43 * 帰りますか!!
「帰るときまでエイジェリン様達は忙しそうだし大変そうだわ」
あきれた声でそう言えば隣に立つクラリス嬢はクスクスと小さく笑う。
「停戦協議のためでしたから。いくら非公式とはいえ、これほどの規模の人数が関わったとなれば寧ろ少し堅苦しいくらいがスムーズに事が運んで良いのかもしれませんわ」
「あー、なるほど」
レッツィ様とクレベレール首長が並び、その正面にはエイジェリン様とマーベイン辺境伯爵様が並び、それぞれが形式張った雰囲気で会話をしている。ズラリと並ぶネルビア側の人数に驚かされながらも、それだけ今回の停戦協議はネルビアの人たちにとっても重要だった事が分かる。
ついに『停戦協定』締結となり、ネルビア側はさらなる強固な姿勢でベイフェルア国との国境線問題に向き合っていく、という。
ベイフェルア国が侵攻してこないならこちらも絶対に侵攻しない。ただし一センチでも国土を奪うつもりで侵攻してくるのならマーベイン辺境伯爵領以外の領土は今以上の軍事力で全ての脅威に対抗するという。
それはネルビア首長国内だけでの各首長の共同声明として国民に告知されるらしい。
そこにエイジェリン様やマーベイン辺境伯爵様が何かを言う権利はない。あくまでネルビア国内の事であり、停戦協定とは全く関係ないという位置付けだから。そしてヒタンリ国第二王子殿下は『停戦協定』と『共同声明』をヒタンリ国王家に持ち帰り国王陛下に仲介役であり王子として公の場で宣言することになっているそう。
いやほんと、ベイフェルア国は蚊帳の外!!
これでもベイフェルア王家は出て来ないとなると、もはや国として終わってるよね。
なんてことを昨晩ヴァリスさんとハシェッド伯爵を交えて話している。
「出てこないでしょう、マーベイン辺境伯爵だけが停戦協議に挑んだという事実は覆りませんから。他の六領はいくらでも機会はあったんです、マーベイン辺境伯爵が水面下でクノーマス侯爵家の支援を受けて交渉に入っていたことは皆知っていたんですから。でもそこに加えてくれと、停戦を望んでいると足並みを揃えようとした領主は一人もいなかった。皆王家や繋がりのある家から切り離される事を恐れたからです」
あの王家に切り離されて何が問題なのかと思うけれど、自力で国境線を守れない領主にすれば、国や親しい他領の貴族から切り離される事で一気にネルビアに攻められたら一瞬で領土を奪われるという恐怖がある。戦争するために必要なものを売ることで利益を得ている他領ありきの国境線は、『停戦協議に参加したい』というだけでも覚悟を必要とする。
「王家は裏切る可能性があった家から人質をとりすでに王宮内で監視に入っています。マーベイン辺境伯爵領が戦争をしなくなっても他の六領が戦争をするならそれで構わないんですよ、戦って少しでも国境線をネルビア側に引ければその事実を利用して国土を広げられる国力があるのだと、国民のための戦争だと正当化してしまえる。もし失敗し惨敗となってもそれはその領の領主が悪い、だから新しい領主を置くと王家が主導権を握る口実ができる。王家は人と金を食いつぶす戦を終わらせるよりも、戦を続けることで生み出される利益による税や融通を図った際の献上品が永続的に入ってくることを望んでいる、それが残酷な現実です」
苦虫を噛み潰したような顔をしたヴァリスさん。
その隣では憂いを含んだ顔をしたハシェッド伯爵。
「そのために徴兵され、働き手を失った領の税収が減って王家に入る税がいかに激減したか、陛下が知らないはずないのですがね。強権派だけを擁護し傍に置く理由も得も無いことを、分かっているはずなのに何故ここまで国が疲弊していても今の姿勢を貫くのか理解できません」
お二人の話を纏めると。
ベイフェルア王家、どうにもならん、ってことかな? もう色々手遅れな状況なのかも、と。そう思わせる話だった。
「少しでも、変わればいいと思います」
クラリス嬢は何か物思いにふけるような顔をして最後の形式張った挨拶を眺めながらポツリとそう言葉を零した。
「ホントだね」
現実的にそれは難しい。嫌というほど思い知ったベイフェルア国の現実。
ようやく変化したマーベイン辺境伯爵家ですら、これから更に模索が求められる。しかも非常にデリケート、停戦協定を締結したからといって何もかも上手くいくわけではなく寧ろ困難な事が圧倒して多いはず。
もし、変わることを望むなら。
今までの在り方が覆るほどの変化でなければ。
ベイフェルア国は変わらない。
「手紙を書きます。あまり得意ではありませんが」
「ありがとうございます、私も書きますわ」
クラリス嬢はバビオ君に呼ばれ私の傍を離れた。グレイがいるので大丈夫と言えば頬を仄かに染めて足取り軽く彼の下へ。
正式な婚約はまだ。それでも二人はこれから婚約、結婚に向けて進んでいく。若い二人がちょっと照れくさそうにそんな会話をするのを見るとホッとするわ。そしてこういう若い人たちがパワフルに周りを引っかき回してぶっ飛ばして新しい道を作るかもしれないしね。
「案外、人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるってホントかもね。クラリス嬢あたりは蹴り殺す覚悟で立ち向かうかも」
「なんでいきなりそんな物騒な話しになる?」
「普段物騒な男に言われたくなかったわ……」
いつも通りな会話をグレイと交わしているうちに、挨拶が終わって。
レッツィ様と正面から向き合う。
グレイもクラリス嬢も私から少し離れている。レッツィ様の後ろに控えるプレタ様たちもいつもより距離があるように見えた。
「ジュリ、楽しかったか?」
「はい。たぶんレッツィ様が言う【彼方からの使い】として【恩恵】を残せるくらいには楽しんだと思います」
「はははっ! ジュリがそう言ってくれるなら安心だ!! また来い、いつでもな」
「機会がありましたら」
にこやかに会話を交わし始めたその時。
「面白いこと起こった?」
「ぎゃあ!」
プレタ様たちの後ろから、ニョキッと顔を出したのはリンファ。いつからいたの!
