40 * グレイセル、立ち会う
今回はグレイさんの語り。
まじめな話、のはず。
マーベイン辺境伯爵領一時停戦区域。
ヒュオォォ……と、乾いた冷たい風が吹き抜ける。
時折現れる飢えた魔物を見かけるだけで現在人の気配はない。
今年は雪が少なく、冷たい風も例年より幾分マシに感じるという。
「クノーマス伯爵様」
先頭を無言で歩いていた辺境伯爵家の娘クラリスは立ち止まり前方を指さした。
「あそこが国境線です」
何度も何度も繰り返される国境線を巡る争いはこの一帯の木々を根こそぎ枯らし、数代前には地肌が抉られ岩盤が露わになり、もはや虫すら住めぬ荒涼とした土地になったとされている。
山とは思えぬ見晴らしの良さについ振り向いて見下ろした。
視界の下、少しずつ増えていく木々、そして生い茂る木々、なだらかな斜面を越えた先に見える村や地区、農地に道路。
「あと数百メートルでもこの山の侵攻を許せば、……下は消えるか」
「はい」
これ以上のネルビアによる侵攻を許せばすぐ近くの森はまず無事では済まない。そしてその先ずっと向こうに見える村も農地も危険地区として立ち入りは制限され、問答無用で消さなければならない。無理に残せば領民が巻き添えとなり、そして整備された農地は奪われる。『守る』ためにあえて潰す、消す、その選択を迫られるのが戦争というものだ。ジュリはよく『非生産的だ』という。
全くその通りだ。
戦争が生むものなど、碌なものはなく、大半は奪われ失われ、そして忘れ去られる。
そこに生産性などない。
「昔はもう少し高い山だったと聞いている。……侵攻の為に削られたのはどのくらいだ?」
「凡そ十メートルと」
「だとしても、ここまで登るのに体力の消耗が激しいな」
「はい。そのため当家は少数精鋭での防衛を主にしている区域でした」
「……いつから無駄に歩兵を投入するようになったのか。ネルビア国側は魔物が多数発生しやすいが斜面はなだらかな山が多い、しかし、ベイフェルア側は急斜面や場所により断崖絶壁の所もある、そもそもこちらから侵攻するには向かないのがネルビアとの国境線だ」
「はい、仰る通りです」
「しかも、大昔はこの山岳一帯がネルビアの土地であったことは歴史が証明している。……ちなみにこのあたりはかつてどこが本当の国境線だったか聞いても?」
「……辺境伯爵領のネルビア側三分の一あたりではないか、と。資料が乏しい上に破棄されて来ましたので、正確な国境線は当家でもわからないというのが正直なところです」
「三分の一か……ネルビアが躍起になってベイフェルアに攻め入るのは当然か」
令嬢は無言で軽く目礼するに留める。
肥沃な大地を略奪した時点である程度満足しておけばよかったのだ。
先人たち、かつての王族はさらなる土地を求め山の頂より先のネルビアに攻め入った。
しかし、時間の経過と共にネルビアが力を付け、その速度は明らかに衰えたという。そして何よりこのベイフェルア国の北部を国境線とする明確な証でもあるその山岳、これを越えるのは至難の業だ。
ネルビアはそれを理解していたからこそ、戦を繰り返した。ベイフェルア国を永続的に戦による疲弊で弱体化するように、その弱体化が慢性化するように。
地理に詳しかったネルビアの思惑に、ベイフェルアは完全に嵌まった形となり、今の状況を生み出した。ネルビアのこの辺境伯領と接する首長区は山を下ると荒涼とした大地と、いくつもの魔素溜まりがあるとされている。そのため人は住みにくく、農業も難しいと言われていた。だがあえてネルビアはこの首長区の開拓に力を入れて魅力のある土地だと思わせたのだ、事実魔物から採れる魔石や素材は多いという。そして、標高の高い山が少ないこの山岳地帯でさらになだらかで山越えがしやすいだろうこの辺境伯領が主な戦地、つまり陣取り合戦の中心となっていった。
ここが突破され、占拠された場合ベイフェルアはネルビアに負ける。押し返すだけの力がこの国にはない、あったとしても臆病な国王は自分を守らせるためにここまで軍の要である騎士団と大軍を送りこんだりしないだろう。そして全ての負担がマーベイン辺境伯と支援する貴族家にのしかかる。そのことを名誉だと声高に言う奴らも出てくるだろう。
(それで私に頭を下げて何とかしてくれと言えるのだから呆れる)
一個人に頼ること自体異常だと思わないのか。その一個人に頼るくせにその後ろで好き放題し邪魔をし手柄を得ようとする奴らを王宮に招いて褒美を取らせることを異常だと思わないのか。
「一時的とはいえ、停戦して良かったな」
様々な考えが浮かぶ中で自然とでた呟き。
この山越えのためにどれだけの命が投入されたか。
どれだけの命が国土拡大を大義名分に散ったか。
令嬢が頷いた。
きつく握りしめられたその手が戦争が終わることを如何に望んでいるのかを物語る。
そしてその時がやってきた。
