38 * 筋肉で貴婦人が釣れる。大量じゃあ!
休暇明け、周りの視線や承認待ちの面倒な書類は軽く無視して。
「無視なのか」
ローツさんの呆れた声は聞こえなかったことにする。
突然ですが腕っぷし選手権開催に向けての準備です。
あ、腕っぷし選手権は伯爵家や私の事業とは別でククマット市場組合が主体となっているので『◯月◯日にやりたいです』と要望が来たらやる感じなんだけど、まあ、初回が大盛況だったのでグレイがその場で許可証にドンとハンコを捺しちゃうからかなりスムーズに事が運ぶイベントの一つになりつつあるんだけど。
実は、大掛かりなイベントとして開催する以外に市場含めてククマットで何かあればそのついでにミニ選手権的なことは必ずやっていたのが腕っぷし選手権。
「……お金が湧いて出てくる感覚」
「そうだな」
私が第一回と突発的なミニイベントが行われた時のトミレア地区とククマットの簡易的な収支報告書を見ながらしみじみと言えばサラッとグレイが肯定する。
「やっぱりさ、女性専用・限定が功を奏したというか……。あれ以降、富裕層の女性だけのグループが来てくれるようになったんだよね」
そう。実は女性達の要望を叶えようとセティアさんと専用席の確保などであれこれ動いていた時にふと『だったら宿も限定的に女性だけ受け入れる日があっても?』という話になっていた。ただその時私は軽い気持ちでやってみようかと勢い付いたのに対しセティアさんは凄くいい案だと言ってくれたのとは裏腹に戸惑いと抵抗を見せたのよ。
「大丈夫でしょうか……女性のみ優遇されることを受け入れない男性もまだまだ多いですし」
あー、なるほどねと納得したのよ。男尊女卑が結構強く残るのが社交界。夜会、舞踏会、晩餐会は夫婦や婚約者同士で出席するのに、休憩室などは完全別。しかも女性は休憩室といいながらそこは完全にお茶会が出来る仕様になっていることが多い。対する男性側はテーブルゲームが楽しめる部屋やお酒を楽しめる部屋だけでなく商談が出来る個室、中には仮眠が取れる個室まで用意されていたりする。
これは当主、つまり男性がもてなされて当然のこと、というふるーい社交界の慣例がそのままズルズルと残っている一例。なので、中にはお茶会に物凄くお金をかける高位貴族の夫人たちを『金食い虫』や『散財妻』などと言う人も未だいるほど。てか、そのお茶会のお陰で奥さんが最新・貴重情報得てきたり旦那の財力や権力を誇示して地位を守ってくれてるってことわかってない男性も少なくないらしい。
その点最近の若い世代はその慣例に囚われず打開しようと奮闘する人たちもいて、私としては当然の如くそちらよりなので、セティアさんの心配は有り難く頂戴しつつも離婚して伯爵夫人じゃなくなったから好きにするー!! と開き直って我が道を行くことにしている。
で、トミレア地区にある高級宿はクノーマス家の直営か親族経営なので協力要請し、貸し切りは無理でも例えば別棟や各階など部分的に女性限定にしてもらうというのを試験的に行ってもらってるんだけど。
「『男子禁制』がこんなにもウケが良いとは……貴族夫人の闇を感じたわ」
私の呟きにグレイが遠い目をした。
「素晴らしい発案ですわ、ぜひ継続してほしいものです」
「久しぶりに羽根を伸ばせましたの! 今度はいつかしら?!」
「友人と同じ部屋で朝まで語り明かすなんて学園の寮生活以来でした」
「夜中に何を飲んでも何を食べても咎められない……罪深くて、癖になりそう」
「また来ます、必ず来ます」
宿を発つその時に口々にそう感想を述べて言ったと店主や従業員たちがあ然とする高評価だった。
そして発案者である私とそれを侯爵家に直々に要請したグレイへ御礼状が全員から届くという謎の現象を引き起こすという裏話付き。
