38 * ローツ、見えない罰について語る
お待たせいたしました。本編再開です。
今回はローツの語り。
【選択の自由】の発動で大なり小なり、目に見えて大変な思いやヒヤッとさせられたり、頭を抱える羽目になったりした人はどれくらいいるのか。
そもそも、『関わった』とはどの範囲までを言うのかが分からないままだ。
「クノーマス侯爵家はどんな罰を受けたんだろう」
そんなことを考えていたのと、自宅ということもあって気が抜けていたのか。囁くような小さな声だったにも関わらず殊の外室内に響いたように感じた。
セティアはジュリとケイティに誘われてグレイセル様と俺が共同オーナーをしている宝飾店に新デザインを見に行っている。妊娠しているからと家で大人しくしているだけでは出産時の体力が保たずとても苦労する人もいるとケイティに口酸っぱく言われているし、セティアもジッとしているよりも気持ち的にも楽なようなので好きにさせている。
庭では庭師と使用人達が花壇の植え替えを賑やかにしているのを窓から眺める。
(分かっているのは、俺やロディム、シャーメイン嬢、他にあの日の計画を一切知らなかった者は【選択の自由】の対象から外れていること……だが)
いつもと変わらぬ日常に見えるククマット。
面倒な権力者達の放つスパイたちを闇に紛れて時に追い返し、時に排除するそんな事も変わらない。
離婚によるジュリの貴族社会からの離脱もジュリは勿論グレイセル様にも殆ど影響しなかった。そもそもの話ジュリにはヒタンリ国の後ろ盾があり、リンファのいるバールスレイド皇国との繋がりも今はもう隠すこともなくなったため後ろ盾という意味ではクノーマス侯爵家は必要ないと言っても過言ではない。
それでもクノーマス侯爵家と断絶しないのは、ジュリとグレイセル様の関係が継続していることよりもジュリ自身がクノーマス家を自分から切り離すという考えが全くない、というのが大きい。
(問題となったグレイセル様とクノーマス侯爵家の言動で、罰を受けたのが何故グレイセル様だけなのか)
様々な要因を考えてみても、腑に落ちない。
ジュリの深い情や既に出来上がった太い繋がりがあるにしてもクノーマス家が【選択の自由】から外れるなんてことはあり得ない。
【知の神:セラスーン】様の寵愛はジュリにのみ向けられているのだ。グレイセル様が罰を受け、クノーマス家が罰の対象外なんてことは、絶対にあり得ない。
(……俺が一人で考えたとて、答えは見つからないな)
ハァ、と漏れたため息。
諦めかけたそんな考えをため息と共に吐き出しても、直ぐに同じ疑問が頭の片隅に生まれてしまう。
「……マイケルは家にいるかな」
息子のジェイルは自警団の幹部バールスに付き従ってククマットの巡回に行っているらしい。
「困ったものだよ、最近は家にいるより自警団の詰め所にいる時間が長いんじゃないかってケイティが怒ってるんだ」
「いいじゃないか、本人が打ち込める事があるんだし。魔導師としての能力もどんどん研ぎすまれて今じゃあのロディムが脅威的な存在になるほどだろう? 将来が楽しみだ」
「だからってケイティに言われた家でのお手伝いをすっぽかして自警団に通うのはやめて欲しいなぁ。それで昨日も逆さ吊りにされてるのに」
「逆、さ……?」
なんだか恐ろしい話が続きそうだったので、咳払いをしてから笑って流しておく。
「それにしても君が一人で僕たちの家を訪ねて来るなんて珍しいね」
「ちょっと気になることがあってな、このままにしておくのは俺の性格的に心の負担になりそうで」
単刀直入に質問をする。遠回しに聞いた所で意味はない話だ。最近どうしても考えてしまうその事を言葉にすると、マイケルはただ穏やかな表情で頷いた。
「僕が全てを知ることは出来ない、神のやることだからね。気まぐれで人間には理解できない考えの彼らのことなんて、永遠に理解できないから。それを踏まえて知り得たことなら……」
しばらくそこからマイケルは無言だった。用意されたティーセットでただ紅茶を淹れる。そして出された紅茶を口に含むとそれを確認したマイケルはセットをテーブルの端に移動させソファーに座り直す。
「先週、獣人拉致奴隷問題の解決に向けての進捗が気になったからバミスに行ってアベルに会ってきた」
「大枢機卿に?」
「うん。……この前の騒ぎにアベルたちバミス法国は関与していないからね、【選択の自由】は発動していないだろうと思ってた。……でも、会うなり彼からいきなり質問された」
『枢機卿会と法王陛下の側近の一部に、突然能力の低下がみられました。鑑定で判明したのは【選択の自由】による制限らしい、と。しかし鑑定に定評のある魔導師ですらその詳細を全く見ることができないんです』
