36 * 孤独な夜
今までも鬱展開でしたが、このお話から三話分がキツめです……。
春の植物の芽吹や種まきに合わせて行われるこちらの世界独自に進化させたイースター。
はっきり言って今年のイースターは初日から目茶苦茶だった。
ククマット領の発展に貢献した人たちのための栄誉賞は初の試みとなる。受賞者に授与されるつまみ細工のブローチは濃く上品な紫の布をふんだんに使った贅沢な作りで、その中心には金細工職人さん達が意見を出し合って完成に至った金と白金の実に繊細で精巧な細工が据えられている。それだけでも価値ある栄誉賞のブローチをサリエ王女が欲しいと喚いた。それは出来ないときっぱり断ったグレイを無視してさらに捲し立てて、また不敬罪だなんだと言い出し国王にそのことを伝えるから王女の筆頭侍女に手紙を書けと命令しだした。我慢ならず私がそこに割り込んでイースターは私が企画し始めた祭りだし、文句なら私が聞く、そしてカッセル国王の名前を出すならばこちらはヒタンリ国へ相談するとハッキリと宣戦布告めいたことをいったら今度は私に不敬罪だと喚き散らし、護衛に私の首を今すぐ斬れと命令して。
グレイがその瞬間怒気と殺気を撒き散らし剣を抜こうとして、ローツさん、ロディム、そしてエイジェリン様の三人がかりで彼を抑え込んだ。王女は悲鳴を上げてその場から逃げ出して、王女の護衛たちはその場で腰を抜かし、騒然となったその場は侯爵様と最前列の貴賓席ですでにお付きの人たちと寛いでいたツィーダム侯爵様が何とか収めてくれた。
このまま逃げ帰ってくれたら良かったのに、と思ったけれど、王女は何とかこちらが初日の儀式と授賞式を終えるまでの間に、ククマットにある店や工房で好き放題していて特に螺鈿もどき細工を扱う工房にあるもの全部カッセル国に送れと命令した挙げ句支払いは何故かクノーマス侯爵家に回せと言い出して工房と派手に揉めていると授賞式が終わった直後に駆け込んできた自警団の若者に言われ、請われるままに侯爵様とエイジェリン様が走って行くことになった。
ここまで来ると最早異次元な精神の持ち主だとしか思えなくて、私の中で王女は『理解不能な人』という位置付けになってしまった。
あれだけグレイの妻の座を狙っているのに簡単にグレイに対して不敬罪だと言ってしまうし、殺気に当てられて逃げたその足でククマットのお店で好き放題出来るなんて、もう本当にわけがわからなかった。
「グレイ、落ち着いて」
「は、ははっ……」
「グレイ?」
呼吸が整わず背を丸めていたグレイに覆いかぶさるようにして私は体を寄せ、ずっと血が滲むほど握り込まれた彼の手に自分の手を重ねていたけれど、ふと力が抜けた瞬間があった。
「あーあ……」
「……なに?」
力の抜けた手が離れ、その手が今度は私の手の上に重ねられた。ぬるりと生暖かい湿り気が手の甲に広がる。
「グレイ、血が……」
「面倒だな……」
滲む血などお構いなしに、グレイはいつものように私の手を優しく、優しく、慈しむように撫でる。
「王女ってだけで、何故殺しちゃだめんなんだろうな」
「グレイ」
ボソボソと呟くそれは独り言で、私にしか聞こえない声量だけど確かにその声は常軌を逸している。楽しそうに笑っているのとも違う、呆れた乾いた笑いとも違う、どう表現していいのか分からない笑い。
「あー……目障りだ……。回りくどい事をせず、殺してはだめか? そうだ……どうせ、あの女一人死んだところで」
「グレイ!!」
ビクリと体を強張らせたグレイは、覆いかぶさる私を押しのけるとグンッと体を起こす。驚いて困惑した目をして私を見つめる。
「ジュリ?」
「グレイ、血が出てるから」
