44 * それは人間のためではなく
聖杯。
この世界だと王侯貴族が生まれた時に儀式などで今後使う聖杯を親が準備する。
神様に祈りを捧げる時に水やお酒を注いで祭壇に捧げるもので、それは現在『神様のため』ではなく『捧げる人間側が使うため』の位置付けになっている。その使う人間が死ぬと金持ちは軒並み埋葬時に共に入れ、高価な聖杯を死者に持たせる財力があるんだぞ、というステータスにも利用されている現実があったりする。
神様に捧げるものじゃないのかよ? と思うけれどこればっかりはこの世界の習慣やしきたり、そして長々と受け継がれてきたことなので私がとやかく言ったところでどうにもならないだろうと諦めている。
「つまり、使う人間のためではなく神様のための聖杯を作るってこと?」
「そう。だって聖杯は神様に捧げるお酒や水を注ぐもので、本来その意味は神様のものだと思うわけ。それにね」
私は手袋をした指で優しくベニトアイトをつまんで反対の手袋越しの手の平に乗せる。
「セラスーン様を連想させたのよ」
次の瞬間。
『ジュリ素敵!!!』
私とキリアは勿論、ロディムまで肩を跳ね上げる程の大きな大きな声量がどこからともなく工房に響いた。
「「「……セラスーン様?」」」
三人で疑問形になったのは許して欲しいです。だってこんな振り切ったハイテンションな声は初めて聞きましたもので……。
『あら、ごめんなさい……』
今度はものすっっっっっごい、小さい声だった。そしてそのまま消えた気がする、うん、ふわぁぁぁんとフェイドアウトしましたねセラスーン様。
しばらく三人で固まって、笑うべきかどうか判断に迷い互いの顔色を伺い何となく意思疎通が出来てしまったのでその意思疎通通りスルーしておくことにした。
気を取り直し。
「こればっかりは勢いでデザインってわけにはいかないから二、三日考えさせて。ベニトアイトを使うからね、ちょっと気合入れて考えるわ」
本当に綺麗なベニトアイト。
「地球にいたら絶対にお目にかかれないわよ、こんなの。こういうところはこの世界に感謝よね」
この世界の研磨の甘さやカットの未熟さに目を瞑れる程には美しい。原石でも驚く綺麗さだからね。
「……あれ、自分で異常にハードル高くしちゃった? やばくない?」
これを使ってセラスーン様のための聖杯をデザインするってか?
責任半端ないな……。
やるけども。
さて。
単に素敵なデザインの聖杯を作り、そこに嵌め込むで問題ないと思う反面、それじゃあ面白くないんだよなぁと思ってしまうあたりが私は面倒な性格をしている自覚があります、はい。
「てゆーか、如何にもなデザインにはしたくないのよねぇ……せっかくだからセラスーン様のためってところに拘りたい。シンプル過ぎても豪奢過ぎても駄目、私の考えるセラスーン様を聖杯に凝縮するには素材の価値は忘れなきゃならない」
「如何にもなデザイン、ですか」
あれから二日、それなりのデザインを描いたもののどうもしっくりこない。それを工房の作業台に乱雑に広げて目の前の無造作に重なったデザインが気に入らないことが理解できないって顔をするロディム。
「私はこれなんかとても素敵だと思いますけど」
秘書の仕事に徐々に復帰しつつあるセティアさんも今日は朝から出勤していて、デザイン画を一枚手に取って微笑む。
「ああ、それは私も思いました」
ロディムもセティアさんが手にしたデザイン画はこの中で一番良いと思ったらしい。私はそんな二人を見比べてからうーんと唸り目を閉じる。
「私もそれは捨てがたいのよ。やっぱり、その上の器部分が取り外せて異素材ってのが斬新?」
そう質問すると『はい』と素直な返事をしたのがセティアさん。
「でも」
と続ける。
「異素材を組み合わせる斬新さよりも、このシンプルさの中にジュリさんらしさが詰め込まれていると思いました」
その言葉にパッと目を見開く。
「そうなんですよね、これ、ジュリさんじゃなきゃ思いつかないですよ。私ならやっぱり宝石をメインにするし上を外せればベニトアイトを傷つける心配もなくなるなんて気配りまでは思いつきません」
私らしい?
お?
これは?
