42 * 非公式なだけでお忍びではない
ガタゴト馬車に揺られること数日。
ついにルリアナ様の実家であるハシェッド領に入った。
通常ならここで伯爵家に立ち寄りご挨拶なんだろうけれど、今回は先を急ぎ一気に北上した先にある地区の宿で一泊後直ぐ様マーベイン辺境伯爵領へと進んだ。
雪深い地域ならでは、といえばいいのかな? ククマットやクノーマス領よりも遥かに積雪は多いのに馬車が通る道は雪は殆どない。冬に交通網が麻痺することは交通事情の未発達なこの世界では私がいた日本よりも命に関わる深刻な事態となる。
そのためこの時期は雪かき専門の労働者が多く滞在し、初級の冒険者なども小遣い稼ぎでこの地を訪れる。
国境線、特に北に接するこのマーベイン辺境伯爵家含む七家は万が一軍事活動の妨げがあってはならないという理由から冬季は納税が軽減、道路整備や土木事業に対して国から援助金も出ていた。
ただ、ここ十年はそれもままならない状況で、というか王家があろうことか財政難を理由に大幅削減に踏み切り、以降なんの案も補助もないままになっているという。現在は削減された分を全て各領が負担しているわけだけど、殆どを自力で賄えているのはなんとマーベイン家だけというなんとも悲しく腹の立つ現実がある。そのせいで常にネルビアと小競り合いが起き七領が疲弊している。ついでに言えば戦争なんて何でも壊すし奪うものなのに、貴族だからのたった一言で他人任せや無責任な言動をする当主もおり、そのせいでベイフェルアは圧倒的不利な状況に陥っている。何でそんな思考になるんだよ? とこちらは心の底から思うけれど、結局のところ貴族として長らく領民と領地を守り束ねるという使命感よりも『貴族と平民』という選民意識がいつの間にかそんな奴らの『領主』という重責を心から押し出していったのかな、なんて勝手に思っている。
『俺は貴族だ、偉いんだ』って本当に言う人いるんだよね。
「偉くはねぇだろ、だってお前たかが伯爵の息子じゃん。お前が偉かったら侯爵と公爵と国主はどうなんだよ?」
と、うちの店で喚いていた迷惑極まりないどこぞのアホ息子をハルトが黙らせた事がある。因みにその場にアストハルア公爵夫人がたまたまお客様として居合わせて、フッて鼻で笑ってたわ。顔を真っ赤にして逃走したそのアホ息子も自分より立場が上の人がいたらバカにされると分かっててそれ言うんだもん、そして何故かその場には自分より上の人なんていないと都合のいい考えが出来ちゃうんだから質悪い。
おっと、思考が逸れた。
まあ、とにかくそんなアホな貴族のせいで国境線を一丸となって守る事が出来ずいつでもグダグダなので本気で領民のため、国のためと防衛してきたマーベイン家がその負担を強いられてきた。
そしてついにマーベイン辺境伯爵様が決断した。
―――――これ以上ネルビアの侵攻を許すわけにはいかない。しかし領民もそして戦地に赴く者全てが疲弊しもはや限界、いずれ近い将来マーベイン領はネルビアによってその名を失うだろう。
私はそんな未来を望まない。この先もこのマーベイン領の存続を望む。そのためには何かを犠牲にしなければならないだろう――――
その手紙は、エイジェリン様に宛てられたものだった。それを見せられたとき、形容しがたい感情がこみ上げたのを今でも鮮明に覚えている。
(何かって、何よ)
心の中でそう呟いて、その『何か』が曖昧なようで実ははっきりしたものに感じて、恐ろしかった。
もしかするとあの手紙を見たことも私をネルビア首長国へと向かわせるきっかけだったかもしれない。マーベイン家やエイジェリン様の思惑なのかもしれない。それでもまあいっか、と思えたのは私が行くことで誰か一人でも『何かを犠牲』にしなくて済むならばそれはそれで良いことだと思えた。
この世界の人たちは、命を犠牲にするのが日常だから。
こうしてみると錚々たるメンバーが揃ってるんだよなぁ、と俯瞰的な事を思ってしまうのは私が庶民だから?
