44 『理由』は重いがその『正体』は知りたくなかった
こちら文字数多めです。
人魚のカリシュタさんからの忠告、というか心配されていた事について案外あっさり判明して私はポカンとした。
「え、枢機卿会?」
「あちらから接触してきた」
「は?」
「人魚を紹介してもらうことは可能かどうか、だそうだ」
「はぁ……」
気の抜ける反応をしてしまったのはよく知る人故に。
ネルビアから帰ってきてまだ数日、溜まっていた仕事にようやく手を付けられると思った矢先のことだった。
私がキリアと共に研修棟に行っている間にお店を訪ねてきたらしい。
「ああ。あちらも忙しいらしくてな、手短にと説明だけして帰ったよ」
「……そもそもなんで人魚と知り合いたいの? 枢機卿会が動いているって、結構な事だと思うけど」
「その理由だが……」
人魚を尾行していたのは、アベルさんがトップを務めるバミス法国の枢機卿会だった。
そして訪ねてきたのは勿論アベルさん。
現在のバミス法国はハルトがカッセル国の違法奴隷商を壊滅させてから不当に奴隷になった獣人たちの捜索と保護に国を挙げて取り組んでいる。
まだかなりの数の獣人達が利用価値の高い奴隷として権力者達によって隠されており、その保護は難航しているとも聞いているけれど、少しずつではあるものの無事保護された獣人たちの数も増えており、保護された獣人たちの証言もあって行方不明の人たちの足取りもいくつか判明、今後も時間は掛かるものの獣人の保護は進むだろうという話し。
その保護の過程で、一つ問題が起きているという。
「隷属の魔導具にかなり強力な物が含まれているそうだ。それの解除は魔力の多い優れた魔導師が多い獣人には解くこと自体は難しくないそうだが、どうしても魔導具が解除に反発しようとする事で暴発することがあるらしい。それのせいで大怪我を負った者や苦しんで床に伏せてしまっている者もいると」
隷属の魔導具は基本的に主に逆らえないようにするため魔力や能力を無効化する魔法付与がされている。そして悪質なものだと何か失敗した時に罰を与えるためだったり、反抗的な言動をしようとするのを抑え込む為に何らかの条件下で痛みや苦しみを伴うように追加で付与がされている。
獣人となると魔力も身体能力も人間より上、そんな彼らを隷属させるにはその悪質な隷属の魔導具が必要な場合が多いという。
今回、半数以上がその悪質なものらしい。
「そこにどう人魚が関わってくるの?」
「魔力の流れを遮断し無効化する付与というのもある。隷属具の暴発もそれで抑えられるそうだ。だがそれに必要な素材は限られていて、うち一つが……」
「人魚が関係するんだ」
「そういうことだ」
グレイ曰く、アベルさんから『無効化付与に最も効果的』と説明されたと。
その素材というのが。
『人魚の涙』と呼ばれるもの。
「……あの、グレイ? その手の名称……ちょっと微妙な思い出が蘇るんだけど?」
「ジュリ、奇遇だな。私もだ」
それはエルフの里でしか手に入らない、人間が所有する数は極めて少なくて国宝指定もされている。けど、けど!! エルフの里では『肥料玉』。人間はあんな物を頭に乗せて喜んでいるのかとエルフが腹を抱えて笑う代物。それを鮮明に思い出したわ……。
「絶対、涙じゃないと思うわ」
「ロクな物ではないだろうな」
二人でカリシュタさんからきっとそんな話をされるんだろうなと遠い目になった。
「ねえグレイ、その『人魚の涙』が一番効果が出るとして。でも他にも適した素材はあるのよね? それは入手出来ないの?」
「以前は入手出来た」
「以前は? 今は出来ないの?」
「かなり難しいだろう。何せ無効化の付与に適した素材というのがヒタンリ国のダンジョンに発生する魔物から採れる物が主だったからな」
「……あー」
バミス法国家とヒタンリ国の問題なので口出しなんて絶対しないけど、どっちの国も国主と会ったことがあるのでそういう仲違いは止めてほしいなぁと思う。
まあそんな私の私情は置いておく。
先日キリアと話したこと以外にも、ヒタンリ国は圧力を受けて素材を正規の値段で買い取ってくれる国相手にしか売れなくなったという時期があった。無理に売ろうとしても二束三文、一時期バミス法国と契約をしていた冒険者ギルドや取り扱う商家では在庫過多になり本当に二束三文で売らざるを得なくなっていたという。それを陰ながら救済したのがバールスレイド皇国とネルビア首長国だ。両国は特殊な素材ゆえ抱え過ぎれば使用期限を過ぎてしまい廃棄となる素材も多い中、無駄な出費になるとしてもそれでもヒタンリ国の経済に影響を及ぼさないようにと必要量を大幅に超える量を買ったわけだ。
それが今になって状況は変わって来ている。
リンファが中心となってバールスレイド魔導院ではガンガン新しいポーション開発や既存のポーションの改良を進めているため、バールスレイドではなんと在庫過多になることはなく。むしろ『無駄に腐らせるなら売って』と買い付ける程。それもありヒタンリ国は一時的な混乱で今はすっかり落ち着いていると。恐るべしリンファ、一国の経済を安定化させるだけの買い物をするその度胸が凄すぎる。
つまり、バミス法国に買い取りしてもらう必要がなくなった。元々地理的に他の国を跨いでの交易が必要であり、東と西の端という距離そのものが遠くわざわざご機嫌取りのために運搬料を引き下げたり関税で交渉したりなどの手間を掛ける必要がなくなったのよね。
ヒタンリ国はバミス法国と断交したに近い。その思い切った判断をしても物理的な距離の遠さがヒタンリ国を守った形になる。その反対にバミスはというと、今回の事態を引き起こし枢機卿会が動く羽目になったわけだ。
「そこで人魚に目を付けたってことね」
でもなあ。
あの人魚だよ?
