39 * ソレがあるからこそ
クラック。宝石の生成の過程で出来るひび割れ。生成過程で避けられないことの一つで大きな宝石がとても希少なのは採掘された時点でそのクラックが入っていることが多々あるから。インクルージョンと同様、クラックは宝石と切り離せない自然の理と言って良い。
でもそのクラックやインクルージョンは、時として失われた価値とは別の付加価値を生み出す。
有名な付加価値だと、サンストーン。
あれは光が当たった時に中に含まれる不純物に反射してキラキラと粒のような輝きを放つ。これは光を反射しやすい金属質のものが取り込まれた場合に起こりやすい。他には油分を取り込んだことで独特の風合いを放つオイルインというのもある。不純物といっても全てが宝石の美しさを損なうものになるのではなく、時としてよく知る美しさとは別の独特な照りや煌めきを生み出す要因となる。
ツィーダム侯爵夫人のエリス様が好む宝石もこの手のものだ。
ダンジョン産のこの世界特有の鉱物の一つでスネークストーンという藍色と黄色のバイカラーが美しい宝石もどうしてもクラックやインクルージョンが入る。でもその本来なら宝石としての欠点となるクラックとインクルージョンはスネークストーンのバイカラーをさらに幻想的な見た目へ変貌させる。それらをアクセサリーに仕立てたものを納品した時にエリス様が実に満足げな顔をして。
「お前がアクセサリーを見て笑うのを初めてみた」
と侯爵様が呟いた。
「黙れ、宝石が特産の侯爵領の当主のくせに愛人に似合うアクセサリーを選んでやれないセンス皆無なお前だけには言われたくない」
そう言いながら笑顔で侯爵様をぶん殴ったのを目の前で見せられた私は硬直、それをきっかけに今にも殴り合いの喧嘩になりそうになったお二人をグレイとローツさんが慌ててそれぞれを羽交い締めにし、言葉による喧嘩を二十分程見せられた時はどうしようかと思ったけども……。
何が言いたいかというと、不純物、傷、どちらも必ず欠点になるとは限らないということ。
実際にスネークストーンのサンストーンタイプは内包物が金属質で赤みの強いものだと、光を浴びるたびに藍色の中では紫に、黄色の中ではオレンジに、独特の煌めきを放つ。このサンストーンタイプは元々生成される率がとても少なくて綺麗な反射をするものは少ないけれど、不純物が増え始めたスネークストーンの鉱脈が出来るダンジョンでは逆に生成率が上がってきている、と聞いている。他にもクラックから金属質のものが侵入・侵食したものは、虹色の光沢、遊色効果と呼ばれるこの世界だと螺鈿もどきのあのオーロラカラーを有し見る角度によりバイカラーのスネークストーンがメタリックでオーロラカラーになるというものも産出が増えている。
「それは、図鑑に乗せることか?」
「ふぇあ?」
「あ、独り言か」
グレイがふぅ、と息をついた。
あ、ごめん独り言。てか語ってたのね私。
なんでブツブツと独り言をグレイに聞かせることになったかというと。
エリス様からゼーレン前公家夫人であるティターニア様が面会に応じるという手紙が届いたから。
ネルビア首長国訪問前に、ネルビア首長国内での味方をどうしても増やしておきたい私の心強い支援者としてグレイも推すのが、バールスレイド皇国皇女としてテルムス公国三公家の一つゼーレン家に嫁いだティターニア様。この方の剣の弟子だったエリス様と、ネルビア首長国将軍ビルダ様という共通点から可能なら繋ぎをして欲しいとエリス様とツィーダム侯爵様に相談していた。
難しい案件に巻き込むことになるので無理かな、と思っていたんだけれどまさかの快諾で、私とグレイ、そして交渉などの際は協力を惜しまないと言ってくれていたクノーマス侯爵家はほっと胸を撫で下ろすことになった。
まあ、勿論ティターニア様が快諾してくれたのは単なる優しさや心の広さだけじゃないだろう。
だから。『こちらから一つご提案させていただきたい事があります、受けて下さる場合のお礼と思ってください』。そんな内容のメッセージカードをエリス様経由で届けてもらっている。
そう、クラックとかインクルージョンとか、そういう事を活用できないかなぁとか、ネルビア首長国行く前に周りを固めておきたいなぁとか、色々、色々考えていたら一つの答えにたどり着いた。
