変に大人しい』と最近感じさせる強権派。この『変に大人しい』原因は物理的な妨害じゃなく、トルファ家による情報戦によるものだとしたら納得!! 物理的に動きを止められるなら目に見えてこちらも理解できるけど、見えない状況下で動きが鈍っているから『変』だと感じているわけだ。
「それでも私はジュリに実害が出るならば迷わずやりますが」
私が敵にしちゃいけないってホントだな、とガクブルする前にグレイがいつも通り言い放った。うん、ブレないね、凄いね、流石だわ。
ご隠居はあくまで自分の意見だと前置きして、この先の事はまだ分からないが今は穏健派と中立派で問題を起こすべきではない、と言うことだった。それに関してはトルファ侯爵様も理解しているはずなので互いに良くも悪くも刺激するような事は避けたいというのもあり、私を会わせたくなかったそう。
その『今は』というのが、ロディムとシイちゃんが結婚するまでの期間だという。
「ああ、なるほど。両派閥間で遺恨が残るような問題が起きた状態で二人が結婚すると確かにちょっと厄介そうですね」
「侯爵令嬢はアストハルア家に相応しくない、公爵令息はクノーマス家を乗っ取るつもりだと批判やありもしない話を広げやすい状況を作りかねん。そうなると元々二人の結婚を良く思わない派閥内からも反発する声が出やすくなる。そうなれば流石に協力体制を続けるのは難しくなるだろう、それは必ず今の王宮にも影響する……なにより先日のあの騒ぎだ。トルファ侯爵家には大人しくしていてもらわなければ困る」
先日の騒ぎ。
それは。
ベリアス公爵夫人が馬車で移動中に何者かに襲われた事件のこと。
近隣に買い物に行く途中での出来事だったらしい。
領地内ということもあり、護衛らしい護衛も付けずに侍女と御者の三人のみで移動中を襲われている。そして三人共その場で殺害されているのが発見されたという話。
この時、トルファ侯爵家の家紋が見つかっている。泥にまみれたそれはカフスピンかタイピンのようなものだった、とまでは情報として私に上がって来ていた。
この情報でグレイとローツさんは即座に同じ答えを口にした。
「トルファ家ではない」
と。
理由は情報を操る事に長けているような家がそんなヘマはしないしなにより直接的な攻撃などしないよね。今ならそれがしっくりくるし納得出来る材料になる。もう一つ言えば、ベリアス家と王家からトルファ家は厳しい聴取を受けたらしいけれど、それだけ。そう、聴取されて終わった。
何を意味するか。それは王家もベリアス家もトルファ家が犯人ではないと判断もしくは推測しているからだろう、と。ここで下手にトルファ家を突くと痛い目を見るのがベリアス家になるからね。
そしてトルファ家は既に真犯人にたどり着いているけれどその事を公表する気はないらしい、なんてことも聞いている。
まあ、確かにそうでなければこんな社交界の話題の中心となる公爵家の数日に及ぶ祝い事になんて顔を出せるわけがない。
先日のその事件で王宮はかなり混乱しているとのこと。クレベレール・マーベイン停戦協定も霞む騒ぎでいつ誰が誰を裏切るのかと疑心暗鬼になり非常にギスギスしているらしい。ちなみにそのギスギスもトルファ家が情報を齎せば解消するんだけど、トルファ侯爵がするはずがないだろう、と皆口を揃えた。
それらを踏まえて。
「とにかく、トルファの小僧は人の目に見えぬ所で常に重要な所に立つし、そのままトラブルを持ち込んで事を面倒にし、楽しむ。だからお前はあまりあの小僧相手に派手に動くでないぞ」
ということなんたけど。
「……今更じゃないですか?」
私の素朴な疑問に、ご隠居がものすっっっっっごく遠い目をした。
そしてそんなご隠居を更に遠い目にさせる二人がいた。
「万が一の時は侯爵のみならず周りも一網打尽にして消しますので」
「それが一番手っ取り早くていいですね」
グレイ、リウト君、ご隠居は物騒脳が理解出来ないからちょっと黙ってて(笑)。
そしてアストハルア公爵ご夫妻と前ご夫妻に呼び出された。
え、なんで?!
そんなにトルファ侯爵様にアイデア渡すの駄目だった?! そんなに相手するの大変なの?!
本日の主役、久々にお会いした前公爵夫人のオルガ様が扇子で口元隠しながら盛大なため息を漏らす。
「不揃いの真珠ならば当家の領地でも採れますのに」
……え、そっち?
そっちかい!!
