36 * ローツ、制止する
ジュリの鬱展開は一応終わりましたが。まだ明るい雰囲気な感じではないのでご了承くださいませ。
そして文字数多目をローツが語ります。
―――時はハルトがセティアをテラスから連れ出した後―――
グレイセル様を探していたら突然ハルトに首根っこを掴まれズルズル引きずられ、抵抗虚しく侯爵家の夜会が開かれている会場から一番遠い、今日の招待客はここまで絶対来ないだろうと思われる休憩室まで連れてこられ放り込まれて驚愕した。
セティアが泣いていた。
しゃくり上げ、涙を溢れされ、カウチに浅く腰掛け背を丸め。
「ど、どうしたっ、セティア? どうした!」
足がもつれ転びそうになりながらも何とか彼女の前に行き、膝をついてドレスを握るその手に俺は自分の手を乗せた。
瞬間、顔を上げ、わぁぁぁっと喚くようにセティアが泣き出した。抑制の効かない幼い子供が大声で泣き叫ぶように。
セティアのお腹には俺の子供が宿っている。
妊娠が発覚してから、少し情緒不安定で涙もろくなることはあったがここまで感情剥き出しに泣くことなどはない。安定した日々を送っていたのに。
明らかに、最近の変化とは違う泣き方だ。
「落ち着け、落ち着け、お腹の子がびっくりしてしまうから。母がそんなに泣いたら、子も泣きたくなるかもしれないから……」
諭す言葉に、なんとか呼吸を整え声は抑えたセティア。それでも涙と手の震えは止まらない。
先日ジュリに報告した時に言われていた。
「妊婦さんはね、ちょっとしたことで気持ちが変化することもあるって。それを『妊娠してるだけなのに』なんて思ったりしないであげてね。妊娠するって凄いことなんだよ、お腹の中で、命を育ててるんだよ、懸命に、慎重に、育ててる。命を抱えるその責任がどれだけ重いか考えてあげて。些細なことでも、聞いてあげて。『大丈夫か?』『してほしいことはあるか?』『どうしたい?』って、声をかけて。それだけで不安が和らぐし、体調不良を防ぐこともあるみたいだから。……妊娠は喜ばしいことだけど、それだけじゃないこともローツさんはちゃんと見て学んでね」
と。
セティアの妊娠を伝えたとき、俺はジュリの秘書をしているセティアの予定についての話になると思っていた。『おめでとう!』とすこぶる明るい声で祝福されたあとの『秘書の仕事はグレイとローツさんで分担してね』と冗談混じりなそんな会話は驚くほど短くて、続いたジュリの言葉がそれだった。
セティアは俺の隣でそれを聞いて泣きそうな顔をして。
「どんな子かな。ローツさんに似てもセティアさんに似ても頭の回転の速い将来有望な子だろうし、絶対に可愛いね。会えるのが楽しみ、もう待ち遠しいね」
優しい笑顔を浮かべたジュリの顔を見て、その時もセティアが泣いた。狼狽える俺とは対照的にジュリはとても落ち着いていて。
「あれ、私か? 泣かせたの私か? 人妻を泣かせてしまった! うははは!」
セティアを抱きしめ背中をポン、ポンと、優しく叩きながらジュリは笑って。
「分かった? ローツさん。妊婦さんはとても情緒不安定になりやすいって。大事にするんだよ、今以上に大事にね。女は子供を産む道具じゃない、子供を産めると喜ぶだけじゃない。女は覚悟を持って危険を承知で子供を生むんだよ、そうやって、子供は生まれてくるんだよ」
何を思い、既に妊娠を諦めているというジュリは俺にそう言ったのだろう。
「あんなの見せたくないからって、ジュリに言われてセティア抱えてここまで連れてきたんだよ」
