39 * マイケル、巻き込まれ案件を笑う
マイケルに語ってもらいます。
派手にやったなぁ、と笑うとケイティも吹き出して笑いながら頷いた。
「あれでもうジュリを絶対に何があっても裏切れないから。【選択の自由】が霞むわ、フフフ、ジュリは本当に怖い!」
「怖いと言う割には笑い過ぎだよ」
『あははは』と実に愉快げに笑うケイティと酒を酌み交わしながら、僕も結局笑う。
ジュリが宝石図鑑を作ると言い出した。
自分の知識を全て詰め込む図鑑だ。
「宝石、キラキラしてて好きだもん。だから小さい頃からその手の図鑑はよく見てたんだけど、書籍自体が新発見とかなんとかいろいろ掲載されて都度アップデートされてくでしょ? だから大人になって働いてお金を稼ぐようになってそれに比例するようにその手の書籍を買い漁るわけだけど、最終的に購入した図鑑は宝石や綺麗な鉱石が約三百も載ってるもので、基礎知識から組成成分、有名なアクセサリーやカットの歴史も勉強できるものだったのよ。何回も何回も読み返したなぁ、その流れで何年か振りに元素記号とかまで覚え直しちゃったのよ」
図鑑を作るんだって? と聞けば彼女はなんてことないことを話すようにそう僕たちに語った。
あの日セティアが必死に書き取った、空白と
『後日追記』という文字がやたらと混じる紙を見せてもらい、僕が絶句したことにジュリは不思議そうにしていたけれど。
あれは専門レベルだ。
「基本、手軽な価格で買えるコンパクトな図鑑だったわよ? 一番高くても七千円くらい、それ以上になると鉱石とか宝石に特化した本じゃなくて原子とか化学組成に偏った専門書になることが分かって買わなかったのよ」
彼女はそう言ったけれど、いや、違う。
まずその本人は『そうでもない』と思い込んでいる図鑑を丸暗記している。そして恐らく他の専門的な知識が学べた本や図鑑、インターネットによる広域な検索が可能な環境によって更に蓄積されていて、それこそ彼女の知識は地球にいる頃何度も何度も『アップデート』されているはずだ。
「ハルトじゃないけど、私好きなことにはとことん時間もお金もかけるのよ。拘りだすと止まんないの」
それは普段の物作りからも分かっている。そうジュリは拘りだすと止めようがない、その方向に突き進むタイプだ。
「え、てかさ、好きなドラマとか漫画のセリフ丸暗記する人もいるじゃん、それと変わらないと思うけど」
「うーん……まあ、確かに、そうなんだけどね」
こちらとしては苦笑するしかない。
「聞かされた人たちは肝が冷えたでしょうねぇ」
ケイティは、その光景を想像して笑う。
「そりゃあ、そうだね。だってジュリが死んだらそこで全てがストップするから。地球の技術と知識を知る術が途絶えるんだ。ハルトにもその知識はあるだろうけれど、ハルトがそこまでするかと聞かれるとね。結局ジュリに頼ることになる」
「図鑑作りが命がけになるのはジュリじゃなく、あの場に居合わせた不遇な人々ね」
「不遇って」
「だってそうでしょ! 図鑑を作り終えるまでジュリの命と秘密共有のため居合わせた人たちとも関係を維持し続けなきゃならないのよ? 皆暇人じゃないし、これからどうしていけばいいのか頭を悩ませなきゃいけないんだから、心労は溜まる一方よ。利益とか発展の前に何年かかるか分からない事でずっと図鑑のことは秘密にしてジュリが完成したと言うまで待たされるのよ。一番可哀想なのはヒタンリ国、国王と今回巻き込まれた第二王子は、誰までその事実を伝えるべきか早速胃が痛い選択を迫られるわね」
「そうだね。しかもいつできるかわからない図鑑ってことは、それが生み出す利益とかもいつ手に入るかわからないのか。なのに、催促も出来ない。ジュリは時間の許すとき、気が向いた時って言ってたみたいだから……」
「ね、不遇でしょ? 一切触れられないものが目の前にぶら下げられてるだけなのよ。だからと言って、そこから離れることも不可能なのよ。秘匿技術まで知ることが可能な図鑑よ、離れるにはあまりにもそれが齎す影響が大きすぎて放っておけない。ただ長い期間待たされるだけ、ひたすらジュリに期待するだけになる。高位貴族と王族がね、プライドすてて『待て』をするのよ」
「不遇ていうか……苦労と疲労が凄そうだ」
「そうとも言うわね」
「え、モース硬度ってそんなに差があったの」
ケイティの驚く顔を見てもなんてことない平常心だと分かる顔をしてジュリはウンと頷きドライフルーツを齧る。
