36 * 後悔
前回で鬱展開が一段落付きました。ただまだ明るい話に転じているわけではありません。
なので……。
・ザマァ展開から読みたい場合は
36*マイケル、会場での出来事を語る
・ジュリのものつくり&明るい雰囲気から読みたい場合は
37*ジュリの休息
となりますので宜しくお願い致します。
なお、次回とその次は鬱展開のその裏でのやり取りをローツとロディムが語ります。
一人エントランスを抜けて階段を降りる。
耳痛い、私治癒魔法もポーションもあんまり効かないんだよね、困った。両耳を手で抑えたままという奇妙な姿は気にしない。
夜風でブルっと震える体。一度立ち止まり我に返る。
「え、私ここから歩いて帰るの?」
ヒールとドレスで歩くとかどんな苦行よ。あ、でも屋敷には流石に今日は帰りたくないなぁ。ライアスとフィンのところに行こうかな、屋敷よりも近いしね。
不思議だ。
意を決して言うようなことをサラリと言っていた自分。
そして今何故か妙に心が凪いでいて。
「……ま、何とかなる! いや待て、魔物出ないよね? スライム様をプチッとすることしかできないけど? ライアス達の所に着くまで魔物に遭遇しないに賭ける! 私なら行ける! 多分……」
よくわからない。
今の自分が冷静なのか、そうでないのか。だから今はいつも通りに振る舞う。それが最適解のような気がして。
「ジュリ、ジュリッ」
タ、タ、タ、タ、タ、と階段を駆け下りてくる足音。名前を呼ばれたので振り向く。
「なに?」
その顔は悲壮感に塗り固められ今にも泣きそうに見えた。
「どうして、こんなっ」
両手で私の耳を優しく押さえるグレイのぬくもりは心地良い。
「どうしてって……それ、私に聞くこと?」
心地よいけれど、今はいらないと思ってしまった。
やさしく触れるその手を無遠慮に叩くようにして外す。こんなことをされたことがないからか今度は酷く困惑した顔になり瞳を揺らす。
「重いから外したの。色々、重い、私には、抱えられない。もう、そういうのいらない。だから外した、あ、違う……捨てたの。ごめんね、捨てちゃった」
「ジュリ、説明をさせてくれっ」
「説明? 今は聞きたくない、何聞いても惨めにしかならないから」
「な、ぜ……」
「惨めだよ、なんにも知らないまま、ここ最近辛い思いしてきたから。私のことなのに、何にも知らないままだった。誰も話してくれなかった。凄い惨めだよ」
「それはジュリの為にっ」
「私のためなんて嘘、私のためならちゃんと説明をしてくれてるよね。誰がどれだけ絡んでるのかわからないけど……誰も教えてくれなかったでしょ、苦しんでたのに、辛かったのに、誰もそんな私に教えてくれなかった。私を理由にグレイたちはやりたいことをやってただけ。そこに私の意志や意見が一切無くていいと思うことを勝手にやっただけ。忘れた? ……勝手なことしないで、わたしの事ならちゃんと私に話してって言ってるよね? 理解してくれていたって思ってたのは私の自惚れ? 勘違い? それとも説明不足?」
「そんなことはない、私はっ」
「とにかく、もう無理。私にはやっぱり今の置かれた状況で生き抜く力はないって分かったから」
「……ジュリ」
「離婚して」
もういらない。
伯爵夫人なんて地位。
そんなのあったって、確かな地位じゃないって嫌というほどわかったから。
もう嫌な気持ちに蓋して無理矢理笑顔を貼り付けて駆け引きなんてしたくない。
全然楽しくないし辛いし、時には罪悪感から仕事に身が入らなくてそれで落ち込むことまであったから。
グレイを愛してる。
その気持ちは変わらない。
でももうその純粋な気持ちだけで隣にいられないって分かってしまった。
我儘だと分かってる。迷惑をかけると分かってる。
それでも。
こんなに惨めで辛い思いをするならば。
ただ、ただ、グレイを好きな女でいたい。
隣にいられなくて不安になったりヤキモチ焼いたりするかもしれないけれど、今のこの惨めさや辛さよりきっとずっといい。
「私は、グレイセル・クノーマスの伯爵姓から抜ける。抜けて、ジュリ・シマダに戻るね」
「だ、めだ。認めない、それは認めないっ」
グレイの目に普段は隠している私への狂気的な執着が滲む。
不思議なもので、これをもう見慣れてしまって、怖いとも気味悪いとも思えなくなっているんだから。私も大概おかしな感覚の持ち主で、ダメな女なんだよね。
「だったら」
手を振りかざした。
パン!!