「そうだ、ティターニア様に賄賂を贈ろう!」
と。
「賄賂と言うな」
それ以外に言葉が見つからなくてね。
そして今に至る。
クノーマス伯爵迎賓館。
クノーマス侯爵家からは侯爵様、エイジェリン様、ツィーダム侯爵家からは仲介してくださったエリス様と侯爵様、次期侯爵となるご子息のヴァリス・ツィーダム卿も今回同席してもらっている。この方はご両親が健在で現役バリバリということであまり表立って社交界では動いていない。でも割とキャラの濃いご両親を持つためなかなかにご本人の肝は据わっており、ご両親の殺伐とした喧嘩をスルーしそのそばで全く別の人に普通に話しかけるという鋼の心臓を持っている。
今回、このヴァリス・ツィーダムがキーマンと言ってもいい。
幼い頃から母親を超える剣術の才能をもち、何よりその母親が今この場にいる中で最も高貴な身分の方の愛弟子だったことで幼い頃から目をかけてもらえていたというのがヴァリス・ツィーダム。
この話合いをセッティングするにあたってティターニア様が出した条件が彼も同席させること、だったの。
これにはエリス様も理由を聞かせてもらえておらず少し気難しげな顔になるほど。私たちも情報共有という意味で彼もお呼びするつもりではあったけれど何故ティターニア様がそれを条件としたのかまでは知らないまま。指名された当の本人も困惑を隠せずに今日ここに来ている。
「落ち着く、実に考えられた室内ですね。これが見たくて我儘をいいました。叶えてくれてありがとう」
グレイに対して寛いだ様子で穏やかに声をかけたその人こそ。
ティターニア・ゼーレン前公家夫人。
「勿体ないお言葉です。こちらこそ貴重なお時間を頂けましたことに深く感謝申し上げます」
グレイが頭を下げると、その人はぽんとグレイの肩を叩いた。
「そのような堅苦しい挨拶は不要です、スキルや魔法を除けば【称号:戦王】を超える貴方に頭を垂れられるような力も技もすでに失われた身です、ましてやゼーレン家の決定権などもすでに返上して久しい、私としてはもう少し気楽に若い方々と話せると有り難いと思いますよ」
顔を上げるように促されたグレイが戸惑っていると、不意に一歩後ろにいる私にティターニア様が視線を寄こす。
「ね、貴方もそう思うでしょう?」
え、私が決めるの?
「……ね?」
圧が凄い。
「あー、それがいいかも、ですね」
金色に混じる白い髪の毛が、光を浴びるとなんとも雅な輝きを放ち、凛とした顔立ちが本当に現役引退したのかと疑うほどの生気を放つ。
ニコニコと笑顔が絶えないその表情とは裏腹に、気を抜くと緊張で体を硬くしてしまうほどの存在感はやはり皇家出身であり、テルムス公国に嫁いでからも家柄など不要な程の才能で軍で長らく君臨したことを物語る。
でもね。
ティターニア様、とりあえずまともな挨拶誰一人させてもらってません、それだけは済ませましょう。
「貴方少し太った?」
「え、そうですか?」
ティターニア様は私が知る高貴な身分の方々の中で最もマイペースで、フリーダムだということは挨拶が終わってすぐに理解した。
ツィーダム侯爵様のお腹の肉を服越しに両手で掴んでる……。エリス様もヴァリスさんも、ティターニア様付の三人の護衛? 侍従? の方たちも慣れているのか驚きもしない。こっちはそういうことここでする? というの顔に出さないように必死になってるんたけどね。
「これから加齢で痩せにくくなるわよ、気をつけないとね」
私たちは一体何を見せられてるんだ。
「あのう、ヴァリスさん、ティターニア様っていつもあんな感じなんですか?」
「そうですね、むしろ今日は大人しいほうかと」
挨拶が終わりまずは緊張をほぐすためにもとお茶の席を用意し、整うまでの間に隣に座るヴァリスさんにそう質問すると苦笑してコソッと教えてくれた。
「クノーマス伯爵迎賓館に来るのをとても楽しみにしていたので、私はもっとはしゃいで大変なことになるかと覚悟してましたから」
「え……」
「ヴァリス」
「はい!」
名前を呼ばれたヴァリスさんは飛び跳ねるように立ち上がる。
「私耳だけは衰えてないのよ」
クノーマス家の人達と談笑していたティターニア様がニッコリ笑顔で振り向いてそう告げた時のゾクッとしたあの感覚は、うん、飛び跳ねるのは仕方ないと思う。
「よろしいですよ、お好きなように名前を使ってもらって構いません」
