40 * 相手のことを考えて行いましょう
この日、セティアさんは苦笑していた。
グレイは若干引いている。
うん、わかる。
「他に何か必要なものはないか? ああ、まだ起きなくていい、無理するな、もう少し体を休ませるんだ。家のことは心配しなくて良いと言っただろ、グレイセル様から信頼できる使用人を見つけてもらったし俺の実家も全面的にサポートしてくれる、何も心配いらないから」
ローツさんがずっと、昨日の夜からずっと、笑顔が絶えずこの調子。最初はセティアさんも一緒に幸せそうにしていたけれど、私たちが一旦帰宅し出直してもまだこの感じが続いていた。しかもローツさん寝てない。要するにずっとテンション高くずっと笑顔、そしていつもの数倍口数が多いということで、奥さんであるセティアさんはヘトヘトな状況下でちょっと引いてる。
「少し黙ろうか」
グレイがそりゃもう爽やかな笑顔を浮かべてローツさんを殴り気絶させた。
びっくりした私とセティアさん。でもさすがはローツさんの嫁。
「ありがとうございます、寝ていない事もあって少し高揚し過ぎていましたから」
あ、お礼言うんだ……と私がスンとなるくらいには肝が据わってる嫁だった。
セティアさん無事男の子出産、ローツジュニア誕生!!
昨日午前に陣痛が始まり、日付が変わる頃生まれてきた新しい命に 《ハンドメイド・ジュリ》関連だけでなくククマット領全体が沸き立った。夜中にも関わらず無事の出産が瞬く間にククマット中に広まってあちこちで飲めや踊れやのお祝いムードになり、その賑やかでめでたい時間は昼の現在も続いている。
「お疲れ様、セティアさん。昨日の今日だからセティアさんも寝てないでしょ、これからが大変だし産後無理すると体に良くないから私達も直ぐに帰るから。一応話だけはしておかなきゃいけないと思ってね」
今日あえて訪ねて来たのは当然ローツさんがグレイの直属の部下であるから。グレイが一番盛大に祝いをせず誰がやるんだという話なわけよ。
「話、ですか?」
ここからはグレイの番よ。
「ローツには私個人の右腕としてだけでなく 《ハンドメイド・ジュリ》でも存分に能力を発揮してもらい本当に助かっている。しかもセティアにはジュリの秘書までしてもらっていて感謝しかない。そこでだ、ささやかだが祝の席を設けようと思っている。ローツからは高位貴族ではないから畏まった席を用意する必要はないし、この先ジュリのネルビア行きも控えている中でわざわざそんな時間を取ってもらうなんてと辞退されてしまったのだが、私としてはせめて身近な者たちだけでも集めて新しい命の簡単なお披露目をさせてやりたいと思っているところだ」
「そんなっ、そこまでしていただく必要はありません!」
珍しくセティアさんは荒げるような声を出してグレイに反論した。
「私は今十分幸せですし、無事にこの子を産めたこと、主人のご家族にも良くして頂き力になってくれると心強い言葉も貰っています。本当に、今十分満たされています、この子だって生まれた瞬間から同じです、これ以上の事を領主であるグレイセル様からして頂く必要などありません」
本心から言っているんだね、セティアさんはちょっと必死な様子で真っ直ぐグレイを見つめ訴える。それでもグレイはちょっとだけ面白そうに笑って、それを見たセティアさんが目を見開いた。
「ははっ、いやぁ、まぁ、そう返されることは想定済みではあったんだ」
「え?」
「私としても、落ち着いた頃に屋敷に招待してもてなす方がローツもセティアもあまり負担に感じないだろうし私達も気楽でいいと思ったんだがな」
そう言ってグレイは懐から二通の手紙を取り出しそれをセティアさんに差し出した。戸惑う彼女の手にグレイは少々強引に押し付けて中を見るよう促すけれど、それでもグレイ宛に届いた手紙ということでセティアさんは封筒を開けずオロオロとして私に助けを求める様に視線を向けてきた。
「見ていいよ、私も確認してるから。まずは裏を見てみて」
私に促され二通の封筒を裏返した途端、セティアさんが固まった。
「フォルテ家と、セティアさんのおじいさんとおばあさんから。……本人たちが御祝の席を用意するのを拒むはずだから、私達に代わってどうか御祝の言葉を伝える席だけでも設けて欲しいって。大した物は用意してやれないけれど、せめて心からの御祝の言葉を、祝福を受ける場を子どものためにも設けてあげて下さいって、同じような内容の手紙は私にも届いたのよ」