夫の目がない金持ち夫人や娘のたちの羽振りの良さは、宿では高額な酒、酒の肴やデザートの頻繁な追加、市場とその周辺では買い物しまくり、大道芸へのおひねりが桁外れ等など……。目に見えてお金が落ちてきたトミレア地区。
こういった事が重なって、離婚の原因を作ったグレイへの評価が然程下がっていないという事実が。
私がやりたいことをやらせてくれるグレイのその姿勢が貴族夫人たちの間ではかなり有名で、離婚しても変わらないなら別に文句はない、という人たちが殆どらしいことをツィーダム侯爵夫人エリス様やナグレイズ子爵家のご隠居夫妻が教えてくれた。
ということは、私が好きなことやればやるほどグレイの評価は維持できる? と思ったけれど、それはつまり私が計画や準備でさらに予定ギチギチになるってことで、なかなかそのバランスが難しいのだと気づいて唸ったりもしている。現に面倒な書類は裏返してるし。絶妙に予定調整してくれてたセティアさんが現在フル稼働できないからなぁ、カイくん頑張ってくれてるけど秘書が本職じゃないからチョットやっぱり違うと思ってしまったり、なんでもバランスよくこなすのって難しいねぇ。
おっと、話が大分逸れてしまったわ……。
クノーマス侯爵家に行く時にちょっと緊張した。
離婚以降も自宅のように寛いで欲しいという侯爵家全体の強い意思と要望はヒシヒシと感じるものの、ちょっとね、私の足が。
一度感じた『強い不信』はそう簡単に全部剥がれ落ちるわけがなくて。だってグレイに対する不信感もまだ全てが抜けたわけではなく、今はそんな自分と向き合ってグレイと二人何でも言葉にして確かめ合いながら再構築している最中なのだから、侯爵家へのそんな負の感情は仕方ないと割り切るしかないしそんな私をグレイが受け入れてくれているからゆっくりとした歩みでしか進めない。
門前に来ると馬車の中だろうが、グレイと共に騎乗したままだろうが、自然と足に力が入ってしまうのは、当分避けられないと悟った。
グレイにはもう無理に行く必要はないと何度も言われている。嫌な思い出がある侯爵家に入る必要はないと。
それは私も思う。ホントは、行かなくていい。謝罪をされても、それでも残るものは残っているしもう私は侯爵家の一員ではなくなったし、何より、頼る必要はもう無くなってきた位には私独自の人脈も財力もそれなりに手している。
それでも。
矛盾している気持ちがある。
この人たちが、この家がなかったら。
今の私は、いなかった。
出会ってなかったら、今も彷徨って藻掻いていた。
今更この人たちと断絶するなんてあり得ないし、嫌うことなんて出来ない。私の中の情は、この世界で生まれた殆どの情は、恐らくこの人たちありきで出来たものだから、今更無かったことにはできないと思う私がいる。
「ふう」
呼吸を整える。隣にはジッと私を見つめるグレイ。
「大丈夫か?」
「大丈夫」
「出たいときは言ってくれ、すぐに連れ出すから」
「うん」
自分の実家に忌避感を示されて決していい気分ではないはずのグレイなのに、これもまたこの男なりの償いなんだろう。絶対に私の気持ちを最優先してくれる。何があっても私を、というその姿勢は、嘘じゃない。その気持ちに応えられるようになりたい、だから私もチグハグな心と向き合う。
「こんにちはー!!」
場違いな明るい声での挨拶はずっと変えるつもりはない。
「ジュリ!」
ルリアナ様が小走りで駆け寄ってくる。
「じゅい〜」
拙い話し方で無垢な笑顔のウェルガルト君が私の方へ来たがって、ルリアナ様と同様小走りのエイジェリン様の腕の中で暴れている。
「いっ、痛いっウェルガルト! ちょっ、じっとしてくれ、うぐっ!」
あ、エイジェリン様の顎に小さな拳がヒットした。……あれ普通にグーパンだわ、恐るべしウェルガルト君。ちなみに私はウェルガルト君を抱っこしたりお手て繋いでをしたり出来ない。何故なら怪我をする可能性が極めて高いので。私がね!
