43 * 停戦協議が齎すもの
唐突ではございますが本日よりGWスペシャルとして本編4日連続更新致します。
更新時間はいつも通り10時となりますのでお楽しみください。
縮れ毛の穀潰し様についてはグレイが意見書をまとめるというので一旦保留にし。
ヤゼルさんとカメオ(名称未定)の厚みやカット、それに適切な工具等の話をネルビアの職人さんのソランさん達と共に議論する最中。
停戦協議の席についているはずのヴァリスさんが現れ常に私の側にいるグレイに近づくと耳打ちした。雰囲気的にただ事では無さそうだと私は勿論ヤゼルさんも気付いて手を止め二人に視線を向けると職人さんたちもそれに習うようにして手を止めた。
「クラリス嬢は?」
「今こちらに向かうよう伝達済みです」
「そうか。ジュリ私は少し席を外す。クラリス嬢に来てもらう、万が一の時もあるから」
「分かってる分かってる。どこに行くにも同行させるように、でしょ? 忘れてないから大丈夫」
グレイの過保護に苦笑を返しつつ、チラ、とヴァリスさんに目をやれば『ご説明は後ほど』と解釈してもよいだろう小さな頷きが返ってきた。その流れでグレイに続けて目を向けると同じように頷いてくれたので私とヤゼルさんはこの空気を引きずらない為にも直ぐに職人さん達に向き直る。
「すみません、私用の話でした」
「さあ、続けようぜ」
皆の意識を戻す為にあえてグレイたちから意識を外したタイミングで足早にクラリス嬢がやって来た。
「伯爵様、代わります」
「ああ、頼んだ」
「お任せくださいませ」
優しい笑みをたたえ優雅に一礼したクラリス嬢はグレイが立ち上がって少し離れて空席になった私の隣の椅子にスッと座る。
「役得ですわ、ジュリ様の開発の現場に立ち会えるんですもの」
若くて可愛らしい令嬢の登場が更に場の雰囲気を和らげてくれた。ちょいちょいこのクラリス嬢が場の雰囲気を変えてくれることを考えると位が高い貴族令嬢で能力が高く人の護衛が出来る教育も施されている人物って物凄く貴重で重要じゃなかろうか、そんな子がネルビアに嫁いじゃうのはやっぱりベイフェルアにとっては大きな損失ではなかろうか、なんてことを考えているうちにグレイはヴァリスさんと共に部屋を退出していた。
「別の領地の領主がネルビアに仕掛けた?」
私たちの話し合いが終わり部屋を出ると既にグレイは部屋前で待機しており、私たちは職人さん達と別れてベイフェルア側の人間が自由に使っていいと言われている応接室に向かいソファに腰掛けて一息ついてからグレイが持ってきた情報に私とヤゼルさんはあんぐりと口を開けることになった。
「いやいや、なんでこのタイミングなんですか。せっかくの停戦協議に水を指すようなことを」
呆れた様子でヤゼルさんがちょっと大きな声で言えばそれに応えたのはクラリス嬢だった。
「想定はされておりました」
「えっ、そうなの?!」
「今回ベイフェルア側の停戦協議に挑む家は我がマーベイン家。ネルビアに接する領の中で最も地位が高くそして重要な土地です。故にネルビア側もすべての首長が注目しそして現在この首都に集っておりますでしょ? ベイフェルアは……この期間は侵攻はおろか監視すら弱まると予測する者は多かったのです」
「まあ、わからないでもないわね。でもさぁ、それは希望的観測でしかないと思うのは私だけ? 戦争って、そんなに単純なものじゃないでしょ」
「仰る通りですわ。ですから国境の端、ネルビアだけでなくテルムス公国の北端と接しバミス法国にも近いチェイザ男爵家は特に警戒を強めておりましたの。でも……」
ネルビアに接するベイフェルア国の貴族領は七つ。唯一の辺境伯爵であるマーベイン家の東側にピゼ子爵、西側に隣接する順にカーマイル伯爵、ロロシェ伯爵、レンディン伯爵、ワイト子爵、チェイザ男爵が国防を担っているけれど今現在レンディン伯爵領は政策の失敗が重なったのと対ネルビア戦でも大失態を犯し国防としての機能をほぼ失い、国の管理下に置かれ騎士団が常駐している状況となっている。
それによりレンディン領の両脇であるロロシェ伯爵領とチェイザ男爵領にも度々国軍という形で兵が送り込まれているのでネルビア側が侵攻を緩めている、比較的安定した地域となっていた。