「え?」
「ビルダを味方につけたいのでしょ? 私からも手紙を出しておきますからどうぞ好きなだけ使って下さいな」
「え、あ、いい、んですか?」
「停戦協議、歴史的なことですよ。……そのために利用されるなら本望です、かつては国のためという大義名分で戦を動かし人の命を奪ってきた私の名前一つで少しでも風通しが良くなるならば、戦が一日でも止まるなら、数少ない罪滅ぼしともなりますから。多くの屍を下にして存在するゼーレン公家として此度の申し出は断る理由など一つもないのですよ」
「……そう、ですか」
肩透かしを食らうほど簡単に通ったこちらの要望の裏に、ゼーレン家特有の事情が伺えた。
テルムス公国は三公家による分権政治が敷かれているけれど、国防を担うのが主にゼーレン家だとされている。剣豪として名を馳せたティターニア様が『戦嫌い』という事を知るものは少ない、とエリス様から聞かされている。戦嫌いだからこそ、強き者を育て、弱い者たちを守らせる。上に立つ者たちのみがその命を賭け、勝敗を決める。そんな戦い方しか教えてやれないと弟子たちを育てたらしい。
失われる命は最小限に。
国防の頂点に立つからこそ、それを徹底してきたティターニア様は、今回の申し出には条件などなく受けるつもりだったと教えてくれた。
「私が提示した条件に驚いたでしょう」
私は素直に頷いた。
「ジュリ・シマダ、貴方がもし受けてくれるなら提案できるものがある、と言ってくれたから私も提示したんです」
「え」
「停戦協議後、話が決裂しようと幸運にも停戦条約の締結に繋がろうとも、どちらにせよ水面下でのネルビア首長国とマーベイン辺境伯爵家との協議は続くでしょう。そしてエリスと侯爵から聞いています、その協議にはクノーマス侯爵家の次期当主エイジェリン・クノーマスが加わり、ベイフェルア国側で停戦協議に前向きな貴族たちとの繋ぎ役となり国境線の停戦地域を拡大していこうとしている、と。私の条件は、そこにヴァリス・ツィーダムを入れることです」
誰よりも本人が驚いていた。
というか、本当に聞かされてなかったんだね、エリス様達も驚いている。
「あちら……ビルダの側近にバビオという若者がいるのをジュリはご存知ですか?」
「あ、はい、一応名前だけは」
「ビルダには息子がいますが、それでも最近ビルダはそのバビオ、遠縁の若者を養子に迎えています。この話はまだ表立って公表はされていません、なのでこの場限り、公表されるまでは皆の心に留めて置いて欲しい話でもあります。……ビルダはそのバビオをいずれは自分の後継者、ネルビア首長国軍将軍の地位にと望んでいます。バビオがこのまま台頭してくるのならば、首長家の直系ではない彼には後ろ盾が必要です。勿論、ビルダもその事は考えて国内で今地盤固めをしているのですが、停戦協議にバビオが関わるならば、国内だけでは足りません……要するに、今回のジュリの望む国外での繋がりをバビオにも早い段階で持たせてやりたいのです」
ティターニア様はそのためにはマーベイン辺境伯爵家とクノーマス侯爵家、そして同じ派閥のもう一つの筆頭家であるツィーダム家の繋がりが必須だと迷いもためらいもなく告げてきた。
「表立っての繋がりを作ることが極めて困難な状況です、だからこそ、ヴァリス・ツィーダムを最初の段階で、例えばエイジェリン・クノーマスの同派閥から選び抜いた停戦協議のための側近なり補佐としてネルビアに行かせ、バビオと顔合わせをさせて貰いたいのです」
「そこまでしてヴァリスさんと、そのバビオという青年にティターニア様が肩入れする理由をお聞きしても? 私としても同派閥のツィーダム家が私のネルビア訪問に関わってくれるのはありがたいんです、他の派閥の干渉を抑えるためにも同派閥で固めるのは信頼関係もあるしいざという時の協力体制も敷きやすい、国内最大のアストハルア家ではネルビア大首長に近すぎるなど色んな要因がありそして長期に渡る協議を想定して次世代、ヴァリスさんの参加を私は望んでいます、でも、ティターニア様が条件とする理由が私達ほどあるとは思えないんです」
「ああ……単純な理由です」
実に軽やかで柔らかな笑顔をティターニア様が浮かべた。
「二人共、その実力には不釣り合いなほど酷く戦争を嫌っているからですよ」