「一番硬いモース硬度十のダイヤモンドとサファイアとかルビーのモース硬度九って、数字としては一しか変わらないけど、実際の硬度数値は二倍以上の差があるんだよね、ダイヤモンドだけ突出した硬度なの」
「し、知らなかったぁ~」
「まあね、興味持って調べないと分からない事だから。それよりこれ美味しい、ケイティ作ったの?」
「そうよ、美味しいでしょ」
「美味しい」
ムグムグと頬を動かし満足気な顔で噛むジュリ。
「ジュリと話してると私も勉強したくなっちゃう」
「何でも聞いて。分かることならいくらでも喋るから」
「そう? ……じゃあ、パパラチアサファイアってあるでしょ、あのパパラチアってどういう意味?」
「あれはシンハラ語で蓮の花っていう意味。オレンジとピンクが混じったような色のことを言うけど実際はオレンジ寄りだったりピンク色だったり色幅あるから買うときは理想通りなのか好みの色なのか見極めないとね」
「言われてみればそうよね」
「サファイアと言えば、同じコランダムでもルビー以外はサファイアに分類されるのが面白いよね、パパラチアだって色味的にルビー寄りのはずなのにね」
「そうそう、ピンクサファイアもそうよ。ピンクならルビーに分類されそうだけどそうはならないのよね」
「そういう意味で赤は昔から特別扱いをされてきた証拠かな。世の中で綺麗で鮮やかな青をサファイアブルーって言ったり表現するじゃない?」
「ああ、サファイアのような瞳とかね」
「そうそう、サファイアの最高峰は主にカシミール産の明るくて柔らかな印象の『コーンフラワーブルー』としている図鑑があったりするのに何故か世の中には浸透してなくて漠然と『サファイアブルー』って言葉を使ってる。イギリスだと王室が所有するサファイアの色を『ロイヤルブルー』と言うの、その色は鮮やかで濃い青なのよ。だからサファイアブルーに関しては幅があると思うといいの。でも『ルビーレッド』ってどんな色かって話になると『ピジョンブラッド』って単語が割とすんなり出てくる。なんでだろうって考えるとピジョンブラッドって売り出す側の戦略があったり、小説やなにかの媒体でその表現がされていたり、おそらくインパクトを与えやすいんだよね、だって『鳩の血』だよ? 宝石に詳しくない人がいきなり聞いたらびっくりするよね、なんで鳩だよって。でもルビーだけ微量のクロムを含んでる。クロムが入らないとあの赤みが出ない、だから特別なんだよね、たった一つの微量元素に左右される。でもサファイアはその分物凄く表情のある宝石だと思ってて、バイカラーのサファイアは本当にユニークで幻想的だしあんまり知られてないけどカラーレス(無色)もあるし、何より青いサファイアはコーンフラワーブルーじゃなくても本当に高貴な色合いが多いから宝石として人気があるのは当然。コランダムはモース硬度ではダイヤモンドには劣るけど、それでも時計とか精密機械の部品に活用されるくらいには硬くて宝石以外の用途も多岐にわたるからどんな色だろうと価値はあるよね」
「……そんな事考えたりするのね」
「考えたりする、というより考えちゃう!」
あはは、と明るくジュリは笑う
「ということで」
「なあに?」
「ケイティもここまで聞いたんだから協力よろしくね?」
「……なんでよ」
「おすすめのデザインとかね、組み合わせとか、そういうのセンスいいでしょ? 人気の宝石はそういうのも載せるつもりだから、よろしく」
「ええっ?!」
そのやり取りをきき、溜らず僕は吹き出して大笑いしてしまう。
「ケイティも欲しいでしょ、ブリリアントカットのダイヤモンドとか。手伝ってくれる報酬はそれになる予定よ?」
笑ったのも束の間、その一言に僕とケイティはピタリと動きが止まる。
「ん?」
「ん? じゃなくて。もしかして、ブリリアントカットに挑戦するつもり?」
「するよ? 私は研磨師じゃないから実際にするのは別の人だけど」
「……ちょっとまって?」
「なに」
「……知ってるの? 角度とか面数とか、そういうの全部」
「うん丸暗記してる」
軽々しく頷かれ、僕たちは唖然とする。
「基本のブリリアントカットさえ習得できればそれの派生形であるオーバル型とか他の型に応用出来るし、何より私の好きなプリンセスカットもできるから。研磨機に関しては世に出せないだけで最強の物が手元にある、あとは実際に今後はカットに挑戦するだけよ。勿論宝石の基礎知識を頭に叩き込んでくれる職人さんがいないとどうにもならないんだけどね。その職人さんの選定もかなり慎重に進めなきゃならないからまたグレイの心労を増やすの確定よ」