「ちょっと、なにその叫びは。失礼ね」
「びっくりして何が悪いのよ、てゆーか、本当に来た……」
「来て悪いの?」
そして彼女はレッツィ様の隣に立つ。
「ジュリをいじめるような奴はいなかった?」
「大丈夫ですよ、ネルビアにそんな愚か者はいません」
え、レッツィ様が敬語使ってる。
リンファのレッツィ様より偉い感じ、それなんなの。怖い。
「そう、それなら良かったわ。その確認がしたかったのよ。そして停戦協定のお祝いも兼ねてね」
そう言ってどこから出したのか、リンファはポーションの入った箱を差し出した。
「欲しがってたでしょ? 皇帝から許可を得てるから遠慮しないでもらってちょうだい」
そのポーションを見た私とグレイは血の気が引いた。『ヤベェやつ』じゃん!!
「ちょっ……リンファ、それ、ハルトですら命の危険にさらされるやつ……」
「そうよ? レッツィがずっと欲しがってたんだけど、ジュリたち以外に渡すのを皇帝が難色を示していたの。でも停戦協定が締結したお祝いにプレゼントしたいって話したら特別に一箱だけ許可が出たのよ」
……待って、ちょっと待って。皇帝陛下、私たちはいいんですか? その基準って何? 置いておくだけでも被害出そうなポーションなんていらないからリンファに人にあげないようにガッツリ言ってくださいよ。
「便利だぞ?」
何が? レッツィ様、何が?
レッツィ様が側近さんに『丁寧に扱うように』と渡したものについてこの先あえてツッコミは入れまい、と心に決めてフウと息をつくとリンファがトン、と肩をぶつけて来た。
「楽しかったみたいね?」
「そうね、楽しんだと思う」
「分かった? 【彼方からの使い】の役割」
「何となくね」
「楽しまなきゃ損ってことよ」
「確かに!」
私たちは笑い合い今度は二人で肩をぶつけ合った。
遠くでネルビア国のソランさんたちお抱えの職人さんたちとヤゼルさんが別れを惜しみつつ談笑する声が届く。
「……あれ、ククマットの職人じゃない」
「色々あって連れて来ちゃって。でも結果オーライよ、いてくれて良かったわ。だから帰りも一緒に帰ればいいやってなってね」
「何か良いもの見つけたってことね?」
ガシィ! と両肩を掴まれた。
「目が怖い、リンファ」
「何を見つけたの?」
「カメオの代用品。小さく宝飾品に出来るかどうかは今後の調査と試作待ちだったりと不安要素はあるけどね」
「……」
「なに?」
「また社交界を騒がせそうなものを見つけたわねぇ」
なんでちょっと呆れた顔をしてるの。
「まあいいわ、帰ったら詳しく教えてちょうだい。そして買うわ」
だよね。
一通りリンファと話している間に馬車の準備も整った。
改めてレッツィ様と向き合う。
「正式な後ろ盾はまだいいか?」
『まだ』と加えているあたり、ベイフェルア王宮内のごちゃっとした事が私に何らかの影響を及ぼすと分かっているレッツィ様。
「そうですね、今はお気持ちだけ頂いておきます」
「そうか」
肩を竦めわざとらしくため息をつくレッツィ様。
「だが万が一の時はお前の意思とは関係なく俺は動くぞ?」
「それは……国としてベイフェルアと対立するということですね?」
「既に対立はしているがな!」
今度は笑った。
「国がなくなるとな、周りも否応なしに巻き込まれて被害を被る。だから隷属国になりそれなりの体面を保って存続し続けてもらった方がいいこともあるからな。とりあえずそうなっても俺はその国の者たちを奴隷のように使う気はないから安心してくれ」
「それ安心出来る要素ありますか?」
つい目を眇めて聞いてしまった。レッツィ様はそれが面白かったのか肩を揺らして笑った。
「他の国に支配されるより絶対にいい、それは保証する。まあ、そんな面倒なことにならないことを祈るよ、俺はバールスレイドのように周辺諸国を取り込んで巨大な国にした大昔の皇帝のように生きるつもりはない。ネルビアはこれくらいがちょうど良いのさ」
「それを信じて帰ります」
「ああそうしてくれ」
そして普段からそうなのか、それとも私だけになのか、妙に人懐っこい笑顔になるとその笑顔のまま、私の顔にその顔を近づけてきて耳元囁いた。
