5 * 立派なものではないけれど
本日一話更新です。
『専門的なことを教える学校』。
この世界にはない。
学校はけっこう充実してるのよ。
小学、中学、高校に相当するものがあって、義務教育ではないけど、読み書き出来ないと仕事が限られるから貧しくても最低小学校に近い学校は卒業出来るよう審査の緩い奨学金的なものもあるから結構就学率は高い様子。
中学相当になると、勉強が少し難しくなって、そこに自分の住む国の法律の基本とか、社会に出て働くときの心構えとか、そういう社会進出を目的とした教育が加えられるみたい。
そして高校らしきものになると、内容は一変するらしい。
官僚を目指す子供、貴族の子供、富裕層の子供たちが学ぶ場所となっていて、いわゆる帝王学に近い、人の上に立つために必要な知識なんかをつめ込むことになるそう。女性はここでマナー教育もされて、貴族として恥ずかしくない淑女の嗜みも学ぶというから、高校相当の学校は遊ぶ暇もなくひたすら皆が勉強に励むことになるとか。
なので一般的には中学相当の学校を卒業すれば社会に出て働き口を見つけやすい。そういう教育が全土で浸透して久しく。
つまり?
さらにその先にあるであろう専門学校はない。
『専門』となると職人がいるから、そこで習うのが普通。というかそれしかないのが実情。
私のイメージとしては、当然専門的なことを学ぶ場ではあるんだけど。
基本教養も学ぶよね。ビジネスマナーや英会話、もちろん学ぶ専門職の歴史とか。ただその技術を得るだけじゃなく、それこそ社会に出たときに困らないよう、その職にふさわしい教養も身に付けられる。それが専門学校なのかな?って。
その話をしたんだよね。
中途半端に店をやるのではなく、いっそのこと最初から専門学校にしてみたらどうか、ってエイジェリン様に。
ネイリストを育てるにあたって、ただやるだけじゃ伝えたい内容に齟齬が発生したり、気づいたら変化したり、なくなってたり。時間が経つにつれ、人を介するにつれ、技術や知識に違いが出てしまうかもって。人の肌に触れて行うことだから、適当とか、あてにならない勘を頼りに、なんてことでお客さんに怪我をさせることも考えられる。
だから、まずはしっかりしたマニュアルを導入する。
爪染めの素材は何か。どういう性質か。
爪を手入れする利点は? 手入れの注意点は?
パーツに使われるものの素材は? 使うときの注意点は?
そういったことを、予め最低限、基本をまとめたマニュアルが必要なはずでしょ?
そして随時最新のものに書き換えてより良いものにしていく。そのより良いものが安定して提供される場は、お店よりも学校であるべき。学校なら『卒業生』として新しいマニュアルを見に来たり貰いに来たりしやすいし、卒業後の補助の一環として優先的に最新の情報を提供するっていうのもありじゃない?
そんなことをツラツラと話したら。
計画進んでたっぽい。
まぁ、いいんじゃないでしょうか。
職が一つ増えて、可能性が広がる。それを支援しようとしてる人がいる。
悪いことじゃないですよ。
ただ。
展開がはやい!!
凄いよ、侯爵家のその行動力は。
ついていけない……。
そしてそれに伴って色々質問攻めに合いましてぶっちゃけ大変よ?
思わずおばちゃんたちに愚痴ってしまったわ。
なんてことがあったんだけど、それを聞きつけた意外な人がくいついてきたのよ。
ガラス職人のアンデルさん。
どうも専門知識だけでなく『教養も学ぶ』っていう所が気になるみたいで。
「専門知識さえあれば職人になれるって思って弟子入りしてくるやつが多いんだよ。俺の下で働くならいいさ、けど大半は独立なりいいとこのお抱えになるためにやるわけだろ? 金の計算は出来ねぇ、客とまともな会話が出来ねぇ、それが何が悪いんだ? って思ってる奴らが外でやっていける訳ねぇだろ」
「確かにそうですね。職人ってことは、物を作って売るわけだから、まず間違いなくお金の計算はできなきゃいけないし、接客とまではいかなくても意思の疎通は必要ですから」
「学問所 (中学相当の学校)で多少は習うんだけどよ、なんでそれが必要か? ってことまでは教えねえんだよ」
つまり、数字の計算は教えるけど、なんで数字の計算が出来るといいかは教えないのね。道徳的なものは教育にあんまり含まれてないんだろうね。
それはまたビミョーな話よ。
そういうのを勉強したければ上学所 (高校相当の学校)に行けってことらしい。でも上学所は奨学金もないし、その年齢はすでに結婚出来る、社会進出出来る年齢だから庶民でいく人はごく少数派。
「お前が言ってる『専門学校』ってやつは教養も教えてくれるんだろ?」
