38 * 遥か上空にて
情報量が半端ないし、重いしで、脳が疲労を訴えているなぁなんてことを考えながら里の大通りの一つを歩く。巨木の下に形成されたそれぞれのコミュニティにある大通りは、森やなにもない平地を貫く形で他のコミュニティとつながっていて、しかもその区間は車の形なのに車輪がなく浮遊しながらゆっくりと動く、ククマットなら乗合馬車に相当する不思議な乗り物を中心とした交通システムが確立されている。途中からは屋根のない天気の良い日にうってつけのタイプに乗ってこれぞファンタジー! な里の観光をしていたら。
「……好かれた?」
「迷惑だ……」
グレイの顔に幼体のシーサーペントが何故か巻き付くという事態になった。
何回も言う! シーサーペントよ、君たちは海洋性魔物だろう、何で空中を泳いでいる……?
「魔力目的ですよ」
「そんな呑気なこと言わないで。どうしたら離れてくれるの」
アズさんは本当に呑気な様子で面白そうに笑ってグレイの顔に巻き付いているシーサーペントの尾ヒレを指で摘む。
「すぐに離れますよ、グレイセルは魔力量が桁はずれなのでこのくらい若くて小さなシーサーペントなら……ほら、離してくれた」
スルスルと優雅に回転しながらグレイの顔から離れたシーサーペントは何事もなかったように去っていく。
「この里で育った魔物にとって外界の魔力はとても貴重なんだ、彼らは独自の進化を遂げて魔力を直接吸収する能力も得ているから君の濃くて膨大な魔力はご馳走だよ」
ビタンとグレイの頭にぶつかって来てガシガシ頭を甘噛したのは白いコウモリっぽいヤツ。続いて小さなドラゴンが飛んできて三体纏めてしがみつき顔から何から舐め回し、土から派手にとびだして来た青い鱗のヘビはグレイに巻き付く時に私の頭に尻尾が当ったので思いっきり手で引っ叩いておいた。
「……風呂を借りたいのだが」
ドロドロになったので急遽アズさんのお友達にお風呂と服を借りるという貴重な体験をしたグレイだった。
徹底的に魔力を抑え込んでアズさんに不思議な結界を張ってもらってからは魔物に突進されることもなくなった。
「いる間は時々垂れ流している魔力を魔物たちに与えてくれると嬉しいなぁ」
という呟きにグレイが両手で耳を塞いだ姿に私とアズさんは笑う。
「さて、ここです」
エルフの里だからこその貴重な体験をした私達が到着したのは、墓地。
何の変哲もない、単なる小高い丘に見えるそこに降り立って、私は辺りを見渡した。隣ではグレイがグッと眉間にシワを寄せている。
「何か変?」
「……間違いない、神力だ」
「え」
「先日ハルトに叩きのめされた時に、あいつは神力を使っていたんだ。……同じだ、刺さるようなこの感覚は」
「ああ、すみません、グレイセルには少々苦しいねこれは。今解くよ」
申し訳なさそうに眉を下げたアズさんは何もないはずの目の前に両手を突き出すと何かを掴んだ。そう、確実にその手は掴んでいた。
「君の神力はセラスーンのものだけだし普段他の神力に触れる事がないと、慣れ親しんでいない強い神力は体が威圧されているのと同じ様な感覚に捉えてしまうんだ。……今、弱まるから安心して」
腰を落とし力の限り何かを引っ張るアズさんの動きに合わせて何もないはずのそこから、ググググ、ググッと重く鈍い音がして。
「あっ!」
突然、風が吹き荒れた。小高い丘の草花が巻き上げられてしまうその強さに両腕で顔を覆うとグレイが守るように私を支えてくれる。
「これは……」
グレイの戸惑いの声に、彼の腕の中から私は顔を上げる。
「この扉の先が墓地なんだ。この扉は私とごく一部の者しか開けられないようになっている。神力の塊と言っていい扉だからね、開くだけでも一苦労だ。でも開けてしまえばこの通り。守りの力が弱まるから君でも平気だろう」
何にもないはずの、小高い丘の上、まるでそこだけ切り取られてしまったように、下へ向かう階段が続く四角い入口が出来上がっていた。
「……めっちゃ、ファンタジー……」
語彙力低下中。
「墓地と言っても外界の人間たちの物とはまるで違いますよ」
と言われて、もう何でも来い、驚かないぞと意気込んでみたものの、駄目だった。
「階段降りたよね?」
「降りましたね」
「なんで降りたのに、今いる場所ははるか上空なんだろう……」
「ここは歴代の長の墓で、いずれ私もここに入りますよ。いい眺めでしょ」
「そんなこと聞いてないけども」
「あれ、そうですか?」
呑気なアズさんがなんか怨めしい……。
この里に来ると決めて、グレイと二人早い段階で意見が一致したのは、アズさんたちエルフとの出会いのきっかけとなった寄せ書きやメッセージカード製作のことで縁を得た―――私たちに届いた先代長からの手紙―――あの事が真っ先に浮かんで。
会うこともなく優しい別れをした不思議な関係のその人の墓参りをしたいと思ったのよ。
「先代も喜びますよ」