俺がふと何故かあのときの事を思い出しながらセティアの手を握ってもう一度声をかけようとしたところにちょうどハルトが言葉を発した。
「あんなの、って、なんだ……」
「セティアの話だと、あの王女の侍女に子供を産めてないことで侮辱されたらしい。おまけに第一夫人に収まってやるってジュリに宣戦布告したらしいぞ」
「なっ」
手当たり次第、手段を選ばなくなってきた挙げ句、正当性の全く無い命令をしこちらを酷く振り回そうとしていることは気づいていたが……。
あの王女は国ではとても立場が弱い。
王女になった経緯だって、王家のためであってそこにあの王女の意思など反映されることはない。エイジェリン様とグレイセル様の所に押しかけられたのも、二人を落とす自信があると豪語するなり周りが煽ててそう仕向けただけのはずだ。カッセル王家はこう思っている。『上手くいくなら儲けもの、駄目なら駄目でそれまで』と。
カッセル国の王太子含む王家の子供は皆国益のための結婚が最前提だ。まだ安定しない国内を何とか纏めていられるのも王子王女の配偶者の家が金というサポートをしてくれていることが非常に大きい。だから王太子やそれに近い年齢の王子王女はそのための教育を施される。国益のため、王家の存続のための結婚の有益性を含めた帝王学を。
しかし、中心人物となり得る王子達から少しでも離れた重要視され難い王子王女となると、その質は明らかに変わる。
他所で【スキル】【称号】持ちを、優れた魔導師や騎士を見つけその血を取り込めるなら褒めてやる、将来の安定を約束してやる、あの王家はそういう考えだ。それがし易いから地位を与えるに過ぎない。それそこジュリが嫌悪するかもしれない、女は『子供を生む道具』程度にしか思っていないから。
硝子暖簾や硝子パーテーションの版権の取引のつもりで王族に謁見したとき、王が第二夫人にどうかと自分の娘含めた女をまるで物のように薦めて来た。あれも正直な話、エイジェリン様とグレイセル様に一人でも押し付けられればといった感じで、自慢の王女として紹介してきたのはたった数人だった。
しかも俺の記憶ではあのサリエ王女は自薦他薦もなく記憶に殆ど残らないほど後にいて、王女がおしかけて来たと聞いた時は本当にそうなのかと疑ったほどだ。
それが何故あの王女が自ら乗り込んで来たのか分からないし、ジュリは勿論周りに対するあの暴言や暴挙は一体何なのか。
言動が全て浅はかで愚かな王女だが、ここまで出来る自信と根拠が全く分からない。
「……誰の差し金なんだ」
ついそう呟いた。それを聞き逃さないハルトが鋭い目で見下ろしてきた。
「どういう意味だよ?」
「あの王女だが……俺達がカッセルに行った時、挨拶しただけで殆ど記憶に残らなかった。周りの女を押しのけて前に出てくることもなかったし、寧ろ興味が薄かったんじゃないか? 本当に、印象に残るようなことを全くしてこなかったんだよ」
「それは……確かにちょっとな」
ハルトがフウと息を吐き、俺から視線を外すと僅かに俯いた。
「背後、調べたほうが良さそうだな」
「カッセル王家を、か?」
「そこは勿論。……ただ、ジュリとグレイの間に亀裂が入ると喜ぶ奴って、結構多いだろ。それに、ジュリが他にかまってられない状況に陥ると助かる奴らもいる。今は全部を疑う時だろうな、複雑に絡み合った思惑だと、味方も敵も知らず繋がってたりするもんだ」
泣きながらも少し落ち着いたセティアが、時折声を詰まらせながら話してくれた内容を聞き、怒りがこみ上げる。
怒りなんて生易しいものじゃないな。
(……帰路で、不慮の事故として処理できるような事を起こすのもありか?)