初めて本気で、怒りを込めてグレイの頬を叩いた。
「私を除け者にしなければ良かったじゃない」
呆然と叩かれた頬を手で押さえるグレイ。
「私を蚊帳の外にしなければよかったじゃない。勝手に良し悪し決めて後から報告されて私が喜ぶような事だった? 私が笑って全部思い出話にできるような軽い話だった? ここ最近の私、辛かったよ、ほんとに辛かった、でもグレイは、そんなとき手を差し伸べてくれなかった。何かしているのを匂わせるだけで、どんなに私がイライラしても、腹が立っても、それを知っててやってくれるのはご機嫌取りだけ。伯爵夫人はそういうの当たり前? 我慢して当然? それならもうこんな思い二度とごめんだから離婚する」
刹那。ブワリと風が吹き荒れる。
「うおっ?!」
変な声出た!
「ジュリ、治療してあげるからうちに来なさいよ。ついでにしばらく遊んでいきなさいね」
リンファの声が耳元で聞こえて振り向こうと思ったら視点が足元に固定される。
え、私、浮いてる。
グレイが目を見開いて見上げている。
「グレイセル、ジュリは当分預かるわ」
それはそれは明るい、弾んだ声のリンファ。
グレイが跳躍の体勢になったのが確認できて、私に向かって手を伸ばした。
本能かそれとも条件反射か。
私もその手に向かって手を伸ばしていた。
「だめよ」
優しいリンファの声。
「今は、だめ」
私の伸ばした手を握ったのはリンファ。
わずかに、爪先だけが、グレイと掠った直後。
私はリンファの転移でその場から姿を消した。
眼の前が真っ暗に反転する瞬間に見えたグレイの手は、何とか私の手を掴もうと爪の先まで力が込められていた。
「うっひょい!!」
「ちょっと、何その声」
「ご、ごめん。突然転移で移動されると変な声でちゃうのよ……」
「……なんでグレイセルもこんな奇特な女が好きなのかしら」
「それね、ほんと謎。誰よりも私が知りたい謎」
私が普段と変わらない態度のせいか、リンファはため息を付くとパン! と私の背中を叩いてきた。
「とりあえず治療と着替。まったく、こんなにステキなドレスを血で汚さないでよ。後でもらおうと思ってたのに」
「もらう気だったんだ」
「腰やおしり周りを調整したら着れるもの」
「うわ、ムカつく発言」
「お褒めの言葉ありがとう」
「褒めてない」
そんなやり取りをしていると、見計らったようにセイレックさんがやってきた。私の血まみれの耳と肩とドレスを見てギョッとして一瞬硬直してしまった。
「な、何があったんです」
「お邪魔してます、大惨事が起きまして」
「本当大惨事だったわね」
私の耳に触れながら、リンファが治癒魔法を発動してくれている。
「やっぱり治りにくいわね、セイレック、ポーションを持ってきてくれる?」
「……分かりました、上級一本でいいですか?」
「ええお願い」
セイレックさんはすぐにでも私に何があったのか聞きたそうな顔をしたけれどそれ以上の会話をすることはなく部屋を出る。
「離婚するの?」
「うん、もう決めたから」
カチャン、ポーションのほかにホットワインなどを持ってきてくれたセイレックさんは、テーブルに並べていたおつまみのお皿を、私達の会話を聞いて側のグラスにぶつける。
「……離婚、ですか? ジュリと、グレイセル、が?」
信じられないと言いたげな顔で私とリンファを見比べる。
「もう、しんどくて」
息を限界まで吸い込んで一瞬止めてからゆっくりと吐き出すと、夜会の最中の私は呼吸がとても浅かったのだと気付かされた。たった一度のこの深呼吸で、無意識に力んでいた筋肉が一気に緩む。
「勢いで言っていたように見えたわ」
「間違いなく勢いだったよね。自分でもわかってるけど、勢いがあったからこそ、言えたことでもあるかな」
「……離婚したかったの?」
「分からない」
「分からないって、あなた」
「ただ、ずっと感じてた」
「何を?」
「私このままじゃ身動き取れなくなって、物も作れなくなって、何もかも嫌になって逃げ出す時がくるって、感じてた」
「それは……いつから?」
「いつからだろうね、はっきりとはしてないんだけど……多分結婚を決めたときからもう私の中にはあったと思うよ」
自分で口に出してようやく自覚したこと。
初めからあった漠然とした不安。
私が伯爵夫人としてやっていけるのか、ということもだけど、それよりも。
その環境を私が心から受け入れられるのか、ということ。
「私の責任、大きいんだよね。そのあたり、見て見ぬふりをしてきたし、グレイに任せっきりだったし、なにより……中途半端にこなしちゃって、期待させるような言動も多かった。『グレイのために』『グレイの奥さんだから』って言葉で、ご機嫌取りしてたから、あんまりグレイを責められないかなって思うよ……でも、もう見て見ぬふりはできないよ、無理だって気づいたから。しんどいって言葉、もう飲み込めないから」