……交渉とかお願い、出来るのかなぁ。
こういう時のエルフと人魚って凄いなと感心させられる。
来ないかなぁと思うと来るんだもん。というかカリシュタさんは連絡手段がわからない。なのに来た。
「あっはっはっはっはっ!!」
そして予想通り。バミス法国が『人魚の涙』を欲しがっている、そのために人魚を紹介してほしいとお願いされたことを伝えると大爆笑。
「『人魚の涙』!! そうかそうか、アレが欲しいのか! というかあんな物が陸では重宝されるのか!!」
腹を抱え前かがみになり笑いが止まらないカリシュタさん。もう嫌な予感しかしない。
「あのー、結局『人魚の涙』って正体は何ですか?」
「ふははは、あはは、ああ、アレな、あれはな」
聞かされた私とグレイは、一瞬聞き間違いかと『ん?』という顔をしたらしい。カリシュタさんはそれをみて更に笑って、もう一度言い直し、私達二人は『人魚の涙』が何なのかを知り、大爆笑する人魚を前に二人でスンとなった。
「ああ、笑った笑った。アズにも後で聞かせてやろう」
「人魚からしたら笑えるんでしょうね」
「そりゃなぁ、あんな物に頼らなくとも無効化の付与に向いた物なんていくらでもあると知ってるからな」
私たちは顔を見合わせた。カリシュタさんはそんな私たちを見てニヤリと笑む。
「ジュリが得意とする分野だ」
「え?」
「人間はあまりにも高価なもの、希少なもの、そして万能なものを求めすぎる。確かにその手の物は硬質で変質しにくい。だから魔法付与がしやすく耐え得る。だがなぁ、世の中そんな単純じゃないだろう? ジュリは既にやってることだ、ヒントはジュリが人間たちに示していた。にも関わらず……バカにも程がある、人間はな」
「もしかして」
グレイがハッとした顔をする。
「素材を混ぜ合わせることか?」
「えっ?!」
私が驚くとカリシュタさんまで驚くという不思議な現象が起こってしまう。
「気づいてなかったのかよ」
「いや、だって、そんなの私が召喚される前からしてますよね? 普通に今もしてるじゃないですか」
「真面目にしてたらもっと色んなもに価値が出てるだろうな」
「確かにそうですが……」
カリシュタさんが今度は苦笑する。
「スライムにかじり貝の粉を混ぜた。あれが答えだ」
「それって、どういう……」
「価格や希少性に拘らず人間はもっと試すべきだった」
「あ」
そういうことか。
つまり。
役に立たない廃棄素材だからと、単純に廃棄するのではなく、ひと手間『加工』し『混ぜる』事で効果が出るものもある、ってことか。
スライム様とかじり貝様の組み合わせでは魔法付与は出来ないと思われていた。それくらい魔法付与に向かな〜い。でも私が加工し、混ぜることでマイケルや魔法付与を得意とする魔導師が付与を行えば軽微な効果を持つ付与が出来る事が判明し、事実不純物が入らなければ高い確率で付与が可能。
勿論それには私とマイケルという組み合わせがあってこその相乗効果が過分に含まれているものの、今までの結果で一目瞭然。
安い素材でも組み合わせ次第では今まで無かった、出来なかった魔法付与が出来る可能性がある。
まさか私の行ってきた事がそのヒントとなっていたなんて。
「高けりゃいいってもんじゃない、ジュリが教えてくれてるのになぁ。俺は思うんだよ、人間と獣人はわざと見て見ぬふりをしてきたんじゃないかとな。だってそうだろ? 自分達が決めた価値こそ正しい、不動である、と信じて貫いて今更捨ててきた物や存在意義が分からないものを加えるだけで変化を齎すなんてプライドが許さなかったんだよ、きっとな。だから都合がいい、【彼方からの使い】が作った、見つけた、改良したと言ってくれれば『自分達が出来なくて知らなくて当たり前』って言い訳出来る。しかも【彼方からの使い】を利用し表に立たせれば何かあった時の責任も押し付けられる。自分達が怠けてきた、傲慢に振る舞ってきた事を人魚とエルフにずっと笑われていることを知らずに生きてるんだから滑稽だ」
カリシュタさんは続ける。