「うん、たぶんそれで間違ってないとおもいますよ。徹底して専門知識だけっていう学校は少なかったと思いますね」
私は専門学校に行ったことはないから、はっきりはわからない。でも、学生のころ色々資料を集めて専門学校のパンフレットも見たことあるけど、専門知識以外にも選択科目が多彩な学校もあったし、就職に有利なコミュニケーション能力向上のための科目が必須の学校もあったと思う。
「そういうのが、このクノーマス領だけでも広まればよ、俺たち職人も仕事に打ち込めんじゃんねぇかって思ったのさ」
切実なんだろうね、一般教養まで教える暇はないのにその心配も新人が入ってくるたびにしなきゃならないんだから。
今回のネイリストのことから、そういう話が広まって議論されるのはいいことだよね。
職人が育つ土地。しかも教養が備わった若い人たちが育つなら、人材として付加価値がある。この土地で技術を身につけた職人は評判がいいってなれば、それだけで人を集める力になるから。
夢は広がるね。
エイジェリン様には今のテンションのまま頑張ってもらいますか。
私のいた世界の専門学校を実現するのは難しくても、この世界に馴染む専門学校はできると思うから、いつかそこに通う若者たちの姿がちょっとみたいかな。
そして。
二人の侍女さんたちの成長は目覚ましくて、爪磨きはライアスが専用のヤスリを用意した相乗効果でそりゃもう私とケイティを満足させる仕上がりに。マニキュアこと爪染めのカラーが三種類でも、ラメの量を調整したり、爪染めを独自に混ぜることでベースとなるカラーは八種用意してくれた。パーツも使いなれてきて爪に乗せるときのピンセットを扱う手元は安心して見ていられる。デザインも臨機応変に対応できるようになってきた。
そして。
最後の難関。
「んー気持ちいい」
私の口元が緩んでしまった。
爪だけでなく、手も美しく。専用のマッサージオイルで手を揉みほぐす手つきも非常に安定性があり、触られるときに違和感や不快感はない。気持ちよいわぁ。
「あー、幸せぇ」
ケイティにもご満足していただけている。
「……い、いかがでしたか?」
二人の侍女が試練を乗り越えたか、不安げに私たちを見つめる。
「私は、文句なし。ケイティは」
「強いて言えば」
その言葉に二人の顔がこわばった。
「デザインにもっと大胆さがあってもいいかしらね? 自分だけのものを欲しがる令嬢たちを満足させたかったら、二人にはもっと自信が必要よね。……でも、合格。この世界初の『ネイリスト』としては充分過ぎるわね。これからもっと精進すればいいんじゃない?」
心配そうに見ていたおばちゃんたちが歓声を上げ、見守っていたグレイも静かに微笑んでいた。
新しい職業、『ネイリスト』がこの世界、このククマットで生まれた瞬間だった。
ウィニアさんは目に涙をためていた。イサラさんも緊張していたんだろうな、大きな深呼吸を繰り返したあとに、崩れるように椅子に座ってた。
女性が就ける専門職が少ないこの世界、今はたとえこのクノーマス領限定だとしても専門の知識を身につけられたことは二人にとって重要なことなのだ。侍女が専門知識を持っているということはそれだけで自分の価値を上げあらゆる貴族から引く手あまたとなるのだから。
この『ネイリスト』も、きっとゆっくり、じんわり、ひろがってくれることでしょう。
あと。
この時点で【変革のたまご】なるものに変化はないらしい。『孵化しました』とか『生まれました』という声が聞こえないのよね。
うーん?
私としてはてっきり『ネイリスト』が誕生した瞬間かな? なんて思ってたんだけど。
「ネイリストそのものが【変革】じゃないんですかね?」
「おそらくそういうことになるな。ただ、ネイリスト、ネイルアートをこの世界にジュリが持ち込んでくれた時点で【変革のたまご】になったのだから……『きっかけ』という扱いになるのかもしれない」
「『きっかけ』ですか」
まぁ、マニキュアの類似品である爪染めがあったから新しいもの、とは言い難いわね。あくまで派生したもの、という扱いになるのかな?
だとすると、この先にまだ何か私が提案するものがあるってこと?
「……魔物素材テキトーに乗せてみます?」
「とんでもなく無責任な発言に聞こえたが」
「ええ、テキトーに言ってみました」
「……」
なんですか? 彼氏。その冷めた目は。
「ジュリは時々妙に適当な時がある」
「? 私は基本適当女ですけど」
「作品作りをしているときと比べると大分人格が違うような」
「それはそれ、これはこれ、というやつです」
「なるほど、そういうことにしておこう」
納得いってない顔してるけど、諦めてね。こういう性格なので。




