43 * 締結
縮れ毛の穀潰し様をかき集めて貰ったり、ネルビアガーゴイルの翼のグラデーションは部位によってどれだけの違いがあるのか確認してもらったり、穀潰し様の小物やドレスへの活用についてお針子さんたちにレクチャーしたり、その他諸々、グレイとクラリス嬢をお供にヤゼルさんと二人でネルビアの人たちを前にして豪快に笑いながら振り回している頃、停戦協議は佳境を迎えていた。
「はっやくないですか?!」
私の叫びにヒタンリ国第二王子妃殿下ヨニス様は笑った。
「本当に。私も正直ここまで進むとは思っておりませんでしたわ」
気づけば停戦協議の席につかなくなっていた私はその状況が全く分からなくなっていた。
なので朝食後のお茶タイムに誘われたその場で聞かされた内容に叫んだ事は許して欲しい。
「まずは双方一年間の侵攻及び奪還と称した軍事侵攻を一切禁止する事に直ぐ様合意し署名したのが良かった」
ヨニス様の隣に座る第二王子殿下がゆったりとした口調で説明をしてくれた。
「一切禁止、これは大きい。小競り合いだけでなく個人間の衝突すら認めないという内容だ、これで双方現在の軍事境界線を許可なく武器を携帯して侵入する事は不可能になる。これを破った場合は問答無用、即座にその場で殺されても一切の責任も問わない事も決まった」
「え、それって結構際どい内容じゃ?」
「いや、これで双方とは無関係の横槍を入れる別勢力の排除も無条件に認められる事になる。これだけでもそれらに警戒する労力は軽減するはずだし、別勢力も身動きがだいぶ取れなくなる」
「はあ、なるほど。マーベイン領もクレベレール首長区も責任を一切負わないという決まりなら余計なことをする人を助ける必要もなくなる、ってことですか。確かにそれでは場を混乱させる為にと突っ込んで行っても突っ込み損ですもんね」
「そういうことだ。そこから一年間の停戦期間で今ある山越えの主要道の完全整備を進めることになった。加えて正式に両国にまたがる関所の建設を双方で行い、一年後に開通式を行う。そこでもう一度一年間の停戦協定が結ばれ延長される」
「手間が多い気もしますけど、それが最善ってことなんですね」
「敢えて手間を増やすことで双方の文官レベルの会談回数そのものを増やす。民間レベルの交流と物流も試験的にそこに組み込めば逆に無駄が生まれない」
その他にも色々と細かな点で決まったことを説明された。
聞けば聞くほど上手く考えられているなと思う内容だった。
第三国として仲介できるのはヒタンリ国のみ、その中心的窓口となるのが目の前の第二王子殿下となるという。バールスレイド皇国じゃないのはその国の影響力だけではなく、ベイフェルア国がそもそもヒタンリ国との国交が盛んではないことが有利に働くからだ、と。
ベイフェルア側が停戦協定締結後に旨味だけを狙って介入しようとしてもそれはネルビアが認めない。だったら最初から国としてマーベイン家にしっかり支援をしていれば良かったって話になってくる。それに加えて介入したければまずはヒタンリ国との交渉に入らなければならない。まともな国交がないベイフェルアからするとまずは文官レベルでの談話の場を設けるところから。ある程度その話に突っ込んで交渉を、となるころには既に一年は経ち第二王子殿下を主軸とした次のステップへの話し合いが始まってしまっている。後手の状態でベイフェルア国が取れる手段なんてそう多くはないし、交流するだけでもお金は莫大に必要で財源不足で不利なベイフェルアは余程の努力が必要となる、というのが第二王子殿下や停戦協定を進める人たちのベイフェルアへの認識となっていた。
「ベイフェルア国王家は自国のことなのに蚊帳の外にされるわけですね」
「残念ながらベイフェルア王家はそうなるように振る舞ってきた。自分たちにとって都合が悪いことが起こるとその地の領主任せ、責任を取れと言うばかりで手を差し伸べない。あげく財政難を理由に平気で全てを押しつけるわけだ。そんな王家の介入をレッツィ大首長が許すはずもない。だからレッツィ大首長は絶対条件としてマーベイン辺境伯爵家とクレベレール首長区のみの協定と限定し、我がヒタンリ国の介入のみとした。レッツィ大首長は停戦協定の話し合いには直接参加せず締結のその時だけ、ネルビア国大首長として締結に関する合意文書に署名する。一貫してその姿勢を示しているから全てをマーベイン辺境伯爵家に丸投げし散々見て見ぬふりをしてきたベイフェルア王家は強く出られないだろう。何に関しても沈默する事はとても楽だし逃げ道を作るのに有利に働くけれど、時として選択肢を狭めて極めて重大な事案をあっさり見逃す要因になりうることにベイフェルア王家はこれから向き合わなければどんどん時代から見放され置いていかれるだろう。裏話をしてしまえばレッツィ大首長はそれを狙っていた。ベイフェルア王家をあらゆることから締め出して孤立させ、主要な高位貴族の動きを活発化させそのまま王家を弱体化させようとしている」