「あ……」
妙に冷静にグレイを見つめる自分がいた。
ああ、なるほど、この男はこうなるのか、と。
怒りと殺意から生まれる冷静さが生む人格はこうなるのか、と。
「もう止めて」
「え?」
「この先どうするつもりか分からないけど、もう止めて」
「……大丈夫だ」
切に願い伝えた言葉は優しい笑顔で否定された。
「何が、大丈夫なのよ……」
「もうすぐ終わるから」
「グレイ」
「あと少しの辛抱だ、大丈夫だ」
その瞬間、私の中で何かが膨れ上がる。
同時に何かが崩れ風化するように消えていく。
立ち上がったグレイは私の頬にキスをする。
「全て綺麗に片付ける」
そう言って、何事も無かったようにマントを翻し歩き出した。
座ったままの私を、置き去りにして。
初日の騒ぎはククマット全体に今までに無かった悪い爪痕を残した。明るく賑やかな雰囲気の中で人々がいたるところで騒ぎと王女の言動について不満と共に酒の肴として面白おかしく話してしまう。イースター中のイベント会場でもそんな話で持ち切りで、子供達まで悪ふざけで逃げ出した王女の真似だと悲鳴に似せた奇声を発して走り回り笑う。集まった貴族達もその話題で持ち切りで、純粋にイースターを楽しみにしてくれていたヒタンリ国の視察団の団長を務める第三王子殿下が怒って正式にカッセル国へ遺憾の意を表明する書簡を送りつけると言い出したり、ウィルハード公爵夫人アティス様達も直ぐ様今後のためにも動くべきだとクノーマス侯爵家に対して苦言を呈したり。
こちらの味方をしてくれるのはすごくすごくありがたい、それだけで気持ちは浮上するし救われる。
でも、大変だ。
正直こういう時はグレイも私もクノーマス伯爵とその夫人として対応せざるを得ない。こういう祭事に関しては地位というのは決して無視できないから。
ありがとうやごめんなさいの一言言うにも言葉選びから始まりメッセージカードを選んだり。そして立場を考慮してああして欲しいこうして欲しいとお願いたり遠慮したり。
「何してるんだろ、私」
イースター祭から数日。
「いっ!」
「ジュリさん!!」
「ジュリ!!」
瞬間的に走った痛みに手にしていた加工用ナイフを咄嗟に投げ捨てその手で痛みの走る手を掴む。
何が起きたのか分からなくて数秒その痛みの走った部分を見つめると、瞬く間に赤く滲んでポタポタと血が床に落ちていく。
工房が騒然となり慌て声を荒げる人たちの中、私は自分に起きたことが衝撃的で呆然とする。
この世界に召喚されてから何かを作っていて手を切ることは何度もあった。
あったけれど、こんなふうにざっくりと切るのは二度目で、一度目は作りたいものがあり過ぎて気が急いて興奮していて起きたこと、あの時は笑って反省するだけで済んだけれど今回は違う。
明らかに、調子が悪いとわかっていて、作りたいものがなんだかイマイチ分からなくてお店の商品で足りない物を惰性的な動きで作っていて起きた。
途端に罪悪感が募る。
(こんな気持ちで作っていいの?)
ロディムに傷口を押さえられ、キリアが消毒液と清潔な布を持ってくる。誰かが外で治癒師かマイケルを呼んできてくれないかと声を張り上げているのが聞こえる。
「気をつけなきゃ」
マイケルの穏やかな声に、ホッとして苦笑が漏れた。
「ごめんね、こんな事で呼んで」
「こんなことじゃないよ、君はポーションも魔法も効きにくい。僕の治癒魔法ならリンファに負けない自負があるからね、役に立てて嬉しいよ」
「うん……ありがとう」
治癒魔法の柔らかなぬくもりが僅かに感じられる指先は、傷がゆっくりと塞がっていく。
「無理して作らなくていいじゃないか」
(え?)