合流地点は得も言われぬ空気が漂う。
クノーマス侯爵家代表兼総責任者、エイジェリン・クノーマス。ツィーダム侯爵家代表的ヴァリス・ツィーダム。ハシェッド伯爵家代表ルドルフ・ハシェッド伯爵。
エイジェリン様が今回の旅と停戦協議の要である総責任者となっているのは元々エイジェリン様がベイフェルア国がネルビア首長国と国境線を巡る戦争を良しとしない考えを持っていてずっと水面下で停戦協議へ向けての下地を作ってきた人であるから。
停戦協議に漕ぎ着けるまで実に十年。誰よりもこの国を憂いて、広い視野で国境線問題を見続けて来た。
そんなエイジェリン様と、今回の重要人物となるマーベイン辺境伯爵の補佐として同じく若き次世代の二人が就く。ヴァリスさんはテルムス公国三公家の一つゼーレン家のティターニア様の推薦もあったこと、中立派筆頭家の次期当主であること、そして戦争には反対の姿勢を一貫して貫いているため適任者と言っていい。
そしてルドルフ様。
肥沃で広大な農地、辺境伯家と隣接することから古くからマーベイン家とは親密な関係にあり、婚姻関係も結んで来たほど深い繋がりがあるハシェッド家故に、似た境遇の家々のどこよりも国境線問題が身近でそして国のためにと献身してきた家。ルリアナ様のお兄さんでもある彼はハシェッド領とマーベイン領の穀潰し様の加工から製品への一連の生産体制の責任者でもあるため、穀潰し様の加工ノウハウを知りたいだろうネルビアにとってはこれ以上ない指導者でもある。
そして、冒険者パーティーや各家の侍女や執事さんたちを集めてこの先の旅程の説明と確認をするのがグレイセル・クノーマス伯爵。
今回のグレイは完全に私のための護衛で、停戦協議には一切関与することはない。そのためついでに往復の旅とネルビア首長国滞在中の安全管理責任者的な立場となっている。……ついでに、ってところがなんともグレイらしい。片手間ですることでもないでしょうに。
そして主役とも言える人物。
ガルゼン・マーベイン
マーベイン辺境伯爵。
今回の主要人物の中で一番の年長者であり最重要人物となる。
この人とネルビア首長国側の接する首長区の首長との話し合いが軸となる。
「初めてお目にかかる、ガルゼン・マーベインだ。……あなたには数え切れぬほどの礼をしなければならないところだが、それはまたいずれ然るべき時にと考えている。無事に戻ったその時には我が屋敷でもてなさせて頂きたい」
大柄で長年戦いに身を投じて来ただけのことはある威厳を放つ存在感とは裏腹に、優しい目をしたその人に私は笑顔を向ける。
「はじめまして、ジュリ・シマダです。お気遣いありがとうございます。礼をされることをした記憶はないのですがおいしいものならいつでも大歓迎です」
私の返しに目を丸くした後、辺境伯爵は穏やかに笑った。
「領特産の酒や燻製などを紹介させてもらおう」
「ぜひとも」
穏やかな空気が流れ、タイミングを見計らって辺境伯爵様は振り向いた。
「クラリス」
「はい」
少し離れた後ろ側に控えていた女の子。
辺境伯爵様に呼ばれてその隣に並ぶと私に対して一礼した。
「娘のクラリス。クノーマス伯爵では立ち入りが出来ない場所もあるだろう、その時のためにも常に側に控えさせる」
「マーベイン辺境伯爵が娘クラリスでございます」
柔らかな雰囲気、おっとりとしてそうな声色、この子がクラリス・マーベインかとちょっと驚いた。なんというか……強そうには見えない、普通の、本当にお手本のような可愛らしいご令嬢。
でもグレイと辺境伯爵様と本人のニコニコを見る限り、強いんだろうなぁと察することになった。ホントにこの世界の人って見かけによらない人が多くて困る。
これから国境越えとなるため、国内で出来る最終確認とあって空気に緊張感が漂っている。
「……なんで、黒炎号はあんなにやる気に満ちてるの?」
そんな中、グレイの愛馬の黒炎号が前脚の蹄で地面をガッツリ抉りまくり、フガフガと鼻息が荒い。
「ああ、あいつはこのあたりの空気を知っているから国境線で戦場に立つものだと思っているんだろう。戦う気満々だな」
「今回誰とも戦わないよね?」
「戦わない」
「あれ、あのままで大丈夫なの?」
「……」
「何で無言、主が無言は怖い。説得なり説明なりしてきてよ」