「弱体化したら、その先は?」
「それこそ王家の介入を一切認めない状況で全ての国境線問題の解決に乗り出す算段だ。個々に対応出来る貴族なんて一握り、今までも国境線問題を抱える貴族でそれが可能なのはマーベイン辺境伯爵家だけだと見ていた。そうなれば、長きにわたる国土奪還は容易になるだろう。マーベイン辺境伯爵家の土地を奪還出来ずとも平和的解決の地として友好的な交流が出来る土地が一つあればそれだけで両国の国民の見方はガラリと変わる。他六領がベイフェルア国の地図から消えたとしても、弱体化した王家へ期待する国民はいないだろうし寧ろ強い国による平和的統一化が進むとなれば歓迎する可能性もある。ネルビア首長国としては、アストハルア家が今の王家に代わって国を主導すればと思っているはずだ。元々あの家は王家の血筋であり諸外国とは対立の姿勢を一切見せていない。今回の停戦協定に関与していなくてもあの家が停戦に賛成なのは暗黙の了解と認識している国や有力者は多い」
「……アストハルア公爵様自身、レッツィ様とは接点があるんですもんね」
「それも今後は大いに影響するはずだ」
ベイフェルア国は責任逃れと時間稼ぎや問題の後回しのための沈黙をレッツィ様に尽く利用されたってことよね。
非公式に徹底的に拘ったのも何もかも、ベイフェルア王家の介入を許さないための布石だったわけだ。
国内が混沌としている今、ベイフェルア国は余程の力がなければ単独でこの停戦協定には干渉出来ない。そしてその力がある家のうち、中立派筆頭のクノーマス家とツィーダム家、穏健派筆頭家アストハルア家が停戦賛成派なのだから、いくらベリアス家が王家を操り干渉したくても賛成派の助けがなければ無理な話で、自分たちに不利になりかねない貸しを作ることが出来ない強権派は今の体制を維持し続ける限りは王家と共に蚊帳の外。
レッツィ様のことだからこの状況をとことん利用する。
「それでもまだ、ジュリ殿はベイフェルアに留まるのだろうか?」
「そうですね。クノーマス領……その一部だったククマットがある限りは居ますよ。あそこは私にとって終の住処になると思っていますから」
「そうか……しかし。万が一の場合の逃げ道だけは常に確保しておいて欲しい」
第二王子殿下の言っていることはあれだ。
万が一逃げるならバミス法国へ行け、というヒタンリ国国王からの助言。
ヒタンリ国国王ならばこの方にその話をしている筈だし、なにより第二王子殿下もその考えに賛成だからこそ今この場でこの話をしてきたんだと思う。
それだけ、今ベイフェルア国は足元がぐらついている。
いつ崩れたくさんの人を道連れにして無くなるか分からない。
「分かっています、大丈夫です。自分の事ですからちゃんと考えています」
私の迷いない返しに第二王子殿下とヨニス様がホッと表情を緩めて頷いてくれた。
そしてこのお茶会の三日後。
入国後レッツィ様と謁見した大広間にて。
玉座に座るレッツィ様は正面に立つクレベレール首長とマーベイン辺境伯爵様を見下ろしたまま微動だにしない。
クレベレール首長の後ろにはビルダ将軍が、マーベイン辺境伯爵様の後ろにはエイジェリン様が控える。
離れたところに整然と列をなし並ぶ私たちは全員が正装でその瞬間を見守る。
後に『協定』から『条約』へと変わることになる、それに関わる全てのことが書き込まれた『クレベレール・マーベイン停戦協定文書』。その文書に基づいた停戦協定に合意するという紙に、首長と辺境伯爵の二人は互いに視線を交わし、同時に署名する。
そしてその場から一歩下がり、後ろに控える二人にその場を譲れば今度は将軍とエイジェリン様がサインを確かめてから証人として署名をした。
そしてまた彼らは息を合わせたように立ち位置を変え、首長と辺境伯爵がその紙を両手で持ち上げ、恭しくレッツィ様へ捧げるかのように腕を伸ばし前方へと掲げる。
レッツィ様は玉座から立ち上がると二人に自ら『前へ』とただ一言声を掛けた。
首長と辺境伯爵は歩幅を合わせ、歩調を合わせ、ゆっくりと玉座前の階段を昇る。
