36 * シャーメイン、神の本質に触れる
シイちゃん語り。
後半ちょっとだけマイケルの頭の中。
文字数多めです。
ジュリと兄様の屋敷には常にリンファ様のお作りになられたポーションがあるのでそれを使えば何とかなるはず。でももし、兄様の言った通りなら。
(兄様にポーションを下さいとお願いしても……まだ兄様の結婚証明書が破棄されてない)
一方的に破棄したのは王女のみ。
兄様は未だ封印の施された箱に入れたまま。
つまり、全ての物がジュリのものになり、ジュリの許可なく持ち出せない状態。
(それが分かっていて、兄様はまだあえて結婚証明書を破棄しない?)
そう考えるとゾッとした。
我が兄ながら、なんてことを考えるのか、と。
そして唯一この場で完全再生に近い治癒魔法の使えるマイケルさんは治療を拒否した。
そして及ばすながらも治癒魔法の使える私とロディム様、アストハルア公爵様はここに残るよう【命令】された。
王女を抱え慌ただしく出ていった人たちを見送り暫くして、混乱が続く会場に入ってきた女性に、そう、【命令】を。
「動かないでね」
その人は。
ジュリそっくりの顔立ちで全員がきっと息が止まるほど驚愕したはず。
でも別人であることは直ぐにわかった。
とてもたおやかで蠱惑的な声色なのに耳に入った瞬間、ズブズブと耳奥に無理矢理めり込んで来るような不快感が驚愕と同時に襲う。
スラリと高い背であることが霞む程の床まで届く豊かな黒髪は、毛先がまとまり鋭い針のようになっていて、まるで生きていて意志があるようにゆらりと揺れ動きながらその場にいる人たちにその鋭い先端が向けられる。
人ではない。
そう直感が働いたのは私だけではない。
なにより。
「頭を垂れる事をした自覚はあるのね?」
グレイ兄様が、誰一人身動き取れなくなっていることに気づいて青ざめたり目を白黒させる中で動いていた。
近づいてくるその人に、兄様は膝をつき頭を垂れていた。
「全く。あなたのジュリへの執着は困ったものね、確かにあの娘は二度とこの地に来ないし、あの国も今後大変なことになるからあなたの思惑としては成功で私も別にあの娘も国もどうなろうと興味もないけれど……」
頭を垂れる兄様にそう言葉をかけたその人は、スッと手を伸ばすと兄様の頭に触れてくしゃくしゃと髪の毛をかき乱す。流石に兄様がそれに驚いて視線だけを上げるとその人はとても優しい目を向けた。
「まだまだ子供ね、手のかかる子だこと」
慈愛に満ちた優しい声。
「サフォーニがあなたの行い全てを赦すと宣言しているから、仕方ないわね。あなたの主が今でも私だったらキツーいお仕置きだったわよ? 感謝しなさい、サフォーニに。これからもっと敬うのよ、全てを赦してくれる主なんて、そうそういないのだから」
「はい、仰せのままに」
「うん、いい子いい子」
「ッアーーー!!」
突然の大声。マイケルさんだった。
「ちょっと! 僕がいること忘れないでくれるかな?! やっと喋れた!!」
「あ、ごめんなさいねぇ」
その人がマイケルさんに右手の人差し指を向ける。するとマイケルさんはぐらりと体を傾け、咄嗟に彼は転ばぬように足を動かして体勢を整えた。
「勘弁してよ、これだから嫌いなんだ君たちのこと! 興味ないものには本当にこれっぽっちも意識を向けないんだから」
不満げに彼はその人に向かって文句を言いながらゆっくりと近づいた。
「その顔以外じゃだめなの? 今のグレイセルにはちょっと刺激が強い気がするけど?」
「だって私ジュリ以外は好きじゃないもの、何が楽しくて他の人間の顔をしなきゃいけないの?」
「あー……そういうところまで、君らしいね」
ある種異様な空気だった。
動けず、言葉を発することも出来ない私達とは対照的に、兄様とマイケルさん、そしてその人はこの状況に何一つ疑問も感じていなくて、当たり前のことのように会話を続ける。
「それより、グレイセルが全てを赦されているって。それって、本当の意味で全て? 聞いてはいたけど、今回のことも赦すってことは、そうだよね?」