実は、そんな黒炎号の影響か他の馬たちも落ち着きがなく、冒険者パーティーのエンザさんたちが宥めたりしていた。
「それだけではないだろう」
「え?」
「長い戦で…この地には無数の人の骨が埋まっているし、散らばっている。……馬は敏感だ、この地が他とは違うことを感じ取るのは仕方ない」
「……」
辺境伯爵様が馬たちを眺めながら何でもないことのようにそう言った。
不自然に大きな石が積み上げられ土で固められた場所には名もなき兵たちの遺体が埋まっているという。
魔物や獣に掘り起こされないよう深く掘った穴に死体を投げ込み、土を被せ、石を乗せ、さらに土を被せて固めるのだそうだ。
衛生面から火葬が望ましいけれど、火葬で弔ってやれることはごく稀なのだという。
死者が多い時は埋めることも雑になり魔物や獣に掘り起こされそこら中に骨が散らばってしまうのだという。そして踏み散らかされ骨は砕かれ、土と泥と混じり人であったという証さえ消えてなくなる。
ここは、人の命が無数に散っていた土地。
その上に、今、立っている。
きっかけは何か。
私が穀潰しを見出したことか。
この世界に召喚されたことか。
どのタイミングで。
いつ、何が。
今私をここに立たせているのは、『何』だろう。
(不思議と落ち着いてるんだよね)
自分の気持ちが酷く凪いでいるのがわかる。
(緊張とか、不安とか、そういうのがない。停戦協議を他人事と思ってるわけではないんたけど)
これもまたセラスーン様の何らかの意図が私に影響を及ぼしているからなのか。
そして私たちを乗せた馬車が再びネルビア首長国へ向けて動き出すために
山越えになるものの、ベイフェルア国側で最もなだらかな山道を通るとのこと。そして今回の為に秘密裏にネルビア首長国とマーベイン辺境伯爵家の側近レベルの人達主導でその道は更に整備されたらしい。
その時点で両者停戦協議に前向きなのが分かるし上手くいくんじゃないの? と私は思ってそれを素直にグレイに伝えれば彼は苦笑した。
「今回は互いに見栄もあるし何より限りなくトラブルを避けたいという意図もある、往復の旅路はとにかく危険が多くそのためにかなりの私財を投資して最優先で整備したんだろう、『仲良くしましょう』という気持ちでやっているわけではない」
「なるほど」
それこそ思惑ありきの整備ということか、なんてことを考えたわ。
戦争を終わらせたい、その一言だけでは済まない思惑が無数にあるわけで。
「そんなもの?」
「がっかりしたか?」
「いや、別に。寧ろ納得」
「そうか?」
「世の中綺麗事だけじゃないもんね」
「そうだな」
ここまで来るのに実は何度も襲撃があったらしい。
私は全く気付きませんでしたけども。ええ、全く知らずにここまで来ましたよ。
停戦協議が上手く纏まってホントにマーベイン辺境伯爵領が停戦となると困る人がネルビア行きを阻止しようと刺客を送り込んで来ているらしい。
「気にするな、全部始末している」
笑顔で言う彼氏。
「別にお忍びでもないしね」
「そうだな、だからといって本当に刺客を送り込む阿呆がいるとは思わなかったが」
これでもかという下準備と護衛ありきのこの一行に向かってくること自体が阿呆だとグレイが断言してた。
私が分からないだけでどうやら沢山の味方がそこら中にいるらしいのでスルーしつつも感謝しておく。
因みにベイフェルア王家は私が関与しているからか、それとも非常に神経質にならざるを得ない問題だからか相変わらずダンマリを決め込んでいる。
アストハルア公爵家に大臣クラスの人が何人かこのネルビア行きにねじ込めないかと打診したそうだけど、アストハルア公爵家がこのネルビア行きに関わらないと知ってあっさりと引いたことも聞いている。
とにかく、中心となる中立派に貸しを作るのだけは避けたいというのがいまの王家のスタンスで、それが何を意味するのか、今後どう影響するのかは未知数。
「それでも堂々と行くけどね」
国が黙認するくらいには、停戦協議は重要視されていると信じ、馬車に乗り込む。
さて、国境を越えましょうか。
気負わず何とかなるでしょと信じて。
次回更新は2月25日です。
現在期間限定で週一の更新をしております。週二更新再開までもう少しお待ち下さい。
3月中にはと思っていたのですが、4月になりそうな気配……申し訳ございません(土下座)!!