「そうかな、だといいけど」
エルフの長のお墓は驚くほど小さい。
「仰々しいものなんていらないでしょう、いずれ巡り巡って輪廻の環に入って、生まれ変わると信じられています。風に吹かれ、雨に晒され、風化し崩れ墓ごと大地に還る、それが我々の考える自然な死のあり方ですから」
自然の石を掘り起こし、一面を磨きそこに名前を彫っただけ。
真新しい先代長以外のいくつか見える石はすでに割れていたり欠けて崩れかけていたり、アズさんの言う通り自然な姿のまま。
献花する必要もないほど咲き誇る色とりどりの花、そこにあつまる美しい蝶や鳥、そして花を好むという羽を待つ見知らぬ小さな動物たち。
「綺麗でしょう?」
「綺麗だね……」
「先の未来の仲間や血族達に幸あれと、そう願って眠りについた先代たちの思いが色褪せぬよう、私達が引き継ぎその記憶が色鮮やかなまま先に残せるよう守り続けるんです。まあ、戒めのようなものでしょうか」
「戒めがこんなに綺麗なんてね、人間には無理かも」
肩を竦めそういえばアズさんが笑う。
エルフの里の墓参りは、その美しさにただ身に委ねるという他所では決して経験できないものとなった。
そして墓参りをしたいと言った時、ならば見せたいものがあると言われていた。
「あれ」
「これは」
私とグレイは、互いに被せるように少し上ずった声を出してそれを見つめる。
「私の作った髪飾りだ」
ツィーダム侯爵家のオークションに勢いで出した私が作ったつまみ細工の髪飾りが置かれているのは、墓地にポツンと建てられていた小屋。小さな小さなログハウス風のものでこの墓地の手入れの道具でも整理しておくためかなとしか思わなかったそこは、扉を開けて見せられて驚いた。小屋の数十倍はあろう空間がそこには広がっていて、神話に出てきそうな白い壁や柱がある荘厳な場所だった。その中では様々な物がぼんやりと発光しその場でふわふわと僅かに揺れながら浮いている。だからなんでこの里は色んな物がこうも簡単に浮かんでいるのか理解不能……。
その最奥に、私の作った髪飾りがあった。
「これ、結婚祝いか、結婚式に使うとか、言ってたような……」
「ええ、使わせて頂きましたよ。勿論」
そしてアズさんはそれを手に取り私ではなく何故かグレイに差し出した。
「持ってみてくれるかな」
「私が?」
「そう、君が」
逡巡した後、グレイは両手をゆっくりと髪飾りに向けた。
次の瞬間。
「!!」
「えっ?!」
グレイの手に髪飾りが乗った瞬間、ズンと重く伸し掛かるような鈍い音がして、グレイの体が一瞬よろめき、咄嗟に体勢を整えようとぐっと全身に力を込めたのが分かった。
「な、なに?!」
「これはっ、なんだっ!」
「この里を満たす神力をずっと吸収し続けているんだ」
あのグレイが、両手でなければ支えられない重さを感じ、眉間にシワを深く刻み体に力を込めているのがわかる。
「祝福の力を込めて以降……ずぅっとね、私達から放たれる、この里を満たす神力を吸収しているんです。外界の魔素や魔力の代わりに神力をね」
「それって、どういう状況?」
私の問いに答える前にアズさんはグレイの手から髪飾りを取り上げる。なんてことない顔して片手で持って、また元の位置に戻すところを見るとアズさんにとっては重さは感じていないのかもしれない。
「この髪飾りはですね、『成長』しているんです。ここにあるものすべてがそうなのですが……ジュリさんの作ったこれは驚異的な速さで育っていますね」
「育つとは、どういうことだ?……それに、あの異常な威圧は一体」
「威圧?」
「ああ、私を威圧してきた。まるで意思があるかのように人と変わらない威圧を放っている」
「はっ?」
「女性専用ですからね」
アズさん……そんな笑顔で言われても、全然わからない。
「『神具』になるんですよ、その成長途中です」
でた。
神具。
「神力を吸収し純粋な神具が完成するその時に放たれる力は凄まじくてですね、里だけでなく外界にも天変地異を齎すことがあるんです。そのためこの里で神具になるものは最も地上から遠いこの場所の特別なこの空間で保管します。グレイセル、凄かったでしょ? 反発が。それはこの髪飾りが女性以外の使用を認めないからなんだ。しかも神力を持つエルフによる祝福が付与されてエルフが身に着けた……人間が扱えない、人間を拒む神具だからだよ、人間でありしかも男で、魔力溢れる君が威圧されて当然のこと、それでも君だからこれを持てたんだ。普通の人間ならきっと吹き飛ばされるか地面に体がめり込んでたね、死ぬかも?」
何故だ、私の作ったものがクセ強めに進化してた。
これを見せたかったんですよ、とアズさんは唖然とする私達を見比べ穏やかに笑う。
「きっとあなたは世に出せないとんでもない面倒な物を作ったと思ったんじゃないですか?」
そりゃそうだよ! そんなの作ったとバレた日にゃ私の人生大変なことになるでしょ!
