36 * ロディム、その時を語る。
ローツとロディム、どっちを先に語らせようか迷いましたが今回は年功序列ということで。
ということでロディムが語ります。
時系列は前話とそんなに変わりません。
―――時はハルトがローツの首根っこを掴んでセティアのいる控室に連れて行った少し後―――
シイと共に知り合いに挨拶をして回って間もなく。
「……いない」
「どうした?」
「あ、ジュリとセティアさんがいなくなってると、思いまして」
彼女は会場をキョロキョロと見渡し、何故か不安げな顔をした。
「何かあるのか?」
「え、あ、いえ……」
煮えきらない反応にふと妙なざわつきが、所謂胸騒ぎと言うものだろう、そんな漠然とした不安が過る。
「どこにいったのかしら……」
「あの二人も挨拶をする人は多いから。女性ならサロンに行くこともある」
「あの、私確認してきてもいいですか?」
明らかに何か隠していると思わせる、ソワソワと落ち着かない彼女はしきりにこの会場を出たそうに出入り口に視線を送った。
「……シイ、何か隠してる?」
その問いを待っていたのか、そうでないのか。彼女は僅かな間を挟み、不安げな瞳で私を真っ直ぐ見つめる。
「あの、実は……―――」
聞いて自然と私の足も速る、当たり前だ、そんな内容だった。
シイはカツカツとヒールを鳴らし、私の前を急ぎ足で歩いていたが、いつの間にか小走りになっていることに気づいているだろうか。
「何が行われるんだ?」
「分かりません、とにかくジュリを探さないと」
―――兄様たちから、ジュリを夜会直前にルリアナ義姉様の所に連れて行くように言われているんです。ルリアナ義姉様の体調が優れなくて伏せっていて、一人で寂しいだろうから側にいてほしいと言えばジュリなら必ず行ってくれるから、と―――
ルリアナ様とは午後に顔を合わせている。寝起きで機嫌が悪かったのか大声で泣くウェルガルトを抱いて笑って『困ったものね』と実にたおやかに笑っていた。そんな人が体調が悪く伏せっていると?
そんな馬鹿な、と思う私の心を読んだようにシイが続けた言葉に、一気に不安が襲う。
―――私もおかしいと思って何故ですかと聞いたんです、でも知らなくていいからと。とにかく、必ず連れてきてくれと。夜会開始前に必ずジュリを会場から離しておく必要があるから協力してくれと言われただけで―――
ジュリさんを会場から引き離す。
それは明らかに『見せたくない』事が起こると言うことだ。しかも、その起こることを、伯爵とエイジェリン様がしようとしている。状況からルリアナ様も関与しているだろう、当然侯爵夫妻も。
「よりによってこんな時にっ、何を」
つい、そう溢した。すると立ち止まって勢いよくシイは振り向いて。
「こんな時にって、どういことですか?」
ああ、そうか。
彼女は昨日帰って来たばかりだ。おそらくあの一行のククマットでの迷惑な言動は聞かされているだろうが、『ジュリさんの状態』は意図的に伏せられていたかもしれない。
「ジュリさんはいい精神状態ではない」
「え」
「伯爵とギクシャクしているし、普段見せない感情を顕にしたり、明らかに疲れた顔をしていて。……そのせいか、最近作品作りがうまくいっていないんだ」
「うそ……」
両手で口元を覆ったシイの表情は驚きに不安も混じっている。
「今のジュリさんを刺激するようなことは避けるべきだと私は思っている。王女が明日帰路につくまでは、私は王女と顔を合わせることになるこの夜会も出席すべきではないと思っていたのにジュリさんが出席することになっているし、ルリアナ様の所へまるで逃がすようなことなんて……たとえ目にせずともそれを知ってジュリさんがどう思うか」
「ど、どうしたら」
「とにかく探そう」
ある人たちの気配を頼りに休憩室へ飛び込んで目にした光景に、ゾッとするほど嫌な予感がした。
セティアさんがカウチに座り、その正面で床に両膝をついて優しく彼女の手を撫でるローツさん。
そしてなにより。
セティアさんの座るカウチの後ろで腕を組んでいるハルトさんの顔を見て、私はゴクリと唾を飲み込む事になった。
無表情でどこを見ているのか分からない目。私とシイが不躾にノックもせず飛び込んだことにまるで無関心で、チラ、と一瞬視線を送ってきただけだ。
「シャーメイン」
「は、はい?」
こちらを見もせずシイを呼んだハルトさんの声は冷たい。
「クノーマス家は何をする気だ?」
「え?」
「……お前は、知らねぇか。なら、誰がどこまで知ってるのかも分からねぇよな」
「あの、何が! 教えて下さいませんか!」
「俺が知りたいよ、なんだよ、このクソみたいな夜会。ったく、何考えてんだよ侯爵家とグレイは」
「ハルト、シャーメイン嬢に八つ当たりはするな」
「してねぇよ」
冷淡な口調と読めない表情。
それがとても、怖かった。
なぜ三人がここにいるのか聞いてみたが『話すようなことじゃねぇよ』と一蹴される。その棘のある言い方に踏み込んでくるな、というのを嫌というほど感じた。
「それより何でここに入ってきた?」
ハルトさんの質問にシイが肩を揺らした。
意を決する顔をして、ジュリさんを探していること、ルリアナ様の所に連れて行くよう指示されていることを告げた瞬間。
「ははははっ」
ハルトさんが笑った。
嘲笑だった。
「今回関わった奴ら全員」
瞳は、仄暗い。
「……ただ消すんじゃ、面白くもねぇな」
今、なんと?