しかし元々その三領は好戦的な首長が治める地域と接している。そのせいで肥沃な大地として狙われ続けるマーベイン辺境伯爵領のように常に危険と隣り合わせの状況には変わりないので警戒を怠ってはならない、というのがグレイたちの考えだった。しかも国内では派閥という無視できない力関係もあり難しい舵取りが常に要求されている。
「そのチェイザ男爵が突然ネルビア側に手を出した、と」
「はい」
グレイにヴァリスさんが耳打ちした内容はまさにそれだった。
「元々非常に警戒心の強い方で今回の停戦協議の情報を得てからは特に防戦一方の徹底した態度を見せていたのがチェイザ男爵でした。停戦協議が合意に至るという歴史的なことが起これば、即座に方向転換する可能性があったのもチェイザ男爵です。正直、停戦協議中に水を注すことから一番遠い方だという認識はマーベイン家とハシェッド家で共有される程には慎重な方であるのは間違いないのですが」
「そんな家が侵攻かい、何だかおかしな話じゃねぇか」
眉間にシワを寄せうーんと唸りヤゼルさんが腕を組み首を傾ける。
「俺は政治とか戦争とかそういう知識もなけりゃ学んでもこなかったからよぉ、難しいことはさっぱりわからねぇが……停戦協議が合意に至るってんならそのほうが都合がいい国境の家の方が多い気がするんだけどな? うちも停戦協議をしたいって話し合いしようぜってネルビアに言えば乗ってくる首長もあと一人や二人いるんじゃねぇのかね。戦争しなくて済むんだぜ? 安心して毎日寝られるようになる、それはどっちの国も同じだろ」
このヤゼルさんの考えは浅くて単純だと思う王侯貴族や政治家は多いかもしれない。でもホントそれなんだよなぁ、と思う人はそれ以上にいる。
戦争が止まれば、なくなれば、単純にお金がかからないし人の命が散っていくこともない。住む場所を奪われたり食べるものに困ったりすることもない。日々の生活が劇的に変わる。
物凄く単純な考えだとしても目に見えて住む人々、特に平民にはダイレクトに感じられるはず。それを無視して戦争をする意味がベイフェルア国にはもうない、というのが私達の認識でもある。
そもそもネルビアがかつて自分たちが奪われた土地を取り戻す為に始めた戦争。
それがいつしかベイフェルア国がさらなる国土拡大のために話し合いを避けその戦火を広げていった。
そしてネルビアはそんなベイフェルア国と完全に断交し鎖国に近い国策に方向転換、ベイフェルアがその気ならこっちも、と国境線全てを巻き込んだ長い長い国境線争いへと拡大させていって。
ネルビアには国土を取り戻すという大義名分だけでなく取り戻せばそれが褒賞として各首長に与えられ開発・復興費という莫大なお金も貰える。しかも物流や生産など国の運用する事業で特権の一部が与えられることも約束されているという。それは協力した他の首長にも適用されるとのこと。
対し。
ベイフェルア国は例え国境線をネルビア側に伸ばせても得るものはその土地だけ。
褒賞はそれだけ。
手に入るのは形だけの名誉だけ。
どんなに戦争に他の領が協力しても褒賞として渡せる国土がもうないし地位が上がることすら期待出来ない。ベイフェルアには余裕なんてない。グレイやローツさんが爵位を得た時にそれは嫌と言うほど思い知った。爵位を得るためには多額のお金を支払う、まるで何かの免許や資格を取るような感覚で、それを国が良しとしているんだから始末に負えない。
そんな国だから戦争をする意味はない。失うものばかりで得られるものが殆どないんだから。
それでも戦争を望む理由。
戦争がなくなると収入がなくなる貴族がいる。戦争がなくなるとお金を集められなくなる王家がいる。戦争ありきで回る中央、それが今のベイフェルア国。
だから水を注す貴族は出てくる、仕方ない。
とはいえそれがチェイザ男爵というのが寝耳に水ということ。
「なんでチェイザ男爵はこのタイミングで侵攻したかはわかってるの?」
「現在調査中ですわ。ただ、十中八九王家とベリアス家の思惑によるものでしょう。そちらはそちらで思惑があるのでしょうから」
「うーん、やっぱりそうくるかぁ」
「単に圧力をかけられた、なら何とか打開策はあるのですが……」
「そうじゃない可能性がある、ってこと?」
「人質を取られた可能性がありますわ」
「……え」
人質?!
