38 * 旅の最後に
「かつて訪れた【彼方からの使い】には、迷惑な平和主義を訴える者もいたんです」
「あ、なんか想像出来る。絶対に『皆話し合えばきっとわかり合える!』とか言ったんでしょ」
「ええ、まさにそうです。中には『過去の傷を引きずったままでは先に進めないだろう』なんて言う者もいましたね」
「わあ、余計なお世話だ」
「ええ、余計なお世話です。こちらは数百年、長ければ二千年近く生きますからね、人間が過ちを繰り返すのを生きてる間に何回も見るんですよ、それをたかが百年も生きない人間が何故か諭してくるんですから面白かったですよ。『今の君たちにとったら些細なことだろう』などと言う者もいましたね、過去を見ていないのに何故そういえるのかと鼻で笑ってしまいましたよ」
「フッ……想像できるな」
「あれよ、異世界召喚でヒーローかヒロインになったつもりよ。異世界の知識や価値観がこの世界を救うとか平和にする、自分が中心って勘違いしてたんじゃない?」
「そういうものなのか?」
「そういう小説もあった」
「「小説」」
「大概その手はザマァ要因で主人公は別なんだけど」
「「ザマァ……?」」
アズさんとグレイがハモって、首かしげた。面白い。
今日もドラゴンと強制的に遊ぶ羽目になりスんとした顔で咥えられて行ったグレイも午後には戻り、アズさんと共に川をゆっくりと下る船で夕日が美しい景色を優雅に楽しむ。
最後の晩となる今日はなんと船でディナー。ホントに船か? と疑いたくなる揺れのない快適さで、食事もお酒も進む。
「せっかくだから質問させて下さい。この里ですごしてみて……どうでしたか?」
アズさんが私を真っ直ぐみつめる。
「いいところだよね」
自然と口がそう言葉を紡いだ。
「外界とは全く違う、独自の文化で成り立つからもっと閉鎖的なんだと思ってた。人間を未だ信じてないしこれからも信じないって偏りのある考え方の種族なのに、外界への憎しみや怒りをぶつけることもなくて、外界と独自の距離感で接点を持っていて……争い事もあるんだろうけれど、多分私が知ってる、見聞きしているような醜さはないからそういったことへの対応力も人間とは違うんだよね。現実離れしたこの里は、おそらく穏やかで平和な世界を望む人たちの理想郷なんだろうね。……居心地いいよね」
「ジュリさんとグレイセルならここに住めますよ」
「え?」
「貴方たち二人が共存できる人間ということはこの数日でエルフ皆が分かっています」
私とグレイは互いに驚きの目で見合った。それを見てアズさんはクスクスと面白そうに笑う。
「もし、外界に飽きてしまったらその時はここへ来て下さい。私達はいつでも歓迎します」
「えっと……」
「私が長として生きている間、エルフが人間と共存することはないでしょう」
「アズさん?」
「それでも、何故でしょうね……ジュリさんを見ていると『可能性』があると思わずにはいられないんです。きっと、あなたのような人は世の中に埋もれているだけで、我々が引きこもっているからみつけられていないだけ、と僅かな期待をしてしまう。だから、いつでも好きな時にここへ来て下さい。我々エルフが人間をもう一度信じられるかもしれないきっかけを与えてくれるあなたとの時間を、私達は望みます」
里のお土産、果たしていつになったら『これで最後だよ』と言ってもらえるのか、という人々の動きを眺め二人で乾いた笑いを浮かべる。
「これもどうぞ!」
「こっちもおすすめですよ!!」
と、すっごい笑顔でお土産を押し付けてくるエルフたちにグレイがうんざりした顔をした。
「アストハルア家だけじゃ間に合わないだろ、これは」
「そうしたら勿論グレイの実家も協力してもらおう。それとツィーダム侯爵家。エリス様なら面白がって引き受けてくれそうだし」
「ああ、そうだな、全部押しつけよう」
「家では確保しなくていいの? グレイは欲しいものないの?」
「ジュリが欲しいものだけ選別し確保すればいい。こんなにエルフの里のものを外界で保管なんて怖いだけだ」
「だよねぇ」
ということで、九割九分は他所に押し付けることにする。先日の騒ぎのことで皆さん『困ったことがあったらなんでも相談してくれ』と言ってくれてるしね。
「ではそろそろ、外界に向かいますか」
アズさんや仲良くなったエルフ数人に付き添われ、見送りに来てくれたエルフたちに手を振ってまた来ますと、お世話になりましたと言葉を交わした頃合いでドラゴンたちが集まってくる。
「え、こんなにいたんだ?」
見上げる空にドラゴンが沢山。おかげてその影に日光を遮られ暗くなるほど。
そして。
「……黄昏だよね?」
「そうだな」
「なんか、懐かれた?」
「嬉しくないからな」
一体の、他のドラゴンより一回り以上大きな、独特の紫ががった光沢を放つドラゴン。鱗がね、見覚えがあってね、確信した。
黄昏はグレイの前に降り立つと大きな大きな前足で、グレイの腕ほどもある鋭い爪の滑らかな曲線部分をグレイの顔にグイグイ押し付けている。
『マタコイ、イイナ?』
「……」
『返事ヲセンカ、小童』
「……」
いやぁ、グレイのいやそうな顔 (笑)!