「……そんな」
僅かな時間、セティアさんは困った顔をしていたけれど、直ぐ様その顔は泣き顔に変化してみるみるうちに目に涙が溜まっていく。
「まだ先の話にはなるが……春頃に迎賓館を使って親しい人たちを集めたお披露目会をしよう。ご祖父母の手紙に、何もしてやれないからせめて花だけでも自分たちの手で届けたいと書かれている、私としてはその気持を無下にするつもりはない。お互い立場や世間体があって近くにいながらも会話すらまともに出来ていないだろう、親しい身近な者たちだけを集めた迎賓館ならそんな事を気にする必要もない。これは普段から大いなる力になってくれているローツへの、フォルテ男爵へのクノーマス伯爵からの祝いだと受け取ってもらえるか?」
リード・フォルテ。生まれてまだ半日、グレイに『ローツを超えるかもしれない』と言わせるほど魔力が多めで伸びしろを感じるという既に大物感を発する彼は盛大な泣き声で私達を部屋から追い出した。元気すぎるわねと困った顔をしたセティアさんが実に幸せそうだったし、屋敷の使用人さんたちも昨日からの慌ただしい雰囲気を引きずりつつも非常におめでたい明るい雰囲気を放っていて、賑やかで幸せいっぱいなお家になるだろうなと確信を持てた私たちはゆっくり休んでもらうためにも長居は禁物と足取り軽くローツさんの屋敷を後にした。
で、お店にそのまま出勤すると。
「ここにもいるよ、グレイに殴ってもらって気絶させたい奴らが……」
私の冷ややかな呟きとは対象的にグレイはさっき同様面白そうに笑った。
「諦めたらどうだ? 浮つく気持ちはわかる、この私ですらローツの祝い事だと思うと多少は普段と違う気持ちになるからな」
「グレイはいいの。ずっと支えてくれた右腕だもん、本当にお世話になってる信頼できる人の祝い事だもん。でもこっちは違う、絶対に違う感情が混じってる、動機が不純」
「不純っ……くくくっ、そうだろうか?」
グレイは私とお店の温度差がどうやらツボったらしく肩を震わせる。
「不純でしょ! セティアさんの出産に便乗して作りたいもの作るだけじゃん!! こういうときのグレイが予算上限なしって知ってるから好き放題出来ると分かっててやってるんだよ、確信犯だから!!」
「あははははっ!!」
笑うところじゃないんだよ、領主よ。
キリア、フィン、おばちゃんトリオとウェラが好き放題やるとどうなるか。
「ジュリ見て!! おむつケーキ特別仕様、五段重ね四種。全部ペーパーの色と模様変えてみた」
キリア、こういうのは一セットでいいんだよ。そして五段にもなると重い、嵩張る。邪魔になるよ。
「どうだい、いい出来だろ? 柔らかで上質な毛糸のひざ掛けだから使い心地抜群に良いよ。これからの季節に重宝するから」
フィン……ひざ掛け、そんなに貰っても困ると思うよ。荷箱一箱ひざ掛け貰うなら他のものも欲しいんじゃないかな。もうちょっと、考えて。
「白土は重いからねぇ、何が良いか迷ってねぇ、でも使わなくても飾っとけばいっか! って」
ウェラ、結婚式の時も食べたくなるシリーズのケーキの小物入れプレゼントしてるよね? ローツさんも作れるし飾ってるからね。うん、子供向けに可愛い感じに仕上げているのは褒めるけど、ケーキの小物入れだけであの家がいつか埋め尽くされそうで怖いよ。
「ジュリこれ見ておくれよ」
「頑張ったよ!」
「まだまだ作りたいね」
デリア、ナオ、メルサ。
「リード君が赤ちゃんの期間は限られています。乳幼児の服、こんなにあっても使いきれません」
「「「あ」」」
工房どころか通路や階段まで足の踏み場もない程用意されたセティアさんとリード君への贈り物の半分は、クノーマス家の 《ゆりかご》のサンプルと商品として譲渡されることになった。
「悪いことじゃないんだけどねぇ」
たまたま立ち寄ったケイティに先ほどあったことを話せば彼女は実に愉快そうに笑ってキリアの肩を軽く叩いた。
「欲しいものをちゃんと聞いてあげるといいのよ? 新生児を抱えるお母さんって大変なのはあなたも経験済みじゃない。必要なものを必要な分だけ必要なときに貰った方がありがたいものよ、片付けるのは使用人やローツだろうし裕福なあの二人なら汚れることも壊れることも気にせず使えばいいだろうけど、それでも全部使い切らなきゃって思わせる時点で負担だからね? セティアの性格ならご厚意としてちゃんと受け止めてくれる分、余らせた時の罪悪感は大きいんじゃないかしらね?」
