39 * もっと気楽に
コラージュを試せる講座開設に向けて領民講座の講師たちに説明をしたり、ルリアナ様にネイリスト育成専門学校の学生に設けられている領民講座の講座を無料で体験できる特典に加えてもらえるよう話を通したりと、出来ることはさっさと終わらせて一息ついている時。
「うーん……」
「どしたの?」
「買おうかどうか迷ってるんだよ」
小金持ちババアとして早々にお金も心も余裕が出来た一人であるおばちゃんトリオのナオが珍しく物を買うかどうかで悩んでいる。
「今使ってる家のミシンが古いだろ?……メーナおばあが使ってる最新のミシン見たら欲しくなったんだけど、あれ高いから」
現在パッチワーク製品の大物で手の込んだ一点物は恩恵持ち二人のみが作っていて、なんと出来た側からすぐに売れてしまい、 《レースのフィン》の目玉商品として店頭に飾ることも出来ず幻の逸品となってしまっている。そのため、恩恵持ちのメーナおばあたちは他の人の指導になかなか時間が割けない状況で、実は思うように商品展開が出来ていない事態に陥っていた。それを少しでも解消するために、最近思い切って 《レースのフィン》ではパッチワーク部門を筆頭に布を扱う製品の生産性を向上させるためにミシンを全て最新のものに替えている。
こちらのミシンは当然電動ではないので、昔ながらの足踏み式。大きいし重いしで一度置いたらそこから基本動かさない。
最新のものは足踏み式なのは変わらないけれどライアスとそのお弟子さんたちが色々改良、更に軽量化に成功している。
まず足踏み式と言ってもその重さ故にそんなにスピードが出なかったのを本体の仕組みそのものから見直して部品そのものの軽量化、更に各部分の摩擦を限りなく無くす素材と形状にする事で一踏みで旧型の二倍以上のスピードを実現した。そのスピード故にスムーズに縫えてしまうので縫いすぎるという欠点は、足踏み板の横に停止板、つまりブレーキを付け、右は操作に、左はブレーキと両足を上手く使うことで速さ調整が自由に出来るようになっている。
最もこだわったのが、埋め込み式の発光魔石。要は手元を照らすライトだね。今までのはそんな物ついてないので暗くなったら使えないのが当たり前だったの。ていうか、ろうそくとかランタンとか、室内の光源が限られている世界なので夜にミシンは勿論縫い物をする事が難しい環境。
まあ、そのへんは後付けで、手元が明るければそれだけでいつでも使えるようになって作品の仕上がりにも影響するよねって話。
発光魔石が作業中に落ちて来ないように嵌め込んだらスライム様の透明カバーをかけられる仕様になっていて安全性もちゃんと確保してるよ。
で、このミシン。
改良したわけですよ。性能重視の採算度外視で。
今までだって一台五千リクルしていたミシンなのに、もし売り出すとしたら? と計算したら何と三倍以上になってしまったという……。
小さい家かそこそこ良い倉庫建つよと言われる始末。
流石のナオも買うのに迷うわけだ。
「迷えるだけの金は持ってるって所に驚こうよ。普通なら買おうなんて思わないよ」
キリアのちょっと呆れた呟きに、ハッとさせられる。
「でもキリアは買ってるじゃん」
「そりゃ買うよ、それだけ稼がせて貰ってるし、本当に使いやすいし何より使うもん。こんなことを言うのもあれだけど、家で作ったものもあたしは買い取って貰えるからね、そのうち元は取れるってのも大きい。でも旧型のミシンすら触ったことがなくて憧れの存在なんだよね、世間一般は。ミシン買うなら家のリフォームしたり老後の蓄えにしたり、結婚資金にってのが当たり前だからね?」
「昼間の話が引っかかっているか?」
「うん? ……うん」
夜、二人で晩酌しながらいつものように他愛も無い話をしていたんだけど、ふと会話が途切れたのを見計らってグレイがそう質問してきた。私はまさにその通りだったので少し驚きつつも頷いてグラスをテーブルに置く。
「キリアの話を聞いて……そうだよなぁって。布の裁断用専用のハサミもうちで独自に開発してるよね、あれだってもし普通に売り出すと数百リクル、一般家庭じゃ買おうとは絶対に思わない。うちの場合、針一本に至るまで使いやすいように丈夫で安全性が高められた物になってる。ましてや私とキリア、フィンなんて専用の道具に囲まれて物を作ってるけど、それって職人さんでも叶わない人もいるんだもんね」