アズさんたちエルフもグレイと黄昏の温度差に笑っている。
『楽シカッタダロウ、イイナ、必ズマタ来イ』
「遠慮したい……」
『我ニソンナコトヲ言ウカ、オモシロイ。小童ニハ友好ノ証ヲクレテヤロウ』
「なに?」
黄昏の発言に、グレイは大きな爪をぐいっと押し離した。
あ、嫌な予感。
急に黄昏は大きな口を閉じると口をモゴモゴさせ始めた。
そして。
『グ、ガ、カァァ、カッ……クカ、カァッ』
変な声を出したと思えば。
『ペッ!!!』
え?!
グレイの顔めがけて大量のよだれと共に何か物体を吐き出した!!
そして隣りにいた私にも当然のごとく大量に。
凄まじい勢いではき出された謎の物体はグレイの額に直撃、衝撃的な出来事に数秒呆然としてからグレイの顔を見上げると、ベトベトの状態で額から流血、しかも青筋立てて激怒しているという……。衝撃的すぎて思考停止した私は動けず。
「おお!」
エルフたちが私達とは温度差が激しい感嘆の声を上げてどよめいて。
「人間が友好の証をもらえる場面に遭遇するなんて!」
アズさんは、グレイの額の流血の原因になったものを、数メートルはなれたところにめり込むそれを取りに行って、グレイの所に戻ってくるとさも当然のごとく手を握りそれを乗せた。
「外界ではドラゴンの魔石より貴重ですよ、良かったですね」
待って欲しい。
色々ツッコミ入れていいかな。
まず、『カァッ、ペッ!!!』って、よだれじゃないな、あれ、痰吐く時にやるやつ。
……痰だよね。
それとグレイの額に傷をつけたそれ、明らかに石とかの硬いもので普通の人なら死んでる。
心配するでもなく、ましてや黄昏を怒るでもなく、デロデロになってる私達に良い物もらえたじゃんって反応しかしてないエルフたち、なんなの。
「とりあえず」
グレイが怒りマックスの低い声で唸るように要求した。
「風呂を貸してくれ」
再度お見送りされるという締まらなさ。でもエルフは誰も気にしてない、解せぬ。
綺麗さっぱり洗い流し綺麗な服に着替え直し、もう一度訪れた時のように里の見渡せる断崖絶壁にグレイの転移で移動し立つ。あ、ドラゴンに乗るのは遠慮したわ、またなんかグレイが変なの押し付けられても困るし。付いて来ようとするドラゴンが何体かいて、上をずっと旋回しているのは見えていないことにする。
「またいつでも来て下さい」
「そのうちね。頻繁にここに来てのんびりする程暇な人間じゃないし」
「そんなこと言ってると人間はすぐに寿命が来ますよ?」
「シビアなこと言う……」
ちょっと遠い目になりながら、私はそのまま断崖絶壁の上から里を眺めた。
やっぱり、綺麗だよね。
これぞファンタジーっていう光景が広がっている。
ふと、そう考えると外界はファンタジーになりきれていない半端な世界なのかな、なんてことが頭を過る。
地球だって未熟で半端なことは沢山あった。でも独自の無数の文化や技術があって、国を、地域を、個性豊かに彩って。同時に日々進歩しようと努力をする人達によって、豊かな世界になって、そこで人が暮らしている。貧困とか、戦争とか、大きな問題を抱える中でも、文化が停滞によって衰退することはとても少なく稀な世界だったと今でも信じている。
そして、この世界の殆どを構築する世界は、私が今いる大陸は。
「変わらないといけないんだよね、きっと」
【彼方からの使い】が召喚されてしまう理由。
変わってもらわないと、困る。
私のようにこれからも【未練】に縛られ生きていく人がもう増えないで欲しい。
私は、私達は、道具じゃないから。
少しでも変えられたらと思う。
小さなことでいい、なんでもいい。
変えられたら、と。
「ジュリ?」
「さて、今度こそ帰りますか」
「ああ、そうだな」
「アズさん、また来るね」
「ええ、お待ちしてます」
『また来てね』『待ってるよ』『いつでもおいで』『遊びに来てください』沢山のエルフからのそんなお見送りの言葉は穏やかで和やかで。
絶対にまた会えると信じている、信じてくれている人たちならではの余裕と優しさが全身で感じられる空気の中、アズさんに導かれ私とグレイは謎の空間に足を踏み入れた。