「いいか、どこへ行くにも必ずグレイセル・クノーマスを連れて行け」
「え?」
するとすぐに顔を離したレッツィ様。顔は笑顔のままだ。
「いつもそうしているだろうが、念の為な、忘れるなよ」
「……」
その意味は、と問おうとしたら。
「さあ、ダラダラと長話でいつまでも締まらないな! 別れを惜しむのも悪くはないが我々にとっては始まりの時を迎えることになったのだ、ここは潔く再会を信じ見送ろう!」
レッツィ様が声を張り上げた。
「ネルビア首長国とベイフェルアの国民に栄光あれ! 今度は確かな道が国を繋いでいる時だ! その時まで皆健やかに! 希望に満ちた未来を願い! また会おう!! 」
強引な、けれど人を惹きつける力強い声に歓声と拍手が起こる。
二国の国旗がネルビアの軍人によって掲げられた。同じ大きさで同じ高さで。これにはエイジェリン様はじめベイフェルア国側全員が息を呑んだ。特に、マーベイン辺境伯爵は瞬きしてから間を置いてレッツィ様に向かって深々と一礼したので顔は見えなかったけれど、少し泣きそうに見えたのは気のせいかな。
「いつでもお越しくださいね」
馬車に乗る直前、プレタ様の優しく温かな微笑みに見送られる。
「はい、いつかまた」
「そしてもう一度」
「え?」
「ネルビア首長国の大首長第一夫人として、お約束致します。何があろうと私たちは貴方の味方です」
「……はい。ありがとうございます」
私の返答にふわりと微笑み、プレタ様が下がる。
「だからどうか、御身を大事になさって下さい。あなた様に何かあれば悲しむ者の多さを、お忘れにならないで下さい」
「はい、大丈夫です」
「……お気をつけてお帰りくださいませ、ジュリ様」
「はい」
別れに寂しさや悲しさを感じないのはレッツィ様とプレタ様の笑顔のおかげかな。
不思議と清々しい気持ちで馬車に乗り込んでいる私がいた。
ネルビア首長国による見送りはクレベレール首長とビルダ将軍が合同で指揮をとる一大イベントの様相を呈していた。
圧倒されそうになる軍馬の蹄の音は私たちが国境線に間違いなく安全に到達するするまで続いた。
そしてネルビア首長国を抜ける直前のその時。
クレベレール首長が軍馬から降り、マーベイン辺境伯爵とエイジェリン様も馬車を降りた。私たちの乗る馬車も止まる。
マーベイン辺境伯爵とエイジェリン様は自らの足でその国境線を越えた。
お二人は振り向き、クレベレール首長と向き合う。
「またすぐにお会いしましょう」
エイジェリン様の言葉にクレベレール首長が頷いた。
「剣を持つことなく、今度は筆を持ち、ですな」
それに今度はマーベイン辺境伯爵が頷く。
「兵ではなく、文官がこれからは戦うのでしょう」
三人が同時に笑った。
「それでは双方にとって良き未来の為に」
エイジェリン様は二人の手元に手を添えるような仕草をした。
それに促され、クレベレール首長とマーベイン辺境伯爵が握手を交わす。
今まで戦ってきたゴツくて硬い二人の手が、しっかりと握手で繋がれたそこは国境線の上。
別れ際、ビルダ将軍の合図で大首長邸で起きたように国旗が軍人さんたちによって一斉に掲げられた。
荒涼とした戦争で豊かな緑が奪われた山肌に、二国の沢山の国旗がまるで生い茂る木々のように凍える風に吹かれ揺れる様は、きっと一生忘れない。
停戦協定締結。
これが終わりではなく。
始まりだ。
願わくば、非生産的な戦争で奪われる命がなくなりますように。
たとえ無理でも、一人でも多く、安心して眠れる夜を迎えられますように。
戦争そのものを止める力のない私にはそんなことしか祈れないけれど。
こうして、私たちのネルビア首長国訪問は無事終えることとなった。
ようやくネルビア訪問編終了!
最後駆け足感が否めないのですが、そこは寛大な御心で見逃して下さい(笑)
なんだかんだ色々あったネルビア訪問編。
でもジュリとレッツィの邂逅、カメオがようやく出せたのでホッとしてます。
次からはククマットに戻りいつもの通りガヤガヤ煩いです。




