39 * 心強い後押し
……。
…………ん?
それだけ?
多分、顔に私の疑問がそのまま出ていた。だからティターニア様が笑った。
「ジュリ、実力ある者は戦の先陣を切るのは当たり前、でも、その者たちが喜び勇んで人を切っている訳ではないのです」
曰く、そのバビオという青年はネルビア国でもトップクラスの剣士でありながらその実力を決してひけらかすことはなく滅多に剣を抜かないのだという。曰く、私の隣に座るヴァリスさんはエリス様よりも優れた剣士であるにも関わらず剣を持たずとも人と戦う術はあると剣を握らないのだという。
隣をみるとヴァリスさんがバツが悪そうに笑った。
「私は母のようには生きられませんよ」
「どういう意味だ」
すかさずエリス様が鬼のような形相で問いかけるのをスルーするヴァリスさん。
「とにかく」
微笑ましくそんな遣り取りを見つめていたティターニア様は一度目を伏せた。
「任せてみたいじゃないですか」
「え?」
そして伏せられていた目が私に向けられた。
強い意志を覗かせる、何より希望に満ちたその目には驚くほど純粋な輝きがあった。
「戦いを望まない強者たちが、戦争というとてつもない壁をどうやって壊すのか、見てみたい。そして、出来るのなら、一人でも多くのそんな者たちに任せたい。そんな若き力の支えにほんの少しでもなれるならと思うのは老い先短いからこその望みでもあるんですよ」
ふむ、実にフリーダムな人だわ。
「あららら、可愛いこと!」
「チューリップの形をしたランプシェードです。傘を被せるのではなく、傘の底に発光魔石を置く事で花の形をそのままランプに活かせるようになっています。細やかなステンドグラスが作れるようになったからこそ出切るようになったものですね」
「孫の部屋に置いたら素敵ね」
「是非お持ち帰りください、チューリップの他にもユリもございます、お望みであれば在庫をお持ちしますので」
グレイに迎賓館を案内してもらっていティターニア様は実に上機嫌だ。あれは? これは? と目移りしながら色んな物について質問攻めする分だけグレイが『差し上げます』とか『お持ちください』とかいうので後ろでお届けするものに漏れがないようにとメモを取るローツさんが大変そうだ。
ティターニア様の話はあっさりと終わって。ここで自分が語ったところで戦争が終わるわけではないと、ただそれだけだと話を切り上げてくださった。非常に潔い引き際を弁えている感じがするのは流石と言うべきか、心の広さや余裕と周囲をそれらで簡単に飲み込んでまとめてしまうのは長く人の上に立ってきた証明なのだろうと思えた。
そしてそんなティターニア様の計らいでクノーマス家とツィーダム家は早速協議に入っている。突然中心人物扱いになってしまったヴァリスさんはエイジェリン様から協力していきましょう、と声をかけてもらってホッとした様子で落ち着いて今は協議に加わっている。
「……皆さんも欲しいものがあれば用意しますよ?」
気づいたら手持ち無沙汰になって、ティターニア様とグレイ、ローツさんの後ろについて歩いていた私は何気なしにティターニア様のお付きの方にそう声をかけた。
「いえ、お気遣いなく」
強面マッチョのいかにも護衛という方は素っ気なく返してきたけれども。
……強面なのに、迎賓館の至る所にある私たちの作品に興味津々で目が物凄く動いているし、時々口元が緩んでるんだよね。ほか二人も似たような感じで。
「……あのー、ティターニア様」
思い切って声を掛ける。三人が振り向いた。
「グレイとローツさんもいますし、この迎賓館は防御結界が施されてますので安全面は問題ないと思うんですね、なので、案内は当主のグレイにお任せしますので私はこの方達を案内したいと思うのですが、どうでしょう?」
「あら、わざわざいいのよ?」
「いえ、せっかくなので是非。お忙しくてお店に来ていただく時間もないでしょうから、ここにあるものでよければ後でこちらからお送り出来ますし見たいものはそれぞれ違うでしょうから」
「まあ、そう? じゃあお言葉に甘えて。お前たち、私が見終わるまで自由時間よ、ジュリに迷惑をかけないようにね」
「「「御意」」」
ニコリと微笑むティターニア様に、三人のお付きの人たちが揃って頭を下げる。
「ちょっと驚きました」
そう声を掛けると手にハーバリウムを持っていた護衛の方が振り向いた。
三人全員護衛なんだそう。私と同世代かそれよりも年上の、屈強な肉体で強面なのに浮かれた感じでうちの作品を見ているその目は三人ともちょっと可愛い。
「ああいう時、離れることはできませんって頑なにそばにいる護衛の方しか見たことないので」
そう言うとこの中で一番護衛歴が長いという方が人懐っこい笑顔を見せる。
「その手のことで逆らうと殴られるので」
「……はい?」
「もし護衛がそばにいない時に殺されたとしてもそれは自分が弱いせいだ、というのがあのお方の幼い頃から変わらぬお言葉なのだそうです。実際にお強いですからね、我々がいなくとも暗殺者の一人や二人、寝ながらでも倒せます」
