43 * 登場の仕方が恐怖
万華鏡のオブジェクトはオイルが満たされているので回転に合わせてゆっくりとした流れが起き、併せてシュイジン・ガラスも動く。そのためぶつかり合っても欠けることは少なくて、欠けたとしてもシュイジン・ガラスともなればそれ自体が綺麗なので万華鏡のオブジェクトとしては何ら問題がないこともクラリス嬢に説明をする。
「天然石や魔石はもっとカラーバリエーションがあるけど、特別感を出すならシュイジン・ガラスに限るから。試作品だしごく少量でも献上する価値はあると思ってるの」
いずれカラーシュイジン・ガラスも世に公表することになる。その時に実は既に大首長が所有している、となればそれはそれで話題性がって面白いしね、とも説明をしたらクラリス嬢は目を丸くしてびっくりして。
「面白い、ですか」
「私の原動力の一つよ。綺麗可愛いキラキラに面白いもプラスされてたらラッキーでしょ、ってね」
ものつくりは面白くないって思いながらやったって絶対に良いものは作れない。
面白いは原動力。
大事な感覚よ。
グレイが全てのリストを整えて専用の箱にしまった後、やっと自由時間が出来るーと背伸びをしながら二人を伴って献上する時の一連の流れの確認のためエイジェリン様の所に向かうことに。ヒタンリ国のときもそうだったけれど、ただ渡すのは駄目なのよね。お互いの友好の証、信頼の証を人に見てもらう絶好の機会なので割と大袈裟な感じでその場が設けられるので確認しておかなきゃならないことは多い。
「私、人生で初めてその場に立ち会います。ジュリ様と行動を共にしてから本当に様々な経験をさせてもらってますわ。お父様からもその事に深く感謝するようにと言われております」
「感謝するほどのことかなぁ、こっちは肩が凝ることばっかりで面倒くさい! って思うことが多いよ?」
「そんなことはありません、とても良い経験ばかりですわ」
「クラリス嬢がそれでいいならいいけどね」
なんて話をしながら中庭を突っ切るようにして歩く。
広大なこの大首長邸には中庭もいくつかあって、そこには人工の池や小川も流れていたりする。そのうちの一つ、とある池からポチャンと水の音が聞こえた。
魚でも跳ねたかな、と思って反射的にそっちに視線を向けた瞬間。ぐいっとグレイが私の腕を引っ張り私の目の前に彼の広い背中が来た。そしてクラリス嬢は更にその前、グレイよりも数歩前でどこから出したのか短剣を手に池側に向かって構えている。
「おぇ?!」
そんな一瞬の出来事に素っ頓狂な声が出てしまった。
「何かいます」
クラリス嬢の声は落ち着いているけれど聞いたことのない緊張による硬質な声になっていた。
「ジュリ、カリシュタからのお守りは持っているか」
グレイの声もいつになく警戒しているのが直ぐに分かった。
「う、うん! 持ってる、首に掛けてるよっ」
「後ろに水路がある、そこまで下がれ。万が一の時は使って逃げろ、いいな」
「え、待って、そんなに?!」
「分からない。分からないことが怖いというべきだな。池の水面に歪みが出来た。そこだけ魔素を全く感じない。……とにかく下がれ」
グレイに手でトン、と優しく押され私は後退るようにしてゆっくりと水路へ近づく。
カリシュタさんから借りたお守り【深海の回廊珠】は水が少しでもあればそこから私だけが入れる安全な海の回廊と呼ばれる空間に逃げ込めるらしい。まさかベイフェルア国に帰る直前のタイミングで使うことになるとは!