「俺たちですら完璧な生き物だと思ったことはない。所詮神によって都合よく作られた存在だ。なのに獣人も人間もその史実を遠い昔に置き去りにして自分たちこそ正義だと振る舞ってきた。エルフを不当に扱ったときだってエルフはいつか改心してくれると信じて我慢してやったんだ。なのにそれを自分たちで潰して徹底的にやり返されて初めてその存在に怯えることになったのに、それからまた月日が過ぎた、ただそれだけでまた忘れかけている。人魚の島にもエルフの里にも未だ自力でたどりついたこの世界の人間は誰一人としていないことから目を背け、都合の悪いことを忘れる努力までしやがる。ハルトを見ればわかるのにな? あれだけの力がなければ俺たちと対等でいられないことぐらい、分かるはず。ほーんと、人間も獣人もバカばっかりだ。そのくせ、頼みごとがあるって? 寝言は寝て言えってな。 なんで俺がたかが一国の一団体のために自分の時間を割いてやらなきゃならない、しかも何におびえてるのか分からないが、俺の妹に直接話しかける勇気がないくせにジュリやグレイセルに頼んでやがる。それで願いを叶えてもらえるという期待をする自体が舐めてる、そんなに欲しけりゃククマットを訪れるようになった俺たちに人前で『助けて下さい、自分達が無能で解決出来ません』と頭を下げればいい」
ニヤニヤとした卑下する笑みだというのに、カリシュタさんの顔面偏差値が高すぎて、恐ろしいくらい嫌味に感じないことに、ちょっと驚きながら私とグレイはただ黙って首肯するだけに留めた。
「結果論から言うと、『人を介して入手しようとする限りやらねーよ』だって」
私はカリシュタさんから去り際に言われた言葉をそのままアベルさんに伝える。するとアベルさんが困惑した顔をし俯き黙り込んでしまった。グレイはアベルさんならどうにかならないかと食い下がってくる可能性を示唆していて、そうなったら自分が割り込むぞ、と事前に宣言されていた。それだけ警戒していたのにこの反応だったのでグレイもちょっと予想外で珍しい物を見る目でアベルさんを眺めている。
「そう、ですよね。無理を承知で期待をしつつお願いしてしまいました。すみません。……グレイセルにも手間を掛けさせてしまった、申し訳ない」
あまりにも意気消沈、そんな様子なので堪らずグレイがその理由を問うとこれまた微妙な返答が返ってきた。
「今枢機卿会は多方面から突き上げをくらっているんだ」
「突き上げ、か」
「ああ。獣人奴隷解放がハルト様の手で行われて以降、さらなる解決をと国民による各地での解放運動が起こっていて。特に、税金を使っているのに解決に時間が掛かりすぎだとね。ウィルハード家とラパト家が私財で獣人解放を先導してきた話が今になって国内で爆発的に知られるようになったんだ。そこへ少しずつではあったけれど他の家も支援をしていたことも広まりつつある。……そんな状況でハルト様がウィルハード公爵に直接手を貸す約束をしたのがなおさら……」
堪らず『あー』と声が出た。
そう、ハルトがバミス法国にではなくウィルハード家に直接個人的に手を貸すと約束をしたそうで。その話は私達も聞かされていて、でも国外のことでありハルト個人の判断ということで口出しは一切しないで見守るだけにしていた。特にその事をウィルハード公爵もハルトも外に向けて公言するでもなく、単にお互い獣人が奴隷にされていることに腹が立ってるから解決しようね、と意見が一致したから協力しようってだけの話だった。
でも見ている人は見ているし、利用したい人は利用するわけだ。
それを、美談として広めたのが獣人解放運動をしてきた民間の団体。民間なので国からの支援はほぼ無かったそうで、その話を人伝に聞く機会が他よりも早かったその団体が国からお金を出させる為に各地で吹聴したのが始まり、というのがアベルさんの話だ。
「いやぁ……帰る姿が哀愁漂いすぎてて」
アベルさんを見送った後、中に戻り私が苦笑を含めつつそう呟くとグレイは反対に面白そうに笑う。
「大枢機卿だ、順風満帆な時こそ珍しい立場だ。あんな姿はほんの一部だと思うぞ。それよりも……『人魚の涙』の正体を聞かされた時の衝撃が大きすぎで泣きそうになっていたあの時が一番可哀想だった」
「あのなぁ、『人魚の涙』って言われてるのはその見た目がほのかに金色に輝く真珠のようで綺麗で高価な見た目をしてるから人間が勝手に付けた名前だぞ? おまけに極稀に海辺に打ち上げられることでしか入手出来ないから貴重な海の恵として扱うようになった。その正体は海洋魔物である大白海蛇の糞だ。船すら通らない陸からずっと離れた海域に発生するヤツだからな、生態も知られてないんだろ。海で長い年月を掛けて硬化することもあって魔法付与が出来るようになるが、わざわざあんなものに付与する人間が理解できないな。あれに人間が群がる姿を見たら人魚は皆一通り笑って冷静になったら、引くぞ」
いくら綺麗だからといって正体の良くわからないものに名前をつける時は要注意、という話になってしまいました。
次はものつくりの予定。