「そうだな、私とジュリがそれぞれ資金が潤沢かつ自由に使えるからこその環境だ。正直に言ってしまえば…… 《ハンドメイド・ジュリ》含むククマット領内の工房の設備は他領どころか他国の追随も許さない位には飛び抜けて整っているし現在進行系で開発も進んでいる。助成金制度が充実していることと領が極端に狭く小回りが利くことも影響しているだろう。多方面でいい循環ができている、故に領全体が潤って領民の平均収入も上がり自然と良品を購入する環境になりつつあって気づき難いが……他所ではキリアの考えが一般的、というよりそれが当たり前で選択肢がない環境といえる。ククマットとて、全体がそうではないし、まだまだ格差はある」
「……」
「何かやりたいことがあるか?」
びっくりした。
特に言葉を返すことなく黙って聞いていただけなのに。
「なんで、そう思ったの?」
「そういう顔をしていたから」
「どういう顔」
「どうと言われてもな?」
何故そこであんたが首を傾げる。
やりたいというか、ふと思い出したことがある。
「私がいた日本だけのものかどうか、そのへんは、ちょっとわからないんだけど」
「うん」
「喫茶店にミシンがあったんだよね」
「……うん?」
グレイが口にグラスをつけながらちょっと間抜けな声を出して固まった。
「何だっけ……お店の名前は忘れちゃったけど……クラフト・カフェとか、そんな感じ。喫茶店の一部スペースにミシンとか、裁断テーブルとかその他基本的な道具があってね、お店で飲食出来るのは勿論、別料金を払えばそのスペースを一時間とか二時間借りられて道具も使い放題っていうのがあったのよ。ミシンを使いたいけど持っていないとか、広いスペースで作業したいとか、友達とお喋りしながら物作りしたいとか、そういう人がお茶するついでに行けるようなお店」
「それは、喫茶店なのか、裁縫店なのか」
「基本は喫茶店。恐らく……客層を広げる戦略の一つなんだよね」
「客層を、広げる戦略か」
「こっちではそれをそのままやるのはちょっと難しいかもしれない。でもやりようはある気がする。……コラージュの講座について考えてる時にちょっとひっかかったのよね、そもそも家でコラージュをするのは難しいって。針金とか硬いものは工具がないとカットが難しい、紙自体種類もまだ凄く少ない、それは他のものつくりにも言えるでしょ。アクセサリー作る時に使うことの多い丸カンやTピンといったパーツも工具がないと扱うのが大変。工具自体がそれなりの値段がすることを考えると、余程の人気や流行のものじゃなきゃわざわざ道具を揃えて作ろうなんて思わないな、って。それってさ、つまり、その環境自体を誰かしらの手を加えて変えないと、変らないかもって」
「……変らないだろうな。それならば、ジュリはどうしたい?」
「旧型のミシン、そのまま残ってるよね?」
「ああ、効率化のために入れ変えただけだ、まだ使えるものばかりでそのうち従業員に安く売ってもいいと思って保管したままにしてあるな」
「ククマットの人なら誰でも使える、試せるそんな場所を作れないかな」
喫茶店の中に作る必要はない。寧ろこの世界の今の環境ではやらないほうがいい。収入格差どころか確立した身分制度がほとんどの国で定着している以上、外でお茶を飲むためだけに整えられたお店で優雅な時間を過ごせる人はほんの一握り、大半が小さなテーブルが並ぶ食事メインの食堂が占める。つまり喫茶店に併設してしまったらその時点で利用者が限られてしまう可能性が極めて高い。どんなに場所や道具利用のみは格安に設定しても、そもそもその店自体が敷居が高ければ利用を躊躇う人は多い。
だったら、どうするか。
「フリースペースに、できないかな。領民への還元の一つとして、ククマット領が管理する公共施設の一つとして旧型ミシンや縫い物に必要な道具は勿論、簡単なDIYならそこで完結させられる工具が自由に使える場所の提供を」
開発地区の商業区画に並んで建てられた個人商店や工房向けの二階建ての小さな建物の一階は真新しい床板が敷かれたばかりで家具一つなくがらんとしている。
そこに立って私はグレイとローツさん、そしてライアス相手に大まかな構想を語る。