「!!」
令嬢がバッと顔をネルビア側に向ける。一瞬で変化したその目つきは流石戦闘に特化した能力持ちが生まれる家だと言うべきか。鋭く射抜くその瞳を向けられたら屈強な大人でも怯み後退るだろう。
「殺気も警戒心も全て解くように。ビルダ将軍は非常に人の気配を察知する能力が長けている、少しでも気に入らない気配を感じたらあの方は容赦しない、残念ながら令嬢では数秒持たずに命を刈り取られる、落ち着いてくれ」
「し、失礼しました……」
私の言葉にハッとして令嬢は深呼吸をすると一礼し謝罪の言葉を述べた。
「凄いだろう? この圧倒するような覇気。……ネルビア大首長が戦場で全ての権限を与える理由はこれだ。あの方は決して負ける戦をしない、勝てる戦しかしないし、勝てる戦のやり方を熟知している。経験と己の能力や努力を完全に理解し使いこなすからこそ生まれる自信と覇気だ。覚えておくと良い、諸外国の戦を左右する人物たちは皆あのような覇気を放つことを」
たった一人、馬に跨りやってくる。
「やっぱり伯爵に褒められると素直に嬉しいぞ!」
警戒心などなく実に明るい高揚した声でその人、ビルダ将軍は大きな声で私に向かって声をかけてくる。
「老いた上に麻痺まで抱えたこの体をそうやって褒めてくれるのは伯爵だけだろう、他はさっさとくたばれ! と思っているぞ!!」
「まだまだ現役でいただかなくては。回復したようで何よりです、こうして直にお姿を拝見でき安心しました」
「よく言う! お師匠を味方につけておいて! お師匠から脅迫めいた手紙を貰って寿命が十年は縮んだぞ」
がははは、と豪快に笑うその人に『間違っても寿命は縮んでいないと思います』と言いたい気持ちをなんとか飲み込む。
ビルダ将軍は馬から軽やかに優雅に降りるとチラ、とクラリス・マーベインに視線を向ける。私と将軍の間に畏まった挨拶は不要なので早速紹介することにした。
「あまり長居する場でもありませんので……早速紹介します。クラリス・マーベイン辺境伯爵令嬢です、ジュリのネルビア訪問時に女性護衛としてこちらから打診し受けて頂きました」
「そうかそうか、辺境伯家の娘ならジュリ殿は勿論クノーマス家に決して迷惑をかけることもないだろうし、何より裏切りもしないだろう、良い人選だ。伯爵からすでに紹介されているだろう? すまんなぁ、こんな老いぼれに挨拶するためにわざわざ山を登らせてしまって」
「ご配慮痛み入ります。クラリス・マーベインでございます、ネルビアの懐刀と称される大将軍様にお目通りできましたこと恐悦至極でございます」
美しい所作でカーテシーを行い、僅かに微笑みを湛えあくまで上品に、令嬢らしい穏やかでしっとりとした声での挨拶。
「あまり気負わずになぁ」
気の抜けるような穏やかな声。
「君たち若者はこれからだ、時代をその目で見て伝え、残す役割を担う。そして歴史的な事にご令嬢は立ち会うことになる、だから尚更長生きして後世に伝えてもらわねばな。その為には小難しいことばかりに目を向けるのではなく色んなことに目を向けて息抜きしながらやっていくことだ」
「教養もあり家柄も申し分ない。バビオに付けさせた者から令嬢自らプロポーズしてきたという話を聞いた時はどんな世間知らずかと思ったがな」
二人きりで話をしたいと言われ、令嬢には離れた場所で待機をしてもらう。
声が届かない所に立てば将軍はなるべく声を抑えようと努力しているのか肩を震わせ笑いを堪えつつ口元を手で覆いながらそうつぶやく。
「良いのか? 大首長は乗り気だしバビオも反応としては悪くない、国のためになるのであればとむしろ歓迎するとも言っておったが」
「そうですか……その件については私は関与致しませんので入国時改めて本人たちの意思を確認しつつ話をしていただければ。マーベイン辺境伯も本人の意思を尊重すると」
「ほう? ……良血が憎きネルビアに流出することを躊躇わないのか」
「将軍から見てもそう見えますか?」
「辺境伯の子どもは三人いたな、その中で一番辺境伯の血を濃く継いでいるのではないか?」
探る様子もなくあけすけに言葉を口にする人だ、と何度も思わされた人物らしいはっきりとした質問だ。
「そうですね、少なくとも……私が令嬢の身内であれば、国外に出すのを躊躇いますね」
「伯爵がそう言うなら……辺境伯家の特殊な能力、もしくは【スキル】【称号】を引き継いでいるか?」
「隠し通せるものではないのでお伝えしますと、【称号】はありません。が、【スキル】を保有します」
「やはりな。さすがにその内容は秘匿されているだろうからあえて聞きはしないが、それを知れただけでも大首長への土産として喜ばれる」
「許可は取ってありますのでご心配なく。彼女の【スキル】は【超耐性】です」
「な、なんだと?!」
将軍も驚く【スキル】を保有するクラリス。