「ええそうよ、サフォーニは全て赦しているの。困ったちゃんだわ。お陰で凄まじい力で守られている状態。……でも、ジュリの【核】を使うことを許したのは私だわ、私にもそれなりに権限はあるからその件に関してはサフォーニにも文句は言わせないわ」
そしてその人は、嗤った。
「与えるのは難しいけれど、奪うことは出来ることが多いのよ、それは解るわねグレイセル」
「はい」
「そして、あなたの【スキル】は勿論、【称号】自体がジュリが素になってるの。使い方次第でジュリを悩ませる可能性が出てきた【スキル:強制調停*グレイセルのオリジナル】は、今この瞬間消滅させるわ。そしてジュリの優しさが未だ自分たちのためだと勘違いしている愚かな人間にはお仕置きしないとね」
【選択の自由】が発動します。
【知の神:セラスーン】による強制発動となります。
なお【称号:調停者】の【スキル:強制調停*グレイセルのオリジナル】はこの瞬間を以て消滅しました。加えて、今後【彼方からの使い:ジュリ】に与えられた【選択の自由】の全権限が守護神セラスーンに返還されます。
今回関わった全ての人間に何らかの制限がかかります。その内容は完全非公開となります。
声の出ない自分の喉から表現しがたい呼吸音が放たれた。
「【神の守護】ってね?」
その人は実に優雅に歩き出した。
「本来は全てが神の意志で行われるものなの」
そして一番近くのソファまで行くとそのまま腰掛け、肘掛けに腕を乗せてゆったりと体を任せる。
「守護される人間が受けた屈辱、苦しみ、悲しみ、そして生み出した憎悪や嫌悪、そういった負の感情を神が掬い上げ、共に分かち合う。そして赦すべきか、裁くべきか、全ては神の思うまま。……でもジュリはそれを望まなかったの、優しいから。そんなジュリが好き、私は大好き。だからね、許せないのよ? そんな優しいジュリをたかが人間ごときが傷つけるなんて。だから戻しましょうね在るべき姿に。【選択の自由】を本来の正しい守護に戻しましょう、それで全てが丸く収まるわ」
興奮しているようにも見える輝きを放つ瞳。ジュリそっくりの瞳なのに、とても怖い。
ゆったりと寛ぐ体勢ながらも片方の手を胸にあてがい、その人は目を閉じる。
「ああ、そうだわ」
【選択の自由】:追加要項
人間全てに、今後『ジュリのため』という虚偽の言動を禁止します。
え?
どういうこと?
「『ジュリのため』に何かをするのは構わないわ、でも嘘はだめ、絶対に純粋に『ジュリのため』じゃなきゃ認めない。沢山の恩恵を享受するあなた達がその恩恵の対価に彼女を守ったり協力したり、共に戦ったり、ジュリも言っているけれど、互いに利用し利用される、それは生きる上で当たり前のことでしょ? そんなのは、ねえ、当たり前のことなのよ。分かる? 人として『ジュリと人間』は対等なんだから、どっちが上か下かで物事を見たり決めたりなんてしないのは当たり前、人間の作った地位なんてただの名札なのよ? そんなのいつでも取り外しできるんだから『ジュリと人間』が対等なのは当然でしょ、だからジュリのためだなんて嘘で利用する人間は、懲らしめなくちゃ。明確な虚偽の大義名分は……万死に値するから場合によっては即死するかもね?」
怖いと思った。
この人が『誰』なのかと凡その見当がついてしまったことよりも、その瞳が普段見ている世界がどういうものなのか。
―――ジュリと人間―――
このお方にとって、私達の存在はその程度。
その程度、という表現すら、相応しくないのかもしれない。
私達は、神にとって存在そのものが非常に曖昧な可能性がある。
ジュリ以外の人間なんて、輪郭のはっきりしない風景どころか、空気のようなもの。
これが、神の寵愛を受けた者とそれ以外の人間のあり方。
体が動かないのに、足ががくがくと震えることだけは嫌でも自覚する。