見ると両親と祖父母の後ろに控えるロディムはうんざりした顔してるしシイちゃんと妹のセレーナちゃんはそんな兄を憐れみ混じりの笑顔で見つめている。
で。当事者はというと。
(わあ、めっちゃいい笑顔)
トルファ侯爵様の笑顔がねぇ、明らかにアストハルア公爵様に向けられてるのよ、わざとらしくまっすぐね。公爵様の額に青筋が見える……。
前公爵様は後ろにどす黒いオーラが見えるのは気のせいかな、うん、気のせい!
「こういう話は先にして欲しいぞ」
「そんなこと言われましても……そもそもそんなに困ってないじゃないですか不揃い真珠の扱いに」
公爵様、ため息つきますけどね、公爵家からうちも仕入れているし、なにより同じ使い方を既にしていて小物販売の業績を独自に伸ばしてるじゃないですか。特に移動販売馬車で特産品でもある布地と共にこの不揃い真珠の小物も売って上手く宣伝効果を齎していますよね。後からそのアイデアと作り方を得たって悪影響は出ません。利益は出ても不利益は出ませんよ。
なんてことで言い訳したら、フフッと笑った人がいた。
それがセレーナちゃん。
「お兄様の言った通りだわ」
ん? 何が?
「ジュリ様には敵いませんって話をしたんです。そういうことに関して口出しするだけ無駄ですってお兄様が仰るので本当にそうなったわ、と思いました」
ロディム、テメェ……後で覚えてろよ。
というのは冗談として。
「別にトルファ侯爵様に占有権登録してお譲りしますなんて、一言も言ってませんしね」
私はセレーナちゃんが変えてくれた空気に乗っかっておく。
「今回のアイデアは登録するような事ではないですよ。何よりワイヤーやつぶし玉、エンドパーツ等のさらなる改良含めて同じ派閥同士で開発を進めるのがいいと思います。少なくとも、それで中立派は今勢いに乗ってますから」
その後、私はあえて自分からトルファ侯爵様に近づく。勿論隣にグレイがいる状態で。
「演技、お上手ですね。それも恐れられる要因でしょうか」
私の問いに侯爵様はクッと詰まるような笑い声を発した。
「何のことかな?」
「真珠の件です。こちらがトルファ侯爵家についてかなり前から警戒し調べていた事を把握していますよね? エイジェリン様もルリアナ様もそれを覚悟で調べて下さいましたから」
「おやおや、天下のクノーマス侯爵家からそのような評価を得ているとは。光栄だね」
「それについては素直に受け止めお伝えしておきます。もしくは本日侯爵ご夫妻が夜の晩餐会に参加しますのでそちらに直接お伝え下さい」
「はははっ、あちらが挨拶を拒絶しなければそうするよ」
なんとも食えない御仁だわ。
「それで、返事を頂いておりません。どうされますか? 不揃い真珠の販路を拡大するためのアイデアは勿論、簡単とはいえ最初は指導する者が必要かと思いますのでそれらに関して纏めてお安くしておきますが?」
「そうだねぇ、見返りに何を求められるか、ちょっと怖い気もするんだけれど。私としてはすぐにでもその話を領に持って帰りたいと思っているんだ」
「見返りは不要です。正当な取引をしていただけるならほぼ無償でも問題ありません」
「……下心はない、と?」
「そこはご想像にお任せします、と言いたいところではありますが。こちらとしては『恩を売る』事が出来ればと思っていますよ」
「そう、そうかぁ、恩ねぇ……上手く考えたね?」
「それはもう。トルファ侯爵家を、敵に回すのだけは避けたいですから」
「それはこちらも同じだよ」
トルファ侯爵様はニコニコ、実に楽しげに笑みを浮かべながら突然ポケットに手を入れた。グレイが全く反応しないことから悪意はないと見ていい。
すると侯爵様はポケットから出した手を私に差し出してきた。
掌には一枚の金貨。一枚千リクル、日本円なら十万円くらいに換算できる硬貨。
「タダは怖いよ、だからこれは前金、手付金みたいなものかな。微々たるもので申し訳ないけれどね」
「恩込みの契約で構いませんか?」
「勿論。約束しよう、君には手を出さない。これでも領主として、周囲の領のまとめ役としての責任は理解しているつもりだ。これを蹴ってまで自分の楽しみに呆けるほど馬鹿にはなりきれないのでね」
私は侯爵様の掌下に自分の手を差し出した。そして侯爵様は手をひっくり返す。
金貨が私の掌に落ちてきた。
私はそれを握る。
「では、お話しを進める、それでよろしいですか?」
グレイが落ち着いた声で問いかけた。
「これで違ったらなんだと言うのか誰かにきいてみたいものだね」
トルファ侯爵様は実に楽しげに笑った。