顔を上げると、やっぱり優しい笑顔のマイケルがいた。
「今のこの店なら、君が無理しなくてもちゃんと支えてくれる人がいる。少しくらい休んで気持ちを落ち着かせたっていい。普段から働きすぎだ、こういう時は案外仕事を忘れてみるのもいいかもしれないよ」
「うん、そう、だね」
最近私がデザインも出来ず、企画も進められず、ものつくりも捗らない事を知っているようだった。作っても納得出来ず素材を捨てるを繰り返しているのを見てフィンやおばちゃんトリオにも心配された。
フォンロン国ギルドのレフォアさんたちは独自のルートで最近のククマットの話を知っているからか、グレイと話し合うべきだと諭すようなことまで言わせてしまっている。
「……今日、帰る」
「うん、そうだね。あ、うちに来るかい? 久しぶりに泊まっていったら? ジェイルも喜ぶよ」
「ありがとう、でも、屋敷に帰るね」
「そう……」
そして私を気遣う手紙が沢山届く。
届くけれど。
『クノーマス伯爵夫人ジュリ様』宛。
気晴らしに我が家の茶会へ来ませんか、夜会にご招待します、保養地へお越し下さい、そんな言葉が並んでいる。
こんな手紙が増えたなぁ、なんて事が頭を過る。
【彼方からの使い】じゃなく、『伯爵夫人』だと都合がいい人たちが多いんだな、と以前の私なら軽く受け止め流せていた。
でも今は煩わしい。
お気遣いありがとうございますと手紙を返して会えばまたその事で会話して、苦手な社交界からどう逃げようかと言葉を選んで再度のお誘いを躱して。
この状態で後日そんなことをまた繰り返すのかと気づいた瞬間、ゾッとした。
何してるんだろ、こんな事をしたくて伯爵夫人になったわけじゃないのに、グレイと結婚したわけじゃないのにって。
自分が今置かれている状況と立場が途端に重くのしかかる。
何かあるたびに、こんな事が繰り返される未来が見えてしまって、背筋が冷える。
束で届く手紙の中にたった数通混じる『私』宛の手紙を読むだけでホッとして肩の力が抜ける自分が情けなくて、自分を卑下した乾いた笑いしか起こらない。
気を紛らわす音楽を聞くなんて、日本にいた頃は当たり前に出来ていた。
何となく部屋にいたくなくて気晴らしにすぐ近くのコンビニに買う予定も無かったデザートを買いに行くなんてことも、当然の日常だった。
音楽を気軽に楽しむ機器などなく、そもそも聞き慣れた音楽など存在しない。
ふらりと立ち寄れるコンビニなどなく、なにより魔物が蔓延る世界で私は一人出歩くなんて出来ない。
一人の夜。
こんなことは時々あった。
夜に警備、ハルトやマイケルたちと飲み明かす、ローツさんと何やら話し合い、クノーマス侯爵家に顔を出す、そういう事でグレイがいない夜は何度もあった。
それは単に一人の夜であって、『孤独』を感じたことは一切ない。
けれど。
孤独だな。
今、確かに私は孤独を感じている。
「……」
何も手につかない。
何も、思い浮かばない。
何もしない一人の時間が嫌で書斎の机の上に用意した紙は真っ白なまま。企画書のはさんであるファイルは閉じたまま。
孤独は心の動きを鈍らせる。
落ち込むという感覚を嫌と言うほど思い知る。
「……ダメだ、こんなんじゃ」
筆を置き、椅子に深く沈むように体を任せ、天を仰ぐ。
生きるために自分の出来ることを全力でしてきた。『つもり』じゃなく、全力を尽くしてきたという自負がある。
【スキル】も【称号】も、まして魔力すらない私はがむしゃらという言葉にふさわしい生き方をするしかなかった。
時々ダラダラと呑気な日を過ごすこともあったけれど、そもそも毎日をそう過ごせる性質ではなかった私にとっては今までのがむしゃらな、無茶苦茶な生き方は性に合っていたと言っても大袈裟ではない。
周りをこれでもかと巻き込んで、笑って、怒って、時々泣いて、でも結局笑って過ごす毎日は召喚されて地球で日本で生きていた事を全て否定された私の心の拠り所でありこの世界での私の『芯』となっていた。
充実した日々。
今の私を形成する最も重要なもの。
全てを否定された私がここで生きているという実感を強く強く強く強く感じられ、確かなことだと信じられる証。
その充実した日々を汚した自分がいる。
やっぱり私には踏み込んではならない『世界』だった。誤魔化して見て見ぬふりをして強引に歩いてはいけない『世界』。
誰のせいでもなく、私の、私自身の失敗。
考えなければなからなかったのに。
私は確かにあの時逃げた。
グレイからプロポーズされたあの日、私は踏み止まり彼を傷つけてでも、プロポーズを一度断るべきだった。きっとそうしていたら、今の私達の関係は違っていた。『結婚』『夫婦』という枠にはまらず、こだわらず、もっと柔軟に自由に私とグレイは関係を築けていた。
後悔はしていない。結婚したことを後悔することは今後もない。グレイだけが私の『夫』と呼べる人でいい。あとにも先にも彼だけで良い。その気持ちは揺るがない。それでも。
「……リンファと、ヒタンリ国に相談かな」
ポツリ、呟いて。
心の中で膨れ上がっていた定まっていなかった『決心』が形になろうとしている。
私は。
私を守らなくてはならない。
生きていくために。
無様でも惨めでも、どんな形であろうと。
私は、私の望む形で生きたい。
貪欲な自分のその心に逆らうことは、出来ない。
だから。
何かを今、変えなければならない。
両手で頬を思い切り叩く。
「よしっ」
グレイと話し合おう。
今後について、二人でちゃんと、話し合おう。
きっとこのまま見て見ぬふりをしていたら共倒れするから。
明るい話が書きたい、でもまだ先……。