ちょっと忘れていた感覚だ。
そのデザインは、上の器となる本来メインであろう部分が何の柄も細工も入らない飲み口が少し狭まる丸みある形のガラス製。薄く、口当たりよいガラスのワイングラスを思い浮かべて貰うといい。
それが取り外せる、というか、単に上に乗っかるだけにしたのはそもそもこれで人間は飲み物を飲むことを想定してないので別にくっついてなくてもいっかぁと思ったから。しかも洗浄も楽よ。ベニトアイトや柄や底は貴金属のお手入れをすればいい。
で、台座ともいえる柄と底はいぶし銀を使い植物の葉や花を編み込んだ蔦のような細工を考えた。これは銀ではなく螺鈿もどき細工にも使われている特漆黒を使った透かし彫りを施した木製でもいい。そしてガラスと接する台座としての役割も果たす部分にメインとしてベニトアイトをはめ込んで、ガラスの器下三分の一程を包み込むような、受け止めるようなデザインになっている。
「ああ!!」
私が大声で叫んたのでロディムとセティアさんが肩を跳ね上げる、ごめん。
「ベニトアイトを目立たせなくてもいっか!!」
「「え?」」
ロディムとセティアさんがハモるの珍しいわ。
「埋め込んでしまえ!!」
「「ええっ?!」」
またハモってる。
「そうそうそう、何もベニトアイトを前面に押し出す必要なかった! セラスーン様のものだもん、人間が権力誇示に使うわけじゃないんだから!! チラリズム、ありじゃない?!」
私の言ってることが理解できないのか、それとも信じられないのか分からないけど、とにかく驚いているのだけは分かる顔をしている二人はスルー。
セティアさんが持っている二人が良いと言ったデザイン画を思い出しながら新しいデザイン画を一気に大まかに描き込む。勿論補足付きで。
ある程度書き終えると、ロディムがバッと勢いよく両手を突き出しテーブルに着くと前かがみになってデザイン画を覗き込んで来た。
「これって、お店で売られている針金細工のアクセサリーに似てます」
「うん、そう。そしてこの手法はヒタンリ国国王陛下に献上した神様ブレスレットと同じ手法だね」
木の根元のデザインで不規則な形をした底から蔦に変化する柄の下部にまず一石のベニトアイトがその蔦に完全に絡め取られたようにして埋め込まれる。目視できる割合は三割くらい。そしてその蔦が上に向うにつれて草花の模様が入り、そしてそこにも一石絡め取るようにして埋め込む。見えるのはそこも三割程度。そして蔦は上に広がりを見せ、ガラスを包み込むように受け止め支える形でありながら極めて細やかな蔦がガラス三分の一を覆う台座となり、その台座と柄の上部付け根付近にやはり絡め取られるようにベニトアイトを配置する。これは七割見えればいいんじゃないかな。しかも全て原石のままでいいかもしれない。
「あえて金属で覆う、透かし彫りのようなデザインの中に宝石を入れるあれですね?」
セティアさんが目を丸くしながら言った言葉に私はしっかりと頷いた。
もうさ、宝石とか魔石をメインにしたデザインが世の中に氾濫してるんだからこれくらい大胆な使い方してもいいんじゃなかろうかと思うわけ。
『使い方が勿体ない』と言われるかもしれないけれど、その勿体ないって要するにせっかく綺麗なのにあえて見えなくするのが勿体ないってだけでしょ?
そんなの人の感覚なわけよ、私は別に勿体ないって思わない。
だってそのためのこの繊細な細工とガラスを組み合わせたわけだから。
「上の器部分がガラスだから、何も入れない、もしくは水を入れたら上から差し込む光が細工の隙間を通るよね」
「……光が通りますね。ベニトアイトもあれだけ純度が高ければ光を透します。原石でも十分美しさが伝わります」
ロディムはなるほどと納得した顔をして口元を手で覆う。
「そう。赤ワインなんか入れちゃうと魅力は半減するけど、でもそんなの想定内でね。上はガラスである必要もなくて、例えば全く別の金属で用意して乗せてもいいし、季節に合わせて形や色味が違うガラスや他の素材でもいい。なにより……これを見た時。あえて埋め込まれていることで、人間はのぞき込みたくなるよね? 手に取って、何なのか気になってしまう。そして実際間近で覗き込むとき、上は簡単に外れるから光が入るわけで、隙間から見えるベニトアイトは正面からの美しさだけじゃない、裏や上から差し込む光による透明度や艶、照りも目に出来る。柄の中間と底とのつなぎ目部分も同じ、近くで見て、あらゆる角度から光を取り込むことで初めて見られるのよ、最高のベニトアイトを。一目で高価だと豪奢だと分かる聖杯も神様に相応しい。でもさ、内に秘めたる美しさや神々しさはそう簡単にお目にかかれないっていうのも、神様らしい気がするのよ」
ロディムから『このデザイン、真似をすることは可能ですか?』と聞かれたので。
「いいよー、おっけぇ〜」
と答えたら目を細められて。
「……お願いした身ではありますが、あまりそう簡単に許可するのはよろしくないかと」
という言葉を皮切りに五分あまり説教された。それはまあいい。