寝ながらでも? それは比喩なのかそれとも実際にそういう事があったのか。気になるけど聞かないでおく。
「なので、下手に心配すると我々の命が削られます。ジュリ様が仰られるようにクノーマス伯爵もおりますから心配は不要です」
「……なるほど」
そんな相槌が難しい会話をしつつ、三人には欲しいものをいくつか選んでもらうとようやく張り詰めていた空気が緩和した。そのタイミングを見計らい私は三人にとあるお願いをする。
「あら、お前たちも良くしてもらったようね、ずいぶん貰ったこと。ジュリありがとう」
三人が抱える箱を見て、既に見学が終わっていたティターニア様はグレイたちとお茶の席に着いていた。
「皆さんのは新品をゼーレン家宛にお送りしますよ、これは別物でして」
私の返答にティターニア様は一瞬不思議そうに瞬きをした後、すぐにその目に探るような好奇心をにじませる。
「では、その箱は?」
「……ティターニア様にビルダ将軍への取次をお願いするために誠意は見せなければいけません、なのでグレイと相談していました。私の出来る誠意はものつくりしかありません。それで、提案があると先の手紙でお伝えしました」
グレイとローツさんに運んでもらう予定だったけど、護衛さん三人に事情を説明をしたら喜んで運んでくれるというのでお言葉に甘えた。
置く場所がないので大判の新品ラグを敷き、その上に三人に運んでもらった箱を置く。
「ティターニア様、額縁いりませんか?」
私の突然の問いかけに運んでくれた三人は勿論ティターニア様も目を丸くした。
バールスレイド皇国滞在中、グレイが来てからリンファたちの案内で極寒の地の観光を楽しんだ。その過程でグレイはたまたま遭遇した、北方でしかも年中雪が降る地域やバールスレイド北部全てを覆う永久凍土にしか発生しないアイスドラゴンを倒している。……たまたま遭遇してドラゴン討伐って、と目の前で繰り広げられる人間VS魔物の戦いに私が遠い目になったりもしたんだけど、そのドラゴンは私にかっこいいところを見せたいというグレイが単独で討伐した。
単独での討伐。何を意味するかというと、それをギルドに持ち込み換金する時に全てのお金がグレイのものになるということ。つまり、誰かと分けたり分配したりする必要がないので、グレイが全てを自由に出来る。その過程でアイスドラゴンの保存の効かない内臓や肉などは殆どその時バールスレイドのギルドで買い取りしてもらっているんだけど、その見た目の美しさから私が目を奪われてグレイが素材として手元に残してくれたものがある。
ラグの上の箱の一つの蓋を私は開けた。
フッと勢いよくティターニア様が息を吸い込み、護衛さんたちもそれぞれが驚き喉の奥から声にならない声を出す。そして、僅かに止まっていた呼吸を思い出したようにティターニア様は深く深くゆっくり息を吐き出した。
「……その色……アイスドラゴンの鱗、ですね」
水色の宝石で有名なアクアマリンよりも薄い水色の鱗。
『黄昏』の鱗もそうだった。まるで水が零れ落ちそうな錯覚に陥るほどの透明度とみずみずしさを湛えた照りと艶。傾けるたびに光を受けて薄水色のその鱗は涼やかな煌めきを放つ。
「これで額縁作りませんか?」
大きな特殊な箱が三つ。
でも言わせてほしい。まだいっぱいあるの、同じ箱があと二十四箱あるの。全て鱗。『綺麗欲しい!』とテンション上がった私の為にグレイが鱗は全部持ち帰ると言ったせい。こんなことなら貴重なお肉をこの半分貰ってくればと今更後悔している私がいたりする。
一応アイスドラゴンは限られた条件下でしか発生しない特殊ドラゴンでしかも災害指定に該当する個体も偶にいる。なのでドラゴン種の中でもその素材は貴重なんだよね、色んな意味で。そんなアイスドラゴンの鱗がね、倉庫を圧迫している。これもあってエルフの里からのいただき物が置けないという事態に陥ったという裏話もある。
「これを大量消費する方法考えないと。グレイの装備でも作る?」
「今更鎧のような重い物は身に着けないな。せいぜい胸当てと脛当てくらいなら使うかもしれないが」
「その二つで鱗は何枚消費?」
「おそらく四、五枚で十分だ」
「わあ……」
「それよりもな? ドラゴンの鱗を武具に加工できる職人がククマットにはいない。出来るのは、その事を隠しているジュリとキリアとロディムだ、私が加工者不明のドラゴン素材の物を身につけるとその時点でジュリが疑われるだろう。そんな危険は犯せない、だから私はドラゴン素材の物は身に付けられないことになる」
「ああ……」
全然減らないね、となったのね。
売ればいいじゃんと言われちゃうと何となく違うと天邪鬼な事を考えながら、ならばこれを大量消費し、何らかの交渉手段、賄賂でもいいので有意義な利用はできないかという話をグレイとエイジェリン様とルリアナ様とした時にルリアナ様がポツリと呟いたのが額縁。
「どう使うのかと問われると分からないとしか言えないけれど……大きな額縁にするなら、それなりの枚数、鱗を使うわよね?」
と。
うん、使うね!!