振り向いて、両手を大きく強く振る。
「また来るね!」
『サヨナラと言う言葉をあまり使わないんですよ』とアズさんが言っていた。寿命が長いからだけじゃなく、また会えると信じているから、と。
だから私も必ずここに来ると心の中で誓って別れの言葉は言わないでおく。
「また来よう」
彼らの姿が見えなくなった時、グレイが言った。
「うん、必ずね」
その時はもっと道具を持って行く。
「また何か作るか!」
そう言って皆とワイワイものつくりをしたいから。
―――次の日の朝―――
グレイが早朝門に挟まっていた不思議な花と手紙を見つけた。この不思議な半透明な花が共にある時はアズさんからの手紙。
「なんだろ?」
「またこっちに来る予定があるのか、それとも依頼か」
「どっちだろ? 昨日言ってくれればよかったのに ……あ?」
素っ頓狂な声を出した私の隣でグレイが遠い目をして乾いた笑いを浮かべ呟いた。
「手紙で聞くことか?」
『ところで、ザマァってなんですか。気になるんですが』
無視すると面倒事と共にやってきそうな気がしたので手紙を速攻書き、その日の夜に門に挟んでおいた。
翌朝、花だけが差し込んであったので手紙はちゃんと渡ったらしいから良しとする。
そして昼前。
クノーマス侯爵家から侯爵様たちだけでなく、グレイの祖父母である隠居している前侯爵ご夫妻までもが揃って私を訪ねて来た。
「謝罪なら、受け付けません」
簡単な挨拶の後の雰囲気のまま、先に言葉を口にしたのは私。
「受けてはならないと、思っています」
「ジュリ……」
切実な私の名を呼ぶ侯爵様の声にツキリと僅かな痛みが心に走る。
「受けてしまったら、許すことになるでしょう。『許さない』なんて、私は皆さんに言えません。私は、まだ、正直……怒りや不信感が拭えずにいます。今は、そんな自分と、そしてグレイと、やり直すところから始めたばかりです。ごめんなさい、まだ、周囲へ配慮する程の余裕は持てないので、謝罪されてそれに答えるというのが、面倒で辛い、です。だから……謝罪は受けません」
俯いてぐっと唇を噛んだのはエイジェリン様だ。シルフィ様とルリアナ様は泣きそうな顔をして唇を微かに震わせて。神妙な面持ちでそれを見守る前侯爵ご夫妻。
エルフの里に届いたルリアナ様からの手紙。それに対して簡素だけど丁寧に情報共有できた事への感謝の手紙を私も返しているから、このタイミングならと思ったのかもしれない。
「元はと言えば私とグレイが互いに見て見ぬふりをしてきた事が、騒ぎをきっかけに露呈して、そしてそのまま拗らせて、離婚に繋がりました。……私とグレイのことなんです。少しだけ、見守ってほしいんです。今は二人で互いに折り合いをつけたり擦り合わせたり、否定したり肯定したり、そうやって再構築していく時間だと思っています。それがある程度済めばきっと、今より怒りとか不信感とか、心のわだかまりは消えているはずなので。……それまで、待ってください」
「わかった」
ただ一言、はっきりとした声で答えたのは侯爵様だった。
私とグレイに何かを言いかけたエイジェリン様の腕を強く引き、侯爵様は首を振る。
「帰るぞ」
「父上、しかしっ」
「いいから帰るんだ」
「っ……」
言葉どころか息まで詰まらせたエイジェリン様が振り向いた。そして目があった。
私はただ、無言で見つめるだけ。
それぞれが後ろ髪を引かれる思いで悲痛な顔をしているのを、私はグレイと並んでただただ無言で見つめて見送った。
「……はぁ」
「グレイ?」
「ああ、すまない……私も改めて思い知ったよ」
「何が?」
「地位とは厄介だな。……謝られたら『許す』のが当たり前、被害者の本心など考慮されてこなかった。侯爵に謝られ……『許します』と本心から言える人間は、どれだけいるだろう。『許さない』を言えないから謝罪を受け付けない、か。ジュリには、本当に損な役割をさせてばかりだ」
「そんなことないよ。グレイと私のことだから当たり前の事なのよ。これが他のことだったら、こんなに悩んだり罪悪感を抱いたりしない。……きっと他のことなら私はもっと簡単に割り切ってしまえたはずだから、ね」