でもね、そんなの子供が理解できるわけ無いじゃん? なのでウェルガルト君が私に抱きつこうとする直前でいつもすることがある。
「はいおもちゃ!」
「おもちゃ!」
知育玩具の新作パーツや試作品含め、とりあえず一つ突き出し握らせる。お陰で私は玩具をくれる人認定されていて家族以外で一番懐かれている。ちなみにグレイは何しても痛がらないし怪我しないので遊び友達認定されている。
そんなやり取りが常習化した私達だけど、この気まずさは当分抜けないのかな。
エイジェリン様とルリアナ様の気遣いや伺う様子、執事さんやこの屋敷で働く人たちの萎縮した様子、なりより、侯爵様とシルフィ様は一線を退く準備とかで殆ど顔を合わせることはなくなるだろうとグレイから昨晩告げられて。だからかな、今日この場にお二人の姿はない。
ガラリと変わったこの雰囲気は私に無駄な罪悪感を引き出させる。
「もっと!」
「もうないよー」
「むうっ」
「また次にね」
「ん!」
ウェルガルト君とのそのやり取りに、お二人が目に見えた安堵の表情をした。『また次』。私がここに来ると示唆する言葉。
嫌いじゃないんだ、本当に。
ただ、線引してしまうだけ。
気持ちがまだ全部を許したり認めたり、飲み込めないだけ。だからお二人の安堵の表情に私だって安堵するんだよ、気まずくて避けられるんじゃないかって不安が私にもあったから。
でも大丈夫。
一からやり直すって決めたんだから。
やりたいようにやってやるって決めたんだから。
「忙しいのにありがとうございます、実はイベントのことで追加の相談があるんですよ」
ぎこちない空気も数分の雑談で大分緩み、かつての雰囲気に戻って自然に笑みが溢れるようになった頃。話しやすい雰囲気の中で進めたほうが互いに意見を出しやすいと思い切りだした。
「「……」」
あー、エイジェリン様とルリアナ様がポカンとしちゃったぁぁぁ。
グレイは隣でスンとしてます、達観した顔してます。
「えっと……これは?」
「はい?」
「何かの比喩か?」
「いいえ?」
「……比喩では、ない」
「ないですね、事実なのでそのまま題にしました」
「事実」
「事実です」
一瞬エイジェリン様の顔が引き攣った。ルリアナ様はまだポカンとしている。
「題して『筋肉で貴婦人が釣れる。大量じゃあ!』計画です」
品も何もない題ですが。
だって釣れるんだもん。
腹立つことに【ものつくりの祭典】よりも集客できそうなんだもん。
釣ったもん勝ちでしょ! ということでこの題にしてみたわけよ。
お二人も女性限定・専用が如何に利益を出したのかは宿の売上で既に把握している。なので理解は早いと思ったんだけど想定外な驚き様。
「正式にククマットとトミレア地区共同開催を試験的にやってみません?」
まず、開発途中のククマットでは貴婦人たちが宿泊できる宿はほぼないと言っていい。伯爵家迎賓館とアストハルア公爵様たち知り合いが買った土地に建てられた別荘? 別邸? を借りるにしてもその数は極めて限られている。
どんなに集客したくてもある一定以上の集客が出来ないのは土地の狭さ故。交通網の未発達だけではなく土地開発自体に限界があるんだよね。
「私が可能なら実現させたい案はこちらに纏めました。このあたりお二人の案を聞いてさらに詰められたと考えています。その後に今までも派閥の関係から協力要請してきたツィーダム家を交えて計画を進められたら、と」
用意していた計画書を二人に手渡す。
再び品のない題名が書かれたそれを見て一瞬ルリアナ様が笑った! うん、反応は良いかも。そしてペラリと捲られた表紙。
「!!」
一番最初に書かれた事にざっと目を通したエイジェリン様が目を見開いて顔を上げて目を合わせて来た。
「ジュリ、これはっ」
「はい、この際だから『腕っぷし選手権』限定で女性専用乗合馬車を用意しようと思います。しかもトミレアの主要宿とククマットのメイン会場を直接往復する『直通専用馬車』です」
「女性、専用馬車……しかも直通」
ルリアナ様がそっと口元を指で覆ってつぶやいた。
「徹底的に、『女性のため』の場所、時間を提供してみるのはどうでしょう。その先にも記載していますが……馬車だけではありません、『腕っぷし選手権』開催日に限り、ククマットとトミレア地区では劇場や食堂に女性専用席を設けてもらう、トミレアでは遊覧船もありますよね? それも女性専用席か、時間を設けてもらえたらと思っています。以前のように席、時間帯にはランク付して構いません、高額な席と時間帯があっていいんです。それでも女友だち、母娘だけで過ごせるならいくらでもお金を払うという人の多さはもう知ってますよね? でも世の中平等ではありません、そんなお金用意できないという女性が殆どです。その不公平さを無くすために、富裕層以外でも利用出来る価格を多く用意します。利用できないのは、男性だけ。反発もあるかもしれませんがそもそも夫婦で参加するのが当たり前という慣例自体が集客も収益も頭打ちにさせる原因になっています。『夫が興味を示さない』ただそれだけで、世界が狭まるのはおかしいことなんですよ」
そして声を大にして言いたいことがある!
「女だって金持ってるヤツは金持ってんだから好きに使わせろよ! ってことです。そしてその場が少ないなら私が用意してやろうじゃないかってことです! 『レディースデー』と『レディースタイム』バンバンやりませんか!!」
今後は『キッズ』とか『シニア』とかもね、考えてるんだけどね。まずは餌がハッキリしているところからやろうじゃないの。
筋肉よ、貴婦人をたんまり釣り給え!!