ちょうどレッツィ様の手の届く高さまで行くと二人は立ち止まる。
レッツィ様は二人の手にある署名を視線を動かすだけで確認した。
そして。
両手でそれを取り、玉座から私たち全員に向けて掲げた。
「ネルビア首長国クレベレール首長区首長ロズベル・クレベレール、そしてベイフェルア国マーベイン辺境伯爵領領主ガルゼン・マーベインの名に偽りがないことを確認した。よって、今、この瞬間、クレベレール・マーベイン停戦協定の締結を宣言する!!」
レッツィ様の声が大広間を支配する。署名された紙を側近の方に渡した後再び前を向き直る。
「この歴史的瞬間に立ち会った者全てに告ぐ!」
咆哮にも似た、圧倒的な声だった。
「忘れてはならない、この日を迎えるまで一体どれだけの時が過ぎたか。一体どれだけの命が無惨に散ったか。決して、忘れるな。この裏に、どれだけの悲しみと憎しみが積み重なっているのか、未来永劫、この世界から人が滅びるその瞬間まで、忘れてはならない!」
クレベレール首長夫人ウィルマ様が感極まってハラハラと涙を零しハンカチでそっと目元を押さえている。
クラリス嬢は父ガルゼン・マーベインから目を離すことなく、けれど涙を堪えるために僅かに上向きでぐっと唇を噛んでいる。
「そしてこの協定の締結が全てではない。これからが始まりであり、真の平和には程遠い位置にいる事を忘れてはならない。真価を問われるのはこれからだ。驕るな、怠けるな、一瞬の気の緩みが全てを台無しにする、それ程扱いの難しい事と向き合っていくことを肝に銘じろ。この協定には双方の民の命、数千数万の命という宝がむき出しで乗っていることを、皆が常に心に留めておけ!」
ヴァリス・ツィーダム。
彼は友を国境線紛争で失っている。今一体どんな気持ちでレッツィ様をまっすぐ見つめているんだろう。
エイジェリン・クノーマス。
彼は戦争の無意味さを凄惨さをずっと憂いて来た。レッツィ様の言葉をどんな気持ちで聞いているんだろう。
「ロズベル・クレベレール、ガルゼン・マーベイン。双方共に自ら兵を率い戦い続けた。幼い頃から戦うことを余儀なくされ戦いに意味を見出さねばならない過酷な環境下でここまで来た。戦いを止める決断は双方にとって今までの生き方を否定する事を意味した。それは己の存在すら否定することにもなりその絶望は計り知れず誰にも理解できないだろう。だからこそ称賛に値する。剣を置き、矜持を捨て、民の安寧のため今ここに立つ双方にレッツィ・エダ・ネルビアは心からの賛辞を送る! 誇れ、 己の決断を!! 民のための決断を!! 双方の君主としての歩み、見事である!!!」
耐えきれず、マーベイン辺境伯爵様は顔を両手で覆いその場で背を丸め、体を震わせた。
同じようにクレベレール首長も腕で目元を覆い、深く俯いて、体を震わせた。
レッツィ様は今までの雰囲気からガラリと変わり、晴れやかな笑顔で数段下にいる二人の肩を強引に抱き寄せる。よろけた二人は目元を覆いながらもなんとか足を踏ん張って、そのままレッツィ様に身を委ねる。
「いい歳こいて二人で泣くんじゃねぇよ。これからだぞ、本当の踏ん張りはこれからだ。停戦協定はクレベレールとマーベインだけのもの、他は今日だって変わらずぶつかり合って血を流してる。分かっているな、これからやることは想像以上に過酷だ、泣いてる暇はねぇぞ。……でもまあ、今日は許す!! オヤジ二人で酒でも酌み交わして好きなだけ泣け!!」
謝っているのか、それとも御礼を言っているのか分からない。でも二人とも何度も頷く仕草はまるで一緒で、しかもやけに軽いノリになったレッツィ様の言動にこの感動の場面にも関わらずちょっとほっこりしてしまった。
「ははっ」
小さな笑い声が隣から聞こえて反射的に見上げる。
グレイが口元を手で押さえていた。
「不謹慎だな、すまない」
「というか、なんで笑ったのか気にる」
「……凄いな、と思ったんだよ。この場に居合わせたことを、心底凄いと思ったら何故か笑いがこみ上げた」
「ああ、何となく、分かるかも」
「あり得ないだろう、奇跡だ」
「いや本当奇跡だよね?!」
言われて気づいて私も笑いがこみ上げて。
うん、こういうの、悪くない。
そう思えた。
この奇跡みたいな出来事に立ち会えた幸運に感謝しながら、私は一気にお祝いムードとなって大広間が明るい声で埋め尽くされる中、グレイと共に奇妙なこの込み上げる笑いを素直に解き放っていた。
やっと締結。ネルビア編あともうちょっと。