「店舗だけ、一階だけでいいって希望する店主もいると思う。そんな人たちにとっても建物一棟丸ごと借りるより、一階の家賃で済むなら借りやすいと思うのよ。出入りは店内の階段を利用することになるから日数に応じて家賃を値引きしてもいいかもしれない。更に掃除とか管理も受け持ってくれるならその分の値引きか、管理費をこちらから支払うとか。勿論領主導の管理ありきではあるけれど、それくらい自由な賃貸を試験導入してみていいと思う。それから道具や工具類はその手の物を作る所から一部提供して貰うのもアリ。提供して貰った物には全て店名、工房名を入れて宣伝出来るようにするのもいいよね。このやり方がククマット領内で成功するかどうかは未知数だけど、少なくとも道具や工具がなくて自作することに躊躇いとか不便を感じている人にとってはありがたい施設になるし、そこで気に入った物があれば買おうとお店や工房に行く人も出てくるかもしれない。フリースペースとするからには領に赤字を背負わせることにはなるけれどね」
ローツさんとライアスはグレイに目を向ける。
返答を待つ、いや、期待するその目に見つめられグレイは苦笑した。
「試験的に行うのであれば、まずは一箇所だろう、そのくらいは私の私財でやるさ」
おおっと感嘆の声で喜ぶ二人。そこに私もシレッと加わっておく。
「んじゃついでにフリースペースが出来たら開設記念に抽選でコラージュ体験が出来るようにしちゃおうね!」
「「「え?」」」
「え?」
何でそんなにびっくりした顔するの。
「なんのために私が家主 (離婚の慰謝料の一部)であるここに連れてきたと? 一階はとりあえずフリースペースとはどんなものか、共同で建物を使う時の利点や注意点、お店や工房が道具提供してくれたら名前を入れられる協賛システムの説明とか色々することはあるからね。そのために当面は一階はその説明会場にしちゃって、二階は早々に開設しちゃおう。そして沢山の人に興味を持って足を運んで実際にどういうスペースなのか見て貰うためにコラージュ体験会を無料で開催、メインで置くミシンやDIY用工具の他に領民講座の絵画教室やブレスレット作り体験教室で使われている道具や工具の展示も一定期間する。そうすれば領民講座では道具が全て揃っているからコラージュだけでなく手ぶらで誰でも楽しめる講座もあるよって宣伝になるし、必要な道具を知ることも出来る、安価で購入出来る工具も多いからそれをきっかけに購入する人も出てくるんじゃないかと期待してるわけ」
そして私はポケットから取り出した折りたたんである紙を渡す。
渡された紙を開いたグレイは目を閉じ天を仰いだ。
「……私とジュリの間で交わされるであろうフリースペース開設のための契約書が、既に用意されているとはどう言うことか後で説明を求む」
時は金なり。善は急げ。思い立ったが吉日とかなんとかいうじゃない。
試したい、やってみたい! と思った時の私の行動力をナメんなよ。
期間限定とはいえ説明会場となる一階に常勤してくれる説明や案内をしてくれる人選したり棚と作業台、道具や工具を集めて二階に運搬、コラージュ体験会の講師をやりたいという女性陣の静かな戦いの仲裁したり、こんな場所を開放しますよという宣伝したり。
「すっごい忙しかったね!」
なんとか体裁を整え開設目前に笑顔でやりきった感出しまくったら、グレイとローツさん、そしてライアスからもう少しスケジュールを考えて行動しろとガッツリ説教された。
後にこのフリースペースは『憩いの作業室』と呼ばれることになる。
あくまで領民への貢献、公共施設としての役割があるためククマットでは二箇所の開設に留まるけれど、クノーマス侯爵家も導入し憩いの作業室は次いでツィーダム、アストハルアなど親しい主だった貴族の領でも試験導入されていく。
特にバミス法国のウィルハード公爵家は自領の公共施設に協賛システムが組み込める点、利用者が限られる公共施設の有効活躍にもつながる点に着目、アストハルアを上回る投資をし、いち早くバミス国内で協賛システムを確立させる。これによって富裕層とはいえ社交界への出入りが難しく商機を制限されがちな平民の商家の家主達との太いパイプを構築することに成功し、政界だけでなく経済界でもその地位を盤石なものにしていく。
さらに数年後、これらは作品の展示場やパトロン探しに難航しがちな若い芸術家たちの活動の場を広げる足がかりになるようウィルハード公爵家が活用することで、感銘を受けたユージン・ガリトアがロディムとシイちゃんの肖像画として世に衝撃を与えるサンドアートに次ぐ、代表作の一つにも数えられることになる美しい風景画のサンドアートを勝手にウィルハード公爵家に寄贈しロディムが般若のごとく凄まじい顔をしてユージンを説教するという事が起るのだけど、それに関して私たちは二人に『ほどほどにね……』と言うに留めるだけとなる話なので割愛。