「いっそのことアストハルア家だけじゃなくお世話になってる家にこういうの考えましたって共有してもいいよね。オリジナルのこのデザインはセラスーン様用なので真似しないって約束してくれるならこの上と下が分離する仕様や埋め込むデザインを自由にしてもらっていいし、各々がイメージする神様のための聖杯を作ってもらったら面白いかも。それをさ、そのうち皆で持ち寄って並べたら壮観じゃない?」
「それ、凄く見たいです!」
セティアさんが胸の前で手を合わせていつにも増して目を輝かせて、ロディムもフム、と父親そっくりな仕草で頷いた。
「面白いですね、そして私としては……クノーマス家もセラスーン様を崇めていらっしゃる、ジュリさんのベニトアイトを使った聖杯と対となるデザインの聖杯か、デザインは全く同じでも使用する宝石や魔石が違う聖杯を見てみたいです」
「おおおおっ、その案頂きぃぃぃ! 侯爵様に早速手紙書いて相談!」
因みにロディムからそんな急に作って下さいのお願いの手紙を書くのはいいんですか? と質問されたので。
「大丈夫、あの家もお金持ってるからこういうのにいきなり巻き込まれても困らない。そして面白がって楽しそーにじゃんじゃんお金使うから罪悪感を感じない、金持ちはそのへん楽だよ」
という生々しい答えを返したらそれについても説教された。
―――神界にて―――
この『人間側の見栄や虚栄心のため』ではない、『崇める信仰や思想のため』という考え方を皮切りに、『自由な思考と想像』が広く急速に広がるのはもう間もなく。
「あら……【種】が」
セラスーンは僅かに聞こえたパキッという軽やかな割れる音に瞑目する。
「そう、ようやくこの時が来たのね」
割れた音の先にあるのは、【種】。
神の欠片を持つ種族のみが正しく知る【種】の意味。
かつてその意味を教えた一柱であるセラスーンはフフ、と優雅に上品に、そして何より喜びに満ちた表情で笑った。
【彼方からの使い】はジュリと同じ考えの者が殆どだ。
『神は存在する』と明確なこの世界、存在意義で最も崇高なのは神である。
そう、今までの【彼方からの使い】たちは皆そう考えて理解しこの世界でその生を終えてきた。
今のこのジュリと同じ時代を生き、神からの恩恵や愛を全否定し拒絶したあのリンファでさえ、その考え方は認めているしこの世界の在り方という事を理解している。
しかし。
それこそ自分たちが生み出した人間が神の欠片を持つ種族を支配しようとしてみたり、【称号】も【スキル】も、あまつさえ周りよりも少し多いだけの魔力を持っただけで選ばれた人間のみが与えられるものだと勘違いをするなど一体どの神が想像し、危惧しただろうか。
気づけば何人もの【彼方からの使い】を召喚することになっていた。
別世界の価値観をもつ彼らならこの人間の勘違いを正せるだろうと期待して。
でも誰もそこに至らなかった。
あのハルトでさえ、手をかけるところまでいったのに届かなかった。
ところが。
いともあっさりと。
成し遂げた。
可視化出来ないはずのことを。召喚されて数年で成し遂げた。
ジュリは形あるものに落とし込んだ。
神様キーホルダーから始まり、神様ブレスレットとそして今回の神様のための聖杯。
前二つは人間の心の拠り所として、祈る自由の象徴として、あくまでも人間側に寄り添ったものだった。
だが後一つは明らかに違う。
『神のために』。
そこに強く清い信仰心があるわけではない。寧ろ信仰心とはほど遠い。
地球では入手困難なものが手に入ったことでテンションが上がっていつものように勢いで頭と手を動かしたら生まれた産物にすぎない。ここまでくるとセラスーンでさえ思考が理解できない彼女特有の本能と煩悩が支配する欲望任せの物作りだ。
だがそれが功を奏したと言える。
この聖杯がそれこそジュリにすっかり染まった周りの職人たちの手によってあっという間に完成するその時。【種】は完全に芽を出すだろう。
【思想の変革】として。
「……ジュリって、このまま勢いがついてブラックまっしぐらになるのよね。注意しておこうかしら」
頬に手をあてセラスーンは困った顔をしながらもどこか楽しげに微笑んだ。
その夜、夢の中で『たまにはちゃんとゆっくり歩いたり休むことも必要なのよ』とセラスーンに長々と注意、いや説教をされてジュリは日中のロディムからの二度に渡る説教を思い出し『何のフラグだ?』とガクブルするのは翌日の話。
何故希少石ベニトアイト?と思った読者様もいらっしゃるかと。
セラスーンが関係していました、というよりセラスーンに似合いそうなものと考えて選びました。
宝石について色々調べていた時に、美しさと合わせて兎にも角にも希少石、その代表の一つというのがベニトアイトだったからです。
ちなみに石言葉は『希望』『成功』『気品』など。前向きな言葉が多くジュリに通ずるものもありますね。『気品』に関してはスルーして下さいwww
しかしまあ綺麗な宝石、原石というのはいつまでも眺めていられる。
執筆する手が止まり全然関係ない石まで調べて検索してました(笑)
他に挙がった候補で珍しい宝石といえばベキリーブルーガーネット、ユークレースあたりでしょうか。宝石、鉱石にご興味ある方は検索してみて下さい、どれも美しいですよ。