そしてジュリはこちらの驚きなんて全く気にせず続ける。
「それぞれの面の角度とか比率とかそういうのは本は勿論ネットでその手のことを調べても殆ど載ってないんだけど、気になって沢山図面を分度器で測ったのを全部覚えてるし、忘れないうちに書き出してあるからそれを活用すればいい線いくよ、きっと」
「測ったの?!」
「だって気になるし」
「ええ……」
「まさか役に立つ時が来るとはと自分が一番驚いてるところ。実際には微調整が必要だけどねぇ。でも個人的にプリンセスカットが好きだからいつかはダイヤモンドで成功させたい。今のこの世界はスクエアカットを多面にしただけの独自のものだからどうしても光の反射が弱くて良さが半減してるでしょ。プリンセスカットはさらに面数が増えるけど、反面ダイヤモンドの原石を最大限活かせる形状でもあって、無駄なく魅力を堪能できるっていう利点もあるから是非とも成功させたいカットの一つよ」
そしてジュリはこっちが聞いているか聞いていないかを気にせず語りだした。
「ブリリアントカットっていくつか種類があるけど、五十八面体で下面の面取り、つまりキューレットなしの場合は五十七面体で、上から進入した光が全て内部で全反射して上に向かって放たれた時にダイヤモンドの輝きを最大限引き出す設計になってるの。百二十二面体ブリリアントカットなんてのも出て来てたけど、原型が考案されたのは十七世紀のヴェネツィアで、そこから今のブリリアントカットが生まれたのが千九百十九年よ、その間も切磋琢磨して研究されて、それでも二百年よ?どれだけダイヤモンドが扱いにくい物かよくわかるよね。でね、そのブリリアントカットによってダイヤモンドの輝きが最大限引き出されたのはいいけど、硬いわけよ、とにかく硬い。どんなに技術が進歩してもその硬さは研磨の最大の敵のままよ。そして硬いのにちゃんと劈開もある。宝石のカットで絶対に無視できない劈開がダイヤモンドにも明瞭にあって……―――」
そこからさらに話はそもそもダイヤモンドの歴史という部分に飛んでいった。
「人類史に最初にダイヤモンドが登場するのは紀元前7世紀頃なんだって。当時唯一の産地インドではダイヤモンドは身分制度の象徴だったらしいの。ダイヤモンドは劈開の性質からわかるように衝撃に脆い反面、ひっかき傷には物凄く硬い性質が当時から分かってた。その性質を利用して王侯貴族は結晶の整ったダイヤモンド原石を指輪にそのまま嵌め込んで権威の象徴としてダイヤモンドを身に着けたって記録も残ってる、それでも古代インドでは木の板や革を固定して、ダイヤモンドの粉末をオリーブ油に溶いてペースト状にして塗り込んで、ダイヤモンドを手に持ってひたすら擦るっていう研磨方法で僅かにダイヤモンドの研磨面を作ってたらしいよ、インド人凄すぎない? 本気で尊敬するよ私。ダイヤモンドって名称自体が『征服されざるもの』っていう言葉から来てるのよ、その時点で宝石として最強だよね、今のカットに至るまで数千年かかって当然の存在……―――」
しばらくひとり語りをしたジュリが紅茶を一口含むのに静かになったタイミングでケイティが止めた。
「ジュリ、ハルトとそっくりね」
その一言で。
「……嘘でしょ、それだけはないと思ってたのに。え、似てる? 私とハルト似てるの? ……同類なだけでしょ? え、似てる? 根本的なところが似てる? 普通にショック……」
そこから無言になったジュリはしかめっ面でドライフルーツを齧りまくった。
無自覚なんてことはなく、ジュリは自分の欲に忠実にかつての日常で蓄えた偏った知識が人よりも多いことをちゃんと理解している。
それをこの世界で無防備に解き放つのが如何に危険なことかも理解しているけれどどうにもこうにも彼女は欲に忠実で、知識を存分に活用したいと思ってしまって今に至る。
(今更だね、ジュリはこれでいいのかも)
僕としては、ちょっと困ったその性格に振り回されるこの世界の人間たちの右往左往する姿が面白くて笑えるから存分に暴れたらいいと思ってるけどね。
ここ数話はジュリがひたすら知識を披露するといういつもとちょっと違うテイストで進めました。
ジュリなら知ってそう、そして調べられるだけ調べそうと思いまして。
宝石の図鑑、鉱石の図鑑、その類の物は子供向けのものから大人も楽しめるものまで多岐に渡ります。ご興味ある方は是非