「誇ってください」
「え」
「あなただけです、この世で魔素、魔力ではなく神力の純粋なる神が望む神具を生み出せる手を持つ者はジュリさんあなただけなんです。誇ってください、その手を、あなたの出来ることを、たとえ誰にも話せなくとも誇って下さい。人間は愚かな争いのために、己の欲を満たすために、なりふり構わず神具を求めます、これからもね。その事実はあなたを苦しめる、知られれば決して逃れられないでしょうから。……けれど、忘れないでほしいんです。エルフはあなたの技術を、その手を敬います。【空の神具】と呼ばれる無限の可能性を秘めた宝を生み出すあなたがこの世界にいることを、神があなたを招いたことを、私達は心の底から感謝します。きっとあなたはこれからも二度と帰れない世界に恋い焦がれる、一生あなたに孤独を背負わせるでしょう。でも、それでも忘れないで下さい、私達はあなたがいてくれて良かったと思っています、あなたに出会えて良かったと心から思っています、グレイセル・クノーマスのように、私達エルフはあなたを失いたくはないんです。それが愛情とは別の想いであっても、嘘偽りはありません、なぜならあなたは尊い存在です、わたし達エルフの力をこうして未来に託せる物を作れるのですから。だからどうか、誇って下さい。あなたの手は神をも魅了する物を作り出せる唯一無二であると」
蓋をして見て見ぬふりをしてしまう卑屈な自分。
それが一瞬で昇華された気分になった。バールスレイド皇帝に会ったときにも卑屈な自分と向き合おうと思えて、そして今、向き合ってこれから先のことを考えようとしていた過程で、このタイミングで、昇華された。
(そっか……面倒な物を作っちゃう、そう、思わなくていいんだ)
肩の荷が降りたのとはまた違う、何かが落ちて軽くなったそんな感覚に陥った瞬間。
隣から、空気を揺らし視界を歪ませる何かが溢れ出るのを感じた。
グレイだった。
「なん、だ?」
本人も分からない何かが起きている。それを驚くほど落ち着いた優しい顔つきでアズさんが見つめている。
「アズさん、これは一体」
「ジュリさんの迷いや抵抗がグレイセルの神力を抑え込んでいたようです。良くも悪くもあなた達は一心同体なんですよ」
「つまり……今の私の軽くなった気持ちで」
「はい、グレイセルが意図せず授かった神力ですが、抑え込まれていたせいで本来の形が崩れていたようです。でも、正常な形に戻ります。元々ジュリさんの持っていた【核】によってグレイセルの【スキル】【称号】が作られています、だから後天的に与えられた神力もそれに引きずられて再構築されます。……ああ、なるほど。やっぱりジュリさんの影響が強いですね」
グレイの周りで揺れていた空気が次第に弱まっていく。
そして未だ不思議そうな顔をしているグレイに、アズさんは再びつまみ細工の髪飾りを手にして差し出した。
「……持て、と?」
「ええ、今なら片手の指で摘めますよ」
チートと言わずなんと言う。
「ろくでなしのくせにチート力だけは上がっていくこの矛盾」
「……褒めてないな?」
「うん、褒めてない」
アズさん曰く。
「グレイセルはこの世に存在する全ての神具を扱えるようになったね」
と。
「ああ、ジュリさんの作ったものを見極める力もそのまま残ったんだ、しかも力を垂れ流しにせず体内で循環させられている。エルフと同じ神力循環になったね。よかったよかった」
と。
ファンタジーな小屋から出た私達。
「一言」
「なんだ」
「やっぱり世の中の役には立たない神力」
「そうだな、使い所が全くないな」
爽やかな風が吹く墓地を前に。
「そして追加事項」
「言ってみろ」
「もーーーー! 情報量多すぎ! 内容重すぎ!!」
「気が滅入るから、それは聞きたくなかった……」
「こんなの休暇じゃない!!」
エルフの里のはるか上空、美しい花が咲き乱れる墓地で私は地面を握り拳で叩きながら叫んだ。
ジュリとグレイセルとエルフの長の余談。
「エルフの魔力や魔素とは違う力って、やっぱり神力なんだ」
「そうですね、そもそも私達は神の欠片から誕生した種族ですから当然です。後から作られた獣人や人間のための魔力なんて神力の劣化版ですよ? そんなのが我々に敵うわけないじゃないですか。そのあたり未だ人間はわかっていないんですよね、よぉーく考えればそのことに到達すると思いますがね」
「……魔力が劣化版なのか」
グレイセルは遠い目になった。
「陸の管理者としてまずはエルフが、海の管理者として人魚が神の欠片で作られたんですけどね、この星の広さに対していかんせん人口が少なすぎる、それを補うのに神の欠片は使われずに魔力や魔素を作って、それを上手く使いこなせる獣人が作られました。それでも足りなくて人間が足されたんですよ」
「人間は後から足された存在?!」
「はい」
内容がやっぱり重すぎてこの先を自ら聞くことを拒否したジュリとグレイセルである。
そのうち人魚、出てくる予定。