訳もなくははっと笑い声が出た。
「謝らないと。夜会を騒ぎで滅茶苦茶にしたからね」
途端、リンファがテーブルを両手で叩く。
「謝らなくていいわ。あそこにいた奴ら、ジュリを利用して王女が二度とククマットとグレイセルにちょっかい出せないように何か計画していたみたいだけど、それと最近のあなたにつらい思いをさせてきたことを無視していい理由にはならないわ」
「私がそういうのうまく誤魔化せないからね、苦渋の決断だったのかもよ?」
「だからといって許されていいわけないでしょ!! あんな小娘をのさばらせて人を傷つける言動を見過ごすなんて馬鹿なことをするから子供が出来ない事を攻撃の手段とするようなことまで許したんでしょ!!」
セイレックさんの手がピクリと反応すると彼は私に視線を合わせてきた。
「あの小娘をもっと最初から突き放していたらあんなこと言い出せなかったわよ!調子に乗らせた周りの責任は大きいわよ!!」
「リンファ、どういうことですか?」
「あの小娘、自分がグレイセルの子供を生む気だったらしいわ。そうすればククマットと伯爵家を自由に出来ると思ったんでしょうね。しかも侍女がジュリを女としての務めを果たせない無能だと罵ったのよ。自分や王女だってまだ妊娠したことすらないくせによく言えたもんだわ」
「……最低ですね」
聞いたことのない低い声のセイレックさん。
「品位を疑いますね、よくそんな女を王女として認めていますね」
「所詮養子の王女よ、ろくな教育を受けていないんでしょうね。甘やかされて育っただけの中身のない小娘よ。あんなの放っておいても勝手に潰れてくれるわ、よほどいい所に嫁ぎでもしなければ今後は王宮で肩身の狭い思いして生きてくだけよ。妊娠出産がどれだけ大変かも知らない小娘なんてそのうちあの王家だって持て余すわ」
妊娠と出産。
「それも、離婚にふみ切る決断になったかな」
「ジュリ……」
「これからも、湧いてくるもん。グレイの子供を産みたいと思う人たち。グレイが伯爵でいる限り、それはね、避けられない。その度にあの侍女の発言は私にぶつけられる。……それ耐えられないって、今回のことで気づいちゃった」
浅はかな決断だった。
私とグレイはもっと話し合って結婚をするべきだった。
でも。
『未練』
それを話そうとするたび、グレイの瞳が揺れるのを見るのが辛かった。
過去を振り返り、しがみつき、影ができるのをグレイは嫌がった。
今を、私を、みてくれと切に望むその瞳に見つめられるたび、言えなくて。
それを繰り返しているうちに、自然と私はグレイにかつての思い出を話せなくなっていた。友達のこと家族のこと、彼らとの思い出を、話せなくなっていた。
『未練』につきまとう、『帰りたい』という気持ち。それに繋がっている、切り離せない『死んだら魂の欠片くらいは帰れるかも』という、なんの根拠もない身勝手な願望。
『未練』を捨てれない私を見て、不安になり、不安定になるグレイを見るのが辛いから、その気持ちに蓋をしてみてみぬフリをして。
でも今回思ってしまった。
願ってしまった。
帰りたい、と。
なにもかも投げ出して帰れるなら、帰りたいと。
グレイを置いてでも、帰ろうとした心。
結局、私にはこの世界でいきていくという覚悟がまだ足りていなかった。
私は。
色々間違ったり勘違いしたりズルをして生きていたんだ。
だからこんな決断をすることになった。
グレイに突きつけることになってしまった。
「ジュリ……」
視界がいつの間にか歪んでいて、さっき耳から滴っていた赤い血とは違う透明なものがポタポタとテーブルに落ちてみるみるうちに広がっていく。
「辛いね、こういう決断……」
声が情けないほど震えた。
「嫌いじゃないから、尚更」
手が震えていることにも気づいた。
「ただ好きなだけで、側にいたいだけなのに」
鼻もグズグズで、呼吸も辛い。
「難しい、ね?」
思考もグチャグチャ。
もう、喋れなくなった。
リンファがそっと抱き寄せてくれて、背中を擦ってくれた。
今更後悔が押し寄せる。
今までの自分の言動への、数え切れない後悔。
でもその中に離婚の文字が入っていない事に気づくのは少しだけ後。
今更ですが、このお話ってミステリーや先の展開に影響する伏線を幾つも張り巡らせているわけでもなく、ジュリの生き様とハンドメイド中心となっています。作者のワガママで脱線しまくりですが、作者の気分で色々関係なさそうなことも突っ込んでますが、何が言いたいかと申しますと『ネタバレ』はすごく困る!という物を書いてる訳では無いということです。なので今後も鬱展開とか、賛否ありそうな内容とか、そういう時は今回のように前書きや後書きに事前に書き込もうかなぁと考えています。