そしてその時ティターニア様の話にもなった。
何かを要求される雰囲気があればこちらから提案してしまえばいいのではないか、と。
うーん、ロビエラム王女の時もそうだけど先手を打つとそれが当たり前になりそうで怖いな、という不安はあった。でも今日の感じからティターニア様にはその不安を抱くのは失礼だな、と確信めいたものを感じられる裏表のない対話が出来ているからね。
「アイスドラゴンの鱗を、額縁に? なんと贅沢な!」
感嘆の滲む声でティターニア様はそう言いながら近づいて来る。ラグの上の箱全て蓋を開ける。キラキラと光を反射する薄水色の鱗はシュイジン・ガラスのような透明度で重なっているにも関わらず箱の底がはっきり見える。一枚一枚が最大七センチ前後の厚みにもなり、ずしりと重い。
『黄昏』の時も感じた。ドラゴン種の鱗はその凶悪さとは裏腹に実に美しく繊細な煌めきを放つ宝石に匹敵すると。
「ジュリが、作ってくれるんですか?」
「あ、いえ、大変申し訳ありませんが私はドラゴン種の素材は扱えないんです」
「……何故?」
「仕事に支障をきたす程には、体調不良を引き起こします」
「……魔素酔い、ですか」
「はい。あくまで私からはこれを使った額縁を製作するための工程と、素材の譲渡のみになってはしまうのですが、時間がかかっても良ければ作り方を知る職人がいますのでこちらでお作りする事も可能です」
刹那、ティターニア様の顔から表情が抜け落ちる。
「ジュリ」
「はい」
「そのように簡単に製作工程を余所に教える約束をするものではありませんよ」
技術の漏洩。度々この世界ではそれが問題になる。誰が元祖か、誰に版権の所有権があるのか、何より、いつ誰が漏らしたのか盗んだのかと。
そんなことばかりしてるから発展しないんだよねぇ。
だから私は自分にとって不利にならないものならあえて公開する。
秘匿する技術は自分で抱えられる管理できる範囲でいい。それ以外は世の中に素敵なもの可愛いものを氾濫させるために、提供と公開をする。
その事を失礼にならないように説明をするとティターニア様は一瞬目を伏せ、そして笑い出す。
「そんなあなただからこそ、ケイティとマイケルもそばにいたいと思えるのでしょうね」
「二人をご存知ですか」
「勿論。然程接点を持てないままあの二人はこの地に来てしまいましたが……素敵な夫婦だと思いますよ」
そんな話で空気が和らぐ。
「では、お言葉に甘えましょうか。額縁は王侯貴族にとって富と権力の象徴の一つ……。断る理由などありません、我が夫は勿論子も孫も喜ぶでしょう。ただ、確認します。ヒタンリ国の了承は?」
「勿論国王陛下に話を通し許可を貰っています」
「そう、それなら安心ですね。そして、ロビエラム国王女から依頼を受けていると聞いていますが、そちらは?」
「そちらも許可を取りました、ロビエラム王女は不利益になるようなものでなければ一切干渉しないとのことです」
ティターニア様は微笑んだ。
「では、よろしくお願いします。こちらから製作に関しての注文や要望は一切ありません、あなたの思うままに、作って下さい」
微笑みが一瞬で凛とした威厳ある表情に変化した。
「そしてネルビアの将軍ビルダについて、私が全責任を負いましょう、安心してネルビア国へ行きなさい」
人の上に立つことを許された限られた人のみが発する声とはこういうのを言うんだろう。
「ありがとうございます」
私は自然と深々と頭を下げていた。