「例外は認めない……と、言いたいところだけど、グレイセルだけは全てが赦されてしまっているから無効になってしまうのね、まあ、それはいいわ。流石に二度とこんなことはしないでしょうし、そうでしょ?」
「はい」
いつの間にか、膝を突いたままの兄様はそのお方の方を向いていて、再び頭を垂れる。
「それと……【種】に関わる人間たちも少し様子見よね。所詮人間、後からどうにでも出来るし」
理解の及ばない言葉を紡いだそのお方はふとマイケルさんに視線を向ける。
「そうだわ、ねえマイケル」
「なんだい?」
「あなたに承認をお願いするわ、人間側の承認を。全ての人間対象となると『世界の理』と切り離せないから迷いや抵抗を一切しない人間の承認が必要なの。でも他の人間はねぇ、信用してないから私」
「構わないよ、僕はその【選択の自由】で困ることも恐れることもないし」
「そうよね、だからこそお願い」
【彼方からの使い:ジュリ】の持つ【選択の自由】に呪いが付帯されます。
突如神の声が降り注いだ。
「ん?」
「うふふ」
「うふふじゃなくて、どういうこと?」
「今後【選択の自由】が発動するとね、その内容や程度にもよるけれど私の気分次第で呪いを付けることにしたわ」
「呪いって」
「罰が子孫に継承されるようにしちゃった」
「つまり……【選択の自由】の発動で受ける何らかの制限や禁止事項がそのまま子孫にも引き継がれるってことか」
「そ・う・い・う・こ・と」
「随分軽々しく言ってくれるねぇ」
「あら、そうかしら?」
コロコロと軽やかに転がるようなその声色が頭の中で響く。
「しかもね、ランダム」
「ランダム?」
「すぐには継承されず何代か先に突然現れることもあれば、その人間から何十代も先までということもあるし、子の代で終わる時もある、全てが私の気分次第」
「気分なんだ」
そして、そのお方は今までで一番美しく微笑んだ。
「だって暇つぶしだもの。ジュリが天寿を全うしたら……この世界に私が愛を注げるものなんてないの、暇つぶしくらいなきゃ世界の行く末を見守るなんてつまらなくてやってられないわ。本来それは私の役目ではないんだもの、私が見守るのはジュリが後世に残すものがあるから、それだけだもの」
マイケルさんは呆れた顔で天を仰いだけれど、フッと苦笑してから顔を戻してそのお方に笑顔を向けた。
「神のやることなんて僕らには理解できないね」
その声には、憂いも不安も何も滲んでいなかった。
「では。……我が名において神の『世界の理』への干渉を承認する、神々よ、我が声を認め給え」
平然とマイケルさんはそう言葉を紡いだ。神々しい光の輪が、その言葉を祝福するように足元から浮かび上がり頭上へと昇ると音もなく弾けるように消え去る。
人として、神の干渉を許すという重責を感じていない顔をしていた。寧ろ何故何も感じない顔をして簡単に言えるのか私には理解できなかった。
(どうして、どうしてマイケルさん……)
ジュリが知ったら、悲しむでしょう、悩むでしょう、それなのにどうして。
「あら、そんなことないわ」
不意に向けられた視線。間違いなくそのお方は私を見た。
「こうでもしないと、もう自分を自分で守れないと気づいたの。ジュリは自分で出来ることは自分でしたいと思ってここまで来たわ、最も弱い人間だと言いながら足掻いて足掻いて、なんとか出来ることは自分でしてきたの。でももう限界だと気づいた、今までのやり方では、もう無理だって。ハルトとリンファに助けを求めたのがその証拠、彼女はこの世界で生きるために覚悟を決めたのよ、本気の覚悟をね」
また、嗤った。蠱惑的な深い深い、微笑みを浮かべて。
「今日はね、ジュリが自分が生き延びるために誰かを蹴落とすと決めた、この世界のはるか昔から行われ未だ根強く残る原始的な生存方法を心から受け入れた、そんな喜ばしい日なのよ!」
チリン。
鈴の音のような、高めで通りの良い音がした気がした。
「……これで承認されたのかな?」
「ええ、助かったわ」
「貴重な経験ありがとう、とでも言っておくよ」
「あら、うれしい」