そう言われてキリアだけじゃなく、その場に居合わせた女性陣がハッとした顔をする。
「ホント、悪いことじゃないんだけど。押し付けがましい感じになるところだったわ、ケイティありがとう」
「いいのよぉ、誰かが気づいて指摘してそこから改善されるならそれに越したことはないじゃない」
私が苦笑するのを見てケイティはやっぱりたのしそうに笑う。
「あの二人は子どもが生まれてもそのお祝いはできる限り静かにやりたいって言ってたのを覚えてただけ。フォルテ家とセティアの祖父母が思いっきり祝ってあげるのはいいのよ、でも私たちは違う祝い方があるはずよね。だからジュリは彼女たちが作ったものを 《ゆりかご》に回した、と私は勝手に推測してみたりしたんだけど、どう?」
「……仰る通り」
私はため息を付きながら彼女に温かな紅茶を差し出す。ケイティはそれを受け取り口に含んでゆっくり飲み込んだ。
「心からのお祝いをしたいっていう皆の気持ちを無下にするつもりはないんだけど、セティアさんとローツさんは近くにいる唯一の身内であるセティアさんのおじいさんおばあさんとの時間を大切にしたいみたいだから。ローツさんの弱点になると困るからってびっくりするくらい静かに平民と変らない生活をしてるでしょ。ローツさんとグレイのおじいさんおばあさんがしっかりサポートしてるし、謙虚な二人だから目立つことなんて普段絶対にしてないし今後も二人が周りに迷惑をかけることなんてないと思うのよ。だからセティアさんとリード君が落ち着くまで、せめて数ヶ月、春までローツさんもセティアさんもおじいさんおばあさんを屋敷に呼び寄せたいって思ってて、今その調整してるんだよね。その事をキリアたちも知ってるんだけど……うーん、うん、ちょっとやり過ぎだよね。それぞれに家庭の事情は大なり小なりあるってこと棚にあげちゃって、『お祝いなんだからいいじゃん』って気持ちを優先しすぎよ」
「ある意味弊害よね」
「え?」
「ジュリが手掛けるお祝い事、どうしても富裕層が多いじゃない? お金をかけて当たり前、人と違ったものを求めるのも当たり前、盛大に華やかにするのも当たり前。グレイセルがその手のコーディネート部門を立ち上げたことでなお一層従業員たちもそれが当たり前と思い込んでる。ローツも男爵、皆が今まで通りでいいだろう、知り合いなんだからもっと祝ってもいいだろうって思っちゃったのよね、それで勢いついて作りたいものを作ってしまった、 そこをどう上手く舵取りするかはジュリ次第ね」
「……むっず!! どうやってバランスを取れと?」
「あはははは!! 大丈夫よ、皆やりすぎたって気づいた顔をしてたじゃない」
「あー……うん、そうね。気づくって大事よね、そう、大事」
テーブルに脱力し突っ伏す私をさらに笑うケイティ、笑いすぎ。
そこへグレイがやってきた。
なんでこんな状況になっているのか話せばケイティ同様笑って私の頭をポンポンした。
「ルリアナが喜んでいたぞ、新しいデザインのものがちらほら混じっていると。 《ハンドメイド・ジュリ》としては少々厄介な問題だが、 《ゆりかご》では大歓迎だそうだ」
「でしょうね」
「今回のことで自分たちが如何に恵まれた選択肢の多い環境にいるのか皆気づいただろう、人によっては皆のあの言動は妬みを生むこともあれば恨みを買う、そして困ったり悩んだり、そっとして置いてほしいと思う者もいると、優しさは時として押し付けがましい施しというものになると分かったなら今後は考えて行動するさ。少なくとも責任を持って 《ハンドメイド・ジュリ》に関わっているから一つまた責任が増えたと気を引き締める良い経験になったから良しとしよう」
「そういうことに、しておく」
あんまりこの件を喋るとまた似たような事で悩みそうなので、やめておく。とにかく、気持ちって一方的ではダメッてことを改めて思い知らされた。
おめでたいお話でした。
そしてついでに。
恩恵があって、腕に自信があって、仕事が楽しく。
そんな女たちはいつでも暴走気味。
手綱を握るのも大変です、というお話でもありました。