「ってね。バミス法国はあの件に関しては、蚊帳の外だった。でもアベルや法王は部下や側近を使ってジュリの周りを監視して知っていた。おそらくそれが【選択の自由】の禁止条項に抵触していたんだと思うよ」
まさかバミス法国の者たちにまで【選択の自由】が発動していたのかと驚きを隠せずにいる眼の前、マイケルは淡々と話を続ける。
「知っていて、立場的にカッセルを止められる権力があった。それをしなかったから発動した可能性があるよね。ただ、どの程度の制限なのか、期間はあるのか、それについては僕も分からない。僕なら見れるのかもしれないけれど、今回の事で発動した罰は完全非公開と言っていたから無理に僕が見てそれを教える義理はないしそこまで優しくもないからその事を伝えたらアベルも納得したみたいで食い下がっては来なかったね」
「なるほど……」
「ヒタンリ国については、水面下でジュリに接触があったことが分かった。カッセル国がクノーマス家から元王女の暴挙について抗議する手紙を複数届いていたにも関わらず軽くあしらう内容の手紙しか返さなかったことを知って、休暇と視察を兼ねてヒタンリ国にジュリを国賓として招待する旨を使者が伝えに何度か来たらしい。それをジュリ自身が断っていた。だからヒタンリ国の僕の知る人物に【選択の自由】の発動はしていない……外部で知っていたと言っても、あの時の対応で全く違うらしい。それは君自身も何となく理解してるんじゃないかい? ローツは知っていた、あの時のグレイセル達の不可解で不愉快な対応をジュリにしていたことを知っていたにも関わらず、結果君には発動しなかった。……それは君が目に見えない裏側の周囲の不安や不満を少しでも解消しようと奔走していたからだ。それがジュリがククマットを離れグレイセルが一切の権限を凍結された状態でも混乱なくククマットがいつも通り機能することにつながったよね、あれが結果として今の君ということだ」
「じゃあ、何故」
「不思議なことだよね、確かに。ならどうして目に見えてクノーマス家には罰が与えられていないのか、って。【選択の自由】の発動には僕たちに分からないだけで明確な基準があるはず、なのに何故、グレイセルと共謀したクノーマス家には発動していないんだろうって」
例外はある。
それがグレイセル様だ。
守護神である【滅の神:サフォーニ】様から全てを赦されている。
だから罰が抑えられてもおかしいことではない。
けれど。
クノーマス侯爵家は、対象外だ。神からの罰が理由もなく抑えられたりなくなったりするわけがない。
「推測するに」
マイケルは目を伏せる。
「【選択の自由】に付帯された呪い……あれが強く働いたのかなって」
「え?」
「聞いただろ? 今回を機に、【選択の自由】には呪いが付帯された事を、しかもランダムに付くこと」
「ああ、それは……勿論」
「セラスーンは、子孫にクノーマス侯爵家全員の今回の罪を一気に背負わせることにしたんじゃない?」
「!!」
「歩くことも話すこともまだ拙いウェルガルトか、これからの未来を担う子孫に全部、背負わせた可能性が高い」
ゴクリ、と喉がなるほど唾を飲み込んでいた。
「だとしたらとてつもない恐怖で、そして大罪だよね。ウェルガルト達未来のクノーマス侯爵家の後継者たちやその子孫達が、いつどのタイミングでどれくらいの罰を受けてそしてそれがどれほどの長さ続くのか誰も計り知ることが不可能だ。全てはセラスーンの気分次第だから。……この先どんなに反省し罪を償うために身を粉にして働いても、ジュリを守り支えても、無かったことにはならないし許されない。ウェルガルトたちはこれからジュリに対して『二度と過ちは犯せない』『裏切りは許されない』という前提の下で教育されることになる。国でも数少ない有力家がだよ、これからももっと成長するであろう、繁栄するであろう侯爵家の教育が、いつ牙を向くか分からない呪いに怯えながら、『許してください』と乞うことすら出来ずにね。罰も呪いも全て決定事項、決して覆ることのない神の決断はクノーマス家の血筋が途絶えるその時まできっと、ね」
嫌な汗が自分の額に滲むのを感じた。
「あくまで僕の推測に過ぎない、でも、大きく間違っているとは思えない。その証拠にクノーマス家の事業は今迄通り業績を伸ばし、皆体に異変を感じたり起こしたりもしていない。つまり確実に【選択の自由】は発動していない。第三者の僕ですら肩透かしを食らった気分になるほどには、クノーマス侯爵家は平穏だ」
「……たしかに、な」
声がうまく出なかった。
少なくとも『逃れられた』と喜ぶ安堵する人たちはクノーマス家にいないだろう。どんな罰でも受け入れると腹をくくる人たちだろう。
だからこそ、背筋が冷えた。
死ぬまで己の犯した罪が呪いによっていつ子や孫に災いとして降りかかるのかこれから毎日怯え続けることになる。
侯爵様も、エイジェリン様も、シルフィ様も、ルリアナ様も、これから毎日、嘆き懺悔する。