そんなことを考える程だ。
「でな」
一頻りセティアが事の顛末を俺のために話した頃合いでハルトが俺を見た。
「ジュリが喧嘩売られたから買う、手を貸してって言って来たから俺とリンファ手伝うわ」
「何?」
「それと、クノーマス家と、グレイ。あいつら何しようとしてる?」
それは俺もずっと感じていた。
気になってグレイセル様に一昨日確認したばかりだ。けれど教えてはくれなかった。
「ジュリのためにすることだ」
とだけ言っていつもの落ち着いた顔をして。
……ジュリの、ため?
本当に?
そう、思った。最近のジュリを見ていると正直見ていられない、ってこっちが嫌な気持ちになるくらいに、イライラしてたり諦めた顔したり、時には何も考えたくないのか無表情になって。
何かを作ってもすぐ手が止まって、そしてそれを潰したり壊したり、一から作り直すを繰り返し、結局何も作れず終わることも多かった。
あんなにものつくりが滞るジュリは見たことがなかった。
楽しくなさそうなジュリなんて、見ていられない。
なのに、何故か、グレイセル様は『自由にさせる』とジュリから距離を取り見守るだけ。
王女につきっきり、下手に自由にさせてジュリに危害を加えられても困るからというのは理解できる。それでも、ジュリなら大丈夫という過信があったのではないだろうか?
『放置』。
正直そうとしか思えないのが最近のグレイセル様とクノーマス侯爵家の動きだった。
そんな考えに至った自分が信じられず、一度は捨てた疑問。
けれど今その疑問がはっきりと形になった。
王女を追い出すために、ジュリが犠牲になってはいないだろうか?
(なぜこんなことになったんですか)
「行って下さい」
「セティア?」
「私なら大丈夫ですから」
「しかし」
俺の目の前で、セティアは真っ赤になった目元に残る涙を拭い、今度は俺の手を握る。
「ここで待ってます、心配するような行動はせず、ここで待ってますから。だから、ジュリさんのこと、お願いします」
「セティア……」
「今、あの人にはきっと一緒に怒りを共有する人が必要です。今の私では足でまといだから、きっと私がいたらジュリさんは私を気遣うことになって、本当の気持ちを抑えてしまうから。私の分もどうか、ジュリさんの味方になって来てください」
また泣きそうな顔して、でも堪えて、セティアが強く俺の手を握る。
「お願いします」
強い意志、願望を感じた。
それを無碍に出来るはずもなく。
「わかった。ここにいてくれ、後で迎えにくる。一人で出歩いたりするなよ」
「はい」
そっとセティアのお腹を撫でれば、彼女は優しく微笑んだ。
「……お母様を頼んだぞ、我が子よ」
立ち上がろうと足に力を入れたその時。
飛び込んできたのがロディムとシャーメイン嬢。
ジュリを探しているという。ルリアナ様のところに連れて行くよう言われていたという。
誰に?
何故?
ハルトじゃないが嫌な予感しかしない。
ハルトには来なくていい、セティアの傍にいてやれと止められた。
「セティアを一人にしたなんて知ったらジュリが怒るだろうしな」
そう言われて、俺もセティアもそれ以上ハルトには何も言えなくなって、留まることにした。
状況を把握し、混乱する自分に何とか冷静になれと、よく考えて行動しろよと言い聞かせながらセティアと共にハルト達を待って暫くするとハルトだけが戻ってきた。
「ジュリさん、は?」
泣き止んだものの未だ不安な顔をしたままのセティアがハルトの顔を見るなり口を開いた。
「リンファが連れ出してくれた。今ここにはいないが安心していい。離れていることで気持ちも落ち着くだろうしな」
「……そう、ですか」
ホッとしたような息を吐きつつも不安の拭えぬその目はハルトの後ろに向けられた。そのタイミングでハルトは振り向く。