ハルトさんは何と言った?
小さなそのつぶやきは聞き取れず。
「どうしてやろうかな」
今度はハッキリと聞き取れたが、その僅かに上がった口角に私は恐ろしさを感じた。
とりあえず私達は会場に戻ることになった。ハルトさんは途中立ち止まり、『リンファに任せるか』とだけ呟いた。
「あの、ジュリさんを探さないんですか?」
「ん? もういねぇからいいよ」
「いない?」
「リンファが連れ出したみたいだな。いいんじゃね? どのみち、夜会に呼んでおきながら参加させるつもりなかったらしいから、いなくても別に誰も困らねぇんじゃねえの? ま、グレイはどうかわからんけども」
私に話しかけられても答えてはくれるがそこに含まれる感情はどういうものなのかわからない。ただ声が乾いた冷たい風のように寒々しいことだけは、刺さるように伝わってくる。
会場に入るなり、その異様な空気に私達は立ち止まる。ハルトさんも周囲を見渡して夜会の華やかさや綺羅びやかさが全く感じられない空気に顎を僅かに上げて不快そうに眉を顰めた。
「んだよ、何があった?」
ハルトさんが登場したにも関わらず、誰も気に留める様子はない。招待客達が意識を向けているのは。
クノーマス侯爵家の人々。
興味深げなその視線は入口に立っている私達にも一部が向けられた。その全てがシイに向けられていることに気づいて私は咄嗟に彼女の前に立ちその視線を遮る。
「グレイは?」
「はっ」
一番近くにいた給仕の者はハルトさんに声をかけられ跳びはねんばかりに驚きつつもスッと近づいて来て小さな声で囁いた。
「……ジュリ様の後を追い、出られてからまだお戻りになりません」
「ん? ジュリが自分から出てったのか?」
「はい、その……王女様が登場された直後に……」
「なんだよ?」
「……ジュリ様が、その……グレイセル様に……離婚を」
「へ?」
「離婚して、と。……そう申されまして……」
シイがヒッと小さな悲鳴を上げた。
私も一瞬息が止まった。
ハルトさんは違った。
「あははははははっ!!」
会場に響き渡る笑い声。
シン、と静まり返る会場で高らかにその声が場を支配した。
「最近変な空気になってたらしいしな! どんな結果になるか予想してたつもりだけどまさかの離婚宣言かよ、凄えなジュリ!!」
何がそんなに面白いんだろうと聞いていて腹が立ってしまった私はハルトさんの肩を掴んだ。
「なに、笑ってるんですか。こんな時に、なんで!」
「笑えるだろ、ザマァみろって」
「……え?」
「ふ、ふはっ、ホント笑える!」
私の手を払い除けたハルトさんは、上着を脱ぐとバサリと音を立てながら肩にかけ、歩き出す。
「はい、夜会はお開きぃ」
侯爵夫妻、エイジェリン様が顔を青くし目の前にやってきたハルトさんを見つめた。
「そこの王女……つーか、カッセル国がジュリに喧嘩売ってさ」
侯爵夫妻の後ろに隠れていたのか、それともただの偶然かは分からないがサリエ王女がいて、わざとらしくハルトさんは夫妻、エイジェリン様、そして王女へ順に冷ややかな目を向けた。
「ジュリから助けを求められたんだよ、どんなにしんどくても俺たちに本気で助けを求めたことなんてなかったあいつが俺とリンファを呼んで、喧嘩売られたから手を貸してくれって。だから助ける。俺とリンファは全力でジュリの買った喧嘩に助太刀する。……どんなことでも協力するし、法律ギリギリのことも平気でやる覚悟がある、全部背負ってやるっていつでも踏ん張ってるジュリが助けを求めてきた!」
怒気が溢れる。