と、緊張、不安、そして恐怖でゴクリと唾を飲み込んで、首元から出したそれを握った瞬間。
「おぉい、俺だぁ〜。今それ使うなよ、ここに繋がってジュリがずぶ濡れになって終わりだぞぉ」
私達の上がりきった緊張感とは真逆の、気の抜けるちょっとだらしなささえ感じる緩い喋り方。
「ジュリ、グレイセル、俺だよ俺俺、おーれ」
オレオレ詐欺かよ。
そうツッコミたかった。
「カリシュタさん……」
私はその場に膝から崩れ落ち、グレイは頭を抱え、クラリス嬢は構えたまま固まった。
池の水面から声が聞こえる怖さよりも今のこの光景が百倍怖い。
「怖っ……ここ最近で一番怖いですよ」
「失礼だな」
「怖いですよ!」
水面に、キレーに顔だけ。
髪の毛も耳も何故か見えない。本当に顔だけが水面にある。顔面偏差値が突き抜けている人魚の派手な美形のあの顔だけが水面にプカプカ浮いている。
クラリス嬢はこれを見た瞬間、池を覗き込んだままの器用な姿勢で気絶してしまい、近くを通りかかった大首長邸の使用人さんたちに相談するとすぐ近くの部屋のベッドに運ばれた。
「不法侵入だ」
「お前も大概失礼だな!! 水のあるところならどこへでも行ける俺に不法侵入だと言われる場所などない!!」
直ぐに戻ってきたグレイに冷静にご尤もなことを言われてもそりゃもう自信満々に反論する顔面のみのカリシュタさん。
「何しに来た、こんなところまで」
「そりゃお前、返してもらいに来たんだろ」
水面からニュッと出て来たのは手。怖い怖い、何故か濡れてないし。そしてカリシュタさんはさっき首から外してからずっと私が手に握っている【深海の回廊珠】がある右手をその手で指差した。
「使わずに済んだようだからな、返さないと、と思っていただろ?」
「……わざわざ、取りに来てくれたんですか」
意外な彼の言葉にそう返すとカリシュタさんは笑った。
「お前たちくらいだぞ? 神具をいらない、返したい、と思う人間なんて」
そしてカリシュタさんはもう一つ目的があったんだ、と続けた。
「俺がお前たちと接触したことを探る奴がいるようでな」
「え?」
「早めにお前たちから神具は回収しておいたほうが安全だろうと思ったまでた」
「どういうことだ」
すかさずグレイが問えば、カリシュタさんは陽気さと声を少しだけ抑えた。
「そいつらは俺たち人魚の動きを探ってるようだ」
「一体何故」
「人魚は人間と問題を起こした時にその解決のために陸に上がる以外は滅多なことで上がらないからな」
「正装の依頼ということは伏せられていたのか?」
「まさか。なんでそんな事をいちいち伏せなきゃならない? だが、堂々と陸を闊歩しているのを見て興味がわいたか、何らかの目的を持ったか。 《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》に買い物に行った妹が尾行された。気になってそれを泳がせてみたが、どうにも意図が掴めなかったそうだ。意図が分からない限り、俺たちの事でお前たちに探りを入れてくる者も出てくる。そうなると回廊珠を持っていることを知られる危険もあるからな、そうなる前に回収してしまったほうがいい」
「……そういう事。それは助かります。じゃあ、今直ぐに返しますね」
グレイも迷わず首に掛けていたそれを外した。
「池にそのまま投げ込んてくれ、勝手に海に帰る」
言われるままに、二人でそれを投げ込んだ。すると一瞬投げ込んだ辺りが淡く光って、でもそれだけで、水面が揺れたあとそれはもう見えなくなっていた。
「それにしても、人魚が陸にいると尾行されたりするんですね、それはそれで大変」
「こんな事は滅多にないな」
「え?」
「少なくともここ数十年、最近は無かった。ククマットに行っている時だけということになる」
「それは……」
「だから忠告だ、気をつけろ。今まで俺たちを付け回すなんて度胸のある奴は滅多にいなかったのにククマットに出入りした途端これだ。俺たちがククマットとどういう関係にあるのかと探っているならまだいいが、他の悪意となるとお前たちにとっては厄介事になる可能性がある」
グレイと二人、『厄介事』という単語に思わず互いに顔を見合ってしまった。するとカリシュタさんはフッと笑って水面を揺らした。
「あまり深く考えるなよ、いざとなったら俺たちやエルフを頼ってくれても構わない。お前たちが人間のアホくさい理由で傷ついたり苦しむのはみたくないからな」
『んじゃ帰るわ』と何事も無かったようにサラッとした挨拶だけして、トプンと水に沈んで消えたカリシュタさん。
「登場の仕方、どうにかならないのかな」
「さあな……それよりもジュリ」
「うん?」
「説明責任が発生した」
「は?」
グレイに促され振り向いたら。
大勢のギャラリーに囲まれていた。てゆーか、レッツィ様はじめ主要メンバーが勢ぞろいしており、距離を取り、固唾を飲んでこちらを見ていた。
「人魚とも知り合っていたのか」
「そうですね、いつの間にかそんなことになっていました」
「……はあ」
レッツィ様は疲労が溜まっているような顔をしてため息をつく。
取り敢えず、グレイにあの場を任せ私はレッツィ様に言われるがままに応接室へと入ることになった。入るなりレッツィ様が周りを警戒し結界を張ったのがわかった。
「箝口令を敷いておく、だがネルビア側に関してのみだ。そちらはそちらで何とかしてもらうしかない」
「……あのー、既にあの人たちククマットで出会い頭にグレイに喧嘩売って目立ってるんで、ベイフェルア側は今更、って感じなんですが」