ウェルガルト様の成長と共にこれからずっと。
「グレイセルは気づいていると思うよ。サフォーニとの意思疎通はいつでも出来るようだから、聞かされている可能性もあるね」
「そうだろうな」
「知った所で何も出来ないし、する権利もない。すべてがセラスーンの意志、望み。人間には抗うことも覆す事も不可能だと誰よりも理解しているだろうから。それに……」
「なんだ?」
「こんなことローツに言うのは今更かな。グレイセルって、元々思考が異常に偏った部分があるだろう?」
「……ははは」
つい笑ってしまった。酷く乾いた苦しい笑いではあるが。
「クノーマス家がウェルガルトの代で滅んでも『仕方ない』の一言で終わると思うんだよね、グレイセルの場合。ジュリさえいればいいんだから、他なんて二の次、それが実の親だろうと兄だろうとジュリ以外のその他大勢に含めてしまう。悲しみや苦しみを抱いてもそれは一過性のものでグレイセルのその後の人格や人生に微塵も影響を与えない。クノーマス家にとって一縷の望みであるはずの神の寵愛を受けた男は、絶対にジュリ以外のためにその寵愛を利用しない。……クノーマス家にとって、絶望でしかないよね」
日々カッセル国の情報が様々な伝から齎される。
酷いものだ、あっという間に王宮内は保身のための賄賂が飛び交い裏切りが横行し無法地帯となり、国政はいつ崩壊してもおかしくないところまで一気に進んだようだ。
バミス法国からだけでなく、フォンロン国からも圧力を受け、両国の思惑も入り始め、独立した国でいられるのは時間の問題かもしれない、という者もチラホラ出てくるほど。
何より、ジュリがカッセル国での占有権の購入凍結をしたことで、事情を知る有力な国中の商家から王家は批判されるだけでは留まらず王家離れが加速していて次々王都から店が撤退、王都は物流が滞り始め住まう国民の生活にすでに影響が出始めている。ジュリのことだけでなく対応の杜撰さと後手に回ってしまうという失態続きで『無能な王はいらない』と一部では王政廃止の動きを見せる有力者まで出る始末。宰相の王弟の国王擁立の話も出ているが、それすらきな臭い話ありきでのことで諸外国の要人たちは冷めた目で静観している。
それでも王家がそんな世の中を半ば無視して次の王位だ何だと今騒いでいるのは、【知の神:セラスーン】様による【選択の自由】とは別の裁きが働いているから、とグレイセル様が仰っていた。
「サフォーニ様に教えられた。カッセル国の王族の一部は『理性』を削り取られたらしい。そうすることで己の中にある欲望が些細なことで抑えられなくなる。そんな者達が増えた王宮など最早制御不能、ハルトやリンファ、そしてジュリによる報復をきっかけに既に無法地帯と成り始めたあそこは裁きも加わりもう国として維持していくことは困難だろう、数年もすれば南方の何処かの国に吸収されるか、バミス法国からの制裁に耐えかねて属国になるか……そう選択肢は多くないだろう」
人の心の奥底を弄って人と人を争わせ自滅させる。
神の御業と言うべきか、それとも。
「滅んだとて、こっちは痛くも痒くもないからいいがな」
帰り道、賑やかなククマットの大通りを歩きながらそう呟く。
「何か言いました?」
まるで最初から一緒にいたかのように隣を並んで歩きだしたのはカイ。
「……お前の気は済んだのか?」
「あー、まあ、一応は」
「なんだ、その曖昧さは」
「グレイセル様に王族には手を出すなって言われちゃって、それがねー、消化不良を起こしちゃってます」
「お前らしいよ」
「何であの元王女も王族も消しちゃダメなんですか」
「生かしておいた方が本人たちは苦しむからな。殺したらそこで終わりだ、何でもかんでも終わらせればいいってものじゃないんだよ」
不満げに口を尖らすカイの頭を軽く小突く。
「いて!」
「お前の物差しも大概狂ってるって自覚をしろと何度も言ってるだろ」
「はいはーい、わかりましたー」
「……グレイセル様の訓練受けさせてやろうか」
「すみませんごめんなさい!!」
「最近受けてないな、そういえば。あれこれ理由つけて逃げてないか?」
「そ、そそそそんなことは、ないでしゅよぉ?」
その動揺が答えだろうとは敢えて言わない。
「まあいい、カイには今後も動いて貰うことになるからな。大目に見てやるさ」
「勿論やらせていただきますとも!」
ふざけた口調とは裏腹に、その目はギラつくこの男の本性が一瞬見え隠れする。
全く、この男の制御も大変だ。
「神の罰……か」
「え?」
「目の前のものに翻弄されて感情任せに復讐する人間の考える罰とは、次元が違うな」
「何の話ですか?」
目の前の問題児が可愛く見える神の裁きに、俺はただその成り行きを見るだけで済んでいることに、心から安堵していた。