俺よりももっと混乱し不安が隠せずにいるのは静かにハルトの後を追ってきたであろうロディムとシャーメイン嬢だ。
「ロディム」
「はい」
「お前はローツと共にククマットの 《ハンドメイド・ジュリ》関連の事業を滞らせないよう尽力しろよ」
「え、私が、ですか?!」
「頼んだぞ、俺はグレイの相手とカッセル国の相手で忙しくなるからこっちに構ってやれねえ、お前が公爵から与えられている代理権を存分に使ってククマットの秩序を守れ。ジュリからその許可は俺が責任持って取ってくる」
「ちょっとまて」
口を挟まずにはいられなかった。
「本気か! カッセル国を相手にするのか?!」
「当たり前だろう。あの馬鹿女が自分は守られる立場だって俺に言った、つまり国が相手になるってことだ」
「待て待て待てあの王女のために王家がお前と敵対なんてあり得ない、事を大きくしすぎるなっ、お前が正面切って喧嘩すれば下手すればロビエラム国との対立になりかねないだろ!!」
「知るか、そんなこと。仮にも王族だぞ、確かに言ったんだ、その責任は取ってもらうさ。それにロビエラム国にあんな国を相手にさせるつもりはねぇよ。俺とリンファの二人で十分だ。二度と手出しできねぇようにしてやる」
「あんな王女一人のために国相手に喧嘩なんて!」
「違う」
「は?」
「違うだろローツ」
睨まれ、その目に飲まれ動けなくなる。
「ジュリのためだ。俺やリンファ、マイケル、ケイティの友達であるジュリのためだ!!」
ハッと、想定外に大きな音呼吸音が喉から発せられた。
「どれだけ尽してきた? ここの奴らのためにジュリがどれだけ尽くしてきた。同じ世界からやってきた仲間である俺たちだけじゃなく、あいつがこの世界に楽しみを、笑顔をってどれだけ頑張ってきたと思ってるんだ。そんなあいつのために俺たちが手を貸すのは、力になるのは、当たり前だろう。俺はな、ダチを傷つけられて黙ってる程おとなしい人間じゃねぇんだよ、悪人だ凶悪犯だ言われても俺は自分の力を使うからな……国がなんだ、国一つ相手にするくらい、壊すくらい怖くもなんともねえ。【彼方からの使い】として召喚されたジュリだ、俺達同様に神に望まれてここに来た。そのジュリを傷つけて笑うような奴らなんて滅べばいい、神だってそう思うさ。だからな、俺が全部、全部消してやる。滅茶苦茶にしてやる」
言霊という言葉を、思い出した。
いつだったか、言葉には不可思議な力が宿るのだとジュリやハルトが言っていた。
なんで今それを思い出した?
そして、記憶を掠めた過去の出来事。
フォンロン国と『覇王』の事が何故か思い出された。
ハルトの感情と、意志と、そして言葉。
この世界で至高の神に愛されるハルト。
その男の言葉には、『何か』が宿る。
「国を滅ぼすのがまずいなら、せめて苦しめてやる、俺達を怒らせたこと、仲間を傷つけたこと、死ぬまで後悔させてやる。カッセルだけじゃねぇ、関わった奴らも―――」
「ハルト!!」
耐えきれず止めた。セティアたちが目を丸くして瞬きするほど驚いて、止められたハルト本人も纏っていた怒気を霧散させるほどポカンと間抜けな顔をして。
「……それ以上は、やめてくれ。頼む、頼むから」
数秒の沈黙。
ため息を吐きながら毒気を抜かれた顔をしてハルトは頭をかいた。
「わかったよ」
止められたと、僅かに胸をなでおろした矢先。
「とりあえず……グレイとクノーマス家が何をしようとしてたのか、それを確認する所から始めるか」
不敵な笑みを浮かべてハルトがそう呟いた。その笑みに背筋に汗が流れるのを感じると同時にクノーマス侯爵家の執事がやって来た。
「グレイセル様がお呼びでございます」
ハルトに対してかそれともこれから起こる事態を予測してか、執事の顔色は悪く怯えているように見えるのは気のせいでは、ないだろう。
時系列が前後したローツの語りでした。