世間話で笑うようにとても軽やかに気安くそのお方が笑んだ。
去り際、その方は振り向いて告げる。
「さあ、人間たち。禁忌を犯したその時に【選択の自由】が発動するけれどそれがどれだけ呪いとして子孫に残るか、己の生を終えるその瞬間まで怯えるといいわ。フフフッお前達の罪を、なんの責任もない子孫たちが引き継いでいると知った時、その子孫たちは何を思うかしら? 楽しみね? 肖像画を燃やされるかも。家系図から名前を消されるかも。罪人としてその血が途絶えるまで恨まれるかも。この中で無傷で子孫にその血を引き継がせることが出来る人間は、何人いるかしらね? あっ、無傷は無理かしら、かなりの人間がクノーマスの人間がやろうとしていたことを知っていたし手を貸していたみたいだし。本当に、どうなるかしらねぇ。ちょっとだけ楽しみが増えたわ」
そして、兄様にヒラヒラと花びらが舞うよう優雅に手を振った。
「二度は許さないわよグレイセル? 次があるならその時は、あなたからジュリを奪っちゃうんだから。そして私からささやかな罰を与えてあげる、受け取りなさいね」
「はい」
兄様は、とても落ち着いた顔で、ただその言葉を受け入れた。
「そして時期を見てそこの箱の中身は私が処分するわね。たとえ策略だとしてもジュリ以外の女と名前を連ねた結婚証明書なんて、本当はあなたも見たくもないでしょうし」
「はっ……」
「シイっ!」
「あ、ありがとうございます」
まるで当たり前のように扉からあの方が出ていって、そして扉がパタンと音を立てて閉じた瞬間、私は崩れるようにその場に膝を突き、そのまま倒れそうになって咄嗟に両手を床に着いて傾く上半身を支えた。
隣にいたロディム様がそんな私の体を支えてくれる。ロディム様は倒れたりしなかったけれど、それでも手から震えが伝わってきた。
周りではお母様が気絶し倒れ、お父様も辛うじて意識はあるものの四つん這いで自分の体を支えるのに精一杯。アストハルア公爵夫人も公爵様に支えられていてどうやら気絶してしまっているらしいし、激しく咳き込みながら膝に手を乗せて背を丸めている人、その場に倒れ失神してしまった人。そんな人たちで溢れかえる異様な場と化していた。
この場で平気なのはマイケルさんと兄様だけ、と思った。
「けほっ」
兄様が小さく咳き込んだ。そして目を丸くして、口にあてがった掌を離し見つめる。
次の瞬間。
タラリ……、兄様の口から赤いものが垂れて来た。
「ああ、これが……罰……? がはっ!」
「グレイセル!」
マイケルさんが駆け寄る。兄様の体がぐらりと傾く。膝をついたままだった兄様は、そのまま前のめりにマイケルさんの腕の中に倒れ込む。
激しく咳き込むその音は水っぽいくぐもった音になって、そして吹き出すように吐血した。
「ああっクソっ!! セラスーンこれはどうかと思うよ!!」
マイケルさんが叫んだ。
「グレイセルじゃなかったら即死してるよ!! 内臓潰すとか悪質だ!!」
その叫びに私達も悲鳴を上げることになった。
―――マイケルの心の語り―――
何とかグチャグチャになった内臓を再生させた。
ここまでやられたならグレイセルの守護神サフォーニが干渉してくると思ったけれど、もしかしてセラスーンに止められたのかも?
(あれ?)
治した、完璧に。
でも、なんだ?
(治った、はず)
何か、足りないような……。
足りないなんてありえない、完全に再生させたんだから。
でもこのパズルのピースが一つ足りないような不思議な感覚は一体……。
神様によるザマァ回でした。
その割には手ぬるいのでは? と思われるかもしれませんが、まだ色々ザマァありますのでセラスーン様による制裁はこのくらいでご容赦クダサイ。
セラスーン様……。ジュリしか好きじゃないところはグレイセルと似てる。
そして『器』はジュリそっくり。ジュリが夢で見ている精神体は全くの別物でそちらが本物なのに、『器』を持つならジュリと同じがいい! という価値観、流石は神様です、さっぱり分からん……。