「わかるか! その意味が!! 一番側にいるグレイじゃなく俺とリンファに助けを求めてきたんだぞ!! なんでこんなことになった、なんでジュリにそんな選択をさせた、お前らだからな、グレイとお前らがそうさせたんだからな!」
そして、ハルトさんは視線を外しゆっくりと体を動かして周囲を見渡す。
「誰がどこまで知ってて関与してたか知らねえけど、これはカッセル国がジュリに喧嘩を売ったことだ、ジュリと俺とリンファ以外部外者だ、俺たちが何をしようとも、首を突っ込んでくるなよ。少しでもそんな素振りが見えたらカッセル側だと判じる。味方もいらない、関わるな」
独断すぎる発言に唖然とする人々。いや、ハルトさんの怒気に動けなくなっているだけかもしれない。今日ここに集う人々に怯懦な質の人は少ないはずだが、そんな人々を容易くハルトさんは滲む怒りだけで支配している。
首を突っ込むな、とは見方によっては私達のことをトラブルに巻き込みたくないという優しさにも聞こえる。
けれどハルトさんの今の雰囲気と顔からは到底そんな甘い考えに至るのは危険だ。
これは言葉そのままで、ハルトさんとリンファさんがすることに抗議どころか嗜める言葉一つかけただけでも喧嘩を売ったことになると判断されるということだろう。
そこに、優しさなど微塵も存在しない。
「カッセルの王女」
強がっているのか、この状況を理解できていないのか、王女は憮然としたままだ。
「なあ。ジュリに喧嘩を売ったこと、後悔するなよ? 友達傷つけられて黙ってられる性分じゃねえからさ」
「まあ、傲慢ね、【彼方からの使い】ならなんでも許されると? 私は王女よ、あなたのその態度をカッセル国が許すと思ってるの?!」
言い返すとは思わなかった。この状況をやはり理解していない、最悪だ。
「んじゃお前は許されるって? たかが肩書だけの王女のくせして」
「な、なんですって!」
「カッセルなんてまだ新しい小国で、周辺諸国に娘や息子を嫁がせて繋がり作るのに必死だよな。 今回だってグレイかエイジェリンを垂らし込むつもりだったろ? くっだらねえことしやがる」
「うるさいわね! あなたに関係ないわ!!」
「あるよ、アンタが売った喧嘩を俺も買ったし。確認するけどあんたは王族なんだろ、あんたの不始末は王家がやってくれるんだよな?」
「当たり前でしょう! 私は王族よ!それにお父様があなたのことを許すはずないわ!!」
「へえ、そう。わかった」
会場の空気が体の芯まで冷えるハルトさんの怒気に占められはじめた。
「なら、俺も遠慮しない」
その時だった。
伯爵が一人会場に戻って来た。
その顔を見てゾクリとした。
(な、なんだ、あれは)
声が出そうになって咄嗟に口元を覆う。私だけではない。伯爵の顔を見て伯爵をよく知る人々が驚愕し言葉を失っている。中には反射的に後退りよろけた人もいる。
「へえ」
我々の存在など全く気にもとめていないような、場違いな高揚した声を出したのはハルトさんだった。
「その顔のお前見るのめっちゃ久しぶり!」
ふざけた口調のハルトさんめがけて伯爵は迷うことなくまっすぐ進んでくる。
「人間辞めたらする顔だぜ? 前に注意しただろ、嘘でもいいからいつでも生きてる人らしい顔してろって。お前のその顔見たら心臓弱いやつぽっくり逝っちまう」
「ハルト」
「うん?」
「少し黙っていてくれないか」
「……おお?」
ハルトさんは直ぐ目の前に立つ伯爵の目を覗き込む。
「この状況でそうくるか。……いいぜ、やってみろよ。見届けてやる」
底なしの闇と、眩い光。
そんな対照的な表情が向かい合っていた。
「ジュリのためにを理由にお前が何をするのか興味ある」