レッツィ様が目を丸くして固まる。その隙に借り受けていた神具の話しは避け、ククマットで人魚が何者かに尾行された、それが私達絡みとなると厄介事になる可能性があることをベイフェルアに帰る前に忠告しに来てくれたという説明をしておく。
その説明を聞き、レッツィ様が今度は目を細めた。
「……人魚を尾行だと? しかも、ククマットで?」
「はい。その理由がカリシュタさんは分かっているのかそうでないのかは判断しかねます。ただ、わざわざ言いに来た事を考えると心当たりがあり、少なからず私達が関係する可能性があるのかな、と」
「そう、だな……確かに。あの人魚が何も把握していない状態でわざわざ言いに来るというのは考えにくい」
そこまで言って、レッツィ様はわずかに首を傾げた。
「心当たりはないのか?」
「それが無いんですよ。ククマットで起きているとはいえ、尾行されたのが人魚というのが腑に落ちないというか……。その尾行した人たちがククマットに来たタイミングもおかしいんですよね。人魚がククマットに来たのはこの国に入るより前で、もし人魚が目的ならもっと早い段階で今回のことが起きているはずなのに中途半端で遅く感じます。しかも尾行だけで接触しないというのが何とも……」
するとレッツィ様はフッと小さく笑ってから困ったように眉毛を下げた。
「怖くて出来ないんじゃないのか? 人魚はエルフと違う、好戦的だからな。それを知っているから尾行に留めた可能性がある。……案外、接触する機会を伺いつつ、接点のあるジュリやグレイセルの帰りを待っているのかもしれないぞ」
「つまり、人魚と接点を持ちたいってことですか? ……それは、どうなんでしょう? 少なくとも長のカリシュタさんは『いいよ』と簡単に言うタイプではないかと」
レッツィ様の推測があながち間違いではないと思えるのは、そう。あの好戦的な性格。軒並みそういう性質の人たちが揃っている気がする。グレイに喧嘩売って笑ってるような人たち。どんな理由にせよ、人間が接触する場合その理由が気に入らないなら平気で拒絶する、暴言付きで。
「まあ、ここで論じても意味はない。ただ、人魚との仲を取り持ってくれという話ならやめておけ、その人間が物理的に人魚によって排除されかねん。人魚は一度懐に入れた者に対しては非常に寛大だがそうでない者は何の躊躇もなく排除すると言われている。下手に紹介してしまったせいでジュリ達が嫌な思いをするかもしれないしな」
「という話をしてきたんだけど……」
「妥当だな」
一通りレッツィ様と話したことを聞かせればグレイは納得した顔で頷く。
お借りした応接室にはグレイの他、エイジェリン様とヴァリスさん、ハシェッド伯爵様にマーベイン辺境伯爵様もいる。流石に事情説明しておかないと私達の知らない所で変に話が広まって止められなくなるというのは困るからね。その抑止力にもなってくれる人たちなので集まってもらった次第。
「ジュリさんは人魚とも知り合いなんですか」
ハシェッド伯爵様、その目なに。まるで変人でも見てるかのようなちょっと引いた感じが悲しくなるから止めてほしい。
「知り合いというか、依頼を受けたのがきっかけなのでどちらかというとお客様、ですかね」
イマイチ関係性が分からないのでそう答えるとマーベイン辺境伯爵様が笑う。
「私などつい最近ジュリ殿がエルフと知り合いと聞いたばかりなのに、今度は人魚か。人を吸い寄せる能力でもあるのかと思ってしまうな」
「……エルフといい、人魚といい、割とこちらの話を聞かないし自由すぎて色々ついていけない時があるので、これ以上は何も吸い寄せたくないです」
あれ、これがいわゆるフラグというやつでは……。違う、断じて違う、事実と願いを言ったまで!!
あーもう、ハシェッド伯爵様なんて固まっちゃってますよ。
とにかく、人魚を尾行する人たちは一体どういう人なのか、そして目的はなんなのか分からないので私達は気をつけるし、皆さんも何か周囲で気づいた事があれば教えてくれると助かりますとだけ言うと、その件で伝えておこうと思うと名乗り出たのはヴァリスさんだった。
「こちらに来てから私も父と何度か連絡を取り合っていて、その中にツィーダム領に人魚が現れたという報告を貰っています」
えっ、そうなの?!
「新しいガラスを使ったアクセサリーや他にも細工の美しい置物等を購入したそうで。ただ、それだけで」
「え?」
「父からはそれ以外の報告はなく。つまりツィーダム領では人魚は尾行されていないということですね」
「なら、はっきりしたね」
エイジェリン様だ。
「人魚がククマットに行くついでにトミレア地区で買い物する姿を目撃されていてこちらもその報告は来ているが、やはり尾行されているという話は来ていない。尾行するのはククマット内のみ、そうなるとやはり、ジュリとグレイセル絡みと見ていい」
ちなみにツィーダム家もクノーマス家も人魚を尾行するなんてことはしていないらしい。そもそも尾行しても百パー撒かれるってことで、やっても無駄なんだそう。
てことは、あれ?
カリシュタさんの妹さんは何かに気付いてわざと尾行させていた?
やっぱり目的を知っている可能性がある?
その前にちょっと待って。
もうすぐ帰るんですよ。
その前に御礼やら献上やらと最後の大イベントがあるんですよ。
……考え事増やさないでほしい!!
そして人魚の皆さん。
水に顔だけ出すあの独特な登場はやめて下さい。
怖い……。
唐突に人魚の長が登場しました。
エルフも人魚も人間の都合は考えませんのでこんなものかもしれません。