【スキル:超耐性】は痛みは勿論五感が反応する全ての物に対しての耐性を一時的に飛躍的に向上させられるものだ。その中には毒や呪いも含まれる。体に異変を感じた瞬間、その【スキル】でもって体に起こる不都合を弱めたり遅らせたりし、致命傷を回避する確率を高めることが可能だ。権力者なら誰もが欲しがり、そしてそんな権力者に仕える側近ならば主の盾としての役割を誰よりも果たせる強力な武器ともなる【スキル】。
それをあの令嬢が保有しているのだ。
「……大首長の第一夫人であられるプレタ様の側近に自分を売り込むつもりだとの発言、あれは単なるハッタリではなかったのだな」
「自分の価値と利用方法をよく理解している令嬢です。……己がネルビアで重用されればマーベイン辺境伯爵領の安寧の確率が高まること、夫となりうる人物がネルビアで中心人物となれば更に夫婦揃って仲介役として双方を繋ぐ架け橋になれること。……その事をバビオという者にお伝えしていただければ幸いです、彼女もまた、ある意味この国の犠牲者です、クノーマス侯爵家とツィーダム侯爵家はそんな彼女の意思を尊重し、できる限り後ろ盾としてベイフェルアから支援するつもりです、それも踏まえ、将軍にはこちらにお力添えいただければと思っています」
ううん、と唸るような声を出しながら、将軍は困ったような顔をし笑った。
「勿論協力するが……まだ未熟者のバビオにはもったいない気もするな、あの令嬢は」
「手厳しいですね、将軍の後継者として申し分ないとお見受けしましたが」
「そうか? 伯爵がそう言ってくれると安心だが如何せんあやつはあらゆる事において経験不足でな。だが、まぁ、あの令嬢が望んで来てくれるならばこちらとしてもありがたい。せいぜい思っていたような男ではなかったと捨てられぬようにもう少し育てることにするか。……令嬢の覚悟は称賛に値する」
一人私たちに背を向けて佇む令嬢を将軍は目を細めて見つめる。
「決して悪いようにはせん、こちらとて、戦争が全てを解決するとは思っておらん……勇敢な『女性たち』のために、できることはさせてもらう」
「よろしくお願い致します」
私は深々と頭を下げた。
この地に慣れている、知っているからとそんな単純な理由ではない。
ジュリの護衛としてともにネルビアに入国するから顔を覚えてもらいたかっただけではない。
学園を卒業して間もない令嬢の覚悟。
この国は、令嬢たちの穏やかで一生金に困らぬ貴族としての生活すら脅かしている。
家とか地位のためではなく、停戦のために令嬢が己を差し出す。
そんな覚悟をさせるまでにこの国は落ちぶれた。
辺境伯と言ったら侯爵家レベルの権力や発言権があり、軍事の要として王家すら下手な命令が出来ない家だった。それが今では単なる使い捨ての軍力扱い、王家からは潰れるなら潰れて構わない残った領地は褒賞として後から手柄を立てる者に渡せば良いと軽く見られ。
一刻の猶予もないこの地に対し、王家はどれだけの危機感を持っているだろうかとかつては憂いたこともある。
しかしそんな理不尽はすべて清算する。
私は決めた。
ジュリのために。
生きやすく、迷うことなく進める道を敷くために。
「それで、アストハルア家の干渉は避けられているのか?」
「はい、ジュリ自身がアストハルア家は万が一の最後の砦としてベイフェルア国内でその地位が揺らいでもらっては困ると判断しております。ネルビア訪問は如何せん後の不安要素だけでなく不確定要素が多すぎますから」
「よい判断だ。……ふむ、そのあたりももう少しこちらの国内の調整もしておこう。一部ではやはりアストハルア家の介入があったほうが信頼できると言う者もおってな……―――――」
「護衛としての紹介のための顔合わせでなんでクラリス嬢の結婚の話が進んだのよ」
ジュリに今日の事を話せば呆れた顔をされた。
「こっちと、ティターニア様の意図、伝わってるの?」
「そんな事を言われてもな……途中で痺れを切らし令嬢が自ら割って入ってきたんだから仕方ないだろう」
「は?」
「私を両手で突き飛ばし『バビオ様に私のこと売り込んでくださいませ』と将軍にお願いしてな、その豪胆さをお気に召したらしく、将軍が『よし、バビオの嫁に来てもらおう!』と返して、そこから二人でそんな話をし始めて気付いたら時間になっていた。最後に清々しい程の笑顔で『連れてきてくださりありがとうございました』と言われたら、もう私も笑顔を返すしかないだろ」
「……えっと、バビオ氏、会ったことないけど、なんだろう、『頑張れ!』って応援する言葉しか浮かんでこなくなったのは、何故」
微妙な空気が流れた。
大事な短い時間を無駄にしないクラリス嬢のお話でした。
まさかティターニア様もこんなことになっているとは思わないでしょう。というかグレイセルも将軍も絶対に言えない。
知られたら多分問答無用でボコされる案件……。