「え、待って、そこまでするの?! なんで?!」
「チェイザ男爵の特殊な立場がな」
ずっと黙っていたグレイが私の叫びに近い疑問に反応した。
「男爵ではあるが……地理的理由からチェイザ男爵家の発言力は伯爵家に匹敵する。領土は狭いが、良質な魔石が取れる魔物が発生するダンジョンもあるし保養地として人気の温泉も複数あって民間の範囲では外貨獲得も安定している。戦力は平凡であるし侵攻の危険と隣り合わせだが非常に財政が安定的で崩れにくい。そして何よりチェイザ家は強権派、王家とベリアス家がある程度の事なら黙認するだけの価値がある。だが、現在の当主はクラリス嬢が言ったように真面目で慎重な質でマーベイン家の停戦協議開始と同時に戦争反対の狼煙を上げる気配を見せ始めていたんだ。簡単に方向転換した浅はかで浮ついた考えと見る者もいるかもしれないがあの当主を知る者からしたらそのタイミングをずっと待っていたのではないか、という見方も出来る……。しかも浅慮な判断に見せかけてギリギリの線で攻防を繰り広げるだけの戦略家のようだしな。王家とベリアス家としては困るだろうな、強権派内では少ないまともな価値観を持ち、実は戦略や策略に長けていることを上手く隠している家がマーベイン家のように停戦協議の場を設けるために動き出したら派閥の鞍替えは必至、しかも国土拡大はおろか戦争を産業を主とする他の貴族にも大打撃を与える。その比はマーベイン家どころの話ではない。マーベイン家は自家で資金調達や徴兵を行う地力があったが、チェイザ家は強権派ということでベリアス家と王家から支援されていたから」
「今の状況を継続させるため、方向転換させないために人質を取った可能性があると?」
「おそらくな。あの当主にはうちのように歳の離れた妹がいる、今チェイザ男爵令嬢の所在を確認中だ。可能性として高いのはその令嬢が密かに人質として既に王家預かりとして城に連行されたのではないか、と。表向き侍女見習いを理由に登城を命じられ王妃か幼い王女付きにされたらそれはもう監視下に置かれたも同然だしな。……最悪、婚約者すら決まっていない王太子の側妃に選ばれてしまえば城から出ることはほぼ無理だ」
夜の晩餐会で姿が見えなくなった首長夫妻がいた。チェイザ男爵領と接する首長区の首長夫妻だという。
「区でちょっとした問題が起きたそうだ、そのため帰還することになったが、解決しその時にまだベイフェルア国の皆がこの首長邸に留まっている期間に間に合うようなら戻って来るとも言っていたな」
軽い口調のレッツィ様だった。なんの不安も疑問もない実に楽しげな声色で、やっぱりこの人怖いなぁと思わされた。
(自分たちに不利になる結果にはならないって自信がある)
美味しいお肉を咀嚼し、消化不良を起こしそうなため息ごと飲み込む。
(そして信頼してるんだよね、絶対的な信頼。首長さんがヘマをしない、負けないって)
余程の事がなければすべての首長さんたちは今回の停戦協議中はこの首都に滞在すると聞いている。それなのに夫人と共に区に戻ったということは自らベイフェルア国からの侵攻に対して対応するってことよ。
(元々好戦的な区の首長って言ってたよ? そんな人が自ら指揮して侵攻を、食い止める?)
「ジュリ」
隣のグレイの声に思考が遮られた。
「何を考えている?」
「ろくでもないこと」
「そんなことを考えながら食べても美味しくないのでないか?」
「美味しいよ、大丈夫、私の味覚はそういったこととは連動しないから。ため息と一緒に飲み込んで消化不良は起こしそうだけど」
「美味しく食べられるなら消化不良はいいのか」
「消化不良で死んだりしないし」
「そういう問題ではないだろ」
そもそもの話。
ベイフェルア国は今回のこの停戦協議を黙認している。しているというよりしなきゃいけなかった。
ネルビア国はバールスレイド皇国と同盟国でありネルビアが要請すれば戦争に加担することが可能。そして同じようにヒタンリ国や北方小国群に属する国や地域ともほぼ同じような同盟を組んでいる。
つまり、戦火が拡大しネルビア国が少しでも形勢不利だと判断したらそこに大国バールスレイドが参戦してくる。直接的な軍事力の提供が難しいとしても北方小国群も物資や後方支援が可能。
下手に突くとベイフェルア国は一気に戦火に見舞われる。最悪国境線全域が同時に大規模侵攻される可能性がある。
だから今回王家は黙認したわけだ。
歴史的な協議に国が参加しないなんて本来はあり得ない。でも参加したら軍事力をちらつかせるネルビアに脅される形で不利な停戦協定を結ばされる可能性が極めて高い、と。
手を出したくても、首を突っ込みたくても出来ないジレンマが生まれるだろうな、ということくらい私にも予想は出来た。
出来たけど。
まさか味方を脅して強気に出た可能性があるなんて。
「……何がしたいんだろ?」
「何のことだ」
「ベイフェルア王家。自分で自分の顔に泥を塗ってるようなものじゃんね? それとも……今回もベリアス家とか、他の勢力の暴走が絡んでるのかな。だとしてもちょっと、あまりにも薄っぺらいし、アホくさい。国のトップがバカですよ、って言ってるようなものでしょ」
グレイは肯定の意味なのか僅かにフッと鼻から息を漏らすように笑った。
「何を考えているのか、中立派と穏健派に理解できる家は残っていないだろう。私も聞いてみたいよ、今何を考えてどこへ向かっているのですか、とな」
明日も更新致します。
季節もののスペシャル単話が最近載せられずにいたので何とか……と思ったのですがちょっと間に合いませんでしたので夏休み時期に載せられるよう頑張ります。




